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先日七五三のお祝いに東京江東区の氏神ともいえる富岡八幡宮に行ってきましたので、その歴史などを紹介しましょう。・・・鳥居は金属製

八幡宮の公式HPによれば<富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました>から始まり

<周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得、世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です>と誇っています。

 <江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました>

<また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています>とありました。この日も多くの参拝客が訪れていました。

Wikipediaには<1627年創建、1683年に火災で焼失、1703年には地震で損壊、1923年の関東大震災でも損壊、1945年の東京大空襲で焼失、1956年に現在の社殿が造営された>とあり、社殿はコンクリート製の新しいものでした。

また江戸時代、富岡八幡宮境内では相撲の本場所がたびたび開催され、現在も新横綱の奉納土俵入りがここで開催されるそうです。

大関力士碑には現存最古の番付に大関として載った力士から琴欧州まで114名の四股名(横綱に昇進した力士は含まず)が引退順に刻まれているそうです。

境内にある伊能忠敬の銅像は、当時富岡八幡の近くに居住していた伊能忠敬が測量に出かける際に、安全祈願のため必ず参拝に来ていたことから2001年に建立されたものだそうです。



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