日本青年館、2010年10月18日マチネ、19日ソワレ。
19世紀初頭のロシア。ペテルブルク社交界一の伊達男エフゲーニィ・オネーギン(轟悠)は、貴族社会の欺瞞的な華やかさの中で享楽的な日々を送っていた。だがある日、叔父ワシーリィーの見舞いを兼ねて、幼いころ毎夏訪れていた田舎の領地に滞在することになる…
原作/A・プーシキン、脚本・演出/植田景子、作曲・編曲/甲斐正人、青木朝子。
バレエもオペラも大好きなのですが、それから比べると、やはり宝塚っぽくなっていた舞台でした。
原作は未読なのですが、オペラもバレエも、要するにヒロイン・タチヤーナに完全に感情移入しているチャイコフスキーの視点満開のロマンスな訳でして。
しかしこの物語を『風と共に去りぬ』の男女逆転版、とは言い得て妙ですね。確かに。
私は宝塚にはロマンスを求めるタイプなので、原作とかプーシキンの生き方とかにあった革命への思想とかにはあまり興味がなく、要らない部分だったんじゃないのかな、オネーギンがタチヤーナ(舞羽美海)にフラれたところで終わっていい物語だったんじゃないかな、とか初見では思いました。
が、二度目に観た時には、幼いころ(彩凪翔)に抱いていた真実の恋と革命への夢、その両方をタチヤーナとの出会いと別れを通して思い出し、無為に生きてきた日々とついに別れを告げられたのだ、新しく本当の人生を歩み始めたのだ、と思えたので、やはりよかったのかな、と。
なかなかにすがすがしい舞台になっていました。
さらに舞台は景子先生の美意識が隅々にまで行き渡っていて、たとえば額縁が効果的に使われていたお屋敷のセット、白樺の背景、娘役さんたちにだけ新調されたドレス(まあ男性陣はいつもの定番の燕尾服とかフロックコートという時代ですからね)、いずれも美しく優雅でよかったです。
音楽はやや単調にも思えましたけれどねー。
そしてミミチャンはお芝居はとても素敵で、ことに二幕の方がよかったくらいにしっかりしていましたし綺麗でしたが、いかんせん歌は本人の不安感、苦手意識が前面に出てしまっていて、聴いていてハラハラしましたよ…ジュリエット、がんばってよね!
イシちゃんは圧巻の美しさと手堅さですばらしいオネーギンっぷりでした。
ヒロミのレンスキー(彩那音)は田舎を愛し牧歌的に生きる天使のような詩人の青年、ということでやや天然な作りで、オペラとかではオネーギンの腐れ縁めいた悪友っぽいニュアンスもあるのかなと思っていたので、ちょっと意外だったのですが、これまたなかなかよかったです。
オネーギンがオリガ(透水さらさ)にちょっかいを出すので彼に手袋を投げつけてしまうのですが、レンスキーにとっては、オネーギンが斜にかまえて、自分が大切に思っているものを何もかも認めないどころか見てもくれない感じなので、それについに耐えかねちゃったんですよね。
本当はもっと対等の友達でいたかったんです。
自分のことをわかってもらいたかった、自分のほうを見てほしかった、自分が好きなものを彼にも好きになってもらいたかった。
何もかも好きになれずにいてしんどそうにしている彼を幸せにしてあげたかったのです。
なのに報われない。だから決闘するしかなかった。
ここには恋の鞘当て以上に、ある種の情熱と狂気があったのですよねー。
そんなレンスキーをヒロミは演じてくれていました。満足。
決闘は一幕で終わってしまうのですが、ニ幕になってもイメージとして亡霊のように出てくるレンスキーがまたよかったです。
緒月遠麻の役名は「ある革命思想家」しかしてその正体はアレクサンドル・プーシキンその人、ということだったわけですが、こちらものびのびと演じていてよかったと思います。
年月が経ったニ幕目にもみあげを太くしてきたのにはちょっと笑いました。
あと冒頭、酔っ払ってオネーギンとひとつベッドに寝て、寝ぼけて抱きつくところにもときめきましたよ!
専科からはオネーギンの母マリーヤ役に美穂圭子、オネーギンの叔父ワシーリィーに一樹千尋。ともに圧巻の歌唱力ですばらしかったです。貴族社会の一端をとてもよく表現してもいましたし。
ラーリナ夫人の麻樹ゆめみがまたよくてさー。乳母の此花いの莉もよくてさー。
オリガもよくてさー。
オネーギンの恋人で女優の涼花リサもニ幕目の色気がすばらしくってさー。
ワシーリィーの執事セルゲイの奏乃はるともよくってさー。
香綾しずるは二幕のグレーミン公爵もよかったけれど、一幕のザレツキーもシブくて印象的でした。
フィナーレのピアノはチャイコフスキーふうだったのかな?
のびやかに踊るミミちゃんが印象的でした。
19世紀初頭のロシア。ペテルブルク社交界一の伊達男エフゲーニィ・オネーギン(轟悠)は、貴族社会の欺瞞的な華やかさの中で享楽的な日々を送っていた。だがある日、叔父ワシーリィーの見舞いを兼ねて、幼いころ毎夏訪れていた田舎の領地に滞在することになる…
原作/A・プーシキン、脚本・演出/植田景子、作曲・編曲/甲斐正人、青木朝子。
バレエもオペラも大好きなのですが、それから比べると、やはり宝塚っぽくなっていた舞台でした。
原作は未読なのですが、オペラもバレエも、要するにヒロイン・タチヤーナに完全に感情移入しているチャイコフスキーの視点満開のロマンスな訳でして。
しかしこの物語を『風と共に去りぬ』の男女逆転版、とは言い得て妙ですね。確かに。
私は宝塚にはロマンスを求めるタイプなので、原作とかプーシキンの生き方とかにあった革命への思想とかにはあまり興味がなく、要らない部分だったんじゃないのかな、オネーギンがタチヤーナ(舞羽美海)にフラれたところで終わっていい物語だったんじゃないかな、とか初見では思いました。
が、二度目に観た時には、幼いころ(彩凪翔)に抱いていた真実の恋と革命への夢、その両方をタチヤーナとの出会いと別れを通して思い出し、無為に生きてきた日々とついに別れを告げられたのだ、新しく本当の人生を歩み始めたのだ、と思えたので、やはりよかったのかな、と。
なかなかにすがすがしい舞台になっていました。
さらに舞台は景子先生の美意識が隅々にまで行き渡っていて、たとえば額縁が効果的に使われていたお屋敷のセット、白樺の背景、娘役さんたちにだけ新調されたドレス(まあ男性陣はいつもの定番の燕尾服とかフロックコートという時代ですからね)、いずれも美しく優雅でよかったです。
音楽はやや単調にも思えましたけれどねー。
そしてミミチャンはお芝居はとても素敵で、ことに二幕の方がよかったくらいにしっかりしていましたし綺麗でしたが、いかんせん歌は本人の不安感、苦手意識が前面に出てしまっていて、聴いていてハラハラしましたよ…ジュリエット、がんばってよね!
イシちゃんは圧巻の美しさと手堅さですばらしいオネーギンっぷりでした。
ヒロミのレンスキー(彩那音)は田舎を愛し牧歌的に生きる天使のような詩人の青年、ということでやや天然な作りで、オペラとかではオネーギンの腐れ縁めいた悪友っぽいニュアンスもあるのかなと思っていたので、ちょっと意外だったのですが、これまたなかなかよかったです。
オネーギンがオリガ(透水さらさ)にちょっかいを出すので彼に手袋を投げつけてしまうのですが、レンスキーにとっては、オネーギンが斜にかまえて、自分が大切に思っているものを何もかも認めないどころか見てもくれない感じなので、それについに耐えかねちゃったんですよね。
本当はもっと対等の友達でいたかったんです。
自分のことをわかってもらいたかった、自分のほうを見てほしかった、自分が好きなものを彼にも好きになってもらいたかった。
何もかも好きになれずにいてしんどそうにしている彼を幸せにしてあげたかったのです。
なのに報われない。だから決闘するしかなかった。
ここには恋の鞘当て以上に、ある種の情熱と狂気があったのですよねー。
そんなレンスキーをヒロミは演じてくれていました。満足。
決闘は一幕で終わってしまうのですが、ニ幕になってもイメージとして亡霊のように出てくるレンスキーがまたよかったです。
緒月遠麻の役名は「ある革命思想家」しかしてその正体はアレクサンドル・プーシキンその人、ということだったわけですが、こちらものびのびと演じていてよかったと思います。
年月が経ったニ幕目にもみあげを太くしてきたのにはちょっと笑いました。
あと冒頭、酔っ払ってオネーギンとひとつベッドに寝て、寝ぼけて抱きつくところにもときめきましたよ!
専科からはオネーギンの母マリーヤ役に美穂圭子、オネーギンの叔父ワシーリィーに一樹千尋。ともに圧巻の歌唱力ですばらしかったです。貴族社会の一端をとてもよく表現してもいましたし。
ラーリナ夫人の麻樹ゆめみがまたよくてさー。乳母の此花いの莉もよくてさー。
オリガもよくてさー。
オネーギンの恋人で女優の涼花リサもニ幕目の色気がすばらしくってさー。
ワシーリィーの執事セルゲイの奏乃はるともよくってさー。
香綾しずるは二幕のグレーミン公爵もよかったけれど、一幕のザレツキーもシブくて印象的でした。
フィナーレのピアノはチャイコフスキーふうだったのかな?
のびやかに踊るミミちゃんが印象的でした。
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