駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

SWってきました!

2015年12月23日 | 日記
 『スター・ウォーズ エピソードⅦ』を昨夜日本橋で観てきました。自分へのいいクリスマス・プレゼントになりました!
 私は年に100回以上劇場に観劇に行きますが、映画館に映画を観に行くことは年10回もないと思います。かつ、テレビで放送を見たりDVDを借りてきたり今ならネットで見たりとか、そういうことが苦手でほとんどしません。
 そんな、まったく映画ファンではない私の最愛の映画が『スター・ウォーズ エピソードⅣ』です。Ⅳ、Ⅴ、Ⅵの三部作はデジタル・リマスター版DVD-BOXを愛蔵しています。
 Ⅳの日本公開は77年でしたっけ? なのでこれはさすがにリアルタイムでは観ていないのではないかと記憶しています。ただ生頼範義(今、字を正確に表記しようとウィキって初めて、自分が「義範」だと誤読していたことに気づきました…あと秋に亡くなっていたのですね、存じ上げませんでした)のあのイラストレーションのことはすごく鮮明に覚えています。Ⅴくらいからリアルタイムで観ているのかなあ?
 Ⅵ公開時に、当時の私が住んでいた町の映画館はいわゆる二番館で、三本立てで一挙上映したんですよね。一日中座っていて、至福のときだったことを覚えています。
 アニメ『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズ再放送と映画版三部作、ハヤカワSF文庫や創元推理文庫SFなどで50年代アメリカ黄金期のSFを読み漁ったこと、朝日ソノラマ文庫なんかの和製スペースオペラに浸ったこと、カール・セーガン『COAMOS』のブームなどなど、すべてがあいまって私を一人前のSF者に仕上げた時期でした。前後して同人誌活動を始めるようになって、オリジナルの学園漫画とかスペースオペラとかを描き始め、初めて出した個人誌は自分のオリジナル・キャラクターでSWのパロディをやるというものでした。「I love you」「I know」とか自分のキャラに言わせてウハウハしていたのです、バカですねー(^^;)。
 あのヒューマノイド以外の宇宙人がわらわらいる世界観が大好きでした。銀河文明が大きく広がりすぎてしまって、文化的に後退した星ができる反面、最先端ではレトロでクラシカルな様式が流行るようになって…というのもすごく納得できました。その一方で、ジョージ・ルーカスが単にオタクでクロサワをやりたいだけなんだよねそのこじつけなんだよね、ということもちゃんとわかっていた。それもこれも全部含めて愛していた、楽しんでいました。
 その後、大人になって、Ⅰが公開されたときはさすがに映画館に行ったかと思います。あまりよく覚えていません。おもしろく思えなかった、萌えなかったことは覚えています。だからⅡとⅢは観ていないか、テレビで放送されていたのを斜めに見ただけかもしれません。結局ダース・ベイダーに何が起きたのか、だから私は把握していません。その程度のファンであり、自分はSWオタクとは言えないと思っています。もっと濃い人はたくさんいますしね。
 今回のⅦ公開も、実はⅠ同様また裏切られるのではないかとけっこう身構えていて、一年以上前から周到に宣伝されていましたけど、全然乗る気がありませんでした。主人公が女性になっていたりして、悪い方のディズニー癖が出るんじゃないかとか、ヘンに女性人気を取りにいったり女性に阿った構造になったりするんじゃなかろうな、とこれまた嫌な予感しかしなくて、身を引いていました。私は口うるさいフェミニストなのです。てかSWに男とか女とか関係ない。レイア姫のあり方は当時でもけっこう特異だったと思うけれど(主にラブストーリーのヒロインとして主人公と結ばれる展開にならない、という点において。プリンセスでもあれくらい働いちゃうヒロイン像というものはそれまでにもあったと思うので)、全体のトーンはとにかく少年性、この「少年」というのは少年漫画のそれで要するに無性というか児童というか子供心というか、そういうもので貫かれていたと思うので、老若男女にかかわらずそういうものを保持している人なら普通に楽しめたろうと思うからです。
 だからレイが誰なのか想像する、ということすらありませんでした。市井の一般市民であってもかまわないだろうと思っていましたしね。
 結局、公開に関して、残念ながら映画会社の予想に反して、そこまで大きな社会現象にはならなかったのではないかと感じています。やはり現代日本において娯楽とか興味とかって分散されているし、オタクはもちろんいるけれど大人になっているし賢くなっているし、にわかで騒ぎたがる若者とかも実はそんなにいないしぶっちゃけお金もないのだと思うのです。行列が十重二十重になって将棋倒しにでもなって人死にが出るようなこともなく、騒動とかフィーバーというほどのこともない、わりと常識的な範囲で公開初日が終わった気がしました。ニュースとか細かく見ていませんが、見ていないなら聞こえてこないくらいにしか騒ぎにならなかったということでしょう?
 ここで爆発的な大騒ぎになっていたら、私はそれこそ天邪鬼なので、だったら自分はいいや、と観に行かなかったかもしれないんですよね。でもそこまでの騒ぎになっていず、そして例えば『マッドマックス 怒りのデスロード』のようにあちこちからとにかく勧める感想ツイとかも流れてこず、ってことはぶっちゃけどうなのおもしろいのつまんないの?と聞いても反応が全然返ってこず、もしかして意外に誰も見ていないのではなかろうか、動員的に『妖怪ウォッチ』に負けたとか聞くしもうガラガラだったりするんだろうか、ああもう自分で確かめるしかないんじゃん、と出かけてきたのでした。チケットがまたあっさり予約できたのでそれにも怯えましたけどね…休前日に満席じゃないよ!と。まあ最近の映画館なんてよっぽどのことでなきゃ普通空いてるよねと思っていましたが、SWはよっぽどではないのかみんなもっと観ろよ!とか不満でしたよ。めんどくさいファンですみませんね。
 で、私は大満足でした。前置きが長くてすみません。
 2Dでしたが音響がいいスクリーンだったのか1,800円ではなく2,000円取られました(それとも私が映画館に行かない間に一般料金が値上がりしたのか?)。でも久々に「安い!」と思えましたね。
 早くⅧが観たいです。機会あれば今度こそⅠ,Ⅱ,Ⅲもちゃんと観たいです。ああ、楽しかった!

 というワケで、以下つれづれなる感想です。何かを論じたいとかではなく、ただ語りたいだけですすみません。
 チケットを予約するときにネットで「Ⅳまんま」というレビューを見たのですが、あえて、わざとやっている部分もあるのだろうし、Ⅳが脚本・演出・構成として普遍的な構造を持つ完璧なものだったんだろうな、とも思いました。かつてルークが辿った道を今回はレイが辿るわけですが、懐かしい符号にいちいちニヤニヤしながら楽しく見ました。
 新ドロイドのBB-8はずいぶんと表情(笑)豊かでかなり機敏ですが、私はやはりR2-D2のあのどんくささを愛しています。そこまでビッグ・キャラクターには育たないかもしれないなあ。最後に復活してくれたときこそ泣きました。スカイウォーカーが戻ったからR2も戻ってきたんだよ、すごいよなあ!
 まず泣きかけたのは、ミレニアム・ファルコンが出てきたときでした。ホントにワクワクした! 歳とっても全然やってることが変わってないハン・ソロとチューバッカとかね。てかソロは老けたけどチューイーは毛並みが白くなっていたりしなくてよかったよ。『バビルⅡ世』のロデムと並び(かなり遅れて『風の谷のナウシカ』のテト)、チューイーは私が生まれ変わったら僕として仕えてもらいたい人外(なんつー括りだ。ロデムは明らかに僕だけれどテトはどちらというとペットでチューバッカは相棒だが)です。
 ハリソン・フォードはハリウッド・スターとしてその老けっぷりを見てきていたけれど、キャリー・フィッシャーなんか久々に見るわけで、でもこれがまた綺麗に老けていて私はものすごく感動しました。レイア姫が出てきたとき、ああ、こういう、ちょっと疲れた、でも未だに美人の、老政治家とか女王とかっているよね、と素直に思えたもの。サッチャーとかエリザベス女王とか、きちんと責務を負って長く働いてきた女性の、いい顔。キャリー・フィッシャーにそれがちゃんと演技としてきちんとできていることに感動しましたし、レイアが姫として将軍として共和国軍を背負ってきたこの30年というものが語られていずとも実感できたし、本当に素晴らしいと思いました。そしてソロは王配として収まったりするようなタイプじゃないのもわかるから、息子の出奔(?)とともに家庭としては壊れてしまったのね、ということにも納得できました。
 ふたりが憎み合ったり心が離れたりして今一緒にいないのではなく、息子のことがネックになっていて、というのはすごくわかるし(私は人の親ではありませんが)、すごくよかった。母親にとって息子というものは特別なのだろうし、その息子が失われたときに、その父親である夫がそばにいることが慰めにならないときがある、というのもすごくわかる気がするのです。だからソロはレイアの元を離れたんだよね、彼女のために。彼女を愛しているから。そういうことがすごく自然に納得できて、そしていかにもこのふたりらしい再会で、チューイーとC-3POがまたいい味出していて、たまりませんでした。
 実際のところは何があったのか、そしてそれと平行してレイの身に何があったのかはこれから語られていくのでしょう。
 新人女優演じるレイがまたいい。顔が左右対称に見える真性の美人で、凛々しくて、色がまだ何もついていなくて、無垢で純真っぽそうなところがレイにぴったり。彼女は記憶をなくしているのか、ジャクーで何を待っていたのか、そもそも何が起きたのかもこれから語られていくのでしょう。
 彼女がこんなに美人で素敵なのに、ベンが美形じゃないのが残念だわー。私は現実には面食いではないのだけれど、物語ではこういうキャラクターは記号としてハンサムであるべきだと思うのですよ。まあ欧米人の美醜の基準は我々日本のものとは違うことが往々にしてあるんだけどさ、とにかく顔が長すぎるよね。
 それでいうと私にはフィンもモブ顔に見えて残念でした。生き残ったことでもあるし、これはかなり大きなキャラクターになっていくはずですよね? でもキャラクターとして弱くない? 現代においていい男の子キャラクターを描きづらくなっている部分がこのあたりに出てしまっているように感じました。
 でもさ、彼のことはもっとちゃんと立てて、そしてフィンとベンはレイと三角関係を展開していくべきなんじゃないの? それでこそ主人公を女性にした意味(レイをヒロインにした意味)があるんじゃないの?
 私は彼らにはISとかの少年兵を見る気がしたんですよね。幼いころに故郷から誘拐されて、洗脳され殺人技法だけを教え込まれて戦争に借り出される青年たち。そしてフィンは特に有名人とかの子供ではなく、だからこそ、というのは語弊があるけれど、戦闘を嫌い戦線から脱走できた。片やベンは歴史的人物とも言われかねないレイアとソロの息子で、ダース・ベイダーの孫で、だからこそおそらく弱くてダーク・サイドに堕ちてしまったのでしょう。今なお光の誘惑を感じながらも。このあたりにはものすごくドラマを感じます。
 ちなみに、息子の父殺しというテーマの重さは私は女なので本当のところはよくわかっていない気がしますが、ソロは私はこれで死んだ方がいいいと思っています。生きていたとかにしない方がいいと思う。遺体の欠片も残らなくてもレイアは気にしないと思います。思い出は目に見えるものにだけ宿るとは限らない(ソレ違うヤツ)。ソロはヒーローとして育ちすぎてしまったと思うし、俳優ハリソン・フォードもまたしかり。船とパイロットの座とコ・パイロットは義理の姪が継ぐからいいのだと思います。
 そう、レイはルークの娘ですよね? フォースは遺伝とは必ずしも関係ないけれど、彼女がスカイウォーカーだからこそR2は目覚めたのだし、ライトセーバーが呼んだのですよね?
 だから彼女とベンはいとこ同士なのです。いとこ同士の結婚が許されない掟は多分ないと思うよ(笑)、このロミジュリ感! ロマンス! 大事! だからこそベンが美形じゃなくてフィンがモブ顔(失礼)なのが残念だ!! ベンとフィンは裏表、それがレイを取り合う。そしてレイとベンも裏表、だから銀河の覇権を賭けて戦い合う。かつそこにラブが絡む! そういう話を私は観たい。
 今のところレイはフィンにも友情しか感じていないようですけれどね。ポーがまたおもしろく絡むととても楽しいと思うけれどね。
 ラスト、マーク・ハミルがまた泣かせてくれました。オビ・ワンそっくりの髭もじゃになったルークは、甥を育てきれなかったことを悔やみ、娘を手放したことを悩んでいるひとりの老いた男であり、そしてなお変わらぬあの明るい青い瞳をしたジェダイ・マスターでした。そんな彼のところに、フォースが覚醒しかけた、彼の娘が戻ってくる。次の物語はここから始まるのです…!
 これはⅥから30年後という設定だそうですが、役者はそれ以上に老けた…のかな? でも本当に目が変わってなくて、私たちにわかるんだから実の親子ならなおさらわかるよね、ともう爆泣きでした。エンディング曲に浸りながらずっと泣いていました。ああ楽しかった。
 惜しむらくはレイアがレイに言った「May the Force~」の訳が「フォースと共にあらんことを」じゃなかったことですかね。「~共にあれ」とかになってたけど、私が知っているのと違う!と思ってしまいました。どちらがメジャーかとかは知りません。私には私のSWがあるのです。
 Ⅷは2017年公開だとか? また、初日とは言わずとも早いうちに私はいそいそと出かけることでしょう、ああ楽しみ。幸せです。世界はまだまだ素晴らしいものなのですね、と映画一本で思えるんだから私は単純ですが、物語にはそれだけのパワーがあるのだと信じています。というか私は知っているのでした。








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『タカラヅカスペシャル20... | トップ | 和月伸宏『るろうに剣心』(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事