駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『エドワード8世/Misty Station』

2012年04月08日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2012年3月27日ソワレ、4月1日ソワレ、5日ソワレ(新人公演)。

 1972年イギリス。ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で元英国王エドワード8世であるウィンザー公爵(霧矢大夢)の葬儀が行われていた。その模様をラジオ実況するBBCのガイ・バージェス(龍真咲)は悲しみに沈む公爵妃ウォリス(蒼乃夕妃)の様子を語る。かつてエドワード8世は彼女との愛を全うするために王位を捨てたのだった。だが記者たちに囲まれたウォリスが涙をぬぐうと、突然ラジオから、彼女の涙は偽りだと主張する声が聞こえる…
 作・演出/大野拓史、作曲・編曲/高橋城、太田健。「王冠を賭けた恋」として有名な史実を元にしたミュージカル。月組トップコンビのサヨナラ公演。

 そんなに大金がかけられているようではないのに、美しく上品で効果的な装置が素晴らしい。
 二重唱や三重唱などいかにもミュージカルっぽい楽曲も素晴らしい。
 端整なお衣装、主役コンビのニンに合ったキャラクター設定と英国ものらしい軽妙な台詞の掛け合いも素晴らしい。
 気が強くて素直じゃなくてツンデレで最後の最後にやっと「愛してる」というヒロイン像が素晴らしい。
 喧嘩腰の出会いから始まって、共闘する親友になって、愛が芽生えて…という萌え恋愛の展開が素晴らしい。
 単なるメロドラマにせず、その時代と状況の中での人間の生き様、社会や政治や文化の在り方といったものまで描こうとした志も素晴らしい。
 ちょっと唐突な感じもなくもなかったけれど、次代の組を担うガイやゴドフリー(明日海りお)、同時退団となるアルバート(一色瑠加)やロッカート(青樹泉)のデイヴィッドへの想いを語る場面を作ったサヨナラ仕様も心憎い。
 全体の狂言回しのような役目をしているガイと、ラジオというアイテムを使って(英題は『The Radio Prince』)、開演アナウンスや芝居の後に続くショーへのコメントを言わせる演出もなんともお洒落です。
 そういうものは全部認めた上で、それでも、足りないものがあったと私は思う。

 宝塚歌劇は演目を観るだけでなくスターを観るものでもあるので、作者のこだわりがあふれかえった狭苦しい台本よりも、スカスカなものを生徒がその魅力でなんとか埋める、くらいのものの方が実はふさわしいのかもしれない…とさえ思いました。
 まして退団公演をや。
 もちろん優等生で照れ屋で褒められると逃げるきりやんのことだから、サヨナラだからって力まず普通にしたいとか、変に湿っぽくしたくないとか考えるのはわかりますよ。
 でもファンは素直に泣きたいものなのですよ。重荷でしょうが、素直に泣かせてくださいよ、そこまでやってこそのトップスターだと私は思うよ。
 だからって死んで終わりの大悲劇の方がよかったとか、そういうことを言っているんじゃないの。同時退団にはある種のめでたさがあるし、卒業公演は新たな旅立ちを祝福するものでもあるんだから、ラブラブハッピーエンドだってもちろんふさわしいのです。
 問題は、そのハッピーエンドっぷりですよ。ファンは艱難辛苦を乗り越えてついに結ばれたふたり、というのを観たいわけ。よかったねえ、お幸せに、って喜びの涙を流したいわけですよ。
 でも、私はこの話は、何が艱難辛苦でふたりの恋の成就に何がどう障害だったのかが、もっと言うと主人公がヒロインのためにどんな選択を迫られ何を選び捨てたのか、がかなりわかりにくかったと思うのです。作者のあふれかえるこだわりがそのあたりを見えづらくさせていたと思う。
 だからラストの「よかったわねえ」という感動も半減されてしまったのだと思うのです。だったらスカスカのところにこっちが勝手に補完するほうがよかったよ、と思ってしまったのです。
 ベタベタな甘アマなメロドラマにしたくなかったというのはわかります。でも今の作風の中ででも、もうちょっとだけ、わかりやすくすることは可能だったと思う。
 そこが、惜しい。

 ソヴィエトのスパイでもありゲイでもあったガイの怪しい感じをまさおは好演していたと思うし、学友上がりの侍従たちと比べてあとからデイヴィッドに仕えた形になるゴドフリーのジレンマとかもみりおはきちんと演じてみせていたと思います。
 チャーチル(一樹千尋)、父王ジョージ5世(磯野千尋)、ボールドウィン(越乃リュウ)、のちのジョージ6世であるヨーク公アルバート、その妃エリザベス(花瀬みずか)、ロイヤル・ミストレスだったテルマ・ファーネス(憧花ゆりの)やウォリスの夫アーネスト(星条海斗)…みんなよく役の意味をつかんで、その雰囲気を出していたと思います。
 この複雑な脚本の中できちんとキャラクターの色を出していました。多彩な人間関係は箱庭のような嘘くさいドラマの中のものと違って現実をきちんと描き出していて、それは本当によかったと思います。
 だから、あとほんのちょっとだけ、わかりやすく手を加えてほしかったのです。具体的には台詞ですよね、それはもう生徒がどうにかできることではないから。

 本当を言うと、そもそも全体的に台詞が小説ふうで舞台向きではないように私には聞こえました。
 全部を言ってしまわない上品さが好きなんでしょうけれど、ずっと思わせぶりな言葉が続く中で真意を追っていくのはけっこうつらいものです。小説なら止まって読み返せるし、自分のスピードで考えながら読み進められますが、どんどん進んでいく舞台はそうはいかないのですから、もう少しきちんと言い切ったり省略しない台詞も増やしてほしかった。でないと脱落する観客が増えます。
 まず、マルグリット(花陽みら)とのくだりで、チャーチルとロッカートが報道協定を結んだ、というのがわかりにくかったと思うのです。
「報道協定を」「よろしい」
 みたいな会話はあるのですが、協定を結んで何を報道し何を報道しないことにしたのか、という説明がない。
 デイヴィッドのスキャンダルを表沙汰にしない代わりにチャーチルが政治的な会見などをロッカートのところに優先的に出すことにしたのだ、ということをきちんと言葉で出しておかなかったのは、のちのち尾を引きました。
 デイヴィッドは確かに大衆に愛される「プリンス・チャーミング」ではあったけれど、そのイメージはこういう報道協定によって多分に作為的に作られたものであったのだ、ということをきちんと表しておく必要がありました。でないと、真実を明かしたときに容認されなかった、というのちの展開がわかりにくいのです。

 そして一番大きい問題は、ウォリスに対し真剣になって以降、結局デイヴィッドにとって何が問題だったのか、ということをこの台本がはっきり言明していないことです。
 「王冠を賭けた恋」とか「愛を全うするために国王の座を引いた」というような台詞はありますが、冒頭にだけです。
 そうではなくて、そこから時間が巻き戻って、また話がそこまで進んだそのときにこそ、欲しい。
 父王が亡くなって王位を継いだ。兄弟はみんな結婚していて、あとはデイヴィッドが王妃にふさわしい女性を伴侶に迎えるだけだ。そのころ彼はすでにウォリスと真剣に交際していたけれど、それは報道協定によって国民には伏せられている。彼女の離婚は未だ成立していないし、独身に戻れたとしても、そもそも英国国教会は離婚というものを認めていないのだし、国王はその首長も務めているのだから、国王が離婚暦のある外国人の(植民地の!)女性と結婚するなど言語道断である。王族も、官僚も、国民も、誰ひとりとして賛成しないだろう。国のため、国民のために国王であろうとするならば彼女と別れるしかないし、あくまで彼女と結婚したいというなら退位するしかない…
 ということを、きちんと突きつける場面が欲しいのですよ、デイヴィッドに対しても観客に対しても。
 でなきゃわからない。こういう部分は、わかりすぎるくらいにわかるように描かないとダメだと思います。選ぶ答えがわかっていても、問題が何かきちんとわからないと、回答するときに盛り上がらないでしょう?
 「冗談ではない」とか「許されない」みたいな漠然とした台詞ではなくて、「彼女と別れるか、彼女を選んで王座を捨てるか、どちらかしかありませんよ」とか言わせないとダメなんです。チャーチルにでもボールドウィンにでもいいから。
 そこまでやって初めて、観客にはデイヴィッドに突きつけられた選択とその苦悩が伝わるのです。
 だって「王であることをやめる」という選択肢がありえるのだということに気づいていない人だってたくさんいるんですよ。王様は死ぬまで王様で、死んだら息子が王になるもの、というのが普通の常識でしょう? 日本では昔の天皇は生前に譲位していましたが、最近はそうではないわけだし。王とはなる人がなってしまうもので、なったら死ぬまで王で、途中でやめるなんてことはできないと考えるのが一般庶民の感覚でしょう。
 彼はイメージとのギャップに苦しみながらも、王家に生まれた者の務めとして、きちんと王位にはつこうと思っていたし、実際についたし、ついたからにはいい王になろうと励んでもいたのです。
 でも、それには支えてくれる、愛し愛される相手がそばにいてほしかった。ひとりでは王の重責に耐えられそうになったのです。
 彼はウォリスを愛するようになっていた、だからウォリスと結婚したかった。けれどそれは現在の慣習では難しいという。
 だからこそ彼はやってみたかったわけですね。国民がどこまで自分を愛してくれているのか、認めてくれるのか、許してくれるのか、試してみたかった。行けるところまで行ってみたかったのです。
 それはお坊ちゃんらしい甘えだったかもしれない。でも試さずにあきらめるのは嫌だったのです、彼はそういう人間だったのです。
 おりしも報道協定が解かれて彼とウォリスの交際は世間に知られるところとなり、バッシングの嵐も吹き荒れたのでしょう(そういう場面はありませんでしたが。新聞の売り子たちが眉をひそめて悪し様に言うような演出があってもよかったのかもしれません)。ウォリスはイギリスにいられなくなり、フランスに移ることになりました(実はこの経緯もわかりづらくて、観ていて私はイライラしましたが)。
 それでもデイヴィッドは、そんな形でいったん別れて謹慎してみせるようなことをした上で、改めて国民に問うつもりだったのです。ラジオで。自分の言葉で。王の務めもがんばって果たしますから、愛する人との結婚を認めてくれませんか、それがたとえ外国人で離婚歴のある女性であっても、私には彼女が必要なのです…と。
(ちなみに「人妻」「既婚者」という表現もわかりづらくて的確さ、ダイレクトさを欠いていたと思います。アーネストとの離婚が成立した時点でウォリスは「人妻」ではなくなるのだし、「既婚者」というのは「現に結婚している人」を指すのであって「かつて結婚したことがある人」を指すとは一般的には取られないのではないでしょうか。だから彼女はあくまで「離婚暦のある、現在は独身の女性」であって、彼女を「外国人の人妻、既婚者」と表現するのは正しくないと思う。重婚が問題なのはみんなわかっているし、ここで問題なのは重婚ではないので)
 ところが、政府によって、そのラジオスピーチは妨げられました。そしてウォリスもまた、デイヴィッドの足枷になりたくないと、嘘の愛想尽かしをして去っていったのです。
「それなら僕には何が許されているんだ!?」
 王宮の飾り人形でいることですよ(それはオスカル)。デイヴィッドはひとり孤独の中に取り残されることになりました…

 ところで、ロンドンにシティという地区がある、ということは知識として知ってはいましたが、金融街か官公庁街みたいなものかと漠然と思っていました。正確にはなんなのでしょうか。何故国王が市長の許可なくしては立ち入れないのでしょうか。
 イギリスの国王が君臨すれども統治せず、なのは知ってはいますが、その王国内に国王が入れない場所があるというのは驚きでした。
 しかし、そう、国王といえど万能ではなく、政府との兼ね合いでできないこと、国民の支持が得られないためにできないこと、許されていないことはたくさんあるのでした。
 そこで改めてデイヴィッドは選択を突きつけられるのです。ひとりで(あるいは周りのみんなが認め許し望むような、ウォリスとは違う女性を伴侶に迎えて)国王としてあり続けるか、王位を捨ててただのひとりの男となってウォリスと結婚するか。
 そして彼はウォリスを選びました。王位は弟に譲られることになりました。そして、スタジオに向かうのです。最後のスピーチをするために。
 これはそういう物語なのです。

 なのに現行の舞台では、第13場から14場では流れるように話が進み、どれくらいの時間がたったのか、その間に何をどう決心し選択し行動して彼がマイクに向かうのか、てんでわかんないじゃないですか。
 「さっき退位なんちゃら書に署名したよ」って言われても、え、いつ? なんで? ってなっちゃうじゃん。少なくとも私はなった。さっきラジオ出演は許可されないって言われたのに、なんなの?ってなっちゃうじゃん。
 そんなんで、デイヴィッドがアルバートに対し「国王陛下万歳」ってその手にキスしても、なんのことやらでぽかんとしちゃって全然感動できませんよ。ここは兄弟双方の万感の想いが胸に迫るべき場面でしょう!
 そして歌われる「退位の歌」に、宝塚歌劇団を卒業していく主演者の姿を重ねて、涙、涙となる場面でしょう!!
 なんでそうリードしてくれないの!?
 それさえできていたら、大傑作になったのに!!!

 やや蛇足ですが、史実としてはふたりの結婚式はどこで行われたのでしょうか?
 その後ふたりは長く大陸で暮らし、デイヴィッドはイギリスに戻りたがったのにそれは死ぬまで許可されなかったそうですよね(なのに葬式はロンドンでできたのか、と私は冒頭ちょっと混乱しましたが…)。
 ということはこれもフランスか何かなの?
 退位せざるをえないくらい、国民みんながウォリスに反発したんだったら、この結婚式に集って祝福してる人々はなんなの?とこれまた私はちょっと混乱したのですが…
 なので下手したら、ただぼーっと観てたら、国王になったデイヴィッドが何に悩んでいたのかよくわからないまま最後に結婚式が来たからハッピーエンドの話ってことでいいのか、と解釈した観客がいたんじゃなかろうか、とすら心配になります。
 心配しすぎだ、観客の解釈力を見くびるな、と言いますか? でも少なくともうちの母とかは見せていたら絶対にそう思ったと思うよ…
 ふたりきりだけど、誰にも祝福されないけれど、お互いがいれば幸せ、という場面にしてもよかったかもしれませんね。それかあくまでイメージとしてのお祝い感を表現する、天使めいたギャラリーにするか…
 うーむ。
 とにかく私は、大事なところはベタにするべきだと思う、ということです。全体がベタベタでないことは買うだけに、そこは言いたいのでした。

 ポスターのキャッチにつながる台詞は本当に素晴らしい。
 そう、後悔しないなんて嘘。後悔はするんですよ、絶対。けれどたとえ昔に戻れても、同じ道を選ぶの。そうやってすべての選択を引き受ける、それが人生、だからこそ愛おしい。
 そこは素直に泣きました。
 ちなみにショーでまりもが「♪嘘泣きじゃないの」と歌ったときには、ウォリスの空涙癖を思い起こして微笑ましく思いました。こういうのは憎い演出で、いい。


 ブリリアントステージ『Misty Station』は作・演出/齋藤吉正。
 これはもう好みの問題なのでアレなのですが、私はダメでした。私はもっとオーソドックスなショーで涙、涙できりやんを送り出したかったので…
 あと私はオタクですがアニメ映像を使うのは本当にやめてほしい。舞台って、そこに現実の俳優がいて大道具も装置も現実にそこにあるものなのに、それ以上のイメージを観客に観せるものですが、映像は写したもの、アニメーションなら描かれたものしか見せられないものなので、相性が悪いんですよ。混ぜるな危険、とはこのことだと思う。
 プロローグのお衣装は可愛かったけど、きりまりがもっと長く観たかった。
 もりえの銀橋はチャーミングだしキュートだったけど(オウムたちも可愛かった)、私は最後なんだからもっとカッコいいもりえのソロ場面が観たかったし、選曲もこれでいいのか懐メロすぎないかと困惑しました。
 「Love Arena」は…まりもがミューズ(花陽みら)から剣を拝受するのはわかるけど、サタン(星条海斗)ってのはなんなの? 私にはミューズとセットに見えたんだけれど、プログラムを読むとこれが敵なのか? ではバファロー(明日海りお)はその手先だったの? はああ? なんにせよ、まりもがみりおに負けるとは納得いかん。
 「Agent Express」も私にはワケがわからず…エージェントは誰からなんの依頼を受けているの? リリー(愛希れいか)の命を守れとかなんかそんなこと? 彼女は顔役(磯野千尋)の愛人らしいけれど、誰から何故命を狙われるの? スナイパーらしきブラックシャドー(龍真咲)とレッドシャドー(彩星りおん)ってなんなの? お芝居仕立ての場面、というほどではないかもしれないけれど、理屈っぽい私はイメージがつかめなくて観ていて混乱してしまうのですよ…
 そしてもちろん組むならきりまりかまさちゃぴで観たいよ、という思いもあります。
 「Misty Jungle」はなんとなくのイメージだけの中詰めだからまあいいや。越リュウの銀橋センターも見られたし(^^;)。アニメソングについては特に何も言いません。
 「Woods in Memory」はせっかくのきりまり場面なのに、まりもが長い眠りについていた女神ラクシュミーできりやんに目覚めさせられた…なんてわかるかなあ、という感じがしてここも残念でした。
 退団者場面と、みんなできりやんを囲むシーンは、あのお衣装だとやはりうるさいと思うんですよね…
 まりもの「グッドバイ・マイ・ラブ」の選曲にまた仰天しましたが、まあベタは悪いことではありません。きりやんの「マイウェイ」も、黒燕尾の「ファイナル・カウントダウン」もね。
 デュエダンのお衣装も、まりもらしいと言えば言える色なんだけどさ…カッコよすぎるかなーと…
 すみませんホント文句つけっぱなしで。私はショーを観るのが下手なんです自覚しています、そして勝手に観たいものと違うと騒いでいる迷惑な客なんです…
 でも、きりやん時代の月組にはわりとオーソドックスなショーが多かった印象なので、こういうのをやっておくのも長い目で見ればいいことだとは思いました。


 新公も観たので簡単に。
 縁あって『スカピン』『ジプ男』『アル男』と新公を観ているのですが、今回が一番新公っぽさを感じました。つまり残念ながら、拙かった、本公演の劣化コピーに見えたということです。それだけ難しいエ芝居なんだろうなあ、と思いました。そしてもしかしたら役者の個性が出づらい脚本なのかもしれない、とも。
 たとえば『アルジェの男』なんて新公の方がハマって観えて、多少下手だろうがなんだろうがあるべきドラマの形が見えた気がしたくらいだったのですが、そういう感覚は今回はありませんでした。
 歌も意外に難しい音だったのかなあ。それに台詞の掛け合いのテンポは、これからの勉強課題なのかもしれませんが、本当にちょっと外すと全然違って聞こえてしまって、難しいものなんだなあとしみじみ思いました。

 デイヴィッドの珠城りょうは、私好みの青年っぽい優男感が出ていて、史実としてはデイヴィッドは確かにこの時点でいい歳だったのだろうし、きりやんの老練さを漂わせつつも子供っぽいチャーミングさを失っていない、といった感じのデイヴィッドが正しくて、たまきちはいかにも若い。でもその若さが、「大人だっておとぎ話を夢見る」、「皇太子としてではないただの僕を愛してくれる女性がいつか」といったロマンチシズムに自然に通じて、好感が持てました。
 ただ歌がなー…『スカピン』のときはもっと歌えていた印象だったのですが…まあきりやんの今の絶唱と比較して聞くのはいかにもかわいそうではありますが。
 ウォリスの愛希れいか、顔が小さすぎて体がゴツく見えるというマジック…スタイルというのも難しいものですね。また、上背はあるタイプのはずですが、お衣装に着られてしまっているように見えました。まりもの押し出しを身につけようったってそりゃ無理なのはわかってるんだけどね。
 歌は健闘していたと思いますが、一番あららと思ったのはやはりデイヴィッドとの「議論」、つまり台詞の掛け合いのテンポで、ここがつまりこのキャラクターの命だったりもするので、やはりこれにはかなりセンスともちろん経験が必要なのだろうなあ、と思いました。
 夫のアーネスト(有瀬そう)に対してはかなり冷めて見えて、もう仮面夫婦なのかな?と思わせられました。それはそれでアリな役作りだと思えました。
 ガイの煌月爽矢は銀橋の「驚かれましたか?」の前の芝居が一番よかった気がしました。つまり濃い部分はできる、狂言回し部分は上手くない、という印象。
 ゴドフリーの鳳月杏は『アル男』のジャックが本当によかったんだけれど、辛抱役だとまだまだしどころがないように見えてしまったかな?
 出色だったのはチャーチルの千海華蘭ちゃん! 上手い!! 声の作りが良くて、老獪な政治家と言った感じがとてもよく出ていました。人間的な温かさも感じさせた本役とはまた違う役作りで、若く青いデイヴィッドに対する冷淡な老人、という対象性も出ていてすばらしかったです。
 対するボールドウィンの紫門ゆりやがまた、本役とは違う嫌味の言い方でチャーチルと互角に立っていて、この対決場面はホントによかったです。びっくりしました。
 ロッカートの輝月ゆうまは長身の見目もそうだし台詞回しも本役を踏襲していて、かつ劣化していなかった。おもしろかったです。
 ヨーク公妃エリザベスの白雪さち花も短い台詞で存在感を示してさすが。ゆめちゃんのエキセントリックなマルグリットも良かった(デイヴィッドがベッドのシーツの下から現れる演出、続く銀橋にゴドフリーから上着を着せてもらわずシャツ姿で出るところ、に激しく萌えました)。
 トロッターのジョーも楽しそうな感じがよかった。フレッドのまんちゃんはう、歌がねえ…メンジースの朝美絢に存在感がありました。あと美形だった。
 印象的だったのはそのあたりかなあ。あとは、新公を観るといつもびっくりするのがモブの少なさで、つまり宝塚歌劇はあの大人数による人海戦術のショーアップにけっこう支えられているんだなあ、と今回もつくづく思ったのでした。

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2 コメント

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感想楽しく読みました (hanihani)
2012-06-22 13:47:49
はじめまして、hanihaniです。

大空さんのあれこれを拝見して、
これは月組さんに関してはどんな感想なのかな?
と今頃過去に戻ってやってきました。

そうそうそう、そうなんですよ。

大野先生も齊藤先生ほどではありませんが
自分の趣味主張が先ずは一番ですよね。

そうそう、そうだよー
とものすごく納得できました。
大野先生は(さいとーくんもですが)
これから駒子さんに先ずは脚本見せてよ!

と思ってます(笑)

大野先生は「フェットアンペリアル」が一番好きなんですが、
ご覧になってますか?

あれは色々と含みもあり、ベタな演出もあって
観客に親切な作品だったなぁ~と思ってます。
返信する
駒子より (hanihaniさんへ)
2012-06-25 21:20:14
はじめまして、コメントありがとうございます。
過去ログの検索がしづらいサイトで申し訳ありません(^^;)。
そしてホントにイロイロ細々うるさいヤツですみません…
でも愛あればこそなんです、ハシボーだったらこんなに書きません。
あとちょっとだけなんとか…という思いが長文を書かせてしまうのです(><)。

『フェット~』未見です。スカステで機会があれば観てみたいと思います!
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