駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ダディ・ロング・レッグズ』再演

2014年03月21日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタークリエ、2014年3月18日マチネ。

 初演の感想はこちら。そういえば再演観劇日は父の誕生日でした、たまたまですが。そして別にこれは父親の話ではないが(^^;)。

 それはともかく。
 ここの名前を「備忘録」としたのは本当に洒落ではなくて、私は本当に記憶力が著しくない人間なのです。だから記録しておかないと本当に忘れる。まあ書くと安心してさらに忘れる、というのもあるけれど。
 たとえば推理小説とかで意外な犯人に驚いておもしろく読み終えて、その後「おもしろかった」という記憶だけが残って、再読したときにまたまったく同じように意外な犯人に驚ける人間なんですよ私は。それくらいきれいに忘れられる。
 なので今回も「おもしろかった、また観たい」という記憶だけが残っていてチケットを買い求め、いそいそ出かけて一幕からまたまた爆泣きし、そして二幕に入ってからは「ところでこれってどうやってオチるんだっけ…」と不安になりながら見守り、プロポーズに驚き、断ったのに驚き、大団円にまた涙したのでした。
 本当に初見時同様楽しんでしまった。この自分の便利な脳の機能を今回はほめたい…!
 イヤわかって観ても楽しかったろうし、そういう見方も次はできるかな、と思いますけれどね。また観たい、こりずに観たい、ずっと愛していきたい、そんなマイ・フェイバリット・ステージのひとつです。

 孤児がお金持ちに見初められてハッピーエンド、のシンデレラ・ストーリーだから愛している、のではありませんもちろん。
 愛嬌と才気は持っているもののそれだけだったジルーシャが、教育の機会を与えられ、今まで自分が与えられずに来たものの重さに押しつぶされそうになりながらも、前向きに這い上がり、才能を花開かせ、自立する。
 一方で、経済的に恵まれた家に生まれながらも家族とは心が通じ合わせられず、仕事はできてもそこに楽しみを見出せずにいたジャーヴィスが、ジルーシャに「慈善」をほどこすことで逆に癒され、与えられ、変化させられる。
 でもその「慈善」はふたりのどちらにも壁を作ってしまう。それがジルーシャの経済的自立と奨学金の返済という形で取り払われたとき、真にふたりは対等になれる。
 でもまだふたりの間には「嘘」という壁があったのでした。ジルーシャはジャーヴィスに自分の出自を言えない。ジャーヴィスはジルーシャに自分がダディであることを言えない。
 だからプロポーズを断る。でも誤解されたままなのは悲しい。でもどうしていいかわからない。だからダディに頼る。そしてダディが会うと言ってくれる…
 でもそこにいたのはジャーヴィスで。すべてがわかって、でもジルーシャそら怒るよね。それに対してジャーヴィス逆ギレ。でもそれくらいやって初めて許しあえる、笑い合える。
 再度のプロポーズから結婚を誓うポーズに移るののなめらかなこと! 対等で嘘のないふたりが結ばれる、その美しさに感動するのです。だからこそ人はこの演目を愛するのではないでしょうか。
 もうもうすべてが可愛らしく、愛しく、美しい。珠玉の作品だと思います。







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