切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

福王子神社の宮司さんとの話

2017-06-08 00:34:44 | 社会
 何分にも、メモも何もないので、覚えている限りの内容で書いています。
(京都新聞 2017年5月28日より)

1 狛犬と獅子について
 かつて1973年、文化庁の調査の結果、建物が重要文化財に指定されたが、その時、狛犬と獅子は370年の風雪の中、かなりみすぼらしい状態になっていて見過ごされてしまった。当神社の関係者たちも特に気が付いていなかった 。
 後に、関西大学の教授がやってきて狛犬を調べた結果、墨書が発見され制作年代が明確になり、この狛犬が珍しく貴重なものであることがわかった。

 狛犬と獅子については、その起源ははるか紀元前の古代オリエント文化の時代に遡ると言われている。当時最強の動物と思われていた、ライオンがモデルで、神を守るためにその前に置かれて、神殿などの象徴的な存在になった。
 それが中国での架空の動物の姿と混ざり合い、朝鮮半島を経て日本に伝わり、神社の守り神になっているとのことだ。
 日本では獅子と狛犬が口を開ける、閉めているという阿形と吽形の形式を取り、これは仏教寺院の山門にある両金剛力士像の影響を受けたのではないかと考えられている。神社に定着したのは平安時代の頃。

2 鳴滝砥石について
 かつて拝殿の前面に大きな鳴滝砥石が掲げられていた。重さ約150キロ。鳴滝砥石は非常に貴重な石で、世界的にも、京都から滋賀にかけてのみ存在するという。2億年以上前の堆積物が化石として砥石になったもの。「京都の石」に選出されている。
 この神社にある砥石は、一枚物としては非常に大きく他に例を見ない。拝殿が重要文化財に指定された後、修理整備のためにはずされた。その後、重文ということで元に戻せなくなったということで、今は社務所の部屋の中に展示されている。鳴滝は地名で、神社の北の方にある。

3 仁和寺により再建
 前身の神社は 応仁の乱によって荒廃。後に仁和寺によって再建された。仁和寺は一時、京都の中で広大な領域を持ち、大きな勢力を誇った。その仁和寺も応仁の乱で消失した。再建時に福王子神社も一緒に再建された。その当時は仁和寺の中に班子皇后の領土があったためにその守り神としての位置付けだったらしい。こうして後に福王寺神社となった。ここには班子皇后が祀られていて、仁和寺の守り神の役割を果たしている。

4 重要文化財になった結果、様々な制約と経済的な問題
 1973年に重要文化財の指定を受けた。本殿、拝殿、石灯籠、石造鳥居など一式が同時に指定されたというのは非常に珍しいケースで、全国的にも少ない。現在の福王寺は境内も狭く、むしろ小さな神社といえる。昔は氏子の範囲も非常に広く信仰心も篤かったので、経済的な土台はあったものの、今では制度としての氏子はなく寄付も少なく、神社経営という視点からも極めて厳しい状態にある。
 重要文化財であるために、文化庁、自治体による調査点検も多く、防火防犯対策にもかなりな経費がかかる。上記の狛犬・獅子についても歴史資料館に寄託することになり、その代わりの模刻品を製作する時に、プラスチックでもいいのではないかという声もあったが、やはりきちんと後世に伝えるためにも恥ずかしくないものを作るべきだということで、東京芸術大学の著名な仏師の先生に依頼したという。もちろん著名な芸術家なので、いわゆる模刻を頼むという形ではなく、狛犬と獅子の性格を汲み取っていただいて、製作者の想いの中で作っていただいたということのようだが、かなりお金もかかったらしい 。 
 また屋根は銅板であれば長持ちするし低価格で済むが、当時の状態で修復すると拝殿1棟だけでも千数百万円もかかる。さらに建物の解体修復となると何億円もかかる。小さな神社では到底負担できないが、重要文化財ということで、文化庁から約6割から7割の補助がある。それでも負担が大きすぎてかなり厳しい状況があるというのが実態。

5  国の文化予算は先進国中最低レベル
 一般的に神社の場合は、かなり有力な神社であっても経済的には厳しい。下鴨神社でさえ大きな式典や重要文化財の整備、境内の維持などに対して経費が不足なので、境内の一部をマンションにするということで、かなり批判が出ていたが、やむを得ない選択にならざるを得ない。下鴨神社は世界遺産にも登録され、全国的にも有名な有力な神社だが、それでさえ経済的には何ら余裕もなく、維持すること自体困難な状態となっている。このような状態が続けば、何れ小さな神社がやって行けなくなるのは目に見えてるし、荒廃の道をたどることになるのではないかと思う。

6 神社本庁とはことなる「神社本教」
 神社は基本的には神社本庁に属している。本庁は各都道府県の支部に当たる神社庁に所属させていて、一定額の上納金もあるという。神社本庁自体は戦後になってできたもの。その意味では新しい宗教法人ということになる。戦前に神社本庁の前身にあたる組織があったが、戦後の占領政策のなかで国政と宗教は完全に分離されるという占領軍からの通達があり、しばらくは神社自体が宙に浮くような状態になっていた。後年、宗教活動の自由化のなかで、一部の者が全国の神社を組織化し、それがもとになって神社本庁が新しい宗教法人としてできた。

 神社はかつて国家神道として神社の氏子を取りまとめ、国の政策に従わせる役割を果たした歴史がある。神道そのものには教義というものはなく、特にまとまった教えが無い。戦後に立ち上げられた神社本庁においても教義というものはなく、ただ理念があるだけ。その理念の内容も何も考えずに読めば、ふーん、なるほどそうか、で終わってしまうものの、その背後にある思惑みたいなものを想像していくと、理念を具体的に実現するための具体目標として設定することになると、かなり怪しい内容が見え隠れする。
 実際、神社本庁の中には政界への進出を画策した動きがあったし、今もある。さらに「日本会議」という、最近急にマスコミでも取り上げられるようになった右翼政治的組織が関係している。この組織については、随分前から知っていたし、その動きには注目していた。それはさらに神道政治連盟という具体的な組織で政治的活動がなされている。特に現総理の安倍は熱心な信奉者でもある。「美しい日本をつくる会」「美しい日本の憲法をつくる会」などというような組織も全て、神社本庁等との関わりがある。
 現在各神社で憲法改訂に対する署名活動を積極的に行っている。もちろん小さな神社までは手が回らないので、比較的大きな有力神社においては、ポスターの掲示、署名活動という形で動いている事実がある 。
 神社本庁と別に独立系の神社というものもあることは以前から知っていた。東山区にある新熊野神社がそうで、色々と調べた時に、神社本庁が憲法改訂を政府と一緒になってすすめ、参拝者に署名を求めているような実態があり、それに抵抗するという意味で、神社本庁から脱する神社がある。そういう気骨のある宮司さんがいるのを知って少し驚いた。それも極めて少ないものと思っていたが、そうではなく全国的にもかなりあるという事も知った。
 そしてこの福王寺神社は独立系ではなく「神社本教」という団体に属しているという。これは京都で起ち上げられた団体で、もっか京都市、京都府下の70数社の神社が属し、一部滋賀県や三重県の神社も入っている。
 この神社本教というのは初めて聞いた。理念的には神社本庁とそう変わるものではないらしいが、少なくとも政治的な動きはしていない。詳しい話はそれ以上は聞いていないのでよくわからない。

7 さざれ石
 本殿の横にさざれ石がある。今、さざれ石を名乗る岩は各地にあるが、江戸期の各地の名所図会には、さざれ石は3つだけが描かれており、福王寺神社のさざれ石もその一つに数えられている。そういう意味では、歴史的にもさざれ石として認知されてきたものだと思われる。各地に散在するものは、何らかの理由で創作されたものだと思われる。

8 後継者問題
 宮司の跡継ぎ問題は全国的にはかなり深刻で、当神社の場合にはもう決まっているが、跡継ぎの宮司さんも経営的にはかなり苦労することが分かっている。決まっていること自体は嬉しいことだが、今後の経済的な苦労については非常に心配である。何れ建物自体の経年劣化により解体修理をしなければならない時が来る。少なく見積もっても、数億円かかるような 工事をすることはかなり難しいだろうと思う。

9 貧困な文化政策
 神社に限らず寺院であっても、日本の歴史の中で大きな役割を果たしてきて、今や文化的な価値は極めて高いものの、国の文化予算は極めて貧弱で、このままいけば、将来的には特に小さな神社などは荒廃の道を歩むしかないだろうと思われる。
 実際上記のように下鴨神社の境内のマンション建設問題は新聞やニュースでも取り上げられたが、だからといって誰かが助けてくれるわけでもなく、たとえ有力神社であっても経済的には厳しいところに置かれているのが事実。
 また実際京都市内のあちこちの寺院を回っていると、本堂や阿弥陀堂などを解体修理をしているところも結構多い。それらがたとえ国宝あるいは重要文化財のものであっても、国からの補助は全経費の6から7割。実際の工事が始まる何年も前から、参拝者に募金のお願いが呼びかけられている。そういう場所を何箇所も見るにつけ、かつて応仁の乱にしろ天明の大火にしろ、大きな災厄から本尊などを命がけで守ってきた、僧侶や宮司さんたちの活動に対して、今の我々が応えていく必要があると思う。
 国家予算の中に占める教育文化費関係は一向に増えないし、軍事予算だけはまるで聖域であるが如く、一方的に増え続けている。あるいは森友学園問題にしろ加計学園問題にしても、安倍独裁政治の今は強引な進め方によって、奴等のお友達がお金の面で何十億という恩恵を受けるという謂わば、情実政治が行われ、前事務次官の具体的な告発の話であれ、文科省内からの具体的な証拠の資料が示されても、知らぬ存ぜぬ、また前事務次官への全く無関係な個人攻撃といった、一方的な拒否だけで、国民の税金が好き勝手に無駄に特定のお友達のために、湯水の如く使われてるという実態がある。
 こういった事のしわ寄せは全て市井人の弱いところに全部行くようになっており、小さな文化的存在である寺院や神社にしても、その犠牲といってもいいのではないかと思う。そして神社本庁のような組織は、政権によって徹底的に利用され、自分たちの保身と独裁化のために、市井人の中に緩く浸透しているお参りの気持ちを特定の方向に導いていく役割を担っているだけである。これらの動きは総合的に見てみると、何もかもが戦前の「国体」を復活させる動きにつながっているように思われる、と言うより、間違いなくそうだと言っていい。


 以上の話は、福王寺神社の宮司さんとのお話の中で、聞かせてもらった話に、自分の知っているわずかな知識を付け加えて、また自分の国策に対する思いを込めながら、まとめてみたもので、中には聞き間違いや思い違いもあると思うし、その分差し引いて読んでいただければと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都府和束町の和束天満宮 ... | トップ | 京都府久御山町の若宮八幡宮... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事