切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2023年 京都の紅葉撮り 宇治川沿い・・・方生院・興聖寺 京都府宇治市 2023.12.7 訪問

2023-12-17 22:41:45 | 撮影
 毎年紅葉シーズンになると近くにある宇治川沿いの紅葉を撮影しに行く。同じ風景を何度も見ているが、行くたびにその良さや新たな発見などもあって十二分に楽しめる。今回はさらに近くに転居したためゆっくり歩いてもいけるが、たまには自転車も利用しようということでカメラぶら下げて出発。
 やはりシーズンとあってそれなりに人が多い。ここでも外国人が目立つ。宇治橋を渡りその北側にある宝生院から入る。

 宇治橋そのものは計画的に設計され建設された日本最古の橋の一つだといわれている。日本最古の橋と呼ばれているのは三カ所あり、この宇治橋がひとつ。そして山崎橋。これは今現在の桂川・鴨川・宇治川の三川合流の地点にあった。淀川にまとまるあたりとなる。大山崎町と対岸の八幡市の橋本を結ぶ橋だった。今現在は存在しない。そして3つ目が瀬田の唐橋。これは。奈良時代前に都が度々遷都された中で近江京が誕生した時に建設されたとされる。今現在の瀬田の唐橋は交通の要衝となっており、交通量の非常に多い橋となっている。

 宇治橋は平安時代の文献や源氏物語などにも登場しており、実際には奈良時代以前の飛鳥時代あたりに建設されたものと考えられている。その根拠の一つが宝生院にある国の重要文化財に指定されている「宇治橋断碑。」と呼ばれる石碑だ。江戸時代に発掘され、宝生院の境内に建てられている。この宝生院も少ないながら紅葉が見られ、境内も石仏などで結構にぎやかだ。

 

『橋寺放生院
Hashidera Hojoin Temple
宇治橋の守り寺と呼ばれている橋寺は、推古12年(604)に聖徳太子の発願により秦河勝が建立したと伝えられています。宇治橋はしばしば流出し、弘安9年(1286)には西大寺の僧
興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって再興されますが、叡尊は宇治川の中州に十三重石塔を建立するとともに、当寺で大放生会(だいほうじょうえ)を営んだことから、橋寺は放生院とも呼ばれるようになりました。本尊として鎌倉中期の地蔵菩薩が安置されています。
また、当寺には宇治橋がはじめて架けられたことを記念した石碑がありますが、上の三分の一ほどがわが国の碑文の中でも最も古いもので、宇治橋断碑といわれています。』
 (境内説明板より)

      

 宝生院を出て川沿いを上流へ進んでいくと、土手沿いに多くのもみじやイチョウの木があり、赤や黄色と言った色が頭の上を覆うように並んでいる。そのすぐ横を水量の多い宇治川の流れが波打つ。なんとも風情のある景色だ。それらの景色から気に入った場面を選び次々にシャッターを切っていく。なかなか気持ちがいいものだ。
 しばらくいくと宇治川の対岸に渡る橋に到着する。この場所には北側に宇治神社。そして宇治上神社がある。正月三が日は大行列ができるほど参拝者が並ぶ。私も毎年初詣は、宇治上神社に行くことにしている。この両社も境内とその周辺に紅葉が多く見られ、非常に良い雰囲気をもたらしているが今回は立ち寄らなかった。観光客は英語、中国語で書かれた説明板を見て、宇治神社への階段を上がっていく。本殿は国の重要文化財。そしてその少し奥にある宇治上神社の本殿は国宝となっている。

        

 紅葉のトンネルをくぐるかのようにさらに進んでいくと恵心院があるが、このお寺は年間を通してさまざまな植物や花が綺麗に咲き誇り、撮影するには絶好のお寺となる。しかし紅葉はなぜか門のところにわずかにあるだけで今回はパスした。
 そして最後は興聖寺となる。

 

『興聖寺
興聖寺の名は、曹洞宗の開祖道元禅師が伏見深草に開いた由緒ある寺にちなみ、慶安元年(1648)に淀城主水井尚政がそれを宇治の地に再興しました。本堂は伏見城の遺材で造ったとも伝えられており、境内は禅寺にふさわしい威厳と静寂に満ちています。また、 山門に至る参道は琴坂と呼ばれ、紅葉の名所として知られています。境内に安置されている平安時代後期の木造聖観音立像は、かつては源氏物語宇治十帖の古跡のひとつ、手習の杜に祀られていたことから「手習観音」の呼び名で親しまれています。』
 (説明書きより)

          

 興聖寺の入り口にあたる門の前に立つと、北へまっすぐな「琴坂」と呼ばれる長い坂道が続く。京都府の指定名勝となっている。この坂道に密集するように紅葉が覆っている。特に陽光を浴びるもみじの葉は見事な輝きで素晴らしい。思わず似たような光景の写真を次々に撮ってしまう。ここにも大勢の人々がやってきている。興聖寺そのものは曹洞宗の最初の寺院と言われ、元は現在の京都市内にあったが、後年延暦寺からの弾圧を受け衰退する。江戸時代初期に再興され各建物もその頃に建てられたものだ。かなり多くの建物が宇治市の指定文化財となっている。また庭園も宇治の指定名勝となっている。禅宗の寺院として多数の修行僧がこのお寺で宿泊・修行を重ねており、境内そのものは非常に質素。しかし見どころのあるもので派手な雰囲気はなく、紅葉もない。あくまでも参道までの紅葉ということだ。現在では永平寺の末寺となっている。

   

 こうして。ひととおり撮影し終えた。帰り際にも次々に観光客がやってくる。もちろん宇治へくる人たちというのは大半が平等院が目的であり、宇治川沿いは少数派ということになるだろう。それでも修学旅行生の班行動でやってきている若い世代も見かけたし、外国人カップルが風情を楽しみながら歩いている姿もなかなか様になっている。その中を自転車でゆっくりと進むのも気分が良いものだ。こうして今年の宇治川沿いの紅葉を撮影し終えることができた。


    
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2 コメント

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Unknown (南海)
2023-12-18 23:07:59
美しい写真をありがとうございます.
4~6歳の頃,宇治川べりに住んでいました.
宇治神社も興聖寺も地元でした.
懐かしいです.
昭和28年の宇治川洪水の後,本町沿いに転居しました.
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp
南海さんへ (切れ切れ爺さん)
2023-12-19 21:38:03
たまにいただくコメントはとても励みになります。ありがとうございます。

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