切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2024年 桜の花 栗田神社・・・まだ隙間があるが  京都市東山区  2024.3.30 訪問

2024-04-02 22:55:35 | 撮影
  


『創建由緒
 平安時代 清和天皇貞観十八(876年)年春に神祇官並びに陰陽寮より、「この年隣境に兵災有りて秋には疫病多いに民を悩ます」と奏上されました。天皇は直ちに勅を下され、五畿七道の諸神に国家と民の安全を祈願されました。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(現 八坂神社)に七日間祈願されました。
 その満願の夜、夢枕に老翁が立ち「帝都の東祇園の東北に牛頭天王(素盞嗚尊)に縁の地在り。その地に我を祭れば必ず国家と民は安全なり。我は大己貴神なり。」と告げて消えられましました。興世は夢とは思わず、ご神意であると奏上し、勅命により奉行としてこの地に社を建ててご神霊をお祀りしました。
 また一説には平安京以前より、この地を本貫とした粟田氏の氏神として創建されたとも伝えられています。
 明治以前の旧社名は感神院新宮であり、牛頭天王を祀る事から粟田天王社また粟田八代王子社とも称されました。』
   (パンフレットより)

   

『粟田神社
 旧称 感神院新宮
    粟田八大王子社
一、祭神  建速素盞鳴尊 大乙貴尊
 左殿 ハ嶋小奴美神 五十猛神 大屋彦神 大屋媛神
    抓津媛神 須勢理媛神 大歳神 倉稲魂神
 右殿 奇稲田媛神 神大市姫神 佐須良媛神
 外殿 竹生嶋社 猿田彦社 度会社 天御中主神
  合祀 日吉社 和歌三神 手力雄社 崇徳天皇

一、由緒
 古くは山城国愛宕郡下粟田郷に属し、粟田郷は上粟田(北白川 浄土寺 鹿ケ谷 岡崎)下粟田(三條以南)に分かれ、この地は上古のころ孝昭天皇(人皇五代)の皇子天足彦国押人命を祖とする一族が住み鉱物を穿ち、栗や瓜を主食として、中古熱田神宮が奉祀されるや一族熱田の社人として移り、土地名を残すのみとなれり。その氏神として上古より祠ありしが人皇五十六代清和天皇負観十八年(八七六)悪疫流行のため、奉行藤原興世に勅して都の東、白雲の泡立つ郷の霊地に一社を建つ。これ當社の社位による創祀である。
又伝う往古八坂神社を感神院と称するに対し当社を感神院新宮と称し、祇園会無き年は当社の祭礼として祇園会の代りとなす記錄あり。依りて当社代祭礼は祗園会の始めの形なりと云う。

一、御神徳 厄清払ひ(厄除、病気平癒)商エ経営、縁結び、安産、旅行安全

一、祭日 十月九日出御祭、夜渡り神事、十日神事祭、十五日大祭、
  神事祭には?鉾の?鵤たる阿古陀鉾(瓜鉾)を始め地蔵鉾、
  菊鉾、桐鉾、其他総数十八奉の?鉾の供奉は特に美麗なり

一、摂・末・社 一、稲荷社 祭神 倉稲魂命
 由緒 應永二年青蓮院門跡尊円親王勧請北向稲荷神社と称す。
往古三條小鍛冶宗近刀匠に関?ある神狐を祀るとも云う。
一、恵美須社 祭神 事代主神
          少名彦神
由緒 当社より東約一 米弱の夷谷と称すろ處に鎮座ありしも六百年前大出水、山崩れの為流出、止まり給いし處を現在夷町と称す。源義経奥州下向の時源家再興を祈願せる社にて御
像は一二〇〇余年前伝教大師の自作と云い出世恵美須神社と称す。
一、大神宮 祭神 天照大神 八幡社
         豊受媛神 春日社
由绪 在原業平卿伊勢の齊営の宮と結ばれその子孫高階?参宮出未だ自宅に社を奉祀す。京三大神宮の一社なり。
 (以下略)』
 *「?」は、判読困難字   (門前駒札より)

    

 栗田神社を訪れるのはずいぶん 久しぶりだ。以前はまだまだ訪れていない寺社を探しては訪れ、撮影してブログにあげるということそのものが目的だった。今ではあちこちかなり ブログにも小さな寺社も載せて、シーズンごとの植物をテーマに訪れることが多くなった。 最初は桜をテーマに、そして続いて紅葉をテーマに、それらの名所を訪れ撮影しブログにアップ。それらが広がり、藤の花や紫陽花、水仙、梅などなど京都の神社やお寺には、そのような植物が花開くところが多く、ある意味年間通して撮影することができるようになった。しかしどうしてもかつて訪れたところが多くなるのも事実だ。しかしそれはそれでその神社やお寺の別の側面を見ることにもなり、いいのではないかと自分なりに解釈している。まだ未知の寺社について行かなければならないようなところもまだまだあるのだが、それも追求しながらできるだけブログの内容を豊かなものにしたいと思っている。(とは言っても、ただ単に根拠のない希望でしかないかもしれないが)

   

 入り口は駐車場に入るための急な上り坂で、エンジンが悲鳴を上げる。狭い 上に結構多くの人々が歩いているので、慎重に駐車場に入れる。境内に入るとすぐに桜の花が目に入った。数ヶ所に桜の木があり、五分咲きくらいの割合で白い花を咲かせていた。多分ソメイヨシノ かと思われる。結構人も多く、境内が高台の状態になるので市内の眺めも良い。いつものように拝殿を撮影し、そこから周囲を回るように撮影していく。本殿では参拝して撮影する。そして桜の木の近くに来ると、次々にシャッターを押していろんな角度から、あるいはズームアップも含めて、多様な構図で撮影を続ける。もうはっきり言って素人そのものの撮り方だ。同じように一眼カメラで撮っている人を見ていると、 1枚シャッターを押すのに時間をかけている。構図や手ぶれが出ないように慎重に時間をかけて撮影しているんだろう。そういった姿勢は少し見習う必要があるとは思っている。

  

 桜の花そのものをただ単に撮影するだけでは、どこの神社やお寺で撮ったのかわからない。従ってなるべく本殿の建物や石灯籠などを背景に入れて撮影するようにしている。栗田神社は境内に比較的大きな末社が数社あり、そこはそこで桜を引き立てるのに大いに意味があるように思われた。

 栗田神社は平安時代の創建とされるが、式内社という説明はない。延喜式神名帳の作成は平安時代 だが、それよりも若干遅れて創建されたのかもしれない。平安時代以前の創建という説もあるようだが、もしそうであるならば式内社ということになるので、当然そのことは神社史にも記録されているだろうが、やはり神名帳の後なんだろうと思われる。いずれにしろ長い歴史と由緒のある神社でもあり、一度は訪れるといいだろうと思う。

   
コメント
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