《日本、敗戦から74年・・・今や日本の民主主義が崩壊の危機に》 (3)
日本の周辺諸国で民主主義に関わる大きな動きが起こっている。
1つは日本と大韓民国との関係。もともとは徴用工問題に発する韓国の最高裁判所の判決から生じたものだ。1965年の協定において日本政府としては全て解決済みとの立場だが、韓国の裁判所は徴用工など個々人の問題についての解決には至っていないとの判断を下した。
当時の協定ではその辺の問題が指摘されていたが、結局協定を結ぶことを優先したために曖昧な形で、どちらも課題を抱えたままの調印となったのが、1つの大きな矛盾として今になってぶり返したものだ。日韓両国の言い分の詳細については、十分に理解しているわけではないので、なかなか意見を言う事は難しいところだが、少なくとも韓国の中での激しいデモの様子は日本にも伝えられ、大きなうねりとなって日本への批判が渦巻いていることが伝わってくる。
韓国の民主主義は、パクチョンヒ政権が倒れた後にようやく国民の中に、民主主義と言うものがもたらされ、その点では日本よりも民主主義の歴史は浅い。それだけに韓国民にとってみれば、「民主主義を勝ち取った」と言う認識と自負があり、それだけに対外関係であれ内政問題であれ、納得できないことには国民たちは、大きな抗議活動を起こすことによって自分たちの明確な意思を示してきた。
今回の日韓関係においても、政権同士は互いに相手を避難し合っている。どちらの言い分に歩があるのかは難しいところだ。しかし国民たち市民達の大規模なデモによる日本への抗議は、自分たちの民主主義の権利を行使すると言う形で重要視しているのだろう。
日本での報道を見ていると、当初は韓国でのデモが日本と言う国そのものに向けられたものだと言う雰囲気のものだったが、最近は少しずつ変わってきて、デモ参加者たちも一般の日本人には恨みはなく、あくまでも「反安倍」であって、問題なのは日本の政権であると言うことを主張している。そのことが報道されるようになってきて、日韓のお互いの旅行者数も、少なくとも日本側からは増加傾向にあると言う。
いずれにしろ民主主義の理念の1つである、表現や集会結社の自由などをしっかり実現していると言う事は事実だ。
もう一つは香港での大規模デモの状況。香港においてはイギリスからの変換後50年間は、香港の自治独立を認めると言う形で、一国ニ制度と呼ばれる政権運営がなされてきた。その下では民主主義と言うものは、基本的に保障されたもので様々な場面で、中国の口出しや香港内の政権不正等に対して、大規模抗議デモと言う形で市民たちの意思を強く示してきた。
ところがこちらは韓国と違って、決定的な違いがある。もちろん「中国」との関係だ。今現在連日のように100万人単位の大規模デモが行われており、日本でも大きく報道されている。
今回のデモのきっかけは、いわゆる「逃亡犯条例」香港に逃げ込んだ何らかの犯罪者や要注意人物などが、香港で捕らえられた場合に無条件で中国に送り返すと言うものだ。周知の通り中国と言う国はれっきとした「独裁体制の国」だ。かつては社会主義経済の理想を追い求めていたものの、世界の大半が資本主義経済であり、貿易取引その他で社会主義体制が経済面で行き詰まり、その結果資本主義的要素を取り入れて経済改革を始める形になった。
その結果、世界一の人口を抱えていた中国の経済は飛躍的な発展を示し、今や国民総生産においては日本を抜いて世界第二位となっている。当然のことながら国の政治体制は社会主義であっても、経済が資本主義であると言う事は、そのまま資本主義経済の負の問題点が顕在化すると言う形になる。貧富の差、様々な格差の問題、そして共和国と言われる通り、様々な民族が一応名前だけの自治日共和国体制をとっている。ところが共和国の自治を一見認めているように思われるが、実際には中国の政権は一党独裁の全国支配体制を明らかにしており、各共和国の自治は実質、無いに等しい状態だ。
ウィグル自治区などで抗議活動が起こると、即武力弾圧。中国の一体化志向は全土に及んでおり、それは資本主義経済の恩恵に預かっている大都会に限らない。かつての天安門事件のような市民達の大規模な抗議デモなどは、結局警察だけではなく軍隊も出動して、大多数の市民の犠牲者を出して完全に弾圧されて終わった。今やそのことを口にすることすらできない。そしてその中国は年を経るごとに、香港への介入を強化しつつある。
この香港の中でも、親中派と反中派があり、かなり鋭い対立が起こっている。もはや香港の政権は親中派の選挙人が投票して選ばれた、親中派の政権になってしまっている。連日のデモに対して警察の圧力は徐々に高まり、ついには拳銃の使用も現れた。中国政府も香港との国境近くに、大規模な軍隊を派遣し、デモ弾圧訓練を大々的に行って圧力をかけている。
他にも様々あるが、確実に香港の民主主義は抑圧されつつあり、早ければ今年、遅くとも数年内には完全に形骸化されたものになるだろう。仮にそうなったとしても、香港の特に若い人々の間には、民主主義と言うものに関する権利への意識が極めて高く、納得できないものに対しての行動は、当然の権利として行使しているのだと言うことになる。
8月30日の段階で、デモを先導したと言う理由で、若いリーダー2人が警察に逮捕起訴された。このような動きは中国による香港独裁支配体制の確実な歩みの1つに過ぎない。
彼らの勇気ある行動をこのブログからではあるものの、最大限の応援をしたいと思う。
周辺国で起こっている現実を、デモと言う集会結社や表現の自由と言う側面から、民主主義の国民市民への広がりと言うものを見てみたが、もちろん民主主義と言うのは極めて幅広い要素を持っており、上記のような例だけでは済まないものだ。それだけに民主主義といっても、そこに保障された権利を使って、逆に民主主義と言うものを潰していく方向性だってあり得る、と言うことも考えておかなければならない。
さて、ここで日本のここ直近の民主主義の実態について、一部の例を見ながら考えてみたいと思う。
特に安倍晋太郎による自民党公明党の長期独裁政権による歪みが、極めて顕著に現れている。安倍自身が右翼思想の持ち主であり、日本会議にも重要な影響を持ち、総理大臣と言う公的な立場を利用して、およそ真の民主主義とは程遠い政権運営を行ってきたのは誰の目にも明らかだ。
安保法制の問題、秘密保護法、個人ナンバー等など国民生活に関わる重要な問題を、自民公明の連中は数の力で強硬に採決してきた。そこにはただ単に数が多いと言うだけで、民主主義的にやってきただけだと言う思い上がりがある。数さえ多ければそれによって権利執行ができるというのが民主主義だと言われると、とてもじゃないけど納得できるはずもない。
民主主義と言うのはあくまでも、国民が主人公であり、政治に携わる連中と言うのは、あくまでも国民から政治を託された立場に過ぎない。国民1億2000万人に対して、国会にしろ地方議会にしろ、間接民主制においては少人数で政治運営がなされていく。
当然そこには、数だけで処理しきれない、たとえ少数ではあっても極めて大事な意見や論点視点などが数多くある。しかし政権運営の場においては、各法案審議において少数派に与えられる質問や意見の時間は極めて短いものだし、はっきり言って論議にもならない。独裁的与党は言いたいことだけを言って、後は少数派の主張も無視して採決をして決めるだけ。このような方法で少しずつ、しかも確実に、民主主義は歪められ、形骸化されてきている。
独裁政権は、それが長期になるとほとんどのケースで、腐敗堕落すると言われている。戦後最長を記録している安倍政権は、全くその通りの腐敗堕落を全国民に晒している。任命権者の安倍総理によって指名された大臣たちの中にも、単に失言では済まないようなことも含めて、国民を裏切るような行為をして辞任に至るケースもしばしば見られる。
そして数年前から安倍独裁政権は単に数の力で押し切るだけでは済まなくなってきており、自分たちの気に入らないものに対して、政治的な圧力、そして恫喝まで行うようになってきている。
数年前、NHKの経営委員会に極右の人物が2人入った。1人は作家の百田尚樹。もう1人は埼玉大学の女性教授。ともに知られた極右の人物だ。しかも、経営委員会長自身が、政府の考え方に反するような放送はできない旨の発言をしている。人選も含めてNHKへの圧力があったのは確実だと思うべきだ。
更に森本問題、加計問題へと続く。マスメディアは自民公明の独裁政権の汚職問題として取り上げようとしたところ、総務大臣だったか誰だったか忘れたが、国会の場で何と、「各放送局に割り当てられている電波を停止する場合もある」と言う、誰の目にも明らかな脅迫・恫喝を行った。また新聞記者たちの前で行われる記者会見においても、鋭い質問をする記者に個人攻撃を加える。しかもれっきとした政府の要人が民間人に対して、このような悪質な行為を行うわけだ。このような形で、東京新聞あるいは朝日新聞が攻撃の対象として使われ、具体的な名前も出されて、マスコミに圧力をかけてくる。
このようなことが続いて、大手のマスメディア、つまりテレビにおいては東京キー局、そして全国紙の大新聞は一気にトーンダウンし、独裁政権にものが言えなくなってきている。それどころか一部マスメディアは、自民公明の独裁政権に、いわゆる忖度をして下手に出ると言う無様な姿まで成り下がっている。こんな事態になっている事は、テレビも新聞も自ら報道することさえみっともなくてできないようだ。
なんとか地方のローカル紙やテレビ局でもローカル局が頑張って、視聴者に伝えているケースもある。そういったものを通して国民たちの中にも、この独裁政権の実態はいやがおうにも見えてきているはずだ。にもかかわらず、なぜ日本国民はこんなにもおとなしいのか。ごく一部を除いて誰も何もしようとしない。抗議の声を上げ、デモに行ったのはごくごく少数の人々だけだ。
このような政権運営が、日本の民主主義を形骸化しようとしている事は明らかなのに、日本国民はそれに気がついていないなのか。それとも無関心なのか。あるいは逆に独裁政権のすることを応援して、天皇中心の「国体」体制を待っているのか。あまりにも歯がゆくて、私こと癌爺いはこのような日本の状況がある意味信じがたいように見える。
もはや事態は緊急性を帯びた課題になっているように思われる。
国民が全体的にひ弱になって、上層部に何も言えないような雰囲気が日本国中を被っているようだ。私は爺いの身だから好きなこと言っているが、現実に仕事を持ち、家族を養っている人々の立場から言えば、中年層でも若年層でも、なかなか言いたい事は言えないんだろう。たとえ労働組合員でなくても、「ものを言う」人と言うのは、日本の上層部の連中や、あるいは民間企業の経営者たちにとっても邪魔な存在でしかない。労働基準法の隙間をついて、排除しようとする。仮に言ったとしても、同調して助けてくれる者はないに等しい状態だ。
ネット上のある記事を読んでいると、若い労働者が、「自分が多数派の中にいることがわかってほっとした」と言うようなことを言っていたとあった。この発言は先日の参議院選挙において、自分が誰に投票していいのかわからず、とりあえず自民党候補に投票して、結果的にその候補が当選したことを知った上で、出た言葉だ。
自分は多数派の中にいたい、と言うこの自主性のなさ、自立性のなさ。なぜこんな無様なことになってしまったんだろうか。保守派の戦後数十年をかけて、地方議会から中央議会に至るまで、民主主義を歪めてきた結果が、このようなものの言えない弱者を育ててきたと言うことになる。
こうして日本の資本主義経済は、物言わぬただ単に、一生懸命働くロボットのような人間を育てあげて、上層部は金儲けに走ると言う図式が作られてきた。こうした若者たちは、将来的に年金すらもらえないような立場に追い詰められていくというのがはっきりし始めている。それでもなおかつ、多数派の中にいて安心しておきたい、と言う心情の虚しさが、あまりにも情けないし、悲しいとしか言いようがない。
次回は、日本国憲法に記された民主主義の基本原則が歪められている状況を、自分なりの視点で見ておきたいと思う。
(以下、次回に続く)
(画像はHPより)