切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 切れ爺さんの闘病記・・・前立腺癌へまっしぐら? 》 No.43   2024.1.25

2024-01-26 22:21:10 | 闘病記


 先日 いつもの病院へ行って診察を受けた。泌尿器科。前回このブログで泌尿器の件を取り上げたのは昨年8月だ。そんな時すでに尿検査の結果ははかばかしくなく、このまま前立腺癌の指標が上がっていけば、考えなければならないという話があった。その時にMRI検査で写真を撮ったが、癌らしきものは見られなかった。しかし今回尿検査の結果PSA(前立腺 特異抗原)の値はついに7を突破した。もはや完全にグレーゾーンとなる。つまりいつ前立腺癌になってもおかしくない数値ということのようだ。

 主治医の話によれば「 かなり悩ましい」という。本来この数値であれば生検が必要となる。それを実施するかどうか、これが10を超えると間違いなく生検をして、癌細胞の有無を調べる。そして初期の癌が発生しているかどうかを診るということになる。これまでの経過を見ていると、初めて泌尿器科を訪れて検査をした時の結果は PSH は0.9 くらいだった。 ギリギリセーフといったところだ。しかしその半年後には、1を超えその後、年を経るごとに3~4~5とまさしくグラフで言うと、正比例直線となってまっすぐ上がり続けている。今回の7という数字は今年中に8 、来年頃にはおそらく 10 を超えてくるのではないかと思う。



 であれば癌発症の前に前立腺を取り除く手術をしても良さそうなものだが、基本的にはそれはしないという。その詳しいことはわからないが、手術をする際の基準というものが何かあるようだ。おそらく前立腺の場合には具体的に、あれこれの症状が出て生活上、何らかの支障が出ている場合に実施されるらしい。そういった意味では今現在の支障はまだ軽い方で、頻尿及び夜中の排尿がしづらいといった程度のことだ。それでも自分自身にとってみればかなり支障があると思えるのだが。

  従って仮に癌は発生していなくても、前立腺の巨大化により排尿そのものがかなり困難であるということになれば、前立腺を取り除いて尿道への圧迫を解放するということになる。しかしそれほどまでに前立腺が巨大化するということは、すでに癌の方が先に現れているということになるようだ。つまり前立腺癌が明確になれば初めて手術ということになる。

  去年の5月に食道が癌の寛解が告げられてほっとしたのも束の間、 1年も経たないうちに再び別の癌の可能性が出てきたということになる。正直ショックとしか言いようがない。ただ前立腺癌の場合には術後の生存率がかなり高く、 5年後生存率も80%以上は期待できるということがまだましなのか。でもその頃には 80代近くになり、さらに数年すれば男性の平均寿命の年齢に達してしまう。あればその段階で仮にあの世へ行ったとしても、まあまあ 標準的に生きたなということになってしまうのだろう。



  一応前立腺肥大症に関する服薬は続けており、尿が出やすくなるはずなのだが、この辺りは一進一退と言った感じだ。いわゆる頻尿については相変わらず続いており、特に寒い時期は外出する際、トイレがあると早めに利用しておかないと思わぬところで尿漏れの危険性が常にある状態。この前立腺肥大症については、加齢とともにほとんど誰でもが経験することになるような症状だ。実際友人たちに聞いてみると、ほとんどの人が睡眠中に2回3回とトイレで起きると言っている。このこと自体が頻尿であり、その原因がおそらくは、前立腺肥大症ということになっているのではないかと思う。

  もちろん PSA の値が高くなっても、癌を発症しないというケースもあるし、逆に値が安全地域にあっても癌を発症する場合もある。しかし一般的には数値の上昇とともに正比例して前立腺癌の発症割合が増加していくというのは、各地様々な医療機関などですでに証明されている事実なのだ。数値が40~50 などになっていくと、ただ単なる前立腺癌だけで済まず、骨への転移なども含めて手術自体が困難な状況になっていく。



 新聞には全国紙であれ地方紙であれ、紙面の片隅に様々な分野の著名人が亡くなった場合の記事に、死亡原因が書かれている場合が多い。確かに前立腺癌で亡くなったという記事はほとんど見ないが、やはりあることはあるのだ。比較的最近の有名人では、歌手で俳優の西郷輝彦氏が前立腺癌で亡くなっている。ただし前立腺癌そのものというよりは、それが骨に転移してそれが直接の死因となったようだ。このケースのように大半は前立腺癌そのもので亡くなるよりも、それが骨や他の臓器に転移してそれが死を早める結果につながっているものとされている。

 私の PSA 値は 7台だ。これは前立腺癌にかかる平均的な割合が約40%ということを意味している。つまり 2/5の確率。どう考えても高い。これがさらに悪化して骨に転移すると、相当厄介なことになる。骨だけには限らない。リンパ節や肺、あるいは他の内臓器などにも転移していく。その場所によって死亡割合が変わる。いずれにしろ転移があった場合には 10年単位の癌との戦いが待っているということになる。

 できればさっさと初期癌が発見されて、すぐ手術して前立腺を除去してもらえればすっきりするのだが、案外それは間近なのかもしれない。今回は採血をし、血液検査で前立腺に関わる数値を見てみるということだ。次回の通院時にその結果を教えてもらう。食道癌の方は再発や転移は今のところないと考えられるが、新たな危機に自分自身としてはやきもきしてしまう大きな原因となっている。まあしかしあれこれ考えてもなるようにしかならないのだし仕方ない。その時を迎えればそれに応じた処置に臨むだけだ。こういったものは病院や医師による差というものがあるのかどうかは分からないが、ことと次第によってはセカンドオピニオンも視野に入れて臨むことも考えておかなければならないかもしれない。


  (画像は、「日本泌尿器科学会」「弘前大学医学部」等より)

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《 切れ爺さんの闘病記・・・激痛の2日間 》 No.42    2023.9.23

2023-09-23 21:27:33 | 闘病記


 相変わらずの各地の病院通い。今月は最初に眼科へ行く。半年に1回の診察だ。左目が白内障の初期症状でしばらく様子を見ることになっている。視力自体は矯正視力により見え方 そのものは前回と同様。今のところ黄斑に関する手術までは必要がないという。しかしいずれは白内障の方で手術が必要になる可能性がある。

 循環器内科の診察は今のところ順調ということで、特に変更なし。ただしこの間血液検査を行っていないので、次回は血液検査をした上で診断となる。こちらの方は内服薬が欠かせず一生飲み続けなければならない。しかもその薬がかなり高価。今更ながら教員になって 十数年後には職場検診で高血圧が引っかかり、問診の医師から警告を受け病院で診てもらうように言われていた。それをほったらかしにし、後にはとんでもないほどの高血圧値になってしまい、最後は職場検診の場で問診の医者から「あなたは授業中にその場で死ぬ可能性がありますよ。」と最後通告を受けた。府の教育委員会から後日府の施設で精密検査を受けるよう職務命令がやってきた。これをきっかけに通院を開始することにした。結果はかなり具合が悪く、強い薬を飲みながら少しずつ 直していこうということで今に至っている。なんとか平常時になってきて落ち着いているところだ。

 前立腺については前回記した通り、このまま行けばいずれ前立腺癌になる可能性が限りなく高い。もう思い切って手術を受けてもいいのかもしれない。今のところ様子見だ。


 
 このように私自身の不摂生、および勤務の激烈さから体は満身創痍の状態になってしまった。挙句の果てが食道癌。これは 5年半で寛解したと言われた。ところがそれとは別に胃の内部に大きな潰瘍ができて、現在は服薬で凌いでいる。それでも万能ではない。時折胃痛が襲ってくる。そして今回、強烈な痛みに襲われた。

 3日前の夜食で肉を食べたが、その直後からは胃痛が始まり、嘔吐感も出る。その日は何とか眠りにつけたが、翌朝真っ暗な中で目が覚め、刺すような痛みの胃痛で二度寝することができない。こうして一昨日はは1日中強い胃痛が続き、起き上がって動くこと自体が胃痛に響いて、椅子に座ったり横になったりしたものの痛みは変わらず。結局一日中これといったこともせず、まんじりともなく一日を過ごした。食べる方は大幅に減らして何とか胃の中には入ったものの、嘔吐感が続く。



 そして昨日、朝食をいつもより大幅に減らして食べた。そのまま近くのクリニックへ行く。しばらく待って名前が呼ばれ診察室前で待っていると、突然口の中が生唾だらけになる。この症状は私にとっては間違いなく嘔吐する前触れだ。直ちにトイレに入って思いっきり吐く。今朝の食事どころか昨夜の食事の内容も含めて大量に吐いた。嘔吐物の色からするとおそらく吐血ということになるだろう。本来なら主治医のいる日赤まで行くべきだが、胃潰瘍の薬の処方については家近くのこのクリニックに依頼している。従ってこの話をしても個人経営のクリニックではどうしようもなく、急いで食べずにゆっくり食べてへ、細かなところに気を配る必要がある、とのことだった。近くの薬局で処方薬をもらい帰宅。

 胃の方はますます激痛で少ししてからまたまた嘔吐。この後の昼食はなし。午後は何もすることができず、やはり椅子に座ったまま。この姿勢が一番ましだということだ。横になるともっと楽になると思っていたが、実際には返って痛みが激しくなる。この夜は果たして 睡眠を取ることができるんだろうか。夕食は味噌汁一杯だけ。食後しばらくしてまた嘔吐感が襲ってくる。なんとかこらえたが、その後また吐き、ついに3回目の嘔吐。こうしてまる2日間とった食事はごくわずかで、かなり空腹状態。しかし胃痛のために空腹感をあまり感じない。この日はいつもよりかなり早く寝床に着いたが、体を横にすると仰向けでも即位でも痛みは治らない。こうして痛みのあまり、全く眠ることができず起き上がってマッサージチェアの方に座る。不思議と痛みがマシになる。そのうち うつらうずらして1時間くらい眠ることができた。目が覚めた時には痛みがかなりマシになっていて、布団の方に入り横になる。明らかにマシになっていた。そして目が覚めたり眠ったりを繰り返し、朝の6時頃には完全に目が覚めてしまった。



 こうして今朝はかなりの寝不足。胃の痛みはかなり軽くなっており、いいようやく気持ちも落ち着いた。朝は軽く食べ 昼は小さなパンを一つ。やはり食道の奥に詰まった感覚がある。やはり時間が経たないと胃から十二指腸へは行かないようだ。こういう時に苦労するのは大便の時だ。すっと何も力まずに出る人はいいだろうが、私の場合にはかなり力まなければならない。その力みが胃痛にもろに響いて、大便はちょっとした修行の場みたいな感じになってしまう。しかしこれもいろいろ体をひねったり、いろんな角度をつけたりすると痛みが和らぐ姿勢があって、何でもかんでも試してみるものだと改めて思った。

  今回の突然の胃痛を振り返ると、3日前に食べた焼肉を冷えたらまずいということで、少し食べ 急いだことが引き金になったのではないかと自分で勝手に解釈している。主治医からもくれぐれも言われているように、食べるのは少量を1日に何回も分けて食べる、時間をかけてゆっくり食べる。やはりこれを守らなければならない。日々の生活の中でこういう食事に時間を取るのはなかなか難しいのも現実だが、やはりこれだけ嘔吐したのは初めてなので、今後も十分にありうるということで、しっかり肝に銘じる必要があると思う。

   (画像は「NHK健康チャンネル」、Wikipediaより)
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《 切れ爺さんの闘病記・・・前立腺MRI撮影 》 No.41   2023.8.16

2023-08-18 22:50:18 | 闘病記


 泌尿器科に行ってから1週間。前立腺の MRI 検査を行うことになった。朝一で出て病院に到着。すぐ受付を済ませて MRI 室へ行く。前の人が検査中だったのでしばらく待つ。検査 そのものは約20分弱と言ったところか。指示があり着替えて部屋へ入る。もうすでに今まで何回か受けているので、おなじみの機械だ。よくまあこういったものを思いつき開発したものだと思う。


 
 今回は全身ではなく前立腺部分なので、全身をバンドで拘束されるということはなかった。かつて全身拘束を受けた時には我慢できずに、思わず中断という経験がある。あれはなかなか精神的に厳しいものだ。今回は腰の部分にやや重めのマットを載せて撮影に挑む。音はかなり大きくやかましいので耳栓をし、また環境音楽が流れるイヤホンをする。15分くらいで撮影は終わった。

 泌尿器科の前へ移動。診察予定時間よりかなり早かったがこの日は泌尿器科を受ける人がなぜか少なかったので、時間前に呼ばれた。結果はセーフといったところ。がん専門医にも写真を見てもらったようだが、今のところ前立腺がんの兆候はないとのことだった。 PSA の数値が上がっているのはおそらく、前立腺がさらに大きくなっているということが原因だろうと考えられるとのことだった。



 しかし決して安心はできない。これからは半年に1回検査をするという。 PSA の値は前立腺がんの確率が約20%のところにある。1/5の確率だ。これがこのまま上がっていくとただ単に前立腺の巨大化、あるいは炎症だけでは済まないことになる。そういった意味では十分注意する必要があるので、とりあえず半年に1回の検査を行うとのことだ。従って次回は11月となる。

 前立腺がんはあらゆる癌の中でも、いわゆる5年後生存率は非常に高い方で、ある意味安心できるがんという。言い方はおかしいがそちらの部類に入ると思う。私の元々の癌は食道がんであったので、手術終わって5年後生存率は45%だった。なんとかそれを乗り越えてそちらの方は寛解ということになっている。残念ながら食道がんとは別に胃の中に大きな潰瘍ができて、それを治めるための薬はしばらく続けなければならない。そして前立腺がんで亡くなる人というのは事の他多いように思う。新聞の記事やネットの記事などで著名人が亡くなるとその原因が記載されている場合が多い。そこには前立腺がんといったケースが思った以上に多いのだ。もちろんほとんどの場合は高齢者ということになる。50代60代で前立腺がんで亡くなったケースというのは見た記憶がない。

 私の場合は年齢的にも、また基礎疾患を抱えているという意味でも、そしてさらにいくら寛解したとはいえども、がん細胞が24時間ノンストップで体中を巡っているというれっきとした事実があるだけに、いつ転移が起こっても不思議ではないことと、場合によっては 半年ごとの検査では間に合わなかった、なんていうことがあるかもしれない。

 現職時代、同じ職場の同僚の先生が肝硬変で毎年1回精密検査を受けていた。当時40歳くらいの男性で、ある年、極めて多忙で私と一緒に修学旅行にも引率したのだが、その先生はその年、精密検査を飛ばしてしまったのだ。そして次の年2年ぶりに検査を受けた時、もうすでに手遅れの状態となっていた。肝硬変から肝臓がんになって、さらにそこからあちこちに転移していて、もう手術が無理な状態になっていたというのだ。そしてその先生はそれから数ヶ月後に亡くなくなられた。わずか1回だけ毎年の定期検査を飛ばしたがために発見が遅れ、取り返しのつかないことになって結局命を落としてしまったのだ。

 ごく身近にそのようなケースを見ているので、私自身としてもこのまま死ぬまで病院に通い続けて前立腺だけではなく、胃がんのケースも含めて、あるいは肺がんのケースも含めていろんなことに注意しながら生活しなければならない。やはり1回 少し大きめの癌を経験するとそこからの転移というのは現実味を帯びてくるだけに、本当に人事ではない。もっともそれ以外の理由である日突然、逝ってしまうかもしれないが。

 ともかくまだまだもう少し生きてしたいことも色々とあるので、今癌で入院したり死んだりするわけには行かない。それにしても病院代と薬代はなかなか高くつくものだとつくづく思う。いくら保険制度があるとはいえども、薬に保険はかけられない。次回は循環器の診察が9月早々に待っていると同時に、 9月初めに眼科に行かなければならない。白内障が進み始めており、いつかは手術する必要がある。今のところは十分に見えているのでまだ先になるとは思うが。

   (画像は宇治武田病院、東京都立病院機構より)

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《 切れ爺さんの闘病記・・・次は前立腺か? 》 No.40   2023.8.9

2023-08-09 22:30:43 | 闘病記


 この5月に食道がんの寛解が言い渡され、ほっとしたとは言ってもがん細胞は体の中を巡っており、これが何らかの形で新たながんを引き起こす。つまり転移の可能性はそれ相応に高いものだと思っておくべきだということだった。そういった意味ではがんに関して、年に1回の胃カメラなどの精密な検査をすることになっている。これはある意味自分の健康に関わる一種の保険のようなもので、再び癌にならないようにとの安心感を得たいものだと思っている。

 だがしかし今現在の私にはもう一つのがんのリスクがある。「 前立腺がん」だ。5年ほど前に頻尿傾向があり一度近くの中規模病院に行って、泌尿器科で診てもらったことがある。 その時に尿検査を受けていわゆる PSA という値について、初めて教えてもらった。その時には基準値の1.0以下であった。しかし以下であったとは言ってもかなり 1.0に近い数字だった。この値が少しずつ上がっていくとそれに正比例して、前立腺がんのリスクが高まっていくというものだった。そこから頻尿の件も含めて投薬を始めることになった。この PSA というのは、「 前立腺特異抗原」 と呼ばれるもので、翌年には1.0を大きく突破し 2点台に入った。そして1年に1回検査しているが、本日の検査でついに5.0を突破。


      (腺友ネットより)
 はっきり言ってショック。担当医はただ単に前立腺がんのリスクではなく、前立腺の肥大化によって数値が上がる場合もあるので、その辺りはすぐに前立腺がんと結びつける必要はないと言われたが、しかしネットなどで色々あれこれと調べてみると、やはりこの値は前立腺がんと完全に一体化して述べられているケースがほとんどだ。というより 100%と言って良い。つまり前立腺がんのリスクがかなり高まってきたと考えるべきだ。


     (時事メディカルより)
  1週間後 MRI 検査を受けることになった。以前にも一度受けている。もともとは日赤で全身 CT スキャンを受けて、その時にがんの方は大丈夫だったが、前立腺がかなり肥大しているので泌尿器科に行くように言われたという理由もあった。それが今や前立腺がんの可能性がかなり高まっているというところまで来たのだ。来週の MRI では前立腺の箇所を集中して撮影することになる。そこからは検査結果を含めてがんがあるのかどうかを判断することになる。もし初期の癌があればすぐに対処しなければならない。

 前立腺がんによる手術後の生存率は極めて高く、そういった意味ではたとえがんであってもそう心配する必要がないと言われる。しかし新聞などで著名人が亡くなるとその死亡理由が記載されていて、結構前立腺がんというのが見られる。気がつかないままステージが上がり手遅れになったということなんだろうか。それはともかく来週の検査をしっかり受けて医師の判断に基づく対応を受け入れなければならないだろう。さほど難しくない 手術らしいので、通っている病院で対処することになるかもしれない。一方では日赤で癌の主治医からロボットで手術できると言われていた。確かに前立腺がんの場合、ロボット手術がかなり多いと聞く。それ以外にも陽子線治療とか保険のきく新たな治療法もあるらしい。まあ今から前立腺を残しておいても何の役にも立たないので、手術で取り去ってもどうということはない。

 私は現役を退いてからは毎日毎日、お寺や神社の写真を撮りブログを書いてその内容をアップしたり、歴史の勉強を最初からやり直ししたりして、読書もそれなりに続けている。 そういった点では残り少ない人生ではあるものの、やっておきたいことはまだまだある。しかし何十年にも渡る中学校というブラック職場で、無理に無理を重ねて体全体がガタガタになったのは確かだ。今は基礎疾患として糖尿病がある。一生死ぬまで服薬を続けなければならない。この薬がまた高い。腎臓の方も血液検査では基準値ギリギリで今のところセーフだが、安心はできない。塩分セーブだ。目の方は老眼だが、眼科に年2回通っている。白内障の初期症状。いずれは手術が必要となる。こういった状態を見てみると、若い頃からもっと健康というものに目を向け、食べ物や生活習慣、睡眠時間、運動といったものにもっともっと留意しておけばよかったと後悔してしまう。でも いくら後悔してもその時々膨大な仕事の量をこなすためには、とんでもないほどの残業をせざるを得なかったのも事実だ。特別勤務手当というごまかしの「残業代」にもならないわずかなお金で、実質上ただ働きを長年続けてきたツケが、こんな形で戻ってくるのは本当に悔しい。今頃になって文科省が教員の働き方改革がどうのこうの言っているが、本気でやる気があるのかどうか疑ってしまう。

 まあこんな調子だから、現在の年齢からすると平均余命が17~18年はあるはずだが、とてもじゃないが持たないと思う。多分ある日突然ぽっくり逝ってしまうのではないかという予想だ。それにしても服薬している薬の種類のなんと多いこと。まさに薬漬けで生かされてるという感じだ。情けないと言えば情けない。

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《切れ爺いさんの食道癌闘病記》 No.39 寛解した!がしかし・・・   2023.5.22

2023-05-22 21:50:04 | 闘病記


 前回の CT スキャンから3ヶ月。先週 5月19日 金曜日に第一日赤へ行く。到着してすぐに 採血。続いて胃カメラのコーナーへ行く。数人待っていた。胃カメラはもう何回も行っているのですっかり慣れたものだ。特に不安はないがひょっとしたらひょっとする場合もあるので、今回もできるだけモニターをしっかり見ておこうと思う。しばらくして呼ばれた。いつものように洗浄の薬を飲み、喉元にゼリー状の弱い麻酔を塗る。

 胃カメラ用のブースに入りベッドに横たわる。今回はモニターが見事にこちらの方に向いているので、全部確実に見られそうだ。いよいよ胃カメラが始まると思った時に、見るといつもよりかなり太いものだった。それに気がついた医師がもう少し細いものと交換。ほっとする。あんなに太いものを入れられるといくら何でも慣れているとはいえ、ちょっときつそうだった。口にマウスピースをはめて喉から入っていく。綺麗なカラー画面のモニターが食道の中を進んでいく。やはり綺麗だと言える。特にこれと言って気になるものは見られない。操作する医師の方もモニターを見ながら解説してくれる。食道を通り過ぎ胃の中へ入る。ところが昨夜食べたものが一部、胃の中に残っていた。もちろん前日の夕食は軽めにしておいた。当日の朝は飲み食いは一切していない。こんなこと初めてだ。なんと胃壁の一部にわかめが張り付いていた。胃の下部の方には昨夜の味噌汁の一部が溜まっている。その部分は当然見ることができない。

 さらに胃カメラは十二指腸へ入り込んでいく。非常に綺麗な状態。ここから引き抜きにかかる。こうして無事に胃カメラが抜かれ、撮影は終了。部分的に見られないところがあったが、なぜ一晩経ってまだ胃の中に残っているのか、自分でもわからない。困ったもんだ。診察室の方へ移動しカードを診察ボックスへ入れて椅子に座って待つ。

 いつものことだが診察室のすぐ前に多くの座席があり、大勢の人が待っている。このコーナーは主として 癌に関わる病気の人たちの場所だ。従って中高年以上の人が多いが、中にはやや 若手の人も見られる。こうしてみるといかに癌の人が多いのかということがよくわかる。あるいはこれから入院して手術を受けるという人もいて、看護師さんがその説明をしているのが耳に入ってくる。5年半前の私の姿そのものだ。この日は待ち時間は比較的短くて済んだ。予定時間に呼ばれて診察室に入る。

 主治医は特に暗い表情でもなく、すぐに前回の CT スキャンの結果とこの日の 胃カメラの結果、そして採血の結果を見ながら「食道癌の方はもうこれでいいでしょう。」と言って いわば寛解ということになった。内心ほっとした。食道癌、ステージ2の5年後生存率が、当時の国立がんセンターの公表値で、45%だったということを考えれば、その45%の方に無事入ったというわけだ。幸いにも主治医は癌手術のスペシャリストで、ほとんどすべての手術を腹腔鏡手術で実施しているという。同時に府立医大の講師も務めており、そういった意味ではいい巡り合わせだったと思う。最近でも腹腔鏡手術については、群馬大学で一部の未熟な医師が立て続けに失敗を起こし、 5名以上の死者を出している。これはもう はっきり言って 事件だ。しかし手術中の死亡ということで何とでもなるという実態もあるらしい。手術中に手術失敗ということで死んでしまうというのは、いわば医療ミスということになり、場合によっては裁判沙汰だ。他の大学でも似たような事件は起こっている。そういった意味では 私の場合は、いい医師に巡り合えたということで幸運だったのだと思う。

 医師に聞いてみたところ、再発の心配はほぼないということ。但し癌という病の性質上、 癌細胞が血液に乗って体中のあちこちに移動する。そのことによる転移というのはありうることなのでそれは仕方のないことだと言われた。人によっては一つの癌が治ってもすぐ次の新たな癌。それが手術で治ってまた新たな癌、という人もいる。元歌手の堀川ちえみさんなどもその典型的な例だ。従って私にもその可能性は十分にあるので、今後さらに高齢化していく中で十分気をつけておかなければならない。


   (国立がんセンター資料より)

 一応癌の方は寛解とは言っても、胃潰瘍及び逆流性胃腸炎ということもあるので、しばらくはそのための服薬が続く。これがまた色々と分量が多くて正直、気が滅入る。私にはこれ以外の基礎疾患もあり、そちらの方の服薬も死ぬまで続けなければならない。まさしく擦り付けの日々だ。また年に一度、胃カメラとなる。早々と一年後に予約が入れられた。忘れてしまいそうだ。

 若い頃のあまりにもむちゃくちゃな仕事の実態。休める日もほとんどなく残業も月におそらく100時間はずっとこなしていただろう。今頃文科省は学校教員の残業をなくすよう改めて対策を立てるなどと言っているが、事実上不可能に近いだろう。私の場合などわずか月に4%の特別勤務手当で膨大な残業をしてきたのだ。要はろくに休めない状況の中で体を壊さない方が不思議だった。そういった意味ではある意味、職業病と言っても間違いないだろう。齢を取ってこんな事態になってしまって、今や元にもどることはできない。あちこちボロボロの状態で、このまま齢を取って死んでいくということになるだろう。結局は自分の中にもう少し、いい加減さというものがあって、それをもっともっと行使すれば良かったかと思う。必要だからと言って、かつては日曜日だけが休日だった頃、当たり前のように学校に行ってクラブ指導や教材研究や教材作りなどをしていた。土日が休みになってもほとんど変わらず。ある程度年齢が行くと、さすがに体がきつくなってきて部活指導をかなり減らした。それでも休日に練習試合や公式試合があれば行かざるを得ない。たとえ試合が半日であっても、結局は1日がかりになってしまう。

 今や全国で教員不足が深刻になっているという。当然だろう。マスメディアが教員の仕事の大変さを報道し始め、しかも残業代がないというのが当たり前で、特金手当でごまかされている。いわば教員一人一人の好意を利用して教育が成り立ってるような実態なのだ。当然 若いものは教員を志願しようとする気にはならないだろう。こうして今や教員採用試験の競走倍率は信じがたいほど下がってしまった。私の場合中学校だったが、今や3倍から4倍の競争率。私が採用された年は中学校社会科の分野で、競争率は何と336人受験して採用されたのがたったの2人。実に168倍の競争率だった。よくぞ採用まで行けたと思う。当時は全体的な競争率もかなり高かった。平均すれば10倍以上はあっただろう。

  でも定年まで働いてきてもう体が持たない、などと思ったことも何回かある。あとは周りのサポートもあって、そしてまた生徒たちの応援もあって、何とかやって来れたというのが正直なところだ。または現職中に突然死亡する先生もいたりして、それはそれで大きな衝撃だった。こんな多忙な中で死んでしまうというのも正直わからないではなかった。

 まあこんなことを今更言ったってしょうがないが、それにしても今現在の教員志望離れが非常に気になる。また現職教員が起こす様々な犯罪も間違いなく急増している。明らかに教員の質的な低下があるとしか思えない。神戸市で起こった小学校での、教員による教員へのいじめ問題などというびっくりするような事件さえ起こるんだから、もう何をどう言っていいのかわからないくらいだ。

 とりあえず転移だけ気をつけて、あとは無理をせず心を落ち着けて、ゆったりと過ごせるようにしていこうかと改めて思うところだ。

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