『吉祥院天満宮
祭神として菅原道真を祀り、洛陽天満宮二十五社の一つに数えられている。社伝によれば、道真の祖父清公が、邸内に一宇を建立し、吉祥院と名付けて菅原家の氏寺としたのが当社の起こりで、承平四年(九三四)、朱雀天皇が自ら道真の像を刻み、この地に社殿を築き道真の霊を祀ったことから、吉祥院天満宮と呼ばれるようになったと伝えられている。
吉祥院は道真誕生の地として有名で、境内には、道真が参朝の時に顔を写したといわれる「鑑の井」や道真のへその緒を埋めたと伝えられる「菅公胞衣塚」など道真ゆかりの遺跡が残っている。
また、この地は、古くから六斎念仏が盛んに行われていた所で、今も吉祥院六斎念仏踊として継承されており、国の重要無形民俗文化財に指定されている。毎年、四月二十五日の春祭と八月二十五日の夏祭には、境内の舞殿でこの伝統芸能が奉納される。
京都市』
(駒札より)
『創建由緒
当宮は、菅原道真公がおなくなりになって31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公御誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮である。これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつった。これが吉祥院の由来で地名の起源となっている。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」をはじめ、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがある。』
(パンフレットより)
吉祥院天満宮へ行く。ネットの写真で境内に梅の花が写り込んでいるのを見つけ、早速 訪れてみた。こちらへは2回目の拝観となる。平日とあって人は少ないものの、参拝に訪れる人はポツンポツンとあまり途切れることなくやってくる。たまたまこの日は併設される幼稚園の卒園式で、小さな子たちが正装して賑やかにしていた。保護者も略礼服などでやってきていた。
平安時代に菅原道真が亡くなった後、当時の朱雀天皇の勅命によって創建されたという。元々この辺りは菅原道真が生まれた地域となっており、ここに創建されていわば最初の天満宮として誕生した。そういった点では非常に由緒のある天満宮ということになる。境内にはかなり大きな黄金の牛の像が設置されていた。
いつものごとく撮影は鳥居から始める。すぐに境内に入り、主要な建物などを撮影していく。本殿では拝観を済ませ、さらに境内の周囲を回っていくと、見事な紅梅が現れた。2箇所に木が伸びて、満開と言っていいのかどうかよくわからないが、つぼみのようなものと 満開の花が多数入り混じって、枝はまっすぐと伸びている。背景に本殿などの建物を入れようとしたが、角度的に難しく一部しか実現できなかった。比較的広い 境内に2本の梅の木というのは、これだけかと思いがちだが、それでも梅の色が輝くようにその存在を主張しているような感じだった。これだけの梅の花々を撮ることができれば十分に満足と言える。