東光寺
東光寺は東福寺の塔頭寺院であり、従って臨済宗東福寺派の寺院となる。東福寺のすぐ西側に位置している。大半の人は東福寺の西門から東福寺境内へ入ってしまい、東光寺の方へ向かう人はごくわずかだ。またその道を通っても山門が小さいので、見逃してしまいやすい。非公開寺院であり、年に紅葉の時期だけ公開される。
創建は南北朝時代の1311年。鎌倉幕府が少しずつ衰えを見せ始めた頃だ。当時はかなり大きな寺院であったが、後に荒廃し、廃寺寸前となる。途中再建されて少し場所も移動し、東福寺塔頭として蘇り今現在に至る。
美しい庭園を有しており、紅葉時にはそれが公開され素晴らしい風景を目にすることができる。
今回は紅葉の最盛期を過ぎてようやく訪れた。開門されており、本堂前の境内には入ることはできた。しかし内部の公開及び庭園の拝観はすでに終わっており、ごくわずかだけの空間を撮影するだけに止めざるを得なかった。境内にはやはりもみじの木があったが、ほとんど枯れ果てており、ごくわずかに赤色が見えるのみだった。やはり公開時に内部に入って、庭園の撮影をすべきであったと後悔。
光明院
『光明院
東福寺の塔頭として明徳二年(一三 九一)、金山明昶が創建した寺院であ り、桜や紅葉の季節には、特に苔が美しいことから別名「虹の苔寺」とも称される。
方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和一四年(一九三九)、重森三玲が作庭した名庭で平安式の州浜型の枯池に多数の石組を配し、大海を表す白砂に構成された三ヵ所の三尊石組から仏のごとく斜線上に立石が並んでいる。
その背後には、サツキやツツジが雲紋になぞらえて刈り込まれ、雲の上に月を形どる重森三玲設計の茶亭 蘿月庵が佇む。「波心の庭」から眺めると、蘿月庵が東の空に昇る月の姿となる。
本堂には、本尊である金造佛の釈迦牟尼佛が安置されている。
京都市』 (駒札より)
『明徳二 (一三九一)年、金山明昶の創建による東福寺の塔頭。別名「苔の虹寺」 とも称され、とくに苔の美しい新緑や紅葉時には、ひそやかな禅寺も華やぎを増す。
方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和一四年、東福寺方丈庭園と同時期に設計されたもので、三玲の初期の名作。方丈庭園とはうってかわって、平安式の洲浜型の枯池に多数の石組みを配している。寺号にちなんで光明をテーマに作庭されており、大海を表す白砂に構成された三ヵ所の三尊石組から仏の光のごとく斜線状に立石が並ぶ。
背後にはサツキやツツジの大刈り込みでダイナミックに雲紋をデザインし、その雲の上には茶余亭「蘿月庵」が佇む。 これは神語の『雲ハ嶺上二生ズルコトナク、月ハ波心三落ツルコト有り』によるもので、昭和三二年(寄付きは昭和三八年)建築の蘿月庵は窓、壁、障子を含めて月を象徴し、「波心の庭」と命名された庭から眺めれば、東の空に月が昇る姿を楽しむという仕掛けになっている。』
(パンフレットより)
光明院は創建時から東福寺の塔頭寺院として今現在に至る。鎌倉幕府が終わり、新たに室町幕府が誕生する寸前のころだ。朝廷の分裂時期を迎える中で、足利氏が権力を握り京都を中心に勢力を伸ばしていく。そんな中で禅寺としての東福寺は何箇所も塔頭寺院を建立し、一大勢力となっていく。
東福寺の南門からそのまま南へ数百m行くと光明院がある。門前に大きなもみじの木があり、盛大な紅葉が、しかも真っ赤に色づいたまま道路上にまで突き出しているので、すぐにわかる。この山門の部分だけでも撮影する値打ちがある。ちょうど若い女性の2人組が、この門の前でそれぞれポーズをとってスマホで撮影していた。そういった意味では、拝観料を払って内部に入らずとも、結構見栄えのするいい写真が撮れるだろうと思う。
何年か前に公開時に中に入っているので、今回は2回目となる。やはり紅葉の最盛期を過ぎているので、どうかなとは思ったが、こちらは予想に反してまだまだ十分な見頃と言えるほどだった。近代に作庭された庭園は、平安時代や江戸時代などのかつてのものとは違って、昭和の時代の新しい感覚で造営されたものであり、見る人が見ればその違いや訴求しているものが分かるだろうと思われる。全く素人の私ではその辺りはよくわからない。庭園と言われれば何でも彼でも枯山水式の庭園と思ってしまう程度だ。
方丈から見る庭園は、様々な構図からその様子を変化させ、そういった点ではどこからどう撮るのか、という楽しみがある。本来ならば時間をかけて、じっくりと気に入った構図を見つけたいものだが、やはりそこそこ人が来ているので、なかなかチャンスが訪れない。どうしても十分気に入ったということなく、まあこのあたりでいいだろうと妥協しながら、撮影してしまうのが、いつものパターンだ。しかしやはり、庭園の中の緑と赤と黄色の様々な色がお互いを主張しあう場面、というのはさすがに見応えがある。
光明院はれっきとした紅葉の名所と言われる。ただ大御所の東福寺の境内の外側にあるということで、なかなかここまでわずかな距離ではあるものの、やってくる人が少なめとなる。せっかく東福寺に来たのならば、周囲の何箇所かの塔頭寺院の中には、このように公開されるところがあるので、是非とも内部拝観をするのがいいだろうと思う。
東光寺は東福寺の塔頭寺院であり、従って臨済宗東福寺派の寺院となる。東福寺のすぐ西側に位置している。大半の人は東福寺の西門から東福寺境内へ入ってしまい、東光寺の方へ向かう人はごくわずかだ。またその道を通っても山門が小さいので、見逃してしまいやすい。非公開寺院であり、年に紅葉の時期だけ公開される。
創建は南北朝時代の1311年。鎌倉幕府が少しずつ衰えを見せ始めた頃だ。当時はかなり大きな寺院であったが、後に荒廃し、廃寺寸前となる。途中再建されて少し場所も移動し、東福寺塔頭として蘇り今現在に至る。
美しい庭園を有しており、紅葉時にはそれが公開され素晴らしい風景を目にすることができる。
今回は紅葉の最盛期を過ぎてようやく訪れた。開門されており、本堂前の境内には入ることはできた。しかし内部の公開及び庭園の拝観はすでに終わっており、ごくわずかだけの空間を撮影するだけに止めざるを得なかった。境内にはやはりもみじの木があったが、ほとんど枯れ果てており、ごくわずかに赤色が見えるのみだった。やはり公開時に内部に入って、庭園の撮影をすべきであったと後悔。
光明院
『光明院
東福寺の塔頭として明徳二年(一三 九一)、金山明昶が創建した寺院であ り、桜や紅葉の季節には、特に苔が美しいことから別名「虹の苔寺」とも称される。
方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和一四年(一九三九)、重森三玲が作庭した名庭で平安式の州浜型の枯池に多数の石組を配し、大海を表す白砂に構成された三ヵ所の三尊石組から仏のごとく斜線上に立石が並んでいる。
その背後には、サツキやツツジが雲紋になぞらえて刈り込まれ、雲の上に月を形どる重森三玲設計の茶亭 蘿月庵が佇む。「波心の庭」から眺めると、蘿月庵が東の空に昇る月の姿となる。
本堂には、本尊である金造佛の釈迦牟尼佛が安置されている。
京都市』 (駒札より)
『明徳二 (一三九一)年、金山明昶の創建による東福寺の塔頭。別名「苔の虹寺」 とも称され、とくに苔の美しい新緑や紅葉時には、ひそやかな禅寺も華やぎを増す。
方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和一四年、東福寺方丈庭園と同時期に設計されたもので、三玲の初期の名作。方丈庭園とはうってかわって、平安式の洲浜型の枯池に多数の石組みを配している。寺号にちなんで光明をテーマに作庭されており、大海を表す白砂に構成された三ヵ所の三尊石組から仏の光のごとく斜線状に立石が並ぶ。
背後にはサツキやツツジの大刈り込みでダイナミックに雲紋をデザインし、その雲の上には茶余亭「蘿月庵」が佇む。 これは神語の『雲ハ嶺上二生ズルコトナク、月ハ波心三落ツルコト有り』によるもので、昭和三二年(寄付きは昭和三八年)建築の蘿月庵は窓、壁、障子を含めて月を象徴し、「波心の庭」と命名された庭から眺めれば、東の空に月が昇る姿を楽しむという仕掛けになっている。』
(パンフレットより)
光明院は創建時から東福寺の塔頭寺院として今現在に至る。鎌倉幕府が終わり、新たに室町幕府が誕生する寸前のころだ。朝廷の分裂時期を迎える中で、足利氏が権力を握り京都を中心に勢力を伸ばしていく。そんな中で禅寺としての東福寺は何箇所も塔頭寺院を建立し、一大勢力となっていく。
東福寺の南門からそのまま南へ数百m行くと光明院がある。門前に大きなもみじの木があり、盛大な紅葉が、しかも真っ赤に色づいたまま道路上にまで突き出しているので、すぐにわかる。この山門の部分だけでも撮影する値打ちがある。ちょうど若い女性の2人組が、この門の前でそれぞれポーズをとってスマホで撮影していた。そういった意味では、拝観料を払って内部に入らずとも、結構見栄えのするいい写真が撮れるだろうと思う。
何年か前に公開時に中に入っているので、今回は2回目となる。やはり紅葉の最盛期を過ぎているので、どうかなとは思ったが、こちらは予想に反してまだまだ十分な見頃と言えるほどだった。近代に作庭された庭園は、平安時代や江戸時代などのかつてのものとは違って、昭和の時代の新しい感覚で造営されたものであり、見る人が見ればその違いや訴求しているものが分かるだろうと思われる。全く素人の私ではその辺りはよくわからない。庭園と言われれば何でも彼でも枯山水式の庭園と思ってしまう程度だ。
方丈から見る庭園は、様々な構図からその様子を変化させ、そういった点ではどこからどう撮るのか、という楽しみがある。本来ならば時間をかけて、じっくりと気に入った構図を見つけたいものだが、やはりそこそこ人が来ているので、なかなかチャンスが訪れない。どうしても十分気に入ったということなく、まあこのあたりでいいだろうと妥協しながら、撮影してしまうのが、いつものパターンだ。しかしやはり、庭園の中の緑と赤と黄色の様々な色がお互いを主張しあう場面、というのはさすがに見応えがある。
光明院はれっきとした紅葉の名所と言われる。ただ大御所の東福寺の境内の外側にあるということで、なかなかここまでわずかな距離ではあるものの、やってくる人が少なめとなる。せっかく東福寺に来たのならば、周囲の何箇所かの塔頭寺院の中には、このように公開されるところがあるので、是非とも内部拝観をするのがいいだろうと思う。