切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 追悼、 ベニシアさん・・・『猫のしっぽ カエルの手』》   2023.6.28

2023-06-28 22:58:09 | 日記
 1週間前、ベニシアさんが亡くなられたとの報道が、新聞及びネットニュースで流された。おそらくテレビのニュースでも流されていたのではないかと思うが見ていない。地元の京都新聞ではかなり大きく取り上げられていた。享年72歳。私と同世代だ。まだまだ若いが、亡くなられたことに非常に残念に思うと同時に、哀悼の意を示したいと思う。

  

 彼女の番組はNHK のEテレビで拝見していた。表題の通り『猫のしっぽ カエルの手』という風変わりなタイトルで、一体何の番組かと思って見たのが最初だった。京都大原の里で古民家で暮らしている様子が、静かな雰囲気でのんびりと撮影され、それが放映されていた。彼女の肩書きはハーブ研究家ということになっているが、英会話学校の創立者でもあり、今でもその教室は開かれている。

 番組そのものはEテレビにおいては、2013年4月からスタートしている。30分ものだ。 1回目を見た時から何か妙に惹かれるものがあり、その後毎週見ていた。ちょうど 日曜日の夕方の放送だったのでほとんど見ることができたが、見られない時には深夜 の再放送で見ていた。当時はすでに定年退職後であったので、夕方の時間的な余裕はそこそこあったものの、親の介護等のことでしょっちゅう病院へ運んだり様々なことで、思いのほか忙しく、精神的な負担も色々あったものの、この番組を見ると何か妙に落ち着いてほっこりした気分になれたのを覚えている。

 撮影スタッフはいつも同じで、月に1~2回訪れては庭の様子や家の中の様子を撮影し、ご主人は仕事で不在なことが多く、時々近所の人が遊びに来たりしていた。その様子が大原の里のゆったりした自然とマッチしていて、ただただ見ているだけで落ち着けるような雰囲気があった。その辺はやはりイギリス人らしい落ち着きと名門の家出身の何か気持ちの大きさのようなもの、気品さがあって、何ら慌ただしさのないご本人のゆったりした性格が、生活そのものにも現れていて非常に好感が持てたものだ。

  ベニシアさんはイギリスの名門の家に生まれ、いわば お嬢様教育を受けざるを得なかったようだが、女子高を卒業した後は生活に馴染めなかったのか、 1人家を出てバックパッカーとなりインドなどで生活した後、日本にやってきた。当初は東京など大都会で生活していたようだが、日本人との結婚を機に東京 離れ、最終的に京都にやってくる。英会話学校を設立しその後、大原の里に古民家を見つけてそこで暮らす決意をして、最後までこの地で暮らした。ご主人には「私は死ぬまでこの場所にいる。」というようなことを言っていたようだ。そういった意味ではきっと本望だったろうと思う。

 近所の人たちが訪ねてくると当然、ハーブティーを出して日本語でおしゃべりを楽しむ。そして何年ぶりかでイギリスに住む家族が遠路はるばるやってくるシーンもあった。様々な人間関係の中で、ハーブを大事に育てながら生活している様子は、ある意味 人として理想的な形なのかもしれない。何もかもが忙しくめくるめくような日々の中で、体がしんどいとか疲れたとか言っているのではなく、やはりゆっくり暮らせればそれに越したことはないだろう。

 晩年は体調を崩し介護施設などで生活もしていたようだが、最終的には古民家の自宅で亡くなられたとのこと。きっと番組は NHKで再放送されると思う。人としてこんな生き方もあるんだという意味で、是非見ることをお勧めしたい。人間本来の生活のあり方の一つとして、部分的にでも十分参考になるものがあるだろうと思う。

 イギリスという日本から遠いいわば第2の故郷で人生を全うしたということは、これも何かの縁だろう。やはりその人柄に近所の人たちだけではなく、テレビ番組を見て遠くから訪ねてくる人もかなり多かったと言う。いろんなことを考えさせてくれる人だったと言える。


  (画像は京都新聞、NHKより)

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《 ゼロゼロ融資、返済・・・腑に落ちない 》   2023.6.25

2023-06-25 23:57:52 | 社会
 2020年、コロナ禍で業績悪化に苦しむ自営業者や中小企業に対して、政府はいわゆる「 00(ゼロゼロ)融資」の政策を始めた。当然のことながら膨大な数の申し込みがあり、総額 約43兆円に上るという。そしてその政策は20年度内中に終了し、この5月から返済が開始されるという。このニュースを今日テレビで見た。

 まず「00融資」などという言葉は初めて聞いた。いつも新聞やネットニュースなどを気をつけて読んでいるつもりだったが、経済面は苦手ということもあって見逃していたのか、 あるいはニュースでもあまり報じられていなかったのか。理由はわからないがとにかく私自身はこういった政策があったのを全く知らなかったのだ。そして今日ニュースでごく短い 説明がなされていた。女性アナウンサーが顔色ひとつ 使えずに「返済が始まる。ウクライナ問題も含めて物価高の煽りを受け、返済が困難になっている企業が予想以上に増加し、返済不可能な事例が発生する模様だ。その分は国民の負担になりそうだ・・・」といった趣旨のことを述べていた。



 これは一体どういうことだということで、少しだけ調べてみた。コロナにより特に中小企業や個人経営者は窮地に立たされる状況に陥り、そこで政府は国の金融機関を使ってこの 00融資を始めた。 つまり担保 0、 利子0というものだ。借り手にとってみればこんなに嬉しいことはない。窮地を救ってくれる政策としてよくぞやってくれたという思いだろう。もちろん借りられたからには同額返さなければならない。あくまでも利子は0なのだから、 5000万円借りたら5000万円返せばいいというものだ。個人業者等には最高で6000万。中小企業においては3億円という上限で融資が受けられる。しかし最初は政府系の金融機関が取り扱っていたものの、あまりにも希望が殺到し途中で各都道府県の民間金融機関にもその取り扱いの枠を広げた。もちろん同じ条件だ。
 
 民間の金融機関は当然ながら、ある程度の希望企業の審査を行う。普段の金融取引であればこの審査はかなり厳しく、融資不可となるケースも多いだろう。ところが利子 0では金融機関も納得ができないので、1,数パーセントの利子を政府が肩代わりして払うという制度としてスタートしている。なんと国が利子の分を払ってくれるのだ。こんなに美味しい話はない。つまり金融機関は何がどうあれ、消して損をすることがないような仕組みが国によって保証されているのだ。こんな優遇措置、ありなのか。当然こうなると仮に融資した企業が倒産しても貸し倒れにならず、場合によっては国がその分を支払ってくれるということなので、いくらでも融資するだろう。当然のことながら対象企業に対する審査は甘くなる。実際にそんなケースも出てきているようだ。つまり不正も出てきているようだ。

 融資を受けた個人事業主や中小企業にとってみれば、本当にこれで助かったところも多いだろう。これによって業績が回復し無事に返済も可能となるというところも多い。ところが 現実問題としてはコロナ禍に加え、途中で物価高が大きくのしかかってくる。 1000万円融資を受けたものの予定していた設備投資に、物価高によって 1500万円かかってしまったといった事態が多発したのだ。そのために企業倒産などの事態があちこちで起こってくる。政府としては最初の目論見としてコロナ禍による損害を保証しようということで始めたものの、ウクライナ問題などの想定外のことも含めて予想以上の物価高に結局、対応できない状態になってしまったわけだ。



 その結果詳しいことは私はよくわからないが、本来ならば貸した方の金融機関の不良債権となるものが、このケースの場合では国が保証してくれると言った形で、民間金融機関は何ら痛くも痒くもない。ではその政府が金融機関に支払う利息の分は、そして不良債権になるはずのものの保証金はどこから出るのか。これが今日のニュースによると「国民の負担」になるケースが出てくるといったものだった。

  つまり国民の税金で解決しようなどという発想自体がおかしいのではないか。もちろん 中小企業等を援助するという意味ではいいものだとは思うが、その処理の仕方について本来どのようにすれば良いのかという議論は国会でなされたのかどうか。少なくとも私は聞いたこともない。あるいはどこかの省庁のつまり経産省の専権事項なのか、あるいは内閣の独自の判断で決めても良いことなのか。一体どこでどうなっているのかがさっぱりわからない。

 国民の税金を使って処理しようとするならば、その前にやるべきことがあるはずだ。例えば先日終了した国会において本来ならば、国会議員一人一人に支給されている「 文書交通費」月額100万円という領収書のいらないあぶく銭を論議することになっていたのに結局、何もせず国会は終わってしまった。つまり国会議員どもは自分たちの損になることを考えようともしない。何でもかんでも国民に押し付ければいいと思っている。今後5年間の防衛費も一気に2倍に引き上げられ、 43兆円となった。財源はどうするのか。国債だけで済むはずがない。これも一部は、あるいは半分 かもしれないが、増税で賄うのは目に見えている。何という 無責任なやり方だ。ただでさえこの30年、日本の経済は成長が横ばい状態で賃金も上がらず当然、年金も上がらないどころか、そこからたくさんの税金を引かれて手元に残ったわずかなお金で暮らさなければならない。特に国民年金だけの生活者は月数万円の生活費ということになる。やっていけるわけがない。国家予算においてももっと 削れるところがあるはずだ。防衛費 43兆円ではなく、なぜ2倍である必要があるのか。 2倍にしたら防衛能力が高まって日本は中国に勝つとでも言うのか。そんなわけないだろう。

  日本の様々な経済指標は相当下がりつつある。書店に行っても経済学者が書いた書物において、今後の日本経済の先行きが厳しいと言った内容のものが結構出ている。超低金利政策をずっと続けてきた結果、国民の賃金はお隣の韓国にも抜かれ相対的な位置は下がるばかりだ。当然経済格差も大いに進み、超富裕層と中間層、そしてかなり多くの低所得層といった具合に分断されていく。低所得層の人々がこれから生活をしていく上で、ますます厳しい実態に追い詰められていくのは明らかだ。

 とにかくあれもこれも国民への増税で元を取るなんていうやり方は止めてもらいたい。この間の物価高で独居 じいさんである私も食費が見事に高騰しており、今では先に値段を見てから買うものを決めている状態だ。 1ヶ月に1回か2回は牛肉の細切れを買うといったあたりがちょっとした贅沢。昼食はコンビニのおむすび 1個だけ。必ずしも低所得者というわけではないが、貯金は目に見えて減っていく。まあ貯蓄が0になる前におそらくあの世に行くだろうが。高給取りの超裕福国会議員様には、国民の苦しみは絶対にわからないだろう。

 なんだか中途半端な文章になってしまった。私の経済に関する知識が豊富であればもっと色々書けるんだろうが、何分にも素人で上記文章にも何か誤りがあるかもしれない。

  (画像はTVニュースより)
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妙真寺~三縁寺・・・羽束師地区     京都市伏見区    2023.6.19 訪問

2023-06-23 22:01:18 | 撮影
 羽束師。この地域は京都市南部の桂川沿いから乙訓地域の間に位置する。この地名が登場するのは奈良時代までさかのぼる。平城京から長岡京へ遷都された後、その長岡京の南部に入っていた。しかしわずか10年で平安京へ遷都されることになる。新たに平安京の時代になってもこの地域は、農業に適した土地柄であり、平安京において農産物供給になくてはならない土地として開墾が進められ、またこの当時からの長岡京や平安京における土地区画が進められており、今現在もそれが農道や細い住宅街路として残されている。近年はJR や新幹線、国道171号線、あるいは外環状道路などに挟まれており、住宅街の広がりが進んでいて様々なスーパーやドラッグストアなど発展が著しい。そんな中にいくつかのお寺があり、歴史の古い神社も存在している。数あるお寺の中で今回は2箇所を紹介。


妙真寺

 

 戦国時代の終わり近くになって創建された。当初は浄土宗のお寺であり妙法寺という名前であったが、後年日蓮宗に変わり名前も妙真寺となる。同時に近くにあったお寺を吸収している。日蓮宗のお寺ということで本尊は曼荼羅ということになる。境内には源通親の妻の墓がある。源通親は当然、源氏一族の人物であり、平安終わり頃から鎌倉時代にかけて、要職についていた大臣だ。彼は当時久我通親とも呼ばれており、奈良時代からこの一帯を治めていた久我氏の名前がつけられて呼ばれていたようだ。
 周辺に田畑から広がっているだけに、お寺の敷地は思いのほか広く、境内もそこそこある。ただ全体的に緑が少なくそういった意味では、全体にすっきりした雰囲気だ。本堂等の建物はごく普通と言った感じがする。

       


三縁寺

  

 桂川の堤防道路沿いにある。浄土宗のお寺で創建は明治43年、1910年だ。もともとは羽束師地域の桂川防波堤が破損した時に、新たにお寺を再建するために3箇所あったお寺を1箇所に集約して三縁寺としたものだ。従って山門を始め境内、あるいは石柱、本堂の建物などなど全てが新しい。そういった意味では歴史的な古さというものはほとんど感じられないと言える。かつてこの地域は桂川の氾濫などによって水害がよく発生したところでもあり、 川のすぐ近くのお寺などは様々な被害を受けていたようだ。お寺全体としては非常に落ち着いた雰囲気だ。


    
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連光寺・尊超寺・一念寺・法輪寺・・・西本願寺門前町 京都市下京区 2023.6.16 訪問

2023-06-20 21:45:02 | 撮影
 西本願寺の前には堀川通りが走っており、その東側は一帯がいわば西本願寺の門前町となっている。もともと本願寺は大阪に設けられたが、後に京都に移り今現在の大谷祖廟の辺りに建立された。浄土真宗の信者数が全国で大幅に増え、その本山も力を増すことになる。 それが当時の権力者にとってみれば都合が悪いことだということで、本願寺勢力の分散を図ることが一つの課題だった。秀吉が本願寺を二つに分けて場所を移動させ、それを受け家康が今現在の位置に東西本願寺を建立させることになった。これが江戸時代初期のことだ。従って西本願寺の東側の門前町の小さな多数のお寺も、この頃あるいはこの後に創建されたものが多いと思われる。当然のことながらそれらのお寺は基本的に浄土真宗西本願寺派のお寺ということになる。
 下記の四か所のお寺を回ったがいずれも由緒についてはよくわからない。一部のお寺についてはネット上に情報があったのでそれに基づいた内容を記しておく。

連光寺

   


尊超寺

   


一念寺

 創建は戦国時代の1528年。今現在とは別の場所に建てられている。江戸時代中期の1751年に現在近くの門前町に移転。さらに明治維新の時に少し南側へ移転して現在地。この場所は本願寺の富島頼母の屋敷があった土地であり、その屋敷の雰囲気を今現在に伝えている。 なお彼は新選組を撃退したことで知られている。

   


法輪寺

 本願寺の門主、准如上人の勅願によって1624年創建された。西本願寺の塔頭寺院。法輪寺の住職は代々江戸の築地本願寺の輪番としても赴任しており、学問にすぐれ教義を学ぶ 学林にも関わってきた歴史を有する。


   
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本光寺・・・「七条油小路の変」   京都市下京区     2023.6.12 訪問

2023-06-17 23:16:48 | 撮影
 

『伊東甲子太郎外数名殉難の地

伊東甲子太郎は常陸(茨城県)の出身で、学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。
 元治元年(一八六四)に門弟ら七人を率いて新選組に入隊し、参謀として重視された。
 しかし、尊皇派であった伊東は、次第に隊長近藤勇と相反するようになり、慶應三年(一八六七)三月に同士十五人とともに新選組を脱退して御陵衛士と なり、高台寺月真院を屯所とした。その後、薩摩藩の援助を受け、盛んに討幕を説いた。
 しかし、新選組との対立は深く、同年十一月近藤勇らは、伊東を招いて酒をふるまい、酔った伊東をその帰路、この地で刺殺した。
 この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆け付けたが、待ち伏せしていた新選組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られた。
 世にこれを油小路七条の変という。
    京都市』   (駒札より)

 

 本光寺はJR京都駅の北西の方角、すぐのところにある。日蓮宗のお寺だが創建の詳細についてはよくわかっていない。江戸時代の初期に僧、日尭によって創建されたと伝えられている。周囲は京都駅近くということもあって、ビルが建ち並ぶ中のわずかな住宅や商店が並ぶような油小路通り沿いになる。門の幅は狭く奥行きが少し長いものの、全体として敷地は狭くて境内そのものも狭い方となる。ちょうど紫陽花が花開いていた。
 このお寺が有名なのは駒札にもある通り、「油小路七条の変」という事件による。幕末に徳川の政権もかなり弱っており、幕府軍とそれを倒すべく尊王攘夷・勤王の志士・佐幕派たちによる争いが、京都を中心に各地で勃発するようになる。そのような不安定な状態の京都において尊皇攘夷を見張る新撰組が結成され、伊東甲子太郎が近藤勇の考え方に賛同し入隊する。しばらくは参謀役として活躍したものの、次第に考え方の食い違いにより伊東は新撰組を脱退。このことを新選組は許さず、本光寺近くの路上で伊東を刺殺。この連絡を受けた伊東たちの仲間も駆けつけたものの新選組の襲撃に あった。

  

  伊東甲子太郎を幕末期の新撰組の一員として取り上げているような本は、あまりないだろう。また学校の教科書にも、それが高等学校のものであっても取り上げているようなものはないと思われる。そういった意味では尊王攘夷及び佐幕派の武士たちとの争いにとって、小さな一つの事件だったのかもしれない。したがって伊東やこの事件の名前を知ってる人は少数派だろう。だが幕末期の動乱において詳細な研究をしている人々にとってみれば、こうした事件の与えた影響も無視できないものとして捉えられているのではないかと思う。京都は都があっただけに、幕末期の様々な出来事に関わる石碑などがあちこちにある。また戦いの中で若くして命を失った勤王の志士たちの墓もあちこちのお寺にある。

 
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