8月の下旬だというのに猛暑日が続く。京都においては 37日間連続の猛暑日で、これは観測史上新記録になるという。私は隣の宇治市だが同じようなものだ。運転していて車外温度はやはり36°cから37度を示していた。高齢者になっているので気温が35度を超える場合には、お寺や神社の撮影は中止にしている。そういうわけでもう1ヶ月以上撮影していない。従ってこのブログにもアップすることができない。今日の天気予報を見ていても9月に入ってからも、京都においては猛暑日がずっと続くようだ。異常気象の程度というのがますます高まっている。こんな調子で本当に将来どうなるのか。
前回のブログから1週間経つが、その前回の内容について誤りがあった。友人が指摘してくれた。1つは co2の問題で、全世界の牛の飼育場において牛がする ゲップの中にco2が大量に含まれていると記したが、これは誤りでメタンが大量に含まれているのだった。そしてこのメタンも温暖化の極めて大きな原因になるということだ。2つ目は日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題について。それを是正しようと日大OB のコーチを辞めさせて、関西学院大学から新たなコーチを迎えたと記したが、これは立命館大学の事務職員の方がかつてアメリカンフットボールの選手であったことから招かれたということだった。この2点、元大学教授の友人が教えてくれた。感謝です。
◆ アメリカ、ヘイトクライム。黒人3名射殺事件
日本でも日々の暑さが身にこたえる有様だが、これはヨーロッパにおいてもアメリカにおいても同じような状態なんだろう。先日アメリカ合衆国南部のフロリダ州において、20歳代の白人青年が拳銃とライフル銃を持って、歩行中の黒人の男性2人女性1人を射殺したというニュースが流れた。加害者の青年はその場で自殺したということで、結局原因追求はできないまま終わった。しかし報道によると、この青年は日頃から黒人へのヘイト発言を繰り返し謂わば白人至上主義者のような振る舞いが目立ち、家庭内でも黒人に対する憎しみのような発言が繰り返されていたという。
そして事件の当日、青年が銃を持って外出したのを見た父親がすぐに警察へ連絡したが、時すでに遅く青年は黒人3名を射殺してしまったのだ。こういう点から今も根強く残るアメリカ合衆国内における黒人差別の実態というのが、連綿と続いているということを証明してしまったことになる。
私は現職時代、社会科の授業において当然のことながらアフリカ、そしてアメリカの黒人について、教科書に掲載されている範囲内で教えていたが、これでではとても差別の実態など理解ができないだろうということで、少し深掘りして勉強した上で資料を揃えて授業したことを思い出した。いわばアメリカ合衆国に居住している黒人たちが、どのような歴史的な変遷を経てアメリカに数多く住んでいるのかということだ。何冊かの本のうち実際に差別を体験した黒人本人が書いた書物も読んだ。我々日本人からすれば信じがたいような凄まじい 差別というのが伝わってきた。無論歴史的に見ればアメリカ合衆国が最初に黒人を受け入れたわけではなく、ヨーロッパの帝国主義国が最初だ。ドイツやフランス、イタリア、スペインなど今では人権云々の国々と言えるが、当時は黒人を連れてきて役に立ちそうな者を労働力として散々利用し、連れては来たものの体が弱った者は、上陸前に全て虐殺したという。 そういった意味ではヨーロッパにおいても暗黒の歴史があるわけだ。
アメリカでは20世紀に入ってからも黒人たちは、自らの努力の中でスポーツの世界、エンターテイメントの世界で活躍を始め、中には人気を博する者も出てくるが、やはりどんなに有名になっても差別そのものは全く変わらない。第二次世界対戦後になって、アメリカ合衆国における公民権運動が、最終的に白人たちをも巻き込んで大きなうねりとなり、キング牧師の有名な演説へとつながる。無論この後もキング牧師の暗殺だけではなく、様々な形での差別行為はずっと続くことになる。私も新たに戦後の黒人差別についての本を読んで、根本的に差別そのものが払拭されるには、やはり100年、 200年という単位が必要だなということをを感じざるを得なかった。おそらくこれからも白人至上主義者たち、あるいは表向きは消滅したと言われるが暗躍していると言われる KKK団の活動も続いているという。そんな中で黒人への差別的な殺戮事件が、ただ単に一般白人だけではなく、白人警察官による過度な力ずくでの逮捕時の死亡事故。これはもはや殺人と言ってもいいだろうが、こういったことは間違いなく続いていくだろう。
アメリカでは表向きは、例えばアカデミー賞の受賞者に黒人がほとんどいないとかアジア系はゼロだとかいうことで、それが問題になり韓国映画がアカデミー賞を受賞したりする動きなども現れてきた。それに対する反対意見もある。実際にアカデミー賞に該当するほどの出来栄えなのかどうかを問う声もあるのも事実だ。あるいは大学に黒人優先の枠が設けられているなどということも逆差別ではないか、などという声もあちこちから上がっているという。そういった意味でヒスパニック系も含めアジア系も含め人種のるつぼと言われるアメリカの中での差別問題、というのはそう簡単に解決に至るような問題ではないと言えるだろう。
◆ 日本の中に潜む差別根性
この日本ではどうなのか。日本においては江戸時代以前からの差別問題というのが今現在に引き継がれ、一部に部落差別問題としてはっきりと残されてきた。一時は差別反対の抗議活動が武力を伴うような形で展開され大事件になったケースもいくつもある。私も学生時代にその当事者から生々しい話を聞いたこともある。そういった意味では日本でも、同じ日本 人種の内部でも起っているのに対して、さらに近隣諸国、特に隣国の韓国に対する差別意識というのは極めて無視できないものがある。
YouTube などを見ていると、「日本素晴らしい」「日本はすごい」といった趣旨の動画が数多くアップされており、そこに寄せられたコメントも、どんな根拠があるのか知らないが、日本礼賛のオンパレードだ。その反面韓国がいかに劣った国なのか、そしていかにモラル的にも低い国なのかということが、これでもかというほど強調された動画が、これも大量にアップされている。れっきとした韓国への侮辱、いじめだ。ここには日本人は優秀であり 民族としてのレベルが違うと言った上から目線、思い上がりの韓国を徹底的に馬鹿にした内容が、これでもかというほどに次から次へと作り話なのかどうなのかよくわからないような内容のものが、本当に多い。もちろんコメント欄は「そうだそうだ。韓国は低レベルの野蛮な国だ」なんて主旨の発言も本当に多く目立つ。これを見て日本人の島国根性の精神的レベルの低さが否応にも分かってしまう。あれこれあげるともうきりがないので、ここでやめておくが、1つだけ最近起こった例で気になったものをあげておく。
最近大きく話題になった日本国内での事件で、韓国の人気 DJ である DJ SODAさんのことがあった。大阪府の衛星都市で開かれたイベントに彼女が登場し、多くの人が集まって大変な人気だったという。そしてイベントが終わった時に彼女は少し高い台に上がって、お客さんのすぐ目の前でお礼を言おうとしたところ、数人の男性及び女性から胸を触られ驚いて その場を離れてしまったという。主催者側も決して許されるべきことではない。明確なセクハラとして刑事告発するという姿勢で臨んだ。警察も受理して操作が始まる。しかし直接 彼女に触った該当者が自分から名乗り出頭した。結果的に3人とも明らかになった。あまりにも騒ぎが大きくなり、ビデオなども撮られていたので当然、逃げ切ることはできないだろうと考えたのか、あるいはそれ以前にやはり悪いことをしてしまったということで自首してきたのか。そのあたりは分からない。
まあこれで一件落着になったのかどうかは知らないが、一応良かったということになるだろう。ところが問題はその次だ。この出来事に対して SNS 上では様々な意見が溢れ特に気になったのが「 DJ SODAさんが露出の大きい衣装を着ているから触られることになるんだ」と言った主旨の投稿が一定数確認されている。つまり触った方が悪いのではなく、原因を作ったのは DJ SODAさんであり、そちらの方が問題なのだという言い方だ。何ともまあびっくり。こんな発言が SNS 上で匿名性のある場で公然と書かれるというのは情けない以外の何者でもない。そしてもしこれがアメリカ人やヨーロッパの有名歌手が同じような形で人々の前に立って、最後お客さんに近づいて挨拶した場合に同じことが起こるんだろうかと考えた。
もちろんいろんな意味での有名人は、セキュリティ上の問題からガードマンが付くケースが多いがしかし、それを仮に無視したとしてもやはり、相手が韓国人であったからたやすく 胸を触ったというのがあったのではないか。日本人というのは上でも記したように島国根性的な閉鎖的な、と同時に同調圧力的な体制順応型の人が多いように思われる。そういった点から昔から韓国人に対する差別意識というのが延々と続いており、今回の事件にもそういった背景が人々の気持ちの奥底にあったのではないかと考えてしまう。
日本人の中にも韓国が大好きな人は多い。これはお年寄りでも若者でもそうだ。何度も韓国に旅行に行って名所や美味しいものを楽しんでいる。あるいは日本にあるコリアタウンなどに大勢の日本人が美味しいものを食べに行って満足している。また韓国ドラマが大きな話題になって熱心に見ている人も大勢いる。若い人たちは K - POP に大きな拍手喝采を送る。そういったところからは、いいものはいいという感覚を、特に若い人たちは持ち合わせているんだろう。しかしひょっとしてそうではない人もいるかもしれないし、あるいはいいものはいいものの、いざ目の前に韓国人というものを見ると、あるいは韓国という国のことを考えると、上から目線で差別的なものの見方考え方をしてしまうような人も多いのではないかという気もする。こういったあたりは近代において、日本と韓国との関係性からくるものが極めて大きい。今頃になっ大昔の高句麗や新羅の時代はどうのこうのなんてことは考えない。秀吉の朝鮮出兵のことも別に考えない。しかし 20世紀に入って日本が韓国を併合し、同化政策を実施し韓国人を苦しめたのは事実だ。また戦後においては日本は奇跡的な経済復興を成し遂げる中で、韓国は朝鮮戦争を経験し、国が疲弊した中で軍部が中心となった政治が行われいわゆる民主主義の確立が大きく遅れたという事情もある。
こういったことを考えた時に、我々日本人としては本当に相手の国がどのような体制の国であれ、人間としてお互いに平等に尊重し合えるような関係性をどう作っていくのかということが、大きなポイントになるだろう。心の中にある差別という捉え方というのは多かれ少なかれ大半の人にあるものと思われる。そういったことがもっと明らかにされ、発信され 相互の理解のための話し合いの場の中を通して解決していくということが、今求められているのではないだろうかと思う。
まもなく 9月1日、関東大震災の日だ。 10万人が亡くなったと言われるこの震災の中で、デマを信じて普段から差別の対象であった朝鮮人を大勢で寄ってたかって虐殺したという歴史がある。虐殺された朝鮮人の数は少なくとも1500名以上という。未だに日本政府は確たる証拠がないとしてそのことを認めていない、という民主主義のかけらもないような姿勢のままだ。いい恥さらしだ。
(画像はTVニュースより)
前回のブログから1週間経つが、その前回の内容について誤りがあった。友人が指摘してくれた。1つは co2の問題で、全世界の牛の飼育場において牛がする ゲップの中にco2が大量に含まれていると記したが、これは誤りでメタンが大量に含まれているのだった。そしてこのメタンも温暖化の極めて大きな原因になるということだ。2つ目は日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題について。それを是正しようと日大OB のコーチを辞めさせて、関西学院大学から新たなコーチを迎えたと記したが、これは立命館大学の事務職員の方がかつてアメリカンフットボールの選手であったことから招かれたということだった。この2点、元大学教授の友人が教えてくれた。感謝です。
◆ アメリカ、ヘイトクライム。黒人3名射殺事件
日本でも日々の暑さが身にこたえる有様だが、これはヨーロッパにおいてもアメリカにおいても同じような状態なんだろう。先日アメリカ合衆国南部のフロリダ州において、20歳代の白人青年が拳銃とライフル銃を持って、歩行中の黒人の男性2人女性1人を射殺したというニュースが流れた。加害者の青年はその場で自殺したということで、結局原因追求はできないまま終わった。しかし報道によると、この青年は日頃から黒人へのヘイト発言を繰り返し謂わば白人至上主義者のような振る舞いが目立ち、家庭内でも黒人に対する憎しみのような発言が繰り返されていたという。
そして事件の当日、青年が銃を持って外出したのを見た父親がすぐに警察へ連絡したが、時すでに遅く青年は黒人3名を射殺してしまったのだ。こういう点から今も根強く残るアメリカ合衆国内における黒人差別の実態というのが、連綿と続いているということを証明してしまったことになる。
私は現職時代、社会科の授業において当然のことながらアフリカ、そしてアメリカの黒人について、教科書に掲載されている範囲内で教えていたが、これでではとても差別の実態など理解ができないだろうということで、少し深掘りして勉強した上で資料を揃えて授業したことを思い出した。いわばアメリカ合衆国に居住している黒人たちが、どのような歴史的な変遷を経てアメリカに数多く住んでいるのかということだ。何冊かの本のうち実際に差別を体験した黒人本人が書いた書物も読んだ。我々日本人からすれば信じがたいような凄まじい 差別というのが伝わってきた。無論歴史的に見ればアメリカ合衆国が最初に黒人を受け入れたわけではなく、ヨーロッパの帝国主義国が最初だ。ドイツやフランス、イタリア、スペインなど今では人権云々の国々と言えるが、当時は黒人を連れてきて役に立ちそうな者を労働力として散々利用し、連れては来たものの体が弱った者は、上陸前に全て虐殺したという。 そういった意味ではヨーロッパにおいても暗黒の歴史があるわけだ。
アメリカでは20世紀に入ってからも黒人たちは、自らの努力の中でスポーツの世界、エンターテイメントの世界で活躍を始め、中には人気を博する者も出てくるが、やはりどんなに有名になっても差別そのものは全く変わらない。第二次世界対戦後になって、アメリカ合衆国における公民権運動が、最終的に白人たちをも巻き込んで大きなうねりとなり、キング牧師の有名な演説へとつながる。無論この後もキング牧師の暗殺だけではなく、様々な形での差別行為はずっと続くことになる。私も新たに戦後の黒人差別についての本を読んで、根本的に差別そのものが払拭されるには、やはり100年、 200年という単位が必要だなということをを感じざるを得なかった。おそらくこれからも白人至上主義者たち、あるいは表向きは消滅したと言われるが暗躍していると言われる KKK団の活動も続いているという。そんな中で黒人への差別的な殺戮事件が、ただ単に一般白人だけではなく、白人警察官による過度な力ずくでの逮捕時の死亡事故。これはもはや殺人と言ってもいいだろうが、こういったことは間違いなく続いていくだろう。
アメリカでは表向きは、例えばアカデミー賞の受賞者に黒人がほとんどいないとかアジア系はゼロだとかいうことで、それが問題になり韓国映画がアカデミー賞を受賞したりする動きなども現れてきた。それに対する反対意見もある。実際にアカデミー賞に該当するほどの出来栄えなのかどうかを問う声もあるのも事実だ。あるいは大学に黒人優先の枠が設けられているなどということも逆差別ではないか、などという声もあちこちから上がっているという。そういった意味でヒスパニック系も含めアジア系も含め人種のるつぼと言われるアメリカの中での差別問題、というのはそう簡単に解決に至るような問題ではないと言えるだろう。
◆ 日本の中に潜む差別根性
この日本ではどうなのか。日本においては江戸時代以前からの差別問題というのが今現在に引き継がれ、一部に部落差別問題としてはっきりと残されてきた。一時は差別反対の抗議活動が武力を伴うような形で展開され大事件になったケースもいくつもある。私も学生時代にその当事者から生々しい話を聞いたこともある。そういった意味では日本でも、同じ日本 人種の内部でも起っているのに対して、さらに近隣諸国、特に隣国の韓国に対する差別意識というのは極めて無視できないものがある。
YouTube などを見ていると、「日本素晴らしい」「日本はすごい」といった趣旨の動画が数多くアップされており、そこに寄せられたコメントも、どんな根拠があるのか知らないが、日本礼賛のオンパレードだ。その反面韓国がいかに劣った国なのか、そしていかにモラル的にも低い国なのかということが、これでもかというほど強調された動画が、これも大量にアップされている。れっきとした韓国への侮辱、いじめだ。ここには日本人は優秀であり 民族としてのレベルが違うと言った上から目線、思い上がりの韓国を徹底的に馬鹿にした内容が、これでもかというほどに次から次へと作り話なのかどうなのかよくわからないような内容のものが、本当に多い。もちろんコメント欄は「そうだそうだ。韓国は低レベルの野蛮な国だ」なんて主旨の発言も本当に多く目立つ。これを見て日本人の島国根性の精神的レベルの低さが否応にも分かってしまう。あれこれあげるともうきりがないので、ここでやめておくが、1つだけ最近起こった例で気になったものをあげておく。
最近大きく話題になった日本国内での事件で、韓国の人気 DJ である DJ SODAさんのことがあった。大阪府の衛星都市で開かれたイベントに彼女が登場し、多くの人が集まって大変な人気だったという。そしてイベントが終わった時に彼女は少し高い台に上がって、お客さんのすぐ目の前でお礼を言おうとしたところ、数人の男性及び女性から胸を触られ驚いて その場を離れてしまったという。主催者側も決して許されるべきことではない。明確なセクハラとして刑事告発するという姿勢で臨んだ。警察も受理して操作が始まる。しかし直接 彼女に触った該当者が自分から名乗り出頭した。結果的に3人とも明らかになった。あまりにも騒ぎが大きくなり、ビデオなども撮られていたので当然、逃げ切ることはできないだろうと考えたのか、あるいはそれ以前にやはり悪いことをしてしまったということで自首してきたのか。そのあたりは分からない。
まあこれで一件落着になったのかどうかは知らないが、一応良かったということになるだろう。ところが問題はその次だ。この出来事に対して SNS 上では様々な意見が溢れ特に気になったのが「 DJ SODAさんが露出の大きい衣装を着ているから触られることになるんだ」と言った主旨の投稿が一定数確認されている。つまり触った方が悪いのではなく、原因を作ったのは DJ SODAさんであり、そちらの方が問題なのだという言い方だ。何ともまあびっくり。こんな発言が SNS 上で匿名性のある場で公然と書かれるというのは情けない以外の何者でもない。そしてもしこれがアメリカ人やヨーロッパの有名歌手が同じような形で人々の前に立って、最後お客さんに近づいて挨拶した場合に同じことが起こるんだろうかと考えた。
もちろんいろんな意味での有名人は、セキュリティ上の問題からガードマンが付くケースが多いがしかし、それを仮に無視したとしてもやはり、相手が韓国人であったからたやすく 胸を触ったというのがあったのではないか。日本人というのは上でも記したように島国根性的な閉鎖的な、と同時に同調圧力的な体制順応型の人が多いように思われる。そういった点から昔から韓国人に対する差別意識というのが延々と続いており、今回の事件にもそういった背景が人々の気持ちの奥底にあったのではないかと考えてしまう。
日本人の中にも韓国が大好きな人は多い。これはお年寄りでも若者でもそうだ。何度も韓国に旅行に行って名所や美味しいものを楽しんでいる。あるいは日本にあるコリアタウンなどに大勢の日本人が美味しいものを食べに行って満足している。また韓国ドラマが大きな話題になって熱心に見ている人も大勢いる。若い人たちは K - POP に大きな拍手喝采を送る。そういったところからは、いいものはいいという感覚を、特に若い人たちは持ち合わせているんだろう。しかしひょっとしてそうではない人もいるかもしれないし、あるいはいいものはいいものの、いざ目の前に韓国人というものを見ると、あるいは韓国という国のことを考えると、上から目線で差別的なものの見方考え方をしてしまうような人も多いのではないかという気もする。こういったあたりは近代において、日本と韓国との関係性からくるものが極めて大きい。今頃になっ大昔の高句麗や新羅の時代はどうのこうのなんてことは考えない。秀吉の朝鮮出兵のことも別に考えない。しかし 20世紀に入って日本が韓国を併合し、同化政策を実施し韓国人を苦しめたのは事実だ。また戦後においては日本は奇跡的な経済復興を成し遂げる中で、韓国は朝鮮戦争を経験し、国が疲弊した中で軍部が中心となった政治が行われいわゆる民主主義の確立が大きく遅れたという事情もある。
こういったことを考えた時に、我々日本人としては本当に相手の国がどのような体制の国であれ、人間としてお互いに平等に尊重し合えるような関係性をどう作っていくのかということが、大きなポイントになるだろう。心の中にある差別という捉え方というのは多かれ少なかれ大半の人にあるものと思われる。そういったことがもっと明らかにされ、発信され 相互の理解のための話し合いの場の中を通して解決していくということが、今求められているのではないだろうかと思う。
まもなく 9月1日、関東大震災の日だ。 10万人が亡くなったと言われるこの震災の中で、デマを信じて普段から差別の対象であった朝鮮人を大勢で寄ってたかって虐殺したという歴史がある。虐殺された朝鮮人の数は少なくとも1500名以上という。未だに日本政府は確たる証拠がないとしてそのことを認めていない、という民主主義のかけらもないような姿勢のままだ。いい恥さらしだ。
(画像はTVニュースより)