切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 京都市長選挙・理性的な反撃 》

2020-01-31 23:08:00 | 社会

 先日ブログで紹介した京都市長選挙における選挙戦の中で、現職の自民公明が中心となっている「未来の京都をつくる会」が、京都新聞に全面広告を打った件について、昨日30日に共産党とれいわ新選組が中心となった、いわば野党側の候補の支持団体である「つなぐ京都2020」が同じ京都新聞に、やはり全面広告を掲載した。

 同じように京都市街地をバックにした薄い写真に、スローガン的な文章が添えられている。そこには「大切な京都だからすべての市民の声を聴く市長にYES」とあった。
 その下には「これが私たちの思いです」として、この京都をどのようにしていきたいかと言う政策的な内容が短く記載され、そしてさらにその下に、推薦者の顔写真と名前が掲載されている。支持母体の共産党の委員長と、れいわ新選組代表の顔写真もあったが、後は大学の教授やジャーナリスト、狂言師、法然院貫主など、一般的にはあまりなじみのないような人たちが多い。
 そして何よりも大切な事は、相手の陣営を貶めるような、あるいは差別するような、排他的な表現は一切ないと言うことだ。純粋に候補者の政策や思いを前面に出して、市民全体に訴えかけている。この点が現職市長である門川氏との決定的な差だ。
 挑戦するのは福山氏であり、職業は弁護士。やはり相手陣営の愚劣で差別的な排他的な、それこそ「独善的な」言い方ではなく、極めて冷静で理性的な新聞広告であったと言える。





 それは国会の場においても、共産党はいまひとつ伸びていないが、山本太郎氏のれいわ新選組が初の国政選挙でもあるにもかかわらず、多くの当選者を出し、一躍旋風を撒き起こしていることも関連しているだろう。そして国会審議の場でも、共産党とともに理性的で論理的な追求を続けている。
 それに対して与党陣営の薄汚さは、例えば先日の審議の場で夫婦別姓の問題について、「だったら結婚しなくていい」といった人権無視の、それこそ排他的なヤジが飛ばされたところにも、国会議員としての劣化が顕著だ。おそらく水田水脈氏だと言われているが、これすら知らぬ顔で、自民公明は何も明かそうとしない。最近は何でもかんでも知らぬ存ぜぬ、隠す、嘘つく、改ざんする、などと言うことが当たり前になってしまって、日本のトップである国会の場でさえ、民主主義の根幹である人権を貶めるようなことが、平然と行われているこの実態。正しく地方選である今回の京都市長選挙においても、そのまま与党側と野党側の姿勢の違い、人権感覚の違いが端的に表れていると言える。
 どちらが勝利しても、当選側のための政治をするのではなく、落選側も含めた全員のための政治をするのが憲法が保障している民主主義の原則なのだ、安倍総理自らが政治の私物化をしているマネなのか、現職の京都市長である門川氏が自分たちに有利な政治をしていると言うことがいろんな場面で聞かれる。このような不公平で理不尽で人権無視の政治は、それこそ市民の力で辞めさせ、全市民にとって公正な政治がなされることが、大いに求められると言うことなのだ。
 とは言うものの、自民公明の奴らの利益誘導の一方的な政治にはうんざりするし、奴らは今後もそういったことを続けるだろう。日本の政治は国も地方もぐちゃぐちゃだ。ほんとに恥ずかしい。

 ところで今回、両陣営とも新聞全面広告と言う形をとったが、かなりの費用がかかっていると思う。こういう方法と言うのは一体どうなんだろうか。
 選挙戦におけるアピールの仕方の問題。昔はいわゆるビラまき合戦というのがあって、これが各地域で市民達による大きな批判の的になっていた。そのこともあってかどうか、ビラについては法定ビラと言う形で大きく制限され、今やSNSを使った選挙戦が盛んになっているようだ。こうなってくるとこれはこれで別の意味で、金のある陣営が有利となる事は間違いない。
 小選挙区制だと言うことが国政では大きな問題だが、地方の選挙においても、選挙戦のあり方そのもの、あるいは候補者が一同に会して意見を戦わせる、といった場面なんかも必要では無いのか。かつてあった候補者の政策演説会と言うのも今は規制されて行われていない。
 これらも自民党などの保守勢力による選挙の簡略化で、国民の、あるいは市民や町民達の選挙に対する関心を弱めていくための方策であったんだろう、と言わざるを得ない。何しろいわゆる先進国の中では、投票率はずば抜けて低いと言うこの事実が、日本と言う国のいい加減さを世界に晒すことになっているのだ。
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《 京都市長選挙 愚劣な新聞広告 》

2020-01-29 23:23:00 | 社会




◆ 現職京都市長の支持団体である「未来の京都をつくる会」による幼稚で愚劣な新聞広告が掲載された。

 2月2日投開票の京都市長選挙が今激しく戦われている。もちろんワシが住んでいる宇治市は直接の関係がないので、静かなもんだ。しょっちゅう京都市内に行くが、宣伝カーなどがお願いしますなどと言って走っている。
 そんな最中、数日前に地元の有力紙である京都新聞に、一面の全面広告が掲載された。一面の全面広告なので非常に大きい。当然目を引く。バックには鴨川の写真。そしてど真ん中に大きな文字で「大切な京都に共産党の市政はNO」と記されている。さらに「共産党による独善的な市政に陥らせてはいけません」などと続けられている。
 今回の京都市長選挙は国政とは違って自民党と公明党が中心になり、「未来の京都をつくる会」と言う団体を作って、国会では野党であるはずの共産党とれいわを除く各政党が一緒になって推薦している。まさに烏合の衆と言うほかない。地方自治体で見られるいつもの有様だ。
 そして下のほうに著名な個々人の顔写真と名前とともに、ラグビーで流行した「ワンチーム」とか言って、我こそが主流なんだと御託を並べていた。




◆ 顔写真と名前を掲載された著名人からクレームが出された。

 ところが今日29日になって、京都新聞に1つの記事が出た。それは著名な個人で現職を応援しているとされた人々が、許可なしに顔写真と名前を使われたと言って、現職候補支持団体のほうに抗議をした、と言うのだ。
 これに対して現職候補支持団体は、著名推薦者の中のリーダー格である立石電機会長の立石氏だけには許可を取っており、後は当然応援してくるものだと思って掲載した、などと社会的には全く通用しない厚顔無恥な方法で、このような全面広告を出したと言うことがわかった。
 全く愚劣で破廉恥極まりないやり方だ。立石氏は現職を応援するのでぜひ載せてくれ、と言う立場だろうが、後の文化人たち、映画監督、男性俳優、女優、作家、こういった有名人達の顔写真と名前が並べられている。おそらくそのうちの何人かは、掲載されたんだったら仕方がない、と言うふうに言うかもしれないが、数人の人が抗議の声を出し、「特定の政党を排除するかのような言い方自体が間違っている」と言うように、明確な批判をした。ネット上でも、この広告に対して共産党排除の一方的なやり方に多くの批判が上がっていると言う。
 自民公明などと言う奴らは勝つ為だったら手段を選ばず、何でもありの状態。



◆ なぜこんな卑怯な真似ができるのか。

 じゃあこんな無様なやり方はなぜいとも簡単になされるようになったのか。答えは極めて簡単。保守右派以外の人々が感じている、国会の劣化、国会議員の無様さ、そして根本的に政府自体が安倍総理を中心に、国民を騙し、ごまかし、負担を押し付ける、平気で嘘をつく。人間としても最低としか言いようがない姿を露呈していることがあるからに他ならない。
 国の官僚たちもそれに沿って同じように劣化してしまった。こいつらは国家公務員であり、国民の血税から高い給料をもらっている。公務員と言うのは個人のために仕事をするのではなく、全体の奉仕者なのだ。
 こうして国民全体を徹底的にコケにしている姿がまかり通っている現状の中で、各都道府県においても、市町村においても、選挙になれば何でもありの汚い姿を晒すことになってしまったのだ。ここには人間性の欠片もない、品格もない。こんな奴らが選挙に勝った後、万歳をして喜んで市政に臨むと言うのは、気持ち悪いとしか言いようがない。卑怯者こそさっさとを引っ込め、と声を大にして言いたい。

◆ このような宣伝の内容は、差別主義、ヘイトに通じるものがはっきり見てとれる。

 この全面広告は自民公明がいかに国民の1部を差別扱いしているのか、それを当たり前のものとしてやるのか、ということを明確に示している。その結果自民公明たちを応援した者に対して、優先的な政治をすることになるんだろう。名指しされた共産党やその支持者たちは、同じように税金を払っている、れっきとした憲法で保障されている主権者なのだ。なのに差別され、国民としての権利を後回しにされるような実態がやがて鮮明になるだろう。
 これがオリンピックを控えた「おもてなし」なんてのたまわっている国の真の姿だ。ジキル博士とハイド氏ではないが、こんな二面性を人々の前にさらして、ほんとに恥ずかしいとしか言いようがない。
 おまけにこの全面広告は、下のほうに「公益社団法人・公共広告機構」の広告も掲載されていた。これでは誰が見ても、この団体も自民公明と一緒になって現職を応援しているかのように受け取れる。よく見ると枠が引かれていたが、どう考えてもタイアップしているとしか思えない。
 知っての通り、公共広告機構と言うのはテレビでも1日に何度も何度もCMを放映している公益社団法人であり、一般の民間事業者等で構成されているものであって、国とは直接関係がない。したがって国費も投入されない。しかし民間企業やそれに類するものが集まって構成していると言う事は、ことと次第によっては特定の方向性に流れる可能性もある。公共広告機構の理念そのものは、日本人のマナーを啓発し、相互協力や思いやりを広げていく、と言うことを目的に、関西で設立したものが元となっている。しかしもし今回の1面全面広告の中に、この団体の広告が一緒に掲載されていることが意図的なものであるとすれば、完全に政治的に特定の候補者を応援すると言うことになる。こういったものに対して「公益社団法人」と言う資格を国が与えて良いものなのかどうか。
 まぁこの件についてはよくわからないのでここまでにしておくが、いずれにしろ今回の新聞全面広告には、かなりな費用がかかっている。さすがに金持ちの団体は違うものだ。共産党とれいわではとてもじゃないが、そこまでの金は用意できない。
 選挙と言うのはあくまでも公平公正に堂々とを行うべきものであり、それぞれの主張や公約を、抽象的ではなく具体的に訴えて戦うものであるべきだ。しかし相手を一方的に罵倒し、しかも「独善的な共産党」との表現で決めつけを行う。いったい独善的と言うことの意味をわかっているのか。そしてどこの何を根拠に独善的と決めつけて言っているのか。そんなことは自民公明の奴らにとってみれば、知ったこっちゃない、ってなもんだろう。
 あまりにもの卑怯なやり方であり、一般市民がしっかり考えて投票すべき選挙、と言うものを馬鹿にした態度としか言いようがない。国政だけではなく、地方政治もますます劣化の一途を辿る。逆に言えば、このような奴らによって、国民だけではなく、身近な市民たちもバカ扱いにされていると言うことに他ならない。
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櫟谷七野神社 京都市上京区・・・パワースポットなんか!

2020-01-28 22:00:56 | 撮影


櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)

 『この地は平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕する斎内親王、即ち斎王が身を 清めて住まわれた御所(斎院) のあった場所であり、このあたりが紫野と呼ばれていたた め、「紫野斎院」とも称された。この斎院の敷地は、大宮通りと廬山寺通りを東南の角としており、約一五〇メートル四方を占めていた。
 斎王は嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王を初代とし、累代未婚の皇女がト定され、約四〇〇年続き後鳥羽天皇の皇女・三十五代礼子 (いやこ)内親王をもって廃絶した。
 斎王の中には選子(のぶこ) 内親王や、式子(のりこ)内親王のように卓越した歌人もあり、斎院でしばしば歌合せが催された。また斎院にはほぼ五〇〇人の官人や女官が仕えており、女官にも秀れた歌人が少なくなかった。
 私達は、この文化遺産 斎院跡を顕彰し、後世に伝えるものである。
 平成十三年十一月吉日
 賀茂(紫野)斎院跡顕彰会』 (石碑より)

『神社の由緒
鎮座地 京都市上京区大宮通盧山寺上る西入社横町277番地
御祭神 高沙大神・春日大神・武甕槌命 他19柱
例祭日 10月16日

 社伝によれば平安時代55代文徳天皇(850年)皇后藤原明子ご懐妊の際、その安産お祈りのため、産殿の西方に大和国三笠山から春日の大神をお迎えして祈願したところ、儲君・後の清和天皇をご御平産になったと伝えられる。
 その春日大社御鎮座の場所が山城国葛野郡(かどのぐん)櫟谷(いちいだに)である。当時は櫟の森を谷川が流れていたのであろう。また、社名の「七野」とは、もと船岡山麓一帯にあった原野で、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のこと。これら七野の惣社として祀られたと伝えられる。伊勢神宮の斎院に準じて設けられた紫野斎院が廃絶された時、その屋敷神を七神祀った社だったと言う説もある。

 この七つの野に神供田があり、その石高は合わせて七百五十石に及んだという。
 この神社に、離れてしまった天皇の愛を復活させてほしいと祈ったのは、59代宇多天皇(894年)の皇后。社前の白い砂を三笠山の形に積み、祈願せよと のお告げを得て、その通りに砂山を作り祈った所、天皇の愛情が戻ったという。それ以来、社前に白砂を積めば浮気封じ・愛の復活の願いが叶うといわれ、社前 に積む砂も「高砂山」と呼ばれる様になった。
 その後、応仁・文明の戦乱時代、この七野あたりは細川勝元と山名完全が相対峙する戦場と化したため、社頭は殆ど灰燼に帰したのを、大内義興の台命あって永正9年(1582年)2月、七野各社を高台の一所に集めて再興がはかられた。

 織田信長が遊宴のために社を麓に引き下ろし、その跡に高殿を建てて神域を穢したことが、後に豊臣秀吉に聞え、秀吉は山内一豊をして再建せしめた。その 時、秀吉は各大名に石垣の寄進を命じ、その石には大名の家紋などが刻まれている。今は土や苔で見えにくくなっているが、秀吉の篤信が偲ばれる。
 以後、特に禁裏・仙洞・女院御所の崇敬篤く、大火焼失等の都度、これらからの再興がはかられてきた。
 なお、当社では、昔から毎年春になると、どこからともなく一頭の鹿が神前に現れるのを、奈良へ送るということがあった。明治6年(1872)以後見られ なくなったのであるが、この神縁により、明治28年(1895)、当社よりの依頼により奈良の春日神社から神鹿2頭を貸与された、という記録が、今日春日大社に残っている。』
  (神社HP 及び パンフレットより)



 櫟谷七野神社は、前回紹介した玄武神茶や健勲神社の少し南側にある。徒歩で10分もかからない。
 神社名そのものが難しい漢字を使っていて、何と読むのか全く分からないが、上記の通り創建も詳しいことはわかっていない。伝えられるところによると平安時代ということのようだ。神社の由緒や由縁は上記の石碑やパンフレットに記されていたので、それを参照してもらえればいいと思う。
  優に千年を越える長い歴史を持つ神社であり、斎王の名前から連想される通り、今現在も京都で続けられている「葵祭」の斎王代行列発祥の元ともなっている神社だ。当時もこのような行列が行われていたようだが、承久の乱で中断することになってしまう。
 それまでは天皇の皇女等が斎王を勤めていたが、後年復活するにあたって、天皇家とは切り離される形となり、今では斎王代として京都の若い女性が選ばれて勤めている。例年のことなので時期が来ると今年の斎王代は誰が選ばれるのか、ということが一部の人々の間で話題になるが、元は天皇家所縁の祭事であったこともあり、庶民とは程遠いところにあるものであった。その部分だけは今でも変わらない。つまり庶民にはとてもではないが選ばれるような素地がない。さまざまな条件があって、中でも一番厳しいのが「財力」と言ってもいいだろう。よく考えてみれば例年選ばれる斎王代は例外なく、いわゆる「いいところのお嬢様」ばかりであって、京都の中でも有数の名家富裕層などの家庭のお嬢様方だ。そりゃそうだ。斎王代に選ばれるには軽く数千万、とも言われている。大げさな数字ではないのかとも思われるが、あれこれ伝え聞く話によるとやはりそのくらいはかかってるようだ。
 ちなみに祇園祭りで選ばれる少年の稚児についても、噂として選出されるのに数百万などという話を聞いたこともある。その子達も皆さん私立の名門小学校に通う子達ばかりだ。何て話すと庶民とは程遠いところの話になってしまう。

 さて話がちょっと横へ行ってしまったが、この神社そのものは長い歴史と深い由緒を持ちながらも、実はあまり目立たないようなところにあり、路地を入ったところに鳥居が立っていて、こんなところに神社があるのか、といった感じだ。境内も決して広くはなく、ちょっとした児童公園のような雰囲気。
 一番奥が拝殿及び本殿となっていて、その前に銅製の鹿が置かれている。これは元々が春日大神の勧請によるものとして奈良との関係から、鹿がやってきたものというふうに考えられているようだ。拝殿と本殿の背後は京都の市街地が望める。
 またこの神社はある意味、知る人ぞ知る神社であって、一つのパワースポットの場とも言われている。というのも御利益の中に「浮気封じ」というものがあり、男女関係の生々しい問題について願いを叶えてくれるといったものがあるようだ。そういった点でもなかなか面白い神社とも言える。前回の神社と合わせて一緒に巡るのもいいかと思う。
      
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玄武神社 義照稲荷神社・建勲神社 京都市北区・・・船岡山周辺

2020-01-27 21:50:02 | 撮影


玄武神社



『玄武神社(げんぶじんじゃ)
 祭神として、文徳天皇の皇子である惟喬親王を祀り、別名惟喬社とも呼ばれている。
 社名の玄武とは、青竜(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)とともに王城を守る四神の一つで、平安京の北面の守護神として名付けられた。亀に蛇が巻き付いた形で描かれる事が多い。
 当社の起こりは、親王の末裔で当時この地に住んでいた星野茂光が、元慶年間(八七七~八八五)に、親王の御霊を慰め、また王城北面に鎮護を願って、親王の外祖父に当たる紀名虎が所蔵していた親王寵愛の剣を祀ったことに始まると伝えられている。
 毎年四月の第二日曜日には、「玄武やすらい花」(国の重要無形民族文化財)が行われる。この民族芸能は平安時代の花の精の力による疫神封じ(花鎮め)に由来し、桜や椿で飾られた風流傘を中心に、鉦や太鼓の囃しにあわせて鬼や小鬼が町を踊り歩く。京都の奇祭の一つとして知られている。
   京都市』     (駒札より)

 北区の紫野にある。
 玄武神社の創建そのものは詳しいことは分かっていないようだが、平安時代であることは間違いないようだ。経緯については上記駒札の内容の通り。
 堀川通から住宅街に入った少しややこしい路地の中に突然現れる。全体的には境内から鳥居など、かなり新しいように見える。しかし正面に構える拝殿及び本殿は飾り付けもしっかりなされ、なかなかの風格を感じさせる。この地域の人々によって大事にされていることが非常によくわかる。そのまま見過ごすとなんでもないような神社に思ってしまうが、実は千年以上にも及ぶ長い歴史を持ち、さらにこの神社で行われる「玄武やすらい祭」と言う催事が国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 平安時代は貴族が惰眠を貪った時代であり、この紫野地域というのは当時、そういった貴族たちの狩猟の場であったようだ。一面野原が広がり、一部耕作地があって農家が点在するような場所だったと言う。そんな中で貴族たちの遊び場として利用されていたところだ。
 そのような中で、貴族たちによって笛や太鼓、囃子などを交え、村の中を踊り歩くような催事が始まった。それが今現在まで続いており、平安時代あるいはそれ以降の、芸能事の様子を今に伝えるものとして、非常に貴重なものとして捉えられており、無形文化財に指定されているわけだ。
 こういったことを知ると、何でもないような神社ではあるものの、深い大きな謂れがある貴重な神社であるということがよくわかる。そういった意味では神社でもお寺でもそうだが、ただ単に境内や建物といった点だけで見るのではなく、それぞれにまつわる催事というものの大切さというものも見るべきだろう。
      

義照稲荷神社



『義照稲荷神社

元明天皇和銅二年秦氏が穀物織物の神とてお祭り申し上げたのがその起源である
御祭神は左の三柱の大神にまします
 宇迦御霊大神 衣食の神 商工祭の守護神
 國床立大神 住居安泰 病魔退散の神
 猿田彦大神 迷いを正す交通安全厄除けの神稲荷命婦元宮命婦元官には伏見稲荷大社命婦社の親神 「船岡山の霊狐」が祀られている
 この番属の神通力により稲荷大神のご霊験は愈愈深く不思議な御方をお授けになる』
  (駒札より)

 義照稲荷神社は船岡山の建勲神社の隅にある境内末社だ。
 健勲神社への入り口の鳥居は各所にあるが、そのうち最も東側の石段を登るとすぐに義照稲荷神社がある。末社といえどもかなりの歴史を持ち、れっきとした独立した一神社としてとても存在感がある。もちろん本殿等の建物はずっと後年の再建となるが、綺麗に整備されており非常に赤が眩しい。少し小高いところにあるので京都市街地方面がよく見える。
 駒札によれば和銅2年と言うから、奈良時代前の話だ。飛鳥時代に渡来系の秦氏によって穀物織物の神として祀られたのが創建の由緒だと言う。とすれば狐の稲荷神社という意味では、あの伏見稲荷大社よりも歴史がある日本有数の古い稲荷神社となるのではないだろうか。 そのことから秦氏がすでに稲荷を信仰しており、ここの神社が伏見稲荷の前身にあたるものではないか、という説もあるとのことだ。
 秦氏が朝鮮半島からもたらした農耕や機織りの技術といったものが安全に行えるように、その守り神として祠を建てたのが、このような形での信仰の対象になったものだと思われる。そういった意味でも、これはなかなかの重要な位置づけにある神社ということにもなる。
      

建勲神社



『建勲神社

 織田信長を祀る神社で、通称「けんくんじんじゃ」とも呼ばれる。
 天下を統一した信長の偉勲を称え、明治二年(一八六九)明治天皇 により創建された。同八年(一八七五)別格官幣社に列せられ、社地を 船岡山東麓に定め、次いで現在の山頂に遷座した。
 船岡山は、平安京正中線の北延長上に位置し、平安京の玄武に擬され、 造営の基準点にされた所で、本能寺の変(一五八二)の後、豊臣秀吉が 正親町天皇の勅許を受け、主君である信長の廟所と定めている。
 信長着用の紺糸威胴丸、桶狭間の合戦の際の義元左文字の 太刀、太田牛一自筆本の「信長公記」などの重要文化財のほか、 信長ゆかりの宝物を多数有する。
 十月十九日の船岡祭は、祭神・織田信長が永禄十一年(一五六八) 初めて入洛した日を記念したものである。  京都市』  
 (駒札より)

『御祭神 織田信長公
 織田信長公は戦国の世を統一して民衆を疲 弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、 西洋を動かす力の源を追求して近代の黎明 へと導かれた。その為、信長公は行き詰った 旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢 に打破し、日本国民全体の日本を追求された。
 明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格 官幣社に列せられ、ここ船岡山に大生の神と して奉斎されている。

末社義照稲荷社  宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神の 三柱の大神を祀り、古くより秦氏の守護神と して今日の西陣織の祖神をなしている。
 伏見稲荷大社命婦社は船岡山の霊狐を祀っ ており、伏見稲荷の元宮として古来よりの信 仰が絶えません。

船岡山(全山史跡、風致地区)
 船岡山は標高四十五米、周囲千三百米、面 積二万五千坪の優美な小山であり、その東南 側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に 被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊 地として自然がそのまま残され、京都盆地特 有の樹相が良く保たれている。樹種が極めて 多く、帰化植物がほとんど入り込んでいない 京都市内で数少ない貴重な森とされている。
 船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出て おり、又、京都に都が定められた時、北の基 点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路 となった。平安期の昔には清少納言が枕草子 で「丘は船岡・・・」と讃え、又、大宮人の清遊 の地として多くの和歌が残されている。
 船岡の若菜つみつつ君がため
     子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の大乱の際、この船岡山が西 軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣 の名で呼ばれている。』
 (説明書きより)



 建勲神社は北区紫野の船岡山にある。山といっても高さは40数メートル。この小高い山は全体が公園として整備されており、またその多くが建勲神社の境内となっている。同時に史跡としても指定されている。いわば市民にとっても憩いの場ともなっている場所だ。
 建勲神社の創建及び由来については上記の駒札や説明書きによってほぼを尽くされている。明治2年の創建と言うからまだ150年ほどしか経っていない。とても新しい神社だ。少し長めの石段を登っていくと程なく境内に達する。広い境内には多くの建物があり、拝殿や本殿等とても立派なもので、格式を感じさせる。大半の建物が登録有形文化財に指定されている。
 明治天皇が日本という国が外敵の侵略を受けずに、また戦国時代に国の惨状を終わらせまとめあげ、ここまでやって来られたのも、織田信長の天下統一による功績が大きいとの思いによって創建が決められたと言われている。それだけに他の神社と違って、いわば別格扱いの神社となっているようだ。
 とにかく大規模で境内からの眺望もよく、全体が綺麗に整備されている。歴史的な重みという意味ではまだまだ浅いものなので、むしろ上に紹介した末社である義照稲荷神社の方が千数百年の歴史を持つことを考えると、何か妙なギャップのようなものを感じるが、何れこの建勲神社も年を重ねるに従って、大きな意味を持つようになって行くのだろう。

        
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《日本安倍晋三独裁国家の成立》(臨時号) (後半)2020.1.25

2020-01-25 17:31:00 | 社会




・五 1億総活躍社会

 1億総活躍社会などとひとくくりで以前から喋ってるが、こんな無責任な言い方をすること自体、総理としての信用が得られない事は明白だ。
 要するに日本国民全体が様々な分野で活躍し、意欲的な生活が送れるようになり輝いた国になるんだ、と言う幻想に取り付かれている。そこには社会の現実を全く見ようとしない独善的な思い上がりがあるとしか言いようがない。
 まず「全世代型社会保障」について。
この中で総理は「高齢者のうち8割の方が65歳を超えても働きたいと願っておられます」と言い出す。これは一体何を根拠に行っているのか。しかも願っていると言うのはどういう意味なのか。仕事と生活に一定の満足感を得ながらやる気満々で、60歳あるいは65歳定年を迎えてもまだまだ元気だ、やる気があるんだ、だからまだまだ働くんだ、と言うふうに捉えていっているのか。きっとそうなんだろう。
 しかし社会の現実としては本当に65歳を超えても働きたいと思うのは、言い方を変えれば、働かざるを得ない生活実態に追い詰められている状況があるからではないのか。どんなアンケートかは知らないが物事には一面的な見方では成り立たないことが大半であり、多方面からの分析が必要だ。それを都合のいい部分だけを捉えて、「願っておられる」とは一体何なのだ。ふざけるなと言いたい。
 人生100年時代だから70歳までの就業機会を確保するんだなんてごまかしもいいところ。人生100年といっても、高齢化の中で体が動かせない、寝たきりである、認知症になってしまった、などなど様々な高齢化特有の症状に悩まされるケースが極めて多い。つまり平均寿命が80歳を超えていて、100歳の人も増加中と言うことだけを捉えて70歳まで働いてもいいではないか。いや70歳まで働け。その後数年は退職後の人生を楽しみ、その後は様々な病を抱えて苦しむ人生を送ることになる。それでいいんだと言う結果が待っているのだ。
 安倍総理のこんな言い方に騙されてはいけない。いわゆる健康寿命と言うのは現段階では72歳が平均だと言われている。そういうことを考えさせもしないで、100歳生きるので70歳まで働き、後の30年をまるで悠々自適の楽しい生活が待っているかのような言い方自体が、国民に対する「詐欺であり騙し」なのだ。 
 わざわざこんなことを言うのは、年金の問題の危機が背景にあるからだろう。以前安倍総理は「100年安全の社会保障年金制度」等等大見得を切った。しかしその背後にある犠牲にしなければならないものには全く触れようともしなかった。今ここにきて日本の年金制度は破綻寸前にまで来ていると言われている。現役世代は本当に年金と言うものが受給されるのかどうかもわからないような状態だ。少子高齢化と言うことも相まって、現役世代が高齢者の年金を負担すると言う方法はずっと以前からなされてきたし、かつて欧米先進諸国が少子高齢化の方向へ向かっているときに、日本も必ずそうなると警告を発していた学者たちもいたし指摘もされていたにもかかわらず、厄介な問題は先送りにして追い詰められて初めて大変だ、と言うことになる。その結果が老人になっても働け、と言うものだ。
 そして高齢者への負担は特に医療分野で大きいが、これも「年齢ではなく能力に応じた負担へと見直し」と言い出す。確かに同じ高齢者でも裕福な者もいれば低所得の人々も。はっきり言って後者の方が圧倒的に多い。
 高齢の独居生活老人の平均年金額は、月額5〜6万円位だ。家賃払えば残るのはその半分。1日あたりの食費は1000円使えば後何も買えない。支払えない光熱費もある。となれば1日の食費はせいぜい500円だろう。おまけに消費税と言う金持ちに圧倒的有利な制度を取り込み、3%から今や10%にまでなっている。低所得層には負担比率が極めて大きくなり、生活の劣化へと一気に突き進む。こんな実態をどうするのかと言う具体策も何も見えてこない。
 そういうことを無視して最後に、「全世代型社会保障制度」を目指すなんて、どうしてこんなことが言えるのか。厚顔無恥も甚だしい。
 続いて「子育て支援」を入れた。子供たちの未来に対して大胆に投資していくと言う。そして教育無償化の問題について、「真に必要な子供たちの」と言うような但し書きが付いている。公立私立問わずに無償化の方向に行くと言っているが、おそらく差別選別が行われるのは間違いないだろう。現段階で朝鮮学校については、学校とは直接関係のない北朝鮮の国の政治のあり方に対して、まるで報復するかのように朝鮮学校を無償化の対象から除外し続けているし、国だけではなく自治体の方でも、同様の扱いで差別選別を既に行っている。
 確か日本に居住している朝鮮の人たちも納税の義務は果たしているはずなのに。なぜ差別選別されるのか。そんな不都合な事は無視して、この演説の中には一切出てこない。
 この後待機児童問題や1人親世帯への支援を拡大等と一言二言述べて、最後に出生率1.8の実現を、と述べて終わった。
 この項目は実に簡単に済ませたと言う印象しか残らない。課題を網羅的に挙げただけで、具体性も何もない。ただ口にしただけのことだ。逆に言えばこれは実現は難しい、無理だと言うことがわかっているので簡単に済ませたんだろう。はっきり言って、ここに該当する当事者たちは誰も、こんなこと言われても信用なんかできないだろう。また出生率1.8なんて、この実現には極めて多方面の対策と理解と前進例を作って、社会に浸透させていくと言うほとんど不可能に近いような内容が必要となり、極めて困難な内容としか思えない。
 この項目の最後は「1億総活躍社会。」ここも正しく総花的な言い方で、少子高齢化社会を克服することができると、一方的に演説している。そのために必要なこととして、女性の活躍、そのための各対策、そして老若男女、障害者、難病者なども含め多様な個性を生かすことができる社会。その中で能力が発揮できる社会を作って少子高齢化を克服する。それが1億総活躍社会なのだときた。いとも簡単に言えたもんだと思う。先程の子育て支援の時と同様、多種多様な人たちが住んでいるこの国の中の生活実態と言うものをわかった上で言ってるのか。置かれた状況の困難さを知った上で言ってるのか。疑問しか覚えない。
 障害者の件についてはこれまた具体的な人名を出して、その尽力によってパラリンピックが実現し、今年東京にもパラリンピックが帰ってくると述べた。
 障害者に対する世間の目と言うものがいかに厳しく冷たいものか、はっきり言って大半の人たちは近寄るのさえ怖いと言う感覚だ。障害者施設が設けられている場所と言うのは、かなり多くが住宅街の端っこ。あるいは中心市街地から少し離れた所といったケースが極めて多い。新たに建設しようとなると間違いなく反対運動。保育園等と同じだ。やかましいから邪魔だと反対運動。このように社会の邪魔者扱いされている根源には、いわゆる上級国民と言われる国会議員やエリート官僚たちの、障害者への侮蔑の精神が蔓延しているからに他ならない。上辺は障害者にも頑張ってもらおうなどと言いながら、心の中でははっきり言って邪魔な存在。税金の無駄遣い、と言う感覚だろう。だからこそネトウヨたちの絶好の攻撃材料になっているし、相模原のような大量殺人事件が発生することにつながってもいる。簡単に網羅的に述べられるような問題では無いのだ。全く無責任な言い方としか言いようがないと思う。

・六 外交・安全保障

「積極的平和主義」意味不明。とにかくまたもやオリンピックを例に出して演説。平和主義とそこに積極的をつけることによって何が違うのか。平和主義なんていうのは誰にとっても当たり前のことだ。
 もちろん外交上の観点から相互に平和な関係を保つのは大事なことであり、どうすればそうなっていくのかが問われる。現実は細々した問題が山積しており、一応同盟関係にあるとされるアメリカ・韓国、そして仮想敵国にしているであろう中国、さらに加えてロシアなどなど。ここではまるで箇条書きにしているような単純な演説で終えた。その演説の中で「わが国の国民の生命と財産を守るため毅然として行動していく」と言う。アメリカの子分の立場で、何でもハイハイ言うことを聞いているのが、毅然な態度なのか。
 その実態を認識しているのかどうか、この結果は隣の韓国に向けられ、偽善どころか高圧的な態度で臨んでいる。平和主義の前に、互恵平等の精神が求められるのではないか。これらの国々をひっくるめて何か階級社会を見てるかのように思えてならない。北朝鮮とのトップとの会談を自分が実現する、などとここでも大見得を切ってみせる。拉致問題が一向に前進しない焦りとストレスが見て取れると言うことで、簡単に流して終わった。
 日本のようなエネルギー資源の乏しさ、さらに食料資源も自給率が大幅に低下している国と言うのは簡単に牛耳られるものだ。そのことを踏まえて外交と国内の取り組みを同期させることが極めて重要ではないのか。観点がバラバラな状態で演説をしているので、ずっと読んできて何か整合性が取れないような演説構成となっているようだ。
 これらに直結するのが「安全保障政策」と言うことで、短く済ませてしまった。日米安全保障条約がかつてなく強固な関係になっていることを強調し、日本は安全なところにいるとの幻想にいつまでもしがみついている。国土防衛のためには自衛隊の戦力強化、と言いたいようだが、それを直接言葉にしてしまうと追求を受けるので、あえてそんな言葉を使わずに曖昧な表現に留めている。そしてあろうことか「沖縄の基地負担軽減」に結果を出す、と言うのだから、全く信じられない。米軍基地の大半を沖縄に押し付ける。自衛隊基地もあって、有事の際には真っ先に狙われるであろう沖縄を犠牲にすることによって、日本本土を守ろうと言うこの捨て石作戦の発想。県知事が何をお願いしようが県民投票の結果がどうであろうが、すべて無視。東京から指示だけ出してやりたいようにやる。強行突破の姿勢は平和の名のもとに、そして安全保障の名のもとに100万県民を犠牲にしたって構わない、と言う発想で進められていると言う現実を認めようとはしない。
 この項目の最後は「国際社会の課題解決。」安倍総理の言葉によると、世界各国の要人たちと約800回を超える会談をしてきたと言う。その中で様々な国際紛争や緊張に対して話し合いで解決する努力を説いてきたと胸を張ってみせた。また日本のエネルギーに関わる諸国との安定的な関係を持続するとともに、ブルーオーシャンビジョンを世界に広げていく、とここでも大見得を切る。例のプラスチックゴミの問題への取り組みを指しているのだ。
 こんなの聞いてて当たり前の話だし、言われずとも率先してやるべき問題だ。また地球温暖化問題については温室効果ガスの削減をどんどん実現していると言っているが、これは日本の各企業が努力した結果であって、別に国がやったわけではない。いかにも日本政府の指導でこれが成果を上げたような言い方をしている。
 しかしその一方で、原子力発電所は今後も存続させていく、石炭を使う火力発電所の建設も進めていく、と言うのが政府の基本的な方針なのだが、そういった点には一切触れず、見栄えの良いところだけを紹介して、最後に世界の平和と安定をこの日本がリーダーシップをとって実現していくかのような趣旨の発言で締めくくった。
 何か笑い話をというか、ブラックユーモアを聞かされる思いだ。なぜならば演説した本人が国民を愚弄し、ごまかし続けてきた御立派な実績をお持ちだからそう思わざるを得ないんだ。

・七 おわりに

 なんとなんとまたまたオリンピックを例に出して演説スタート。日本の大改革に向けて、国民全体が今こそ実行の時です、と一定まるで「いつやるのか、今でしょ」のパクリみたいな言い方。おまけに笑えるのが「先送りでは次の世代への責任を果たすことはできません」って。様々な重要な課題を先送りにしてきた張本人は一体誰なのか。歴代の政権であり中でも顕著なのは安倍総理では無いのか。難しそうな問題は先送りし、何か不祥事があれば、うそ、ごまかし、逃亡、資料改ざんなど、やりたい放題の、国民を馬鹿にした政権であり、その結果が日本劣化社会の有り様となったのではないのか。にもかかわらず「国の形を語るもの、それは憲法です」と言う。一瞬、おっと思わせておいて、実は憲法を変えていく趣旨の発言をこの後続ける。その結果はなんと、日本と言う国は「世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を作り上げる。」とすればもはやこれは、かつての八紘一宇の思想、大東亜共栄圏の構築と言うことに他ならない。これを全国民でやろうと訴えて終わったのだ。

◆ 結局安倍総理の施政方針とは一体何が言いたいのか・・・感想

 言っていることを表面的に捉えれば、大半は至極当たり前だし、中には大切でぜひそうしてもらいたいといったものも含まれてはいる。でも正しく「言うはやすし行うは難し」とならざるを得ないだろう。
 日本に限らずどの国でもそうだろうが、様々な考え方の個々人が、あるいは団体があって、それぞれが揃っておんなじ方向向いているわけではない。それをひとまとめにして、国の形としてこうあらばならない、と言う事は、北朝鮮や中国などを別にすれば、とりあえず「民主主義」を標榜している国であるならば実質上無理があるし、それ以上にそのような個々の思いや活動といったものを、国が吸い上げ必要な支援策を提示しながら国づくりに活かしていくべきものだと考えるべきだ。
 しかし安倍総理の本質的な思いと言うのは、以前から彼が何度も口にしている「美しい国日本」の具現化だ。様々な発言や内容から、これは天皇の国家元首化であり、その下に行政機関等や軍隊を置き、国民を臣民として一律支配をすると言ういわゆる「国体」の体制実現と言うふうに感じられてしまう。
 今更そんなことを無理に決まってる、と言うのは簡単だが、彼は本気でそう思ってるんではないだろうか。だとしたら極めて危険な発想だし、現実問題として中央政府に限らず日本各地の地方自治体から徐々に少しずつゆっくりと、これらに関わる動きが進められてきている。いつしかこれが社会の本流になり、気がついたときには今の日本国民の多くがそうであるように、自分たちの生活の内容に一定の満足感を覚え、政治には無関心で政権に任せておけばいいだろう、国際問題なんて遠い所の話で我々には関係ない、といった島国独特の唯我独尊的な身勝手な国民が再生産されていくことになってしまうんだろう。だから選挙での投票率も低いし、どんなに不祥事や嘘やごまかしがあっても内閣支持率はほとんど落ちないし、政治に関わるような問題などと言うのはめんどくさい話だ、で終わってしまう。そこに付け込むのが右派の練中で、しかもSNSを使えば匿名で好き勝手なことが発言できる。しかもこの影響力が大きいと言う事実がある。何やらかんやらお先真っ暗な日本、と言う感じもしてしまうが、この反動はどこかで必ず出てくるだろうとは思う。
 俺みたいな癌爺が何かの力になれるかどうかと言われれば、せいぜいこんなブログで発言することぐらいしかできない。でもこういったものが多くまとまれば少しでも変革への道は開ける可能性はある、と若干楽観的に思っているところだ。

 安倍総理のこの演説は、多分総理による口述筆記を官僚が御忖度しながら当たり障りないように纏め上げたものであろうと考えられる。1から官僚が作文すればこんな稚拙な文章にはならないだろう。一国の総理大臣の演説内容としてはどう考えても稚拙にしか聞こえない。つまり内容に深さが全く見えないし、それどころか施政方針と言うからには当然、前年の施政方針の内容に対する一定の総括を反映したものでなければならないが、その総括内容と言うものが発表された形跡はないし、あるいはこの演説の中に総括的内容を踏まえて課題を提起していると言う形にもなっていない。稚拙さと言う本質はそこにあるのだ。
 オリンピックを何度も何度も引っ張り出して国民の一体化を訴え、そこからナショナリズムを鼓舞しこれではまるであのヒトラーの演説のようにしか聞こえなくなってしまう。安倍総理本人がこの演説を通して精神的に高揚し、まるで自分が国のヒーローになったかのような陶酔感を覚えて、悦に入っているそんな姿が、これまでの彼の嘘とごまかしの実態を国民にさらしてきただけに、これは「喜劇」を見せられているのではないか、なんて思ってしまった。




    (以上)

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