切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件発生の日・・・警察権力とマスコミの恣意的判断と怠慢が解決を妨げた未曾有の大事件

2018-03-20 23:37:12 | 社会


1995年3月20日朝8時ごろ、この事件は起こった。
ちょうど2ヶ月ほど前に阪神大震災が起こり、新聞やテレビ等はまだ大震災のニュースをかなりの割合で報道していたころだった。自分勤めていた中学校では5月の修学旅行を控えており、山陽新幹線が復旧していなくて、果たして行けるんだろうか、と言う心配があったの覚えている。結果的には復旧が間に合って修学旅行には行くことができた。

3月20日は学校に着いてから休憩時間に、やはりテレビ報道でこの事件を知った。当初はさほど大きな扱いではなかった。東京の営団地下鉄で何か有毒ガスみたいなものが発生したらしく、多くの被害者が出てるらしいと言う程度のものだった。
この日の仕事を終えて帰宅してから、ニュースはかなり大きな扱いになっていた。もう既に20年以上前の話なので、自分でもうろ覚えのところが多く、今から書く内容には、記憶違いや単純ミスがあるかもしれないが、覚えていることを中心に、この事件について思い出しながら、自分なりに記録に留めておきたいと思う。


オウム真理教の名前はこの事件が起こる何年も前から、ニュースなどで知っていた。中でも特に、横浜の坂本弁護士一家失踪事件がわりと大きく取り上げられて、この中でオウム真理教との関わりがあるのではないか、と言う指摘があったことから、名前を覚えた。
この事件は確か1989年だったと思う。オウム真理教の発足はよく知らないが、確かこの頃には東京都から宗教法人としての認可を受けていたはずだ。いったい東京都はどんな審査をしたのか。こういう怪しげな、わけのわからないような宗教団体に認可を与えると言うこと自体がおかしいと思う。
坂本弁護士一家失踪事件については、警察は金銭トラブルか何かによる、一家の失踪であって、事件性はないといった風な発表をしたと記憶している。しかしその一方、坂本弁護士が所属する法律事務所、及び周囲の友人たちは、警察の発表はでたらめであって、オウム真理教に関わる拉致事件ではないか、と訴え始めていたのも覚えている。姿が消えた坂本弁護士一家の家宅捜査の時に、部屋の中にオウム真理教のバッジが落ちていたことが、ニュースでも報道されていた。
しかしこれは警察によれば、坂本弁護士がオウム真理教に出家した子供を救ってほしいと依頼を受けて、様々な活動をしていたところから手にしたものであって、オウム真理教自体もそのような主張をしていた。

後になって分かる事だが、坂本弁護士は自由法曹団に所属し、どちらかと言えば日本共産党系の労働問題などを中心とした弁護活動に力を入れており、いわば警察にとってみれば、鬱陶しい存在であったと言うことが明らかにされた。当時の神奈川県警察上層部の中には、共産党系の弁護士の事にそんなに力入れる必要は無いとか、検察のほうも、警察の主張を支持して、坂本弁護士一家は金銭トラブルか何かで夜逃げをしたんだと言う風な言い方をして、本気で操作をしなかったと言うことが明かされることになる。
つまり警察や検察は、最初から自分たちの敵である坂本弁護士一家の行方不明を、本気で調べるようなこともせず、何の根拠もない単なる憶測をマスコミに発表して、何もしなかったと言うことだ。彼らは公務員だし国民の公僕である。そのことを全く無視した、極めて卑劣な所業であると言うべきだ。
事件から6年後にオウム真理教幹部の自白によって、殺害され山中に埋められたことが明らかになるに及んで、ようやく警察が動いて、自白通り、弁護士夫妻と小さな子供の白骨化した遺体が別々の場所から発見された。
テレビ局も大勢押し寄せて、その様子が報道された。その時ずらっと並んだ警察官たちが、発掘された遺体に向かって敬礼している様子が映されたが、全く腹立たしく、白々しい姿にしか見えず、日本の警察というのは、相手によって被害者をはっきりと差別するもんだということを、改めて思い知らされた。

もしこの時、神奈川県警が普通に当たり前の捜査をしていたら、後に起こる松本サリン事件や、地下鉄サリン事件も起こらなかったかもしれない。当然大多数の犠牲者も出なかったかもしれない。このような警察の、市民に対する差別選別意識が、誤ったいい加減な捜査を引き起こし、重大な結果を招いてしまったと言うことだ。
この件に関して神奈川県警は、多分謝罪も何もしてないんではないか。その辺の記憶はない。
ついでの話だが、神奈川県警はこの後も、様々な不祥事を起こし、警察の信頼を大いに失墜させている。神奈川県警に限らないが、自分は警察と言うものを全くと言っていいほど信用していない。あちこちで様々な不祥事をいまだに起こし続けている。現職警察官による殺人事件すら起こっているような有様だ。
警察のあり方そのものを根本的に見直す必要があるんではないかと思っている。
坂本弁護士一家殺人事件の後、オウム真理教の麻原彰晃(本名、松本智津夫)代表は選挙に出馬したり、派手なパフォーマンスをやったり、ますますやることがエスカレートしていく。その素地は坂本弁護士一家殺人事件の前からあった。

これも後から分かったことだが、オウム真理教を批判するインタビュー番組を、TBSが放送すると言うことを知ったオウム真理教の連中はTBSに乗り込んで、放送を中止させ、更にそのインタビュー番組を俺たちに見せろと言うことで、何と言うことか、TBSは彼らにその放送予定の番組を見せてしまった。そのインタビュー相手と言うのが坂本弁護士である。これがきっかけとなって坂本弁護士が殺されることになる。

報道機関としてのTBSは、報道の大原則を自ら破って、いわばオウム真理教に手を貸したと言うことになる。TBSの責任は極めて重大である。その後このインタビュー番組が放送される予定だった、昼の情報番組は番組自体が中止されることになったが、TBSの幹部連中は、これも謝罪したのかどうか記憶にない。

こうしていろんな奴らがオウム真理教に、結果的に協力する形で、坂本弁護士一家は、場合によっては失踪と言う形で社会から葬り去られようとしたわけだ。
これが日本の警察や報道機関の、無様な愚劣な実態である。その後確か1994年ぐらいだったと思うが、松本サリン事件が起こった。死亡者は7人ぐらいだったと思うが、数百名の被害者が出ている。オウム真理教と何の関係もない第一通報者の河野義行氏が犯人として疑われ、警察に連行された。そして自宅からは有毒物質を作るような器具が見つかったとか言われて、警察は無実の人を犯人に仕立て上げ、拘束することになる。この時もマスコミは、警察発表を鵜呑みにして大いに騒ぎたてて、河野氏を犯人扱いする報道し続けていた。ただこの時にも確か一部の報道では、オウム真理教が関わっているのではないかと言うものがあったが、そんなことお構いなしに、長野県警は彼を犯人として扱い、しかも彼の妻はこの有毒ガスで意識不明状態となって、数年後に死亡することになる。最終的には彼は無関係として釈放されるが、ここでも長野県警察は真剣に反省してるとはとても思えないような、口だけの謝罪会見を行っているのをニュースで見た。

こういう奴らと言うのは、ミスを犯しても基本的には認めようとせず、認めるにしても、しょうがないから謝罪だけはしておく、と言う態度でしかない。こんな状況で、市民の信頼を得られるなんてことがあるはずがない。

ここでもオウム真理教のことを真剣に追求していれば、この翌年に起こる東京の地下鉄サリン事件は防ぐことができたかもしれない。警察には多分、縄張り意識があって、神奈川県は神奈川県、長野県は長野県、そしてオウム真理教の本部があった山梨県は山梨県といった具合で、横の連携なんて実際いい加減なもんだったんだろう。日本の警察を統括する警察庁も、その役割を全く果たしていないとしか言いようがない。

こうして1995年の3月20日を迎えることになる。確か死者が13名、被害者が6,000数百名。その被害者の中には、いまだに植物状態で意識不明のまま、あるいは寝たきりのまま、あるいは意識障害を持って生活が困難になっている状態の人々。20年以上たっても被害者にとってみれば、事件は解決していないと言うことになる。

この事件で世間が別の意味で驚いたのが、オウム真理教と言う、こんな子供だましの似非宗教に多くの高学歴信者が、幹部として就いていたことだ。麻原代表が空中浮遊ができるとか、非科学的なわけのわからないことをあっさり信じて、超能力のある宗教であると言うことを信じてしまうと言う、その心境が全く理解しがたい。中には医師もいた。本来なら賢明な思考判断能力を持つと思われるような人々でも、こんなものに騙されるのかと、そのことにもう本当にびっくりした。

ただ報道ではこのような高学歴者ばかりがよく取り上げられていたが、オウム真理教の信者の大半は、経済的に生活に困窮していたり、あるいは生活が荒れていたり、精神疾患や何らかの障害を持った様々な課題を抱えた社会的弱者の人々が、圧倒的に多かったと言う。彼らは様々な方法で、なけなしのお金を供出させられ、さらにいろんな方法でお金を工面して、懸命に教団に上納していた。
そのような活動を通して完全に洗脳され、普通家庭の息子や娘までもが次々に出家して、サティアンと言う集団生活道場で洗脳されるための修行を受け、麻原代表の言いなりになっていくことになる。もちろん単なる洗脳だけではなく、麻原代表の性の対象として扱われ、数多くの出家した若い女性がレイプされて、子供も多く生まれたと言う。

このような薄汚い似非宗教の団体が、いつしか周囲の報道、あるいは世の中の批判に対して、武力を装備し、大きなテロを起こして、この世の中にオウム真理教による麻原王国を築こうなどと言う、荒唐無稽な馬鹿げたこそが、高学歴幹部たちによって練られ、最終的にそれがサリンと言う化学物質を使ったテロと言う形で実施されることになる。その後こんな事態になって、やっと目が覚めた警察は山梨県の本部を捜索し、主要幹部そして最後に代表の麻原を逮捕して、1つの区切りをつけることになった。

その後逮捕された麻原を始めとする幹部たちは起訴され、裁判にかけられることになる。そして次々に死刑の判決が出され、代表の麻原に対する死刑判決は、なんと事件から9年後。最高裁での死刑判決確定はなんと11年後。なんでこんなにばかばかしい時間がかかるのか。

とんでもない数の死者と被害者を出して、世界的にも例の少ないような大事件であるにもかかわらず、あまりにも時間がかかりすぎて、判決を知らないまま亡くなっていた人も多いだろう。そして判決が出てからも、死刑執行は一向になされなくて、10年以上が経った。
つい先日、何人かの死刑囚が東京拘置所から各地方の拘置所へ移送されたと言うニュースが流れた。おそらく死刑執行のための移送だろうと言われているが、中心人物の麻原については一体どうなってるのか。
死刑と言う制度に賛否両論があるのは勿論知っているし、自分自身ではどちらとも結論が出せていない。場合によってはやっぱり死刑は問題が、と思ったり、別の場合によっては死刑にすべきだ、と思ったりする。しかし少なくともこの事件では、当然死刑もやむを得ないというか、そうしないと多くの国民が納得できないだろうと思う。やるならさっさとやってもらいたい。死刑執行されずに刑務所内で病死すると言うケースもある。そんなんではやっぱり納得できないだろう。
この事件では上にも書いたように、警察や報道機関の重大なミスが原因の1つにもなっている。ミスと言うよりは、真実を追求する真摯な姿勢が取れなかったと言うべきで、恣意的な運用のあり方が、この事件を途中で断ち切ることができなかった大きな原因だと思える。

事件から四半世紀経って、警察は変わったのか。報道機関は変わったのか。特に極めてひどい報道をやらかしたテレビ局は変わったと言えるのか。
警察の不祥事とか事件というのは、今でも隠蔽されているものも多く、報道されて明らかになっているのは極一部のものだけで、内部の状況は実際にはよくわからない。だから警察も変わったかどうかなんてことが、一般的にはわからないような実態になっていると言う意味では、多分警察は変わったとは言えないだろう。要するに国民のための、市民のための、地域住民ための警察なんて事はとても言えないだろう。
じゃあ新聞はどうなのか。松本サリン事件でも警察の発表を鵜呑みにして、無実の人を犯人に仕立て上げた新聞社の記者が所属している、記者クラブと言う馬鹿げた制度が、横一線の批判も何もできないお上の発表をそのまま報道する、役立たずの報道機関になっている。それは今も基本的に変わらないだろう。
今の森友学園の事件の政府発表の場でも、多くの新聞社やテレビ局が詰めかけていても、その場で鋭い質問をしたり追求したりするような声と言うのは、ごく一部の記者を除いて、ほとんどみんな黙っているまま。つまり政府発表をそのまま放映したり記事にするだけと言う無様な有様。
テレビ局は、特に東京のキー局と呼ばれる偉そうにしているテレビ局の事だが、こいつらも普段からくだらないバカ番組を垂れ流し、重要なニュース報道においては、大半のニュースキャスターが会社の指令を受けているのかどうか知らんが、政府に忖度をして言うべきことを言えないと言う、これもまた国民のほうに目を向けず、政府の権力者に目を向けたままの姿勢で、役立たずの存在でしかない。
要するに重大な課題を含んだ事件等が起こっても、それを教訓化し、一番大事な国民や市民たちに目を向け、また国民的視線で語ると言うことができない有様に成り下がったままだ。世界のマスコミの自由度を調査した国際機関の発表によれば、日本のマスコミのレベルは先進国中、最低クラスと言われている。NHKを始め、どの局も、また全国紙なども含めて、政府の脅しに屈したまま、自分たちの主張をしようとする気力さえなくしたままのマスコミに、誰が信頼を託すと言うのか。
今日の新聞やテレビのニュースで、ごくごくわずかにサリン事件のことを報道していたが、もう既に終わったものとして、表面的に上辺をなぞっただけの短い報道でしかなかった。何の教訓も示そうとせず、何も深く追求しようともせず、こんなことがありましただけで済ましてしまう今のマスコミのあり方は、将来的に考えると、日本総保守化、右傾化を手助けする補完勢力でしかなくなるとしか、自分には思えない。
ほんと、考えれば考えるほどくだらない国にどんどん成り下がっていく日本である。
思っていること、言うべき事はまだまだあるが、これだけでも随分長くなってしまった。
オウム真理教の一連の事件、地下鉄サリン事件、すべて多くの犠牲者、被害者を出しており、いまだに苦しみ続けている人々が大勢いる。そのことを忘れてはならないし、特に報道機関は当時の犯した過ちを改めて反省しつつ、このことを若い人々にも知らしめる努力を続けるべきだと思う。なお恣意的、意図的に冤罪を作り出そうとした警察には、何一つ期待してない。



(画像は全てウェブより)
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