3連休の9日10日、2日間にわたって町内会の秋祭りがコロナ禍を経て 4年ぶりに開催された。コロナ禍の前は例年の催し物で特に 小学生や幼稚園・保育所の子供達が楽しみにしていたものだ。去年までの3年間はこのような大勢の人が集まる催し物が、実質上できなかった。それだけに町内会役員の大人たちが喜々として待っていたかのように準備を始めた。子供神輿を2基出して大きなテントを立てていく。あいにくの雨で準備作業は雨に濡れた中で行われ、テントなどもかなり濡れてしまったが、そのために前夜祭が行われなかった。これもみんなが楽しみにしていたもので残念なところだ。
ちなみにこの祭りは我が家のすぐ前で行われる。そこに町内会の集会所があって、様々な 催し物の道具なども保管されている倉庫もある。その隣が児童公園となっているというわけでやや広い場所を取り、にぎやかな催し物をする上では絶好の場所なのだ。2階の窓から準備の様子を見ていると、やはり町内会の役員の男性たちは、皆さんほとんどが高齢のおじいさん達ばかり。まあそれでも皆さん、子供たちが楽しみにしている祭りの準備とあって大きな声を出しながらかなり頑張って準備を進めていた。そういうところからも前夜祭が雨で中止になったのは非常に残念なところだろう。
町内会のこの祭りが始まったのはいつなのかは知らない。私がこの地に転居してきたのが1980年前後だ。その頃は住宅の数も今よりずっと 少なく、全体が若かった。従って子供たちの数も随分多かったものだ。確かその頃にはこのような祭りはなかったように思う。私が入居した新しい住宅地はかなり広大で、そこにどんどん人が入り、子供が増え転居してから数年後にこの祭りが始まったように記憶している。同じく夏休み中に行われるお地蔵さんの祭りも同じように始まっていた。そちらの方はまだ再開されていないようだ。
そういった意味では当時、郊外に新興住宅地がどんどん増え、宇治市の人口もうなぎのぼり。宇治市は20万都市構想などと言っていたものだ。実際には19万数千人まで来たがいに20万人には達せず、人口は減少中。今は18万人台だ。通勤に使っていた近鉄京都線の電車も普通列車が3両編成でぎゅうぎゅう満員。疲れ果てるような状況だった。今でも朝夕のラッシュ時はそこそこの人だが、ぎゅうぎゅうとまでは行ってないと思う。
祭りはどのような経緯で設けられたのかは知らないが、子供たちが神輿を大勢で引っ張って市道を練り歩き、 1km北にある巨椋神社へ向かう。そこで健康安全や豊作などを神に祈って参拝し、同じ道を戻ってくる。先頭の子供たちは小太鼓を叩いて景気をつけてみんなが、わっしょいわっしょいと掛け声をかける。小さな子たちはこのようなことが大好きで誰もが引っ張りたい、大きい声でわっしょいと叫びたいというのが、見ているとよくわかる。 祭りと神社が何の関係があるのかと言われても、これは日本の過去の歴史から深い結びつきがあり特に理屈をつけて云々ということは何もない。ごく自然の風景として普通にみんなが受け入れてるものだ。
10日の月曜日は曇りがちだったが、朝の10時から様々な催しが始まる。気の早い子は30分以上前にやってきてやる気まんまん。時間になると大人も含めてかなりの人数が集まったが、やはりかつてのことを考えると子供たちの数はかなり少なくなっている。こうしてまずは上記のように子供神輿を引っ張って神社へ行く。戻ってくるといよいよ楽しい ゲーム大会。ビンゴやコルク鉄砲などなど。それこそ我が家の門の真ん前に大勢の子供たちが集まって楽しんでいる。もちろんこの日は車などを出しようがない。でもこのようにして無邪気に楽しんでいる子供たちにとってみれば、新しく転入してきた子たちも含めてお互いが仲良くなり、大人も知り合いになりコミュニティの輪が広がってくることになる。マンションなどと違ってこういう点は戸建て住宅地というのは、このようなものを催し物を通して近所付き合いの深まりが見られるというのもいいことだろう。
役員でもない私としてみればそれを微笑ましく見て、少し写真を撮って終わりと言ったところだ。コロナの制限が緩和され大勢の人が集まって色々な集会や催し物ができるようにはなったとはいえ、実際にはこのところコロナ患者の数は急増している。第9 波と言われる状況になり、さらに加えてインフルエンザがすでに猛威を振るい始めている。そういった点では対策をしっかりしながら感染には十分気をつける必要があるだろう。来年度はどうなるかわからないが、いったん解除したものが再び 制限がつけられるようなことができるのかと言われれば、国としてはかなり難しいだろう。もうすぐ私も次のコロナ ワクチンを打つ予定だ。