切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 町内会の「秋まつり」・・・4年ぶり、大賑わい 》    2023.10.11

2023-10-10 23:02:32 | 日記


 3連休の9日10日、2日間にわたって町内会の秋祭りがコロナ禍を経て 4年ぶりに開催された。コロナ禍の前は例年の催し物で特に 小学生や幼稚園・保育所の子供達が楽しみにしていたものだ。去年までの3年間はこのような大勢の人が集まる催し物が、実質上できなかった。それだけに町内会役員の大人たちが喜々として待っていたかのように準備を始めた。子供神輿を2基出して大きなテントを立てていく。あいにくの雨で準備作業は雨に濡れた中で行われ、テントなどもかなり濡れてしまったが、そのために前夜祭が行われなかった。これもみんなが楽しみにしていたもので残念なところだ。

 

 ちなみにこの祭りは我が家のすぐ前で行われる。そこに町内会の集会所があって、様々な 催し物の道具なども保管されている倉庫もある。その隣が児童公園となっているというわけでやや広い場所を取り、にぎやかな催し物をする上では絶好の場所なのだ。2階の窓から準備の様子を見ていると、やはり町内会の役員の男性たちは、皆さんほとんどが高齢のおじいさん達ばかり。まあそれでも皆さん、子供たちが楽しみにしている祭りの準備とあって大きな声を出しながらかなり頑張って準備を進めていた。そういうところからも前夜祭が雨で中止になったのは非常に残念なところだろう。

 町内会のこの祭りが始まったのはいつなのかは知らない。私がこの地に転居してきたのが1980年前後だ。その頃は住宅の数も今よりずっと 少なく、全体が若かった。従って子供たちの数も随分多かったものだ。確かその頃にはこのような祭りはなかったように思う。私が入居した新しい住宅地はかなり広大で、そこにどんどん人が入り、子供が増え転居してから数年後にこの祭りが始まったように記憶している。同じく夏休み中に行われるお地蔵さんの祭りも同じように始まっていた。そちらの方はまだ再開されていないようだ。

 そういった意味では当時、郊外に新興住宅地がどんどん増え、宇治市の人口もうなぎのぼり。宇治市は20万都市構想などと言っていたものだ。実際には19万数千人まで来たがいに20万人には達せず、人口は減少中。今は18万人台だ。通勤に使っていた近鉄京都線の電車も普通列車が3両編成でぎゅうぎゅう満員。疲れ果てるような状況だった。今でも朝夕のラッシュ時はそこそこの人だが、ぎゅうぎゅうとまでは行ってないと思う。

 祭りはどのような経緯で設けられたのかは知らないが、子供たちが神輿を大勢で引っ張って市道を練り歩き、 1km北にある巨椋神社へ向かう。そこで健康安全や豊作などを神に祈って参拝し、同じ道を戻ってくる。先頭の子供たちは小太鼓を叩いて景気をつけてみんなが、わっしょいわっしょいと掛け声をかける。小さな子たちはこのようなことが大好きで誰もが引っ張りたい、大きい声でわっしょいと叫びたいというのが、見ているとよくわかる。 祭りと神社が何の関係があるのかと言われても、これは日本の過去の歴史から深い結びつきがあり特に理屈をつけて云々ということは何もない。ごく自然の風景として普通にみんなが受け入れてるものだ。

 

 10日の月曜日は曇りがちだったが、朝の10時から様々な催しが始まる。気の早い子は30分以上前にやってきてやる気まんまん。時間になると大人も含めてかなりの人数が集まったが、やはりかつてのことを考えると子供たちの数はかなり少なくなっている。こうしてまずは上記のように子供神輿を引っ張って神社へ行く。戻ってくるといよいよ楽しい ゲーム大会。ビンゴやコルク鉄砲などなど。それこそ我が家の門の真ん前に大勢の子供たちが集まって楽しんでいる。もちろんこの日は車などを出しようがない。でもこのようにして無邪気に楽しんでいる子供たちにとってみれば、新しく転入してきた子たちも含めてお互いが仲良くなり、大人も知り合いになりコミュニティの輪が広がってくることになる。マンションなどと違ってこういう点は戸建て住宅地というのは、このようなものを催し物を通して近所付き合いの深まりが見られるというのもいいことだろう。

 役員でもない私としてみればそれを微笑ましく見て、少し写真を撮って終わりと言ったところだ。コロナの制限が緩和され大勢の人が集まって色々な集会や催し物ができるようにはなったとはいえ、実際にはこのところコロナ患者の数は急増している。第9 波と言われる状況になり、さらに加えてインフルエンザがすでに猛威を振るい始めている。そういった点では対策をしっかりしながら感染には十分気をつける必要があるだろう。来年度はどうなるかわからないが、いったん解除したものが再び 制限がつけられるようなことができるのかと言われれば、国としてはかなり難しいだろう。もうすぐ私も次のコロナ ワクチンを打つ予定だ。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《切れじいさんの食道癌闘病記》No.26

2021-05-01 18:51:00 | 日記



 突然の吐血によって胃潰瘍と診断された私は、その後、主治医の言うがままに処方された薬及び栄養飲料を主食にする食事を続けた。これでまた薬が増え、栄養飲料である「エンシュアーリキッド」、これが1本で一食分の栄養が賄えると言う。これが朝昼晩のそれぞれの食事となる。確かに栄養面ではこれ後、水分を1日に1.5リッターでオーケーとの事だったが、空腹感はいかんともし難く、どうしても間食と言う形でお菓子を食べるようになってしまった。無論お菓子によっては、胃潰瘍の傷口にさらに傷をつけることになるので、制限付きだ。そのためにゼリーを中心とした柔らかいお菓子に限られる。少し固めのお菓子は口の中で完全に砕いて飲み込む。こうして傷口に負担がかからないようにするのみだった。

 毎朝のウォーキングは標準コースの3㎞余り。しかし明らかに体力の低下を感じる。つまりパワーが出ないのだ。確かに栄養的にはこれで生きてはいけるものの、パワーが出ないと言うのは同時に精神的にも、「やる気が出ない」と言うところに直結する。しかしここで変に無理をすると、また食事が傷口を痛めて出血する。それがそのまま吐血となる。前にも書いたが、胃カメラを飲んだ時にカラーモニターをずっと見ていた。カメラが胃潰瘍の傷口の部分に到達すると、ちょうど出血しているシーンがまともに映った。大量出血と言うわけではないが、トロトロと出血し続けている。なるほどこれでは胃痛と吐き気と吐血があるわけだ。これをとりあえずは、胃カメラを一旦抜いて別の胃カメラにレーザーを取り付けて、そのレーザーで傷口をパチパチと焼くことにした。それである程度出血は止まる。後はひたすら主治医の言うことを守って食生活を続けることになる。

 先ほど書いたように、やはりパワーが出ないし、たとえ間食をしても若干空腹感はマシになるものの、体力低下は明らかだ。ウォーキングにかかっていた時間も明らかに長くなっている。自分ではそのつもりではないのにやはりペースが遅いのだ。その事は歩数計の数値が増えていることにも表れていた。一歩一歩の歩幅が短くなっているのだ。そのために雨の日など、ウォーキングに出られないときにはなぜかほっとする自分がいた。

 こうして約1ヵ月近くが経ち、先日日赤を訪れる。今回は採血のみで、後診察を待つ。例によって長い時間待ってようやく呼ばれて診察室の中に入ると、主治医の先生は血液検査の結果を見て、かなり改善されたと言われた。やはり薬の効きが良かったようだ。しかし私の胃潰瘍は少し傷が深かったようで、このままではまだ終わりとはならず、しばらく服薬治療が続く。とりあえずエンシュアーリキッドのほうはまだ余りがあったので、それを飲むこととして、新たに処方はされずに、普通食に戻ることになった。もちろん普通食といっても、色々と軟らかいものに注意しながら食べる、と言うことになる。少し固めのもの、例えば白菜の芯のところのようなものでも、噛み砕いて十分にドロドロにしてから飲み込む、というのがある意味、条件となる。これでようやく空腹感も少しはマシになるかなと思っている。

 そして5月の下旬に、食道癌の状況を詳しく調べる精密検査を行う予定になっている。CT scan及び胃カメラとなる。これはもともと食道癌のために予定が組まれていたものだが、ちょうど胃潰瘍もついでに調べることになる。その結果を待って、胃潰瘍が寛解したかどうかが判断される。ひょっとしてそのまままだ服薬が続く可能性もある。本来ならば食道癌の治療中であり服薬をしていたが、そちらの薬を一旦中断して、今は胃潰瘍を完全に治すことが最優先課題となっている。場合によっては胃潰瘍と言うのは数ヶ月かかることもあると言う。何とか今月中には寛解に至るまでになってほしいと思っている。

 しかしそれにしても最初はてっきり食道癌の何らかの再発、あるいは転移があったのか。または手術をした後が破れて出血したのかと思った位だ。一応直接の関係は無いと言うことで、それはそれで一安心ではあった。



 ところで先日、国立がんセンターが各種癌の10年後生存率の発表を初めて行った。私の場合は食道癌のステージ2。一覧表を見ると10年後生存率は、37.4%

これは様々な部位の癌のうち、同じステージ2で比較すると、完全に厳しい方に入る。主要な癌の胃癌や大腸癌などに比べても、かなり厳しい。ちょうど肺癌と同じような数値となる。最も厳しいのは今や誰もが知っているように膵臓癌だ。

 私自身の人生は、10年後の生存率が4割を切っていると言うのは、その分覚悟しておけと言われているようなものだ。つまり日本人の男性の平均寿命にも達しないうちに死ぬ確率がかなり高い、と言うことを意味している。今更言っても仕方がないが、一年半後に手術以来満5年になるので、その段階で寛解したかどうかが判断される。おそらく予想としては調子が良いので、寛解となると自分では思っているが、癌細胞がおそらくどこかに潜んでいるのであろうと思っているので、再発あるいは、転移して何らかの癌がまた出てくるのではないかと言うことを想定をしておく必要がある。そういった意味では今から「終活」をもっと意識して進めておかなければならない。これまでにもずいぶん不要なものを処分してきたが、まだまだたくさんある。いわゆる終活ノートの項目をチェックして身内に連絡しておく必要がある。

 なんともがっくりくるような話だが、まぁ考えてみればいつかはやってくる話だ。それがたとえ癌でなくても他の形で「死」と言うものはとにかくやってくる。妹夫婦はおそらく長生きするだろうと思う。健康状態も良く基礎疾患も何もない。そういった意味では90歳、あるいは百歳まで生きる可能性があるだろう。私の場合は基礎疾患もあるし、現役時代の仕事ははっきり言って無茶苦茶と言っていいような状況だった。今頃になって文科省が取り上げている、中学校のブラックな職場だったと言う事。

 だからこそ手術中に経験したことのない発作、と言うものを生まれて初めて起こしたのだ。胃潰瘍と言うのも今回生まれて初めてだった。老化に伴って若い頃に無理をしていたツケが出てきたというのが本当のところなんだろう。今回は胃潰瘍も治りつつある。が、これで良かったとはならないと思うべきだ。考えればある意味極めて虚しい話だが、これも運命として捉えれば、少しは気持ちが落ち着こうかと言うものだ。

 その時がやってくるまでに、最低限やっておきたい目標と言うものがあるので、それだけはやり遂げたいと思っている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《キレキレ爺さん、交通事故に遭う》②・・・その後の経過報告

2021-04-22 23:04:26 | 日記
 4月15日の事故からちょうど1週間。先ほど保険の代理店から、中間報告が電話で知らされた。

 話の内容を聞きながら自分自身の血圧がどんどん上昇し、カッカしていくのがよくわかった。結論から言うと、あくまで中間報告ではあるが、相手の保険会社の言い分は、「私の方が加害者である。」と言うことだ。思わず耳を疑った。どこからどのように判断すれば私が加害者になるのか、全く意味が飲み込めない。つい私も声を荒らげながら、保険会社同士の話し合いの内容を聞いた。
 私の保険会社は代理店を通じて、東京海上日動。相手の保険会社はアクサダイレクト。話し合いは過失責任を5対5で始めると言う。そして私が「対向車線から巡航車線に入って、ぶつけてきた」と言うことで、過失割合は4対6で、私の方が6。つまり私が悪い、と言うものだ。
 相手の車はかなり古いので、修理費用は約360,000円だが、年式が古い分時価総額にすると162,800円だと言う。私のほうは詳しい額は聞いていないが、50数万円だ。まだ5年目の車だ。先日1回目の車検を終えたばかり。
 4対6などと言われて、それで帰ってきたのかどうかわからないが、一応相手が主張している過失割合だ。もちろん私自身はどんなことがあっても承服できない旨を伝えた。まさかのまさかのまさかだ。
 アクサダイレクトの担当者はもちろん、事故の相手から事情を聞いているだろう。おそらく相手は都合の良いような言い方をして、私の方が加害者だと言うふうに決めつけて報告しているはずだ。本人が右折カーブで車線を間違えて、私の車線に入ってきたことをどのように思っているのか。相手の車は私の車線に入ってきたのは、私の車を追い抜いてからではない。頭1つ相手の車が前に出ていて、そのままこちらへ寄ってきた。危ない、と思って、中央分離線の方へ追いやられようとしたが、そこにトラックが止まっていて、それを避けるために本来の自分の車線へ進んだら衝突。もちろん相手は内側車線変更のためのウィンカーも何も出していない。ドライブレコーダーにもはっきり写っている。相手が保険会社に具体的にどんな主張したのか、あくまで保険会社同士の話し合いと言うことなのでわからないが、とにかく全く納得はできない。
 そのような主張するならば、科学的な根拠を示し、相手の主張する内容が整合性があるのかどうか、と言うことをきちっと示してもらわなければならない。もちろん保険会社としては、それぞれ自社のお客さんの方を支持するのは当たり前だろう。しかしこれだけはっきりした証拠映像があるにもかかわらず、あくまでも自社のお客さんが絶対に正しいのだと言う姿勢で、客観的な判断というのができないのであれば、私の方としても当然、場合によっては裁判だって考える必要が出てくる。

 とりあえず私の担当者には、場合によっては交通事故鑑定人と言うプロがいるので、弁護士とともにそういった人にも協力を得て、主張してもらうように進言した。相手の姿勢からして話は簡単には進まないような雰囲気で、かなり時間がかかるだろうと言われている。お互いの修理費は合わせると約700,000円となる。これで4対6で私の方が6と言うことになれば、420,000円。相手の車と自分の車の修理費を負担することになる。相手は280,000円だ。どっからどう考えたってこんなものに納得できるはずがない。東京海上日動がどこまでやれるのか、次の報告を待たざるを得ない。最終結果が出るまでに約1ヵ月はかかるだろう。その結果、私の方が加害者扱いとされれば裁判で決着をつけるか、その判断をしなければならない。
 私自身はどんなに譲っても、過失割合は7対3であり、それ以上譲る気は1歩もない。あくまで私は相手の車に進路妨害をされたのであり、その結果ぶつかざるを得なかったと言うことだ。とりあえず再掲載になるが、その時のドライブレコーダーの映像写真を載せておく。
 そしてまた、私の方が加害者扱いで決着させられたら、東京海上日動の自動車保険は今後一切止めるしかない。まぁこの世の中は理不尽な事はいくらでも確かにある。相手の男も現場ではボサとしていたが、保険会社に対してはかなり狡猾な姿勢で、自分が被害者であることを大きく主張したんだろう。おそらく相手は保険を使って車を修理するよりも、新車に買い換えるだろう。何しろ14〜5年経っている車だ。だからなんとしても被害者であることが必要であり、少しでも修理費は出したくないと言うことになると思う。
 次の連絡はいつごろになるかわからないが、保険会社の手腕が問われるところになると思う。連絡があればまたこのブログで報告したいと思う。

    
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする