切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

法金剛院・・・ハスの極楽  京都市右京区  2022.7.17

2022-07-31 23:36:05 | 撮影
   

『法金剛院
 五位山と号する、京都では数少ない律宗寺院である。極楽浄土に見立てた浄土式庭園は有名で、平安末期の姿をとどめている。花の寺としても知られ、とりわけ蓮の名所として名高い。
 平安時代の初めに右大臣清原夏野がこの地で営んだ山荘を、没後、寺に改め、双丘寺と称したのが当寺の起こりで、大治五年(一一三〇)に鳥羽上皇の中宮待賢門院が再興し、寺名を法金剛院と改めた。四季折々の美しい景観は、待賢門院を深く慕ったといわれる西行の歌にも詠まれている。その後、弘安二年(一二七九)に円覚により再興され、律宗に改められた。
 本堂は元和四年( 一六一八)に再建されたもので、堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像、四本の手を持つ珍しい十一面観音坐像、僧形文殊坐像(いずれも重要文化財)などを安置している。また、寺宝として、蓮華式香炉(重要文化財)などの工芸品や書画など多数を蔵している。
 庭園は、昭和四十五年( 一九七〇)に発掘、復元されたもので、池の北側にある巨石を並べて造られた「青女の滝」は、五位山と呼ばれる背後の山とともに国の特別名勝に指定されている。
 京都市』  (駒札より)

    

 法金剛院は当ブログにおいても何度か取り上げている。今回も同様に、春の桜や秋の紅葉など、庭園が四季折々の木々や花々の見事な色で埋まり、そういった期間は特別公開となる。今回は初めて「ハス」の名所ということで訪れることにした。実は法金剛院の最大の見所がこのハスなのだ。
 お寺の横に無料駐車場があり、到着した時には既に何台もの車が駐車していた。とりあえず山門を撮影し、そこからは入場できないので、駐車場側の出入り口から入る。入場料を支払い境内を進む。とさすがに結構大勢の人が来ていた。目の前に広がる庭園は、中央の池を取り囲むように散策路が整備されており、池の中のハスと同時に、大きな鉢にハスの花が咲いているものもあり、全体がハスで満たされてるような状態になっていた。これまで見てきた中では最高の風景といった感じだ。

       

 法金剛院のハスは一色にとどまらず、様々な色のものが花開いており、その点でも景色が豊かになる。本堂の反対側から、池とハスを撮影すると、歴史のある本堂の建物が非常に優雅に収まる。こうしてみると実に見事なハスの共演といった雰囲気に溢れる。
 法金剛院はこの庭園だけが見所というだけでなく、本堂の奥の建物に、国宝の阿弥陀如来坐像を始め、重要文化財の様々な仏像が収められている。最初の入場券で全てを見ることができる。これがまた非常に見応えのある素晴らしいもので、是非拝観すべきものだと思う。訪れた人々の様子を見てると、庭園の風景だけで満足して、本尊等の仏像への拝観をしない人も結構いるようだ。まったくもったいないと思う。

 ハスの特別公開は7月31日まで。次の特別公開はおそらく、11月頃の紅葉の季節になると思う。


         

   
  (仏像画像はパンフレットより)

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《 ちょっと危なかった・・・・熱中症!》   2022.7.30

2022-07-31 00:01:50 | 日記


 昨日、いつものようにカメラ持って昼前に出る。外は満天の青空に白い雲。車に乗ると車載外気温計がなんと37°cを示している。クーラー入れて出発。
 目的地は約30分の「東本願寺」その北の端にある大きなコインパークに入れる。やや重めのカバンとカメラを肩にかけて、東本願寺へ向かう。空はまさしくかんかん照りの状態。強烈な太陽光線が降り注いでいる。東本願寺近くのコインパークと言っても、本願寺自体が広大なので、山門までは結構距離がある。もろに太陽光線を受けながら山門前の正面に到着。1枚目の写真を撮る。そして境内に入る。

 このところずっとハスを追いかけて、あちこちのお寺を巡って写真を撮ってきた。この東本願寺にもハスが咲いているという。境内に入って正面の巨大な建造物、阿弥陀堂、そしてその横にある御影堂。ともに国の重要文化財だ。山門ももちろん重要文化財。阿弥陀堂などは木造建築としては世界最大級を誇る。そんなだだっ広い境内の中を歩いてハスを探す。
 もちろんハスのありかというのは、巨大鉢が置かれているか、あるいは水が張られた掘りがあるか、ということになる。境内には鉢は見られなかった。従って門を出て本願寺の周囲を取り囲むお堀を順に見ていく。ハスらしきものは全く見られない。

 この頃から少し身体全体がだるくなってくるのを感じた。ちょっとした倦怠感みたいなものだ。ずっと順番に歩いて堀の南側へ回る。そこを進んでいくと、ようやく大きなハスの葉が群生しているのが見えてきた。
 よし、と思って写真を撮り始める。しかし花を咲かせているものは少ない。これだけかんかん照りの直射日光の下では、昼までに窄んでしまったものも多いのではないか、と思いながら撮影する。ところがすぐにカメラのバッテリーがなくなるという警告がモニターに現れた。なんとここに来てバッテリー切れとは。出かける時にはもちろんチェックしている。バッテリーはまだ50%残っていた。なのに急激になくなってしまう。考えてみれば Canon のカメラに共通する特徴だ。


  (TVニュースより)

 ガックリするとともに、はっと気づいたのが、自分の腕や顔を確かめても汗ひとつかいてないという事実だった。普段ならこんなに暑いと汗だくになるはずなのに、全く汗をかいていない。アンダーシャツも触ってみたがカラカラに乾いたまま。こんな体験は初めてだ。と同時に身体全体の感覚が明らかにおかしくなっている。
 これはひょっとして「熱中症」の初期症状ではないかと頭に浮かんだ。急いで車に戻る。と言っても早足で歩くことができない。異様に足元がだるくて早足で歩けないのだ。とにかく転倒しないように一歩ずつゆっくりめの歩行で、コインパークにたどり着いた。すぐに車に置いてある缶コーヒーをがぶがぶ飲む。そしてすぐに頭がしっかりしているうちに家へ戻ることにした。

 午後2時過ぎに家に着いたが、その時点でかなりふらふらの状態。相変わらず汗は全くかいていない。部屋のクーラーを最強にしてすぐに畳の上に横たわる。もちろん冷たい水を立て続けに飲んでからだ。
 そしてそのまま約2時間、じっと横になっていた。幸い意識が遠のくとか、手足の痺れが来るとかそういったことはなかったので、熱中症そのものには至らなかったようだ。
 お年寄りの熱中症による死亡者の割合で、室内で亡くなられる方が最も多いと聞く。そういった意味ではクーラーをかけても水を飲んでも、要注意は要注意だ。とにかく無理をせず2時間あまりずっと横になっていた。夕方になってようやく回復。

 自分自身では老人であることはもちろん自覚しているものの、まだまだ元気だと勝手に思い込んでいた。テレビニュースなどで見る熱中症による死亡者のことも、まるで他人ごとのように見ていた。今回改めて、やはり自分は熱中症も含めて、世の中でお年寄りが危険にさらされていることによって、比較的簡単に死亡に至る可能性があるのだ、ということを思い知らされた。
 自分は大丈夫、という思い込みはもはや、この年齢になると全く通用しないと思うべきだ。ちょっとした油断が「死」につながるのだ。


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《 やっぱり出てきた疑惑だらけの東京オリンピック・パラリンピックの闇の一つ 》 2022.7.27

2022-07-27 23:58:26 | 社会


 昨年様々な問題が指摘された東京オリンピック・パラリンピックが実施され、コロナ禍の中で行われた。その総括とも言える報告書が、東京オリンピック・パラリンピック委員会よりつい先日発表された。とはいっても我々にはその内容を読むことはできない。おそらく半年くらいもすると各都道府県の中央図書館などには届くだろうが、今のところ各メディアが手にしたその報告書の内容を伝えていることくらいしか、我々には知りようがない。

 いくつかのメディアの報告書の内容や感想、あるいは新聞社の社説をネット上で読んでみたが、全体的には約600ページに渡る分量であり、オリンピック招致から競技場計画、競技運営、開会式の内容などなどが、各項目ごとに簡単に紹介されていた。もちろん各メディアによって、この東京オリンピック・パラリンピックをどのようなスタンスで捉えているかによって、報告書の読み取り方も違ってくるだろうが、概ね共通しているなと思われたのが、報告書全体を通して謂わば、「 自画自賛」と言った内容が強く全面に押し出されているようだ。もちろんそれだけでは国民の納得は得られるはずもなく、様々な問題があったことは短めに紹介されていて、エンブレム問題や開会式の音楽問題なども含めた人選問題に課題があったことも記されていると言う。
 これらの内容については東京オリンピック・パラリンピック前に、私自身何度もこのブログにおいて記してきたことだ。またオリンピック・パラリンピック後のこともブログでいろいろと意見を述べている。果たして今回の報告書が、東京オリンピック・パラリンピックの本当に「総括」に値するだけの内容となっているのかどうか、というのがどうにもこうにも疑問に思えてしまう。

 なぜ私が招致段階の時から疑問点ばかりを述べてきたかと言うと、東京オリンピック・パラリンピックそのものが、いったい何のために行われるのかという「そもそも論」という疑問があったからだ。表向きは東日本大震災復興の起爆剤とする、日本を一つにまとめ人々の心を一つにまとめ、震災で被った大きな被害の復興に勇気を与え、この日本を元気にする、などという美辞麗句が並んでいた。「東京」と「東北地方」がどんな関係にあるのか。表向きは一部の競技を東北地方において行うということで、震災復興オリンピック・パラリンピックにすると言う都合のいい口実を並べていた。
 
 そして今までとは違った、経費のかからないコンパクトなオリンピック・パラリンピックを実現するということで、全整備費用が7000数百億円、都の予算を引き出し招致委員会に臨んだのだ。果たして招致委員会においては東京オリンピック・パラリンピックが選ばれ、招致委員会の代表団は大変な数を派遣していたが、全員が立ち上がって大喜びという写真もこのブログに掲載した。

 しかし既にこの段階で疑惑は生まれていたのだ。不透明な億単位のお金が、これまた素性のよくわからない人物に渡ってロビー活動に使用されたのではないか。あるいは国際オリンピック委員会の実力者への手土産になったのではないか、などと噂が飛び、フランス警察が捜査を開始することになった。今では報道されていないが、実は今現在もフランス警察は捜査を続けていると言う。
 そしてこの時に、日本のオリンピック・パラリンピック組織委員会の理事である高橋治之元理事を通して約9億円と言う巨額の不明金が動いたとされる。この人物は大手広告代理店の「電通」の元幹部であり、後にコンサルティング会社「コモンズ」を設立した人物だ。いわば裏金が動くことによって見事、東京に招致が決定されたということにもなる。

 

 ところが今回、東京地検は突然動きを見せて、高橋氏自宅及び経営する会社のコモンズ、そして新たに「AOKIホールディングス」という会社を捜査した。当寺の代表は青木拡憲会長であり、この会社は言うまでもなく大手紳士服メーカーだ。つまり選手たちをはじめとする役員や係員等のスーツ類などの契約を取ることも含め、オリンピック・パラリンピックの正式スポンサーとして利益が得られるよう、お金が組織委員会に流れたという疑惑が発覚したのだ。今のところ4500万円と言われている。要するに受託収賄罪であり、青木氏は賄賂を渡してオリンピック・パラリンピックでの大型契約をとったという形になり、贈賄側は日本のオリンピック・パラリンピック組織委員会の理事だったというわけだ。

 特捜部が操作に入ったばかりで、現段階で断定的なことを言うことはできないが、高橋元理事の職場である電通にも捜査が入っており、さらに都庁のオリンピック・パラリンピック清算委員会も捜索された。事件はオリンピック・パラリンピックの準備が始まった頃の話だと思われるので、もう何年も前のことになる。
 はっきり言って「やっぱり疑惑まみれのオリンピック・パラリンピック」だったのだと言わざるを得ない。



 東京オリンピック・パラリンピックの報告書(総括)が公表されてまだ一週間くらいしか経っていない。こんな時に新たな疑惑が出てきたわけだ。なんともやりきれないし恐るべき薄汚い東京オリンピック・パラリンピックになったということになる。
 おそらく出場した選ばれた選手たちは無関係だと思う。こんなことを知ってる人は多分いないだろうと思っている。そういった意味では、彼ら彼女らには罪はないだろう。でも果たしてこんな無様な運営で得られたメダルにどれだけの価値が見出せるのか。中には本当にこんなオリンピック・パラリンピックで良かったのかと思う人も出てくるだろう。

 オリンピック・パラリンピック後に東北地方の人たちに、あるメディアがアンケートを取って、東北の復興に今回のオリンピック・パラリンピックが役に立ち、勇気を与えたかという問いに、「そう思う」が約30%、「思わない」が約70%という数値が報告されていた。東京とその周辺ばかりが大騒ぎして喜んで、わいわいやってるだけのものにすぎなかったのだ。まあ確かにオリンピック・パラリンピックは「都市が開催する」大前提なので、該当都市以外ははっきり言って関係ない。経費も従って該当都市が全部負担するはずなのだ。
 でも呆れたことに7000数百億円という大会経費が、終わってみれば倍以上の1兆6000億円あまり。しかも国民の血税もおよそ2000億円から投入されている。地方在住の者としてはアホらしくなるだけの話。

 そしておまけに新たな疑惑の発覚。こんな言い方をすると亡くなった安倍晋三氏には失礼だが、もし安倍晋三氏が健在ならば今回の東京地検の摘発はなかったかもしれないと思う。長い長い安倍政権時代には検察はほとんど何もしないに近い状態だった。そのためにオリンピック・パラリンピックだけでなく、様々な政策面での、あるいは政治面での多くの疑惑が明らかにされないまま闇の中へと沈んで行こうとしているのだ。



 せめて今回は検察の本来の力を発揮して、オリンピック・パラリンピックに関する受託収賄の容疑を明らかにし、単なる書類送検ではなく起訴に持ち込んでもらいたいものだと思う。そして犯罪者には相応の責任を取らせるべきなのだ。


  (画像はTVニュースより)

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東福寺・・・放生池の白いハス   京都市東山区   2022.7.20

2022-07-26 23:49:39 | 撮影
   

『東福寺
 恵日山と号し、臨済宗東福寺派の大本山である。藤原道家が嘉禎二年(一二三六) 東大寺、興福寺と並ぶ大寺の建立を発願し東福寺と名付け、禅僧円爾弁円(聖一国師)を開山に招いて、建長七年(一二五六) 完成した。その後火災を受けたが、室町初期に道家の計画通りに再建され、京都五山の一つとして栄え、多くの伽藍、塔頭が建ち並び、兵火を受けることもなく明治に至った。明治一四年に惜しくも仏殿、法堂など中心部を焼失したが、今なお堂々たる中世禅宗の寺観を保っている。
 三門(国宝)は室町初期の作、禅宗三門として最古の遺構である。禅堂(禅僧の坐禅所)、東司(便所)、浴室も室町時代の建物(重要文化財)でいずれも禅宗建築の重要な遺構である。本堂、方丈は近時の再建で、開山堂に至る渓谷には多くの紅葉があって通天橋が架かり、また偃月橋、臥雲橋が架けられて紅葉の名所をなしている。
  京都市』  (駒札より)

  

 東福寺には何度も訪れている。初めて撮影に行ったのがブログを始める何年か前。有名な紅葉の撮影に訪れた。
 多分車は駐めるところもないだろうし、JR奈良線で行ったのだが、宇治駅の段階で入線してきた6両編成の快速は超満員。宇治駅からもかなり大勢がぎゅうぎゅうづめで何とか乗った。当然車内は身動きが取れない状況で、カメラの入った鞄を上の方に上げてなんとかやり過ごした。快速列車は続いて六地蔵駅に停車したが、ここもホームはいっぱい。当然積み残し客が出る。なんとか電車は動き始めたが、すぐに止まってしまった。何事かと思うと車内アナウンスで、「東福寺駅が極めて危険な状態になっており、ホームは人で溢れ停車中の電車が発車できない状態」だと言う。そのために私が乗っている快速電車もいつ発車できるかわからない旨の放送だった。まさかこんなこと聞いたこともないので、正直驚いた。こんなにも大勢の人々が東福寺の紅葉を目指しているのか。
 しばらくして快速電車は動き出す。しかしノロノロ運転。ようやく東福寺駅に近づいてきたが手前でまた止まってしまった。車内放送では、「ホームが少し空くまで待機する」とのことだった。そして「駅から東福寺の入り口までは1時間半かかる状態になっている」との放送。普通に歩けばものの10分もかからない。まあしかしこれもひとつの体験ということで、最後まで東福寺の紅葉撮影をするということを決意した。
 東福寺の境内は人間だらけ。通潤橋の上も警備員が立ち止まらないように案内するが、誰も言うこと聞かない。写真1枚撮るのも大変な苦労だった。境内は基本的に無料だが、通潤橋を眺めることのできる場所は有料拝観となる。これもまた長蛇の列を並んでやっと入って、やっと撮影。
 正直疲れ果ててしまった。無論当時は外国人観光客もきわめて多く、単に欧米人だけではなく中国や韓国、あるいは東南アジアからも大勢の人々が来ていた。
 あれから何年経ったのか。私はそれ以来東福寺の紅葉シーズンには一度も行っていない。自分なりに非常に懲りてしまったという印象が強く、あんな大混雑は嫌だという思いが刷り込まれてしまったのだ。

 しかしその数年後、今から5年前、私は食道がんの宣告を受けて、第一日赤病院に入院・手術することになった。個室を希望して空いていた部屋に入れた。なんとその部屋の窓から東福寺の境内が一部ではあるが、眺めることができた。こうして約3週間近くにわたる入院期間、東福寺の境内や伽藍を眺めつつ過ごしたことが、いい思い出ともなっている。

    

 さて今回は決して満員になることはないだろうと思われる、ハスの撮影だ。天気は良かったが、予想通り境内は非常に空いていた。それでも高価なカメラに巨大な望遠レンズをつけた人たちがうろついている。間違いなくハス撮影の人々だろう。
 放生池は国宝三門の南側にある。早速向かってまず三門を様々な角度から撮影。続いて放生池を眺める。なかなか多い数だ。しかも全部が真っ白の花弁。もう少しカラフルな方がいいのだが、これはこれですっきりとした風景が楽しめる。池の南端に位置取りして、背景に三門を入れる。ど素人の下手な写真家であっても、それなりの写真が撮れる。まあはっきり言って自己満足の世界にすぎないことは確かなんだが、それでもとても心地よい。

    

  ちなみに一部の建物を除いて他の伽藍は、全て国の重要文化財に指定されている。他では見られない文化財があって、是非昔のトイレは見るべきだろうと思う。多くの禅僧が学んでいた東福寺においては、修行の日々、そして生活のいろんな場面でもちろんトイレをすることになるが、やはり人数が多いので、細長い建物がトイレとして建設された。その建物が今現在に至るまでそのまま残っており、重要文化財に指定されている。そして内部は少し盛り上がった土塁の場所に、丸い穴が連続で掘られている。まあなんとも単純な造りのトイレではあるが、しかし外部と遮断することによってしっかりとプライバシーが守られていることとなる。各建物には説明文が立てられており、そういったものを読みながら少し詳しい内容を見ていくとなかなか面白いものだと思える。

   
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萬福寺・・・ハスは ーーー あった!   京都府宇治市  2022.7.15

2022-07-24 22:52:26 | 撮影
   

 『萬福寺は 江戸時代初期の承応3年(1654)、 中国福建省から渡来された隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、 寛文元年(1661) に開創された日本三禅宗のひとつ、黄檗宗 (おうばくしゅう) の大本山です。
 黄檗宗の儀式作法は中国明代に制定された仏教儀礼で行われ、 読経は黄檗唐韻 (中国から伝わった当時の発音) で発音し、 中国明代そのままの法式梵唄を継承しています。
 伽藍の配置や堂舎の建築様式は中国の明朝様式を取り入れたもの。これまでに焼失等を免れ、創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物二十三棟、回廊などが国の重要文化財に指定されています。
 玄関としての天王殿には、中国式で四天王と弥勒菩薩と韋駄天が祀られています。 本堂である大雄寶殿の本尊は釈迦牟尼佛です。』
  (パンフレットより)

       

 萬福寺は宇治市にあり、京阪電車宇治線及びJR奈良線の黄檗駅からすぐ東にある。広大な敷地を有しており、総門から入ると目の前に巨大な山門が聳える。その手前の境内がこれまたずいぶん広く、池があり四季折々の花でも知られる。春の桜や紫陽花。あるいは秋の紅葉などこの部分だけでも十分に楽しめるようになっている。ベンチが置かれ、近所の人達が綺麗な風景を見ながら談笑する姿がいつも見られる。

 山門から先は有料となっているが、過去に1度だけ入ったことがある。内部はそれこそ壮大な境内が広がり、それを取り囲むように数多くの伽藍が並ぶ。それらはほとんどの建物は門も含めて、国の重要文化財に指定されている。江戸時代初期に創建されている建物は、破壊などされることなく今現在に至っているのだ。
 そしてそれらの建物全体が周囲の塔頭寺院も含めて、日本のお寺とは明らかに造りが違うことが見てすぐにわかる。つまり中国風の建築様式となっている。いわば異国情緒に溢れる景色が、ここでは周囲全体を取り囲んでいるということになる。これはこれで独特の雰囲気であり一見の価値十分にある。

       

 萬福寺は、日本から度々招請を受けて、中国福建省から禅宗寺院の隠元和尚が、多数の弟子を引き連れてこの地にやってきた。この地に根付いた黄檗宗は、後に臨済宗、曹洞宗とともに日本三大禅宗の宗派となる。広大なお寺の内部には多くの修行者が、日々のお勤め、および禅の修行に励んでおり、これまた独特の雰囲気がある。
 中国からやってきた隠元和尚達は日本に様々な習慣をもたらしたことでも知られている。その名の通りインゲン豆は有名だし、木魚、お茶を飲む習慣、家族みんなで食卓を囲んで食事をする習慣、といったものなどがよく知られており、そういった意味では日本の生活文化にも大きな影響を与えたということになる。

  

 今回はハスのシーズンということで、あちこちにハスを求めて走り回っているが、この萬福寺にもハスが咲いているという情報を得て、車でわずか10分あまりのところだが、やってきた。
 山門で安価な入場料を払い、広大な敷地を順に回っていく。ハスどころか植物がほとんどないような境内。門を入る前の境内には緑豊かだったものが、内部に入るとこうも違うのかとその差に戸惑う。ハスはないんだろうかと思いながら、ぐるっと一周し終わる頃にようやく見つけた。大きな建物と建物の間に長細い池があって、そこがハスの群生地域になっている。時間は午後だったので、かなり窄んでしまっているが、一部の花はきれいに咲いていた。なるほどこれだったら十分絵になるなと思いつつ、数の多くないハスではあるが、多数の写真を撮影させていただいた。

  

 宇治市には有名な平等院があり、宇治上神社や宇治神社。そして三室戸寺といった全国レベルの神社仏閣もある。そんな中で一番東側にあるのが萬福寺だ。この名前も大半の人はどこかで聞いたことがあるだろう。交通の便も良いので是非訪れることをおすすめする。

   
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