9月18日に、テレビ ニュースで信じがたい 報道がなされた。中国深川市の日本人学校の男子児童が母親と一緒に帰宅中、40代の中国人男性にナイフで襲撃されすぐ病院に運ばれた。手術手術が行われたが児童は死亡。襲われて亡くなったのは子供である。容疑者が最初から日本人を狙ったのか、日本人の2人を狙ったのか、あるいは一番弱い日本人の児童を狙ったのか。全く何もわかっていない。しかし10歳の男子児童が殺されたのだけは確かだ。
このわずか3ヶ月前、 6月24日には蘇州において、やはり日本人学校のスクールバスが児童の乗降の際に、やはり男に襲われ2名が怪我をしている。その時スクールバスに添乗していた中国人女性が男を止めようと組みついて、逆にナイフで刺され死亡するという痛ましい結果となった。もちろん容疑者の男は、日本人学校のスクールバスであることを認識していたであろうと思われる。あえて日本人の小学生を狙ってバスに乗り込み襲撃したのだ。
2度も続く中国人による日本人児童に対する襲撃というのは、かなり大きなショックを駐在日本人の家族たちに与えただけではなく、中国全土に展開している10箇所以上の日本人学校、あるいは進出している日本の会社も含めて、計り知れない衝撃を与えたことになる。私自身も同様だ。もちろん両事件とも容疑者は拘束され警察において取り調べを受けているはずだ。しかしいずれも未だにこの事件の動機が分かっていない。容疑者たちの素性も簡単に発表されただけで、それだけではなぜこのような事件を起こしたのかということは何一つ不明のままだ。
つい先日、上川外務大臣は中国の副大臣と会談して容疑者の詳細や動機など、詳しいことを知らせるべく強く要求したという。しかしおそらく2つの事件は、死亡者が出たという事実が残り、それ以上は何もわからないまま終わってしまうような気がする。
無論、蘇州の事件では児童たちを助けようとして、容疑者に逆に殺された女性に対して SNS上では賞賛の声が多数上がり、一種の英雄扱いとなっている。今回の深圳の事件では、近隣に住む中国人たちが次々に献花に訪れている。また日本メディアのインタビューに対して、哀悼の意を示したり、中国人全員がこんな人ばかりではないということを知ってほしい、などと悼む声も出ていた。 SNS においても子供を襲い殺す などというのは、強い非難に値するという旨の投稿が増えている。当然といえば当然だ。
しかし一方では、 SNS 上で「日本人は殺されて当然だ。」「日本は中国での戦争で一体どれだけの中国人を殺したのか。」「日本人は中国から出て行け。」「犯人はよくやった。」などと言った児童を殺害した犯人を擁護する、あるいは応援するような書き込みもどんどん増えているという。いくらなんでもこんなことがあっていいのか。驚きと腹立たしさを禁じえない。中国人というのはこんなものなのか、と私自身は思ってしまう。こんな中国人は一部だという言い方もあるかもしれないが、果たして本当にそうなのか。
中国の外交部は「事件は偶発的なものだ」と言った。つまりあえて日本人を、日本人の子供を狙ったものではないという意味合いを込めて発表したのだ。このようなコメントが通用すると本気で思っているのだろうか。だとすれば中国の政治家たちは真相を隠し、自分たちの都合のいいようにねじ曲げて嘘をついてるということになる。今更そんなことを言われても、以前から何かにつけてそうだと大半の日本人は言うだろう。私もそう思う。
これらの背景には中国共産党一党独裁の体制及び、習近平氏が最高指導者となってから「 習近平思想」を国民に浸透させるための政策が大きく影響している。もちろんこれも日本国内では当たり前の認識になっている。その結果中国における学校での教育課程に、いわゆる「愛国教育」「反日教育」が行われ、幼児期から思想統制を行っているということは、世界が知っている事実だ。今回の2つの事件がこれらの教育を受けてきた結果なのかどうかは分からないが、可能性としては十二分にあると言える。だからこそ児童殺人事件に至った容疑者に対して SNS で英雄扱いする書き込みが次々となされるんだろう。すなわち中国の一般国民の間にも「反日思想」がかなり蔓延していると言ってもいい。このように考えないと今回の立て続けに起こった2つの事件の本質は理解できない。
中国は今は経済的にかなり厳しい状態に置かれている、というのは世界中に知れ渡っている。人口減少、高齢化社会、少子化社会、こういったものも含め若者の就職先の減少といった事象が、国民全体の生活に対する不満を増長させる可能性を十分に秘めている。そこから来る鬱憤、不満みたいなものが反日教育の思想と結びついて事件事件に至ったのではないか、と考えるのが極めて理解しやすい。
おそらく中国政府はこのままずっと「偶発的な事件」と言い続け、中国では「反日教育はしていない」との具体的な発言も出していて、これで押し通してしまう考えなんだろう。時間の経過とともに少なくとも中国人の中ではニュース報道もなされていないので、元々知らない人が圧倒的であり、深圳や蘇州でこの事件を知っている人たちも、いつかは忘れ去っていくということになるんだろう。中国の政府は都合な真実については一切認めることはないし、今後も絶対にないと言っていいだろう。あくまでも中国政府の発表は中国にとって都合のいいように改ざんされた内容でしか発表されないというのが実態だ。
もちろん日本政府としてはもう間もなく総理大臣が交代するが、誰になろうともこのことを中国に対して毅然とした態度で真相追求を続けなければならない。どこまで本気でやれるのかどうか。全国民が注目しているはずだ。もしこのまま単なる事件という形で終わらせてしまうと、第3の事件、第4の事件も間違いなく起こるものと思うべきだろう。中国人の一般国民が、一部を除いてこんな事件が起こっていることすら知らされていない独裁統制社会では、まさしく独裁者習近平氏の思うがままのロボット人間作りが、ますます広まってしまうだけとなるだろう。いつしか中国が世界の工場として世界中の大手企業が進出し、中国に依頼して工業生産をしている海外企業なども、中国から撤退ということになることを期待したいと思うが、しかし経済問題となると必ずしもそうはなりにくいのが世界経済のジレンマのあるところとなる。果たして日本企業はどのように構えるのか。中国から撤退という企業がどれだけ出るのか。中国経済の先行きがさらに悪化すれば撤退はするだろうが、現時点においては 少ないと思われる。
いずれにしろ中国の警察当局の取り調べでは何がどうなってるのかは、全て闇の中で真相解明は1%も期待できない。大事な幼い命が奪われておきながら、中国においては身近で起きた事件を知っている一部の中国人を除いて、大半の中国人は SNS 上で拡散されたこの事件に対して、無責任に容疑者を擁護し英雄化し、日本人排斥へと向かう危険性も非常に大きいと思われる。 9月18日という「国辱の日」はたまたまではなかろう。柳条湖事件の起こったこの日は、各地で集会が催され日本が中国を侵略し、日中戦争へと至る大きな引き金になった特別な日として、中国人は教育を通してみんなが知っている日なのだ。だからこそ何らかの不満も重なって日本人憎しのいわばヘイトクライムのような心境に犯され事件に至ったのではないかとも思える。
2つの事件で犠牲になられた日本人学校男子小学生と中国人女性にお悔やみ申し上げたい。
(画像は産経ニュース、ANNニュースより)