野神社
『野神社
祭神 天児屋根命
由緒
命は天照大御神が天の岩戸に御隠れになった時、再び此の世に御姿を現はし、努力された神として、地域社会に明るい平和を癒し齎し給う神として尊ばれ、又学業の神工匠の神として広く世に知られる所である』
(境内駒札より)
野神社は宇治市役所から西の方の住宅街の中にある。宇治市そのものは扇状地の上に築かれた街であり、坂や谷間が随所にある。神社のある場所も緩やかな斜地になっている。ちょうど私のウォーキングコースのすぐ近くだ。以前から行くべきだと思いながらも、すぐ近くなので先送りとなっていた。
神社の境内は、周辺の比較的大きめの住宅のおそらく3棟分ぐらいはあるだろうか。鳥居のところに上記のような簡単な由緒の駒札がある。しかしこれだけでは創建等については何も分からない。祭神である天児屋根命の行ったことが記されているだけだ。この祭神は基本的には「春日社」に祀られているものであり、総本社は春日大社となる。この祭神が日本各地に勧請され、全国に春日神社というのがある。
しかしここは野神社と名乗っている。これはこれでかなり珍しい名前であり、恐らく全国にも十数社前後くらいしかないだろう。もちろん神話に登場する神であり、神仏習合の神として知られてはいるが、その意味では奈良時代よりもずっと前の、ということになる。だが神社のある位置は扇状地として、おそらく何度も細い川の流れは変化しており、あちこちで洪水なども多発していたはずだ。したがって大昔から、この神社がこの場所にずっと存在していたとは考えにくい。
神社の名前をそのまま解釈すれば、「野」というのは野原、原野、荒野といったものを意味する言葉となり、おそらく昔は川の流れも度々変化し、この地に住み着いていたら人々は、少しでも平和で安全な場となるように、この近辺に祠を建てたのではないかと考えられる。
まぁあくまでも素人考えに過ぎないが、実際のところせっかくの駒札にも創建の由来については何も記されていないので、よく分かっていないのではないかとも思われる。
中央に本殿があり、両脇に抹社と思われる小さな祠がある。いずれも比較的新しいように思われた。境内は割と雑草が生い茂っており、あえてそういう状態にしているものではないかという状態だ。神社の象徴である大木は途中で切られており、今は中途半端な状態になっている。
『野神社
祭神 天児屋根命
由緒
命は天照大御神が天の岩戸に御隠れになった時、再び此の世に御姿を現はし、努力された神として、地域社会に明るい平和を癒し齎し給う神として尊ばれ、又学業の神工匠の神として広く世に知られる所である』
(境内駒札より)
野神社は宇治市役所から西の方の住宅街の中にある。宇治市そのものは扇状地の上に築かれた街であり、坂や谷間が随所にある。神社のある場所も緩やかな斜地になっている。ちょうど私のウォーキングコースのすぐ近くだ。以前から行くべきだと思いながらも、すぐ近くなので先送りとなっていた。
神社の境内は、周辺の比較的大きめの住宅のおそらく3棟分ぐらいはあるだろうか。鳥居のところに上記のような簡単な由緒の駒札がある。しかしこれだけでは創建等については何も分からない。祭神である天児屋根命の行ったことが記されているだけだ。この祭神は基本的には「春日社」に祀られているものであり、総本社は春日大社となる。この祭神が日本各地に勧請され、全国に春日神社というのがある。
しかしここは野神社と名乗っている。これはこれでかなり珍しい名前であり、恐らく全国にも十数社前後くらいしかないだろう。もちろん神話に登場する神であり、神仏習合の神として知られてはいるが、その意味では奈良時代よりもずっと前の、ということになる。だが神社のある位置は扇状地として、おそらく何度も細い川の流れは変化しており、あちこちで洪水なども多発していたはずだ。したがって大昔から、この神社がこの場所にずっと存在していたとは考えにくい。
神社の名前をそのまま解釈すれば、「野」というのは野原、原野、荒野といったものを意味する言葉となり、おそらく昔は川の流れも度々変化し、この地に住み着いていたら人々は、少しでも平和で安全な場となるように、この近辺に祠を建てたのではないかと考えられる。
まぁあくまでも素人考えに過ぎないが、実際のところせっかくの駒札にも創建の由来については何も記されていないので、よく分かっていないのではないかとも思われる。
中央に本殿があり、両脇に抹社と思われる小さな祠がある。いずれも比較的新しいように思われた。境内は割と雑草が生い茂っており、あえてそういう状態にしているものではないかという状態だ。神社の象徴である大木は途中で切られており、今は中途半端な状態になっている。