切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

來迎寺~慶昌院 京都府向日市・・・貴重な文化財も

2020-09-30 22:32:53 | 撮影


來迎寺 (向日市寺戸町中垣内)



『聖衆山 来迎寺

 当寺は、西山浄土宗光明寺の末寺で、文禄三年(一五九四)に印空節道上人の開創と伝えられています。
 享保十五年(一七三〇)に寺戸村、の大火のときに類焼し、本堂や庫裏などが焼失しましたが、三十七年後の明和4年(一七六七)に本堂や庫裏が再建されました。こうして、再建された本堂や庫裏も老朽化し、平成五年(一九九三)に新たに建築され現在に至っています。
 本尊の阿弥陀如来立像は腰を右に捻り左足を前に出した動勢のある流麗な姿勢をもち十三世紀の特色を示しています。本像の注目すべき点は、胸部の肉身と衣が別材で作られ、外見上はわからない部分に工夫をこらして作られていることです。本尊は、このように、貴重な文化財ぶあることから向日市の文化財として指定されています。
  向日市』  (説明書きより)

 (向日市HPより)
 

 阪急電車京都線東向日駅の西側数百メートルのところにある。同じような名前のお寺は全国にあり、実際ここの来迎寺と同名のお寺が北数km の所にもある。お寺のちょうど向かい側がコインパークだったのでそこに車を置いてお寺への短い参道へ入る。周囲は住宅街でその中にポツンとある感じ。門は奥まっているので周囲は非常に静かだ。阪急電車の通過音が小さく聞こえてくる。
 境内に入るとあちこち緑がいっぱいで、その中から本堂などの建物が見え隠れする。上記説明札にあるように近年建て替えられたもので、見た目にも確かに新しい。石像十三重塔もありいかにもお寺らしい雰囲気がある。かといって全部が全部新しいものではなく、かなり古い石像多重塔もある。石地蔵も小さな小さな祠に覆われて優しい眼差しを感じさせる。本堂内には指定文化財の阿弥陀如来立像があるが、公開日でもないし見ることはなかった。

 説明書きによるとお寺そのものは、ちょうど戦国時代の創建であり、江戸時代に再建されている。そして近年建物が建て替えられたとのことだが、これがもし建て替えではなく補習という形で耐震化もされていれば、建物自体が指定文化財になった可能性もある。まぁそういったあたりはお寺さんの様々な事情もあるなので何とも言えないが。
 お寺全体が非常に良い雰囲気で、しっとりと落ち着ける。この日はも陽光もさしていて撮った写真も非常にコントラストも高い、見栄えの良いものが撮れた。
 寺を出て次に向かうついでに、阪急東向日駅前に寄る。新聞記事でこのあたりが再開発されているという記事を読んだ記憶があって行ってみた。
 現職時代この近くの職場にいたので、当時の様子は記憶に残っている。駅前は狭くて古い住宅が密集していて、数少ない個人店舗が並んでるくらいだった。それがなんともまあ大きく変貌していて、駅の真ん前に14階建てのマンションがもう間もなく完成。道も綺麗に整備されて道沿いに多くの店舗が並ぶ。そしてこの北側が桂の大再開発地域につながっている。そこは大型高層マンションがずらりと並び、中央にイオンの巨大ショッピングセンターがある。なんともすごい様変わりに少々びっくりした。こうして新しく変わった街並みを見て次のお寺に向かう。
   


慶昌院



『慶昌院(けいしょういん)のご本尊 田植え地蔵尊

慈廣山慶昌院ご本尊由来
応仁の乱で都一帯が焼け野原になったあとの天正の中頃、寺戸村にあった大岩を切り出したところ、霊気とともに身丈三尺五寸の木像の地蔵尊が掘り出されました。この辺りは長岡京時代の大寺の伽藍跡でもあり、その中尊であったといいます。文禄三(1594)年五月に疫病が流行り、田植えができず困っていた村人たちの田に、何者かが苗を植え付けてくれていました。村人が庵の地蔵尊にお詣りすると、手足が泥で汚れているのに気づきます。このお地蔵さまが村人にかわって田植えをしてくださったと大変喜び、田植え地蔵尊とお呼びし信仰を深めたと伝えられています。』 (寺のHPより)

 
 慶昌院は先ほどの来迎寺前の街道沿いに西へ約1 km 余り。同じ街道に面している。やや高台にあり先ほどの東向日の再開発地域がよく望める。駐車場が完備されておりそこに車を置いて境内への階段を上る。
 こちらも本堂などの建物はかなり新しく、おそらく鉄筋コンクリート造りだと思われる。境内は緑は少なめで、全体的にどちらかといえばやや寂しい感じ。石地蔵などが建てられており、上記の田植え地蔵尊なのかどうかは分からなかった。おそらく別のものだろう。
 創建は安土桃山時代、つまり戦国時代の頃だ。江戸時代に焼失しており、その後江戸末期に再建されたと言う。本堂などの建物はさらにずっと後の建て替えではないかと思われる。 したがってお寺全体としての、何かこれといった特徴的なものは外観状見られないが、「田植え地蔵尊」の話はかなり有名なようで、ネット上も含めあちこちで紹介されている。また向日市指定の文化財である絵画があるとのこと。何れも江戸時代後期の作だ。

  

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愛宕念仏寺 京都市右京区・・・圧倒的な羅漢群

2020-09-28 23:35:55 | 撮影


『愛宕念仏寺

 寺伝によれば、奈良時代の七六四年から七七〇年頃、稱徳天皇により、東山区松原通大和大路東入(旧愛宕郡)の地に建立された愛宕寺に始まる。
平安時代の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、比叡山の僧・阿闍梨伝燈大法師千観内供によって中興され、等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺の末寺となった。大正十一年(一九二二)、本堂の保存のためにこの地に移築された。
 境内には、参拝者によって彫られた千二百体に及ぶ羅漢の石像が表情豊かに建ち並び、和やかな雰囲気を漂わせている。 本堂(重要文化財)は、方五間、単層入母屋造で、度々移建され、補修を加えられているが、鎌倉時代中期の和様建築の代表的遺構である。堂内には、本尊の千手観音像が祀られている。
 また、地蔵堂には、火之要慎のお札で知られる火除地蔵菩薩坐像が安置されている。これは、火伏せの神として信仰されている愛宕山の本地仏が地蔵菩薩であることに由来するとされる。
      京都市』   (駒札より)

  

 先日のブログで愛宕念仏寺へ行ってきたことを紹介した。ちょうどgo to トラベルで久しぶりににぎわいを取り戻した嵐山一帯の紹介も兼ねて掲載した。しかしたまたま4連休であったということもあって、人が多かったというわけであり、平日はなかなかそうはいかないようだ。
 当日は嵐山嵯峨野一帯のお寺や神社ということではなく、その北方にあるお寺を目標に山沿いの道を走った。少し北へ行くと有名な「化野念仏寺」があり、大勢の観光客は大体がここまでとなる。歩いて行くにはこの辺りがちょうど終点かな、という雰囲気だ。この化野念仏寺は非常に人気のある寺院であり、私も何回か行っている。しかし今回はさらに道を北へ走り、しばらく行くと目的地である「愛宕念仏寺」がある。
 ハイキングの人達は難なくここまで歩いてくるが、一般の観光客の人たちはなかなかここまでは、という感じだ。駐車場もなく車で行くのにも果たしてどこか駐められるのかどうか。しかしこのお寺は人気という意味では決して化野念仏寺に引けを取らない。現地に着くと小川に橋が架かっており、そこが入り口の仁王門となる。見ると小川沿いに車がずらっと一列に並んで駐車している。なるほどということで、車の列に沿ってどんどん奥の方へ下っていく。すると飲食店や人力車などが見えてきて、人が多くなってきた。もうそこで限界だ。たまたま運よく少しのスペースがあったのでようやく駐めることができた。この場所だったら化野念仏寺にも歩いてすぐだ。
   
 仁王門へ歩いて行く。比較的小さな仁王門だが、大きさはもとより両側の金剛力士像の迫力はなかなかのもので、かなり古い作だと思われる。調べてみると仁王門自体は江戸時代の再建のようだが、金剛力士像そのものは鎌倉期のもので、京都市の指定文化財に登録されている。拝観料は300円。なかなか良心的だ。仁王門の横に駒札があり、その内容を上に載せておく。
 元々は奈良時代に天皇の勅命によって、山城国愛宕郡、今現在の京都市中心部を流れる鴨川の近くに建立されたと言う。当時は愛宕寺といった。なお「愛宕」という名前はこの近くに愛宕山というのがあって、どうしても「あたご」と発音しがちだが、お寺の方は「おたぎ」と呼ぶ。
 駒札にある通り平安時代には大きな災禍を受け、延暦寺の末寺となったがその後も度々の戦乱や災禍によって衰退再興を繰り返し、ようやく大正時代に今現在の地に移転したと言う。しかし移転後もお寺の方にはさっぱり人が来ず、住職も投げ出してしまったと言う。何とかしなければということで、愛宕念仏寺を再建すべく一人の住職が選ばれた。しかし彼はこんなところには誰も来ず、行きたくないとの意思だった。その時にもう亡くなられたが、清水寺の貫主であった大西良慶師によって説得を受け、なおかつ再興の手伝いも行われ、少しずつ名前も知られるようになったと言う。
 こうして基本的な伽藍が整ってはきたが、さらにお寺を盛り上げるために1981年から一般の人々による「羅漢」彫りを行っていただき、それを奉納してもらうという取り組みが始まった。この取り組みはお寺の予想を遥かに超えて多くの人々が協力し、今現在では一千数百体に上ると言う。まだ40数年しか経っていない。それでも一体一体の像についてはそれぞれの違った個性があり、表情があって見る者を楽しませる。短い年数ながらもすでにかなり苔むしており、非常に良い雰囲気だ。新しいだけあって中には今風の髪型、あるいはテニスラケットを持った石像などなど、見ていても飽きない。
    
 こうして愛宕念仏寺は名前が知られるようになり、訪れる人も随分増えた。確かに多くの羅漢が有名ではあるが、それ以前にここには国の重要文化財がある。仁王門の上の方に建つ本堂、そして本堂の中に安置されている木造千観内供坐像。歴史的に様々な変遷を経てきたと言うわりには、大事なものがよくここまで保たれてきたと感心する。また鐘楼や多宝塔のデザインを見ていると、何か中国風の様式を感じさせる。
 お寺全体が山の傾斜地にあって、階段を登らなければならないが大したことはない。境内の平らな部分も面積としては狭い方となる。そして斜面にはぎっしりと羅漢が並んでいる。というわけで、様々な意味で見応えのあるお寺であり、珍しく本堂内の撮影禁止もなかった。でも暗いので撮影にはかなり困難だ。礼儀として幾ら撮影可能であってもフラッシュをたかないことにしている。
 もし嵐山嵯峨野一帯、そして化野念仏寺に行く機会があるならば、歩いてもさほど大したことはないので、是非愛宕念仏寺にも行くことを強くお勧めする。

    
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《自民党国会議員、杉田水脈氏の人間性を疑わざるを得ない》

2020-09-26 22:14:00 | 社会



 この人の頭の中には一体何があるのか。なにぶんにも「国会議員先生様」と言う立場におられるので、我々下っ端の一般国民からすれば近づきようもないし、見たこともないようなあのような高級国民と言うのは、普段何を考えているのかを少ない報道の中で、しかも断片に的にしか知ることができない。

 各メディアの報道の通り、またしても決して容認することのできないひどい発言をしている。国会としても取り組むべき問題である女性の性被害の問題について、「女はいつでも嘘をつける」といった発言をした。もちろん単独発言ではなく、上記のように日本でも連日のように起こっているレイプ事件、そこから生まれる性被害者の女性の問題について話し合うべき立場で、同じ女性でありながらいかにも被害を受けた女性が悪い、といった主旨の発言となったわけだ。

 今の日本ではレイプ事件などでも被害者はなかなか訴えを起こすことができない。警察に被害届を出しても、男の警察官が実況見分や本人にその状況を再現させる、といった屈辱的な捜査が行われ、女性が被害を訴えにくい状況になっている。そしてたとえ被害を訴えてもその加害者を送検するかどうか、起訴するかどうか、あるいは裁判でもほとんどが男性が担当することになる。

 比較的多くの男性の頭の中には意識せずとも、被害女性に対する「こんな被害に遭うなんて、女性の方にもスキがあったのではないか」といったような思いが、心の奥底のどこかにあるのではないかとも思える。何でもかんでも男性がこうして判断をするような事態に、先進諸国からは日本の捜査のあり方に対する問題が指摘されている。つまり被害者に寄り添った形で励ましながら、被害に口を閉ざすのではなく、加害者に責任を取らせると言う基本的な仕組みが、日本にはほとんどないに等しい状態なのだろうか。このような中で杉田水脈氏の発言。同じ女性でありながら、被害者を蔑視し侮蔑するような発言そのものだ。

 彼女のこのような発言は今に始まったことではない。もう2年前になるが「LG BTのような人たちには生産性がない」と作文にして、それが月刊誌か何かに掲載された。もちろん厳しく批判された。私もその時にブログで書いた。しかしその後も彼女の立場、姿勢は何も変わっていない。今テレビなどで報道されている性的被害者の伊藤詩織氏。彼女は黙っていないで性被害者として実名を明かし、顔を明かし裁判で戦っている。そういう被害者に対してSNSなどの投稿で、被害者の彼女を罵倒する声が非常に多いのだ。その罵倒する声に杉田水脈氏は「いいね」と押した。

 彼女に限らず一般国民でさえこんな有様なので、とてもじゃないが日本と言う国は残念なことに、文化的に精神的に「先進国」とはとても言えないと思う。本当の先進国と言うのは、ただ単に科学、技術、工業、経済生産性。こういったものが高い水準にある国と言うだけではなく、「文化的にも精神的にも、そして社会の仕組み、民主主義や人権尊重」なども含めて判断されるべきものだ。

 今は世界中が高速通信でネットワーク化されており、このような発言でもあっという間に全世界に流される。当然「日本と言うのはこんな程度のレベルの国なのか」と言われても反論はできない。国会議員等はもちろんのこと、国民が選挙・投票で名前を書き、選ばれてその地位についたものだ。当然国民に対する極めて大きな責任がある。大体が日本の国会議員に限らず、各地方自治体の議員も大きな勘違いをしてるとしか思えない。国民や市民などに選ばれてなったのに、「先生」と呼ばせて自分が偉くなったつもりで、特別な存在であり「私の力で何かしてやる」と言う選民思想にまみれた、特別に偉い存在なのだと思ってしまっているんだろう。議員たちの位置づけと言うのは「特別公務員」と言うものであり、一般の公務員同様「全体の奉仕者」なのだ。そういった立場にあるものが一般国民の、しかも犯罪被害者に対して侮辱するような行為を平然と行うと言うことがあってはたまったもんではない。本来ならばこれだけで国会議員辞職に相当する問題だ。あるいは所属する自民党が除名するべきほどの問題なのだ。

 しかし日本の議会と言うのはよほど甘ちょろいもののようで、少々失言しようが極めて重大な犯罪的とも言えるほどの発言をしようが、何ら責任は問われない。議員の立場に就いて、まぁ多くの各議員と言うのは真面目に、あるいは真剣にやっているとは思う。そういった人たちはある意味目立ちにくいが、メディアなんかも国民や市民のために頑張っている姿をもっと紹介しても良いのではないかとも思う。

 さて少し話がそれたが、この杉田水脈氏と言うのはどのような考え方を持っているのか。またそれはどのように形成されたものか。そのような大きな疑問がふつふつと湧いてくるが、もちろん私のような隅っこで暮らしている下級国民にはわからない。このような発言が意図的なものか、あるいは不用意なものかはわからないが、とにかく本人の口から出たと言うこと自体は間違いないので、普段から本人の思いの中にこのような思想性が形成されていること自体は確かなんだろう。

 あえてこうした発言を良い意味で捉えることも不可能ではないが、これだけ繰り返されると、決してそんなものではなく、やはり心底から被害者を侮蔑し罵倒しているとしか考えようがない。本人のこれまでの経験や年齢からいっても、今更その考えが改められるなんて事はないだろう。やはり私たちにできるのは、正攻法の批判である。被害者の会といった団体からも激しい非難の声が上がっている。被害者の人々の落ち込んだ心、受けた衝撃、それらは何年たっても消える事はないだろう。そのような気持ちを理解できない、寄り添うこともできない。それ自体がもはや人格が、そして人間性が欠損しているとしか言いようがないのだ。国会の場でも強く追求し、謝罪させるべきだ。もっとも野党側にそれだけの気迫があるのかどうかは疑問だが。

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樫本神社~法泉寺 京都市西京区・・・意外な由緒が

2020-09-24 21:45:25 | 撮影
樫本神社



『樫本神社由緒
一、御祭神 仁徳天皇
一、例祭日 一月十六日

一、創建年代は詳らかではないが、社伝によれば、難波の国に都を作られた仁徳天皇が崩御された後、争いが起こり、それにき込まれた 一部の人たちが、天皇の御霊を奉じ難を逃れて、この地に着き、分霊を祀ったのが創まりと言われている。嘉祥三年(八五〇)、大原野神社の社殿が造営された後、同社に付属、藤原氏一族の庇護を得て守られ、寛永五年(一六二八)ニ代将軍徳川秀忠公の娘で、後水尾天皇の中宮となった東福門院(徳川和子)の祈祷料白銀三十枚、同七年(一六三〇) 三代将軍德川家光公の祈祷料米百石等の奉納をもって神殿修理、その後も度々修理が施された。明治十五年(一八八ニ)教部省御達により大原野神社境外摂社となるも、昭和ニ十四年(一九四九)境内地無償譲与を得て、宗教法人樫本神社となる。
 本殿は一社流春日造柿葺きで、平成二十五年(二〇一三)秋に行われた第六十二回伊勢神宮式年遷宮古殿舎撤却材の無償譲与を受けて、改築、同二十九年三月竣工す。
 大原野春日町 一带の鎮守の社で「仁徳さん」と称し、広く崇められ、 親しまれている。』  (説明板より)



 樫本神社は大原野神社の少し南方にある。
 これまで何度もこの前を通ってはいたが、駐車スペースがなかったのでいつもスルーしていた。今回は少し離れたところに車を置いて訪れる。思いの外小さな神社で敷地もかなり狭い。由緒書きがあったのでそれを上に載せておく。
 これを読んでみると創建の詳細は不明とあるが、大原野神社よりも古くおそらくは平安時代からそれ以前ということになるだろう。祭神が仁徳天皇でありまた後年、徳川家によって支持されていたことも含めると、相当な由緒ある神社であり、また規模ももっと大きくてもいいはずだと思われる。大原野神社が創建された後は一時摂社となったこともあったが、今現在は独立した神社である。
 祭神の仁徳天皇については言うまでもなく、先般世界遺産に登録された大阪の堺を中心とする古墳群の中に、仁徳天皇陵という世界最大規模の古墳がある。天皇の実在性については様々な説があり、実在説もあれば創造の神的な扱いの意見もある。ちょうど日本に仏教が伝わり、同時に漢字も伝わってきた頃であり、日本独自の当時の記録はない。それゆえ後年になって仁徳天皇という存在が様々な記録に現れるようになる。音読みの名前でありその意味ではだいぶ年月が経ってからのことだろう。漢字が入ってきても当初は日本語の発音を漢字に当てはめたものであり、基本的には訓読みで扱われたものだ。そういった意味では仁徳天皇の母や弟などの名前はあくまでも全て訓読みで表されている。
 境内に入ってすぐに拝殿本殿が目の前にある。赤い色に塗られてよく目立つ。仁徳天皇を示すものはあまり感じられなかった。この地域ではにんとくさんと言って親しまれているということのようだ。
   


法泉寺



 樫本神社から東南の方角へ約2kmの所小さな吉峰川が流れる脇に法泉寺がある。
 由緒書きも何もなく、またこのお寺に関わる資料も少なくてわからないことが多いが、この地域はかつて橘氏の所領であり、その縁が深い。平安の終盤近くに橘氏がこの一帯にお寺を何棟か建てた。その内の一棟が後に法泉寺になったと言われている。それぞれの建物に仏像が安置され、この法泉寺となるところには本尊として、阿弥陀如来像が安置された。
 正式に法泉寺として建立されたのは安土桃山時代となる。その後一時荒廃するものの江戸時代には再建される。
 本尊の阿弥陀如来像は恵心僧都源信の作と伝えられている。当初は鎌倉時代作と考えられていたが、比較的最近の再調査によって平安時代の作ということが判明した。であるならば少なくとも重要文化財級のものだと言ってもいいだろう。調査資料が京都府のホームページにあったのでそれを下に掲載しておく。
    

 檜材一木造、彩色仕上げ、像高61cm。当初は鎌倉時代の作と推定されていたが、今回の修理に先立つ調査により、元は平安・藤原朝時代に作られた阿弥陀如来像が、後世に地蔵菩薩像として改修されたことが判明した。美術史的に見ても大変希有な存在であると考えられる。
 足元・手先・彩色など全体に損傷が進んでいたため、これらの補修に対して助成を行った。(平成13年度)

 「京都府文化スポーツ部文化政策室」資料より


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《東京オリンピック、あの疑惑が次々に明らかになってきた》

2020-09-23 23:29:00 | 社会




 今年予定されていた東京オリンピックについては、このブログでも私自身の考えを何度か述べてきた。

 その中でもオリンピック開催地をどこにするのかと言う招致活動において、日本が裏金を使ったのではないかと言う疑惑が招致活動当時から、噂として出ていたことが当時も小さく報道されていた。そして開催都市発表で東京都が選出され、招致委員のメンバーや一部のオリンピアンたちが現地に行って、きゃーと言う大歓声上げて抱き合って喜んだ場面を私自身は冷ややかな目で見ていた。日本ではまるでお祭り騒ぎ。オリンピックは都市が開催するものであって国が開催するものではない。なのに日本中大騒ぎ。

 そんなこと言われんでもわかってる、と言われそうだが、あのバカ騒ぎは一体なんと言えばいいんだろう。マスコミも連日日本中が歓迎し喜びに湧いていたなどと報道していた。いい加減な言い方だ。日本国民の12000万人がみんな喜んでいたと言うのか。マスコミのこの報道の仕方というか、マスコミ自身が大喜びして国民をいやがおうにも「大喜びすべき出来事」の方向へ持っていったに過ぎない。

 その一方、オリンピック招致をめぐって日本オリンピック委員会の招致委員会が、不透明なお金をこれまた不透明なコンサルタント会社に支払っていたと言うことが明らかにされた。その報道に対して日本の招致委員会の面々は全く知らん顔だ。もちろん司法も警察も知らん顔だ。しかしフランス警察が地道な捜査を続けることになった。その後その捜査はどうなっているかと言う報道は、少なくとも日本においては全くと言っていいほどされなくなった。



 東京オリンピックをあえて「東京2020(にーまるにーまる)」などとかっこつけて国民に宣伝し、スポンサー企業も金の出し具合によって東京2020を、テレビで新聞で連日のように流し続けた。まさに日本でオリンピックが開かれることを、国民が喜んでいるかのように演出しているのだ。「疑惑」の影なんていうのは、そこには全くない。そして東京と言いながら2000億円近くの国費も投入され、東京とは全く無縁な我々の税金も流れる水のごとく、どんどん使われていく。

 1部の学者はオリンピックによる経済効果のことを考えれば、十分に値打ちがあるなどと国民を納得させるような、本当か嘘かわからない論理展開をして、強引にオリンピックは平和の祭典で正しいことなんだ、と訴えかける。そうした雰囲気の中、オリンピックに対する反対意見、疑問等と言うものは発することができない雰囲気にもっていく。こうして「国家的事業」として、東京オリンピックの準備が莫大な税金を使って東京のインフラ整備も併せて進められていくことになった。私などオリンピック反対派と言うのは、いわば国民の側からすれば「国賊」と言うことに多分なるんだろう。こうしてオリンピックの年である今年がやってきた。

 しかし誰もが知っての通り、ダイヤモンドプリンセス号とともにコロナはやってきた。時間がなくてオリンピックは1年延期。日程は1年後全く同じスケジュールであると言う。学者の1部には1年後にコロナは収まっていないと明言する者もいる。しかし日本オリンピック委員会は国際オリンピック委員会とともに、1年後の実施を前提に物事を進めてきている。何が何でもオリンピックありきと言う事だ。

 そして昨日から今日にかけて、オリンピック疑惑の問題が、私が購読している地方紙である京都新聞に一面トップで大々的に報道された。全国紙がどう扱ったかは知らない。主なニュースも見られる部分は見てみたが、一切この件は出てきていない。IOC側もコロナがどうであれ来年のオリンピックは実施すると明言した。だから余計な事は蒸し返したくないんだろう。開催国日本が裏金を使ってオリンピック招致に成功し、IOCもその裏側の実態はおそらく十分にわかっていることだろう。

 昨日の報道では、東京に決定した時点でコンサルタント会社がIOC関係者に日本円で3700万円送金とあった。そして今日の朝刊では、日本の招致委員会が決定前後に約11億円払ったと言う。疑惑の中心となったのは、当時からシンガポールにあるブラックタイディングス社と言うコンサルタント会社で、その実態はよくわかっていない。第一こんな金を招致委員会は何のために払うのか。あくまでもコンサルタント会社と言うのならば、日本の招致委員会はこの会社に対して、国際招致委員会のメンバーに様々な情報収集、アタック、場合によっては裏金等の活動をして日本が有利になるように活動しているはずだ。そのような活動があったのかどうかはわからない。少なくとも巨額の裏金が渡ったことだけは確かだ。その金の内容は我々国民の税金だろう。




 今回このことが明らかにされると、メディアが日本の招致委員会関係者に話を聞こうとすると「守秘義務があって個別の案件は非公表」と答えたと言う。オリンピックなんていうのは平和の祭典で、どのような人たちが関わり、どのような選手が各国から選ばれて参加資格を得るのか、そしてまた全体として関わったお金はどのような収入源で、どのように使われたのか、と言う事は全て公開されなければならない。公明正大でなければ平和の祭典などではない。関係者が言った話は全くごまかしであり、国民への裏切りだ。

 「守秘義務」がなぜ必要なのか。何か都合が悪いことがあるのか、としか思えない。臭いものにはフタをしろ!!と言うわけで、疑惑の部分はあくまでもごまかしておきたいのだ。来年のオリンピックが近づけばまた、スポンサー企業などの宣伝活動が派手になり、日本各地でも聖火リレーなるものが行われて、わけのわからない「復興五輪」と言う言葉もどこかに吹き飛んでしまうんだろう。非常にあざとくある意味国民を馬鹿にしたような事業だと思言える。

 日本の招致委員会は11億円と言われる疑惑の金の支出目的と、どこの誰にどれだけ支払ったのか、その見返りはどうだったのか、全てを明らかにしなければならない。先にも言ったように、私はオリンピック反対派だ。今更「やめろ」と言っても何とかの遠吠えに過ぎなくなるだろう。そして賛成派の政治家やスポンサー企業や多くの国民は言うだろう。「オリンピック選手に選ばれた人たちは血の滲むような努力と鍛錬を重ねて切符を得たのだ。オリンピックは特別なものだ。それにケチちけるなどと言うのは、オリンピックに対する、そして参加選手に対する冒涜だ」なんてことを言うだろう。別に罵倒されようがなんと言われようが構わない。

 とにかく裏側の汚い部分がへばりついたオリンピックになること自体はもう確定してるのだ。しかも我々一般国民の税金も汚いことにも使われている。こんなことに「わーい、うれしい」などとバカ喜ぶ喜びをするつもりは全くない。

 日本人は「同調圧力」に弱いとよく言われる。やはり島国として毎日のように隣国と接して様々な緊張感や軋轢があると言うわけではない。どこかの無能大臣が日本は単一民族国家だなどとその無知を晒して笑いものになったが、だからこそ日本人はみんなこうでなければならないといった雰囲気に飲まれてしまうんだろう。いわば日本と言う国全体が、日本国民全体が、1つの村落共同体のような雰囲気に浸りきってしまっていると言う状況なんだと思う。いわゆる一人ひとりの「多様性」と言うものを認めたがらない、気持ち悪い雰囲気が全国に蔓延している。特に北海道に行かなくても沖縄に行かなくても、マスメディアの報道の在り方、内容を見ているとそれがよくわかる。

 まぁオリンピックはやれば良いだろう。そのかわり上記で述べてきた疑惑については絶対に明らかにしろと声を大にして言いたい。



(追加)    たった今、ニュースを見ていたがオリンピックについて、IOCがコロナについて様々な対策をとりながら実施すると明言した。日本もそれを歓迎し実施を前提として取り組むことを確認した、と言うニュースを流していた。もちろんここに書いた疑惑問題は一切触れられなかった。

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