切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 切れ爺さんの闘病記・・・激痛の2日間 》 No.42    2023.9.23

2023-09-23 21:27:33 | 闘病記


 相変わらずの各地の病院通い。今月は最初に眼科へ行く。半年に1回の診察だ。左目が白内障の初期症状でしばらく様子を見ることになっている。視力自体は矯正視力により見え方 そのものは前回と同様。今のところ黄斑に関する手術までは必要がないという。しかしいずれは白内障の方で手術が必要になる可能性がある。

 循環器内科の診察は今のところ順調ということで、特に変更なし。ただしこの間血液検査を行っていないので、次回は血液検査をした上で診断となる。こちらの方は内服薬が欠かせず一生飲み続けなければならない。しかもその薬がかなり高価。今更ながら教員になって 十数年後には職場検診で高血圧が引っかかり、問診の医師から警告を受け病院で診てもらうように言われていた。それをほったらかしにし、後にはとんでもないほどの高血圧値になってしまい、最後は職場検診の場で問診の医者から「あなたは授業中にその場で死ぬ可能性がありますよ。」と最後通告を受けた。府の教育委員会から後日府の施設で精密検査を受けるよう職務命令がやってきた。これをきっかけに通院を開始することにした。結果はかなり具合が悪く、強い薬を飲みながら少しずつ 直していこうということで今に至っている。なんとか平常時になってきて落ち着いているところだ。

 前立腺については前回記した通り、このまま行けばいずれ前立腺癌になる可能性が限りなく高い。もう思い切って手術を受けてもいいのかもしれない。今のところ様子見だ。


 
 このように私自身の不摂生、および勤務の激烈さから体は満身創痍の状態になってしまった。挙句の果てが食道癌。これは 5年半で寛解したと言われた。ところがそれとは別に胃の内部に大きな潰瘍ができて、現在は服薬で凌いでいる。それでも万能ではない。時折胃痛が襲ってくる。そして今回、強烈な痛みに襲われた。

 3日前の夜食で肉を食べたが、その直後からは胃痛が始まり、嘔吐感も出る。その日は何とか眠りにつけたが、翌朝真っ暗な中で目が覚め、刺すような痛みの胃痛で二度寝することができない。こうして一昨日はは1日中強い胃痛が続き、起き上がって動くこと自体が胃痛に響いて、椅子に座ったり横になったりしたものの痛みは変わらず。結局一日中これといったこともせず、まんじりともなく一日を過ごした。食べる方は大幅に減らして何とか胃の中には入ったものの、嘔吐感が続く。



 そして昨日、朝食をいつもより大幅に減らして食べた。そのまま近くのクリニックへ行く。しばらく待って名前が呼ばれ診察室前で待っていると、突然口の中が生唾だらけになる。この症状は私にとっては間違いなく嘔吐する前触れだ。直ちにトイレに入って思いっきり吐く。今朝の食事どころか昨夜の食事の内容も含めて大量に吐いた。嘔吐物の色からするとおそらく吐血ということになるだろう。本来なら主治医のいる日赤まで行くべきだが、胃潰瘍の薬の処方については家近くのこのクリニックに依頼している。従ってこの話をしても個人経営のクリニックではどうしようもなく、急いで食べずにゆっくり食べてへ、細かなところに気を配る必要がある、とのことだった。近くの薬局で処方薬をもらい帰宅。

 胃の方はますます激痛で少ししてからまたまた嘔吐。この後の昼食はなし。午後は何もすることができず、やはり椅子に座ったまま。この姿勢が一番ましだということだ。横になるともっと楽になると思っていたが、実際には返って痛みが激しくなる。この夜は果たして 睡眠を取ることができるんだろうか。夕食は味噌汁一杯だけ。食後しばらくしてまた嘔吐感が襲ってくる。なんとかこらえたが、その後また吐き、ついに3回目の嘔吐。こうしてまる2日間とった食事はごくわずかで、かなり空腹状態。しかし胃痛のために空腹感をあまり感じない。この日はいつもよりかなり早く寝床に着いたが、体を横にすると仰向けでも即位でも痛みは治らない。こうして痛みのあまり、全く眠ることができず起き上がってマッサージチェアの方に座る。不思議と痛みがマシになる。そのうち うつらうずらして1時間くらい眠ることができた。目が覚めた時には痛みがかなりマシになっていて、布団の方に入り横になる。明らかにマシになっていた。そして目が覚めたり眠ったりを繰り返し、朝の6時頃には完全に目が覚めてしまった。



 こうして今朝はかなりの寝不足。胃の痛みはかなり軽くなっており、いいようやく気持ちも落ち着いた。朝は軽く食べ 昼は小さなパンを一つ。やはり食道の奥に詰まった感覚がある。やはり時間が経たないと胃から十二指腸へは行かないようだ。こういう時に苦労するのは大便の時だ。すっと何も力まずに出る人はいいだろうが、私の場合にはかなり力まなければならない。その力みが胃痛にもろに響いて、大便はちょっとした修行の場みたいな感じになってしまう。しかしこれもいろいろ体をひねったり、いろんな角度をつけたりすると痛みが和らぐ姿勢があって、何でもかんでも試してみるものだと改めて思った。

  今回の突然の胃痛を振り返ると、3日前に食べた焼肉を冷えたらまずいということで、少し食べ 急いだことが引き金になったのではないかと自分で勝手に解釈している。主治医からもくれぐれも言われているように、食べるのは少量を1日に何回も分けて食べる、時間をかけてゆっくり食べる。やはりこれを守らなければならない。日々の生活の中でこういう食事に時間を取るのはなかなか難しいのも現実だが、やはりこれだけ嘔吐したのは初めてなので、今後も十分にありうるということで、しっかり肝に銘じる必要があると思う。

   (画像は「NHK健康チャンネル」、Wikipediaより)
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《 「敬老の日」? 老人週間?・・・・》        2023.9.18

2023-09-18 23:11:34 | 社会


 今日は敬老の日だ。祭日となっているがもともとは 9月の15日に、老人の日として制定されていたものだ。 1966年に法律の改正により祝日扱いとされ、連休になるように9月の第3月曜日になった。これには当時 9月15日が定着していたので、反対する声も多く未だに地方 地域によっては祭日ではないが、 9月15日を祝ったりまた政府の方も納得してもらおうと、「 老人週間」は9月15日を含む週に当てるということにしたようだ。

 もともとは戦後間もなく兵庫県の1 自治体によって、お年寄りを大切にしその知恵によっていい町づくりをしよう、との趣旨で始まったものが、次第に広がり最終的には今の敬老の日に繋がっている。そういった意味では国が上から決めたものを実施しているというわけではなく、一般の人々の声を元に広がったものがこうして定着したのはいいことだと言える。

 おそらく各地で敬老の日にちなんで、様々な自治体の取り組みなどが行われており、また 表彰や祝典なども催されている。まああくまでも地方の比較的小さな自治体が多いようで、大都会になるとそういったものはなかなか意識されにくいものだと思う。各家庭において個人的には、敬老の日ということで、おじいちゃんやおばあちゃんを訪ね、孫を遊ばせよう見せようなどとほのぼのした雰囲気で語られることが多い。

 しかし私のような独居老人は今や何百万人といて、敬老の日や老人週間など、全く関係ないという人の方が圧倒的に多いんだろう。むしろ子供や孫から祝ってもらえるお年寄りというのはその分だけ尊敬され、また実際にお年寄り自身が社会的に貢献しいわば「老益」と呼ばれるような存在だったのかもしれない。私自身は特に敬老の日や老人週間など普段から意識することなど全くと言っていいほどない。新聞やテレビのニュースなどで、ああそうかといった具合だ。これはこれで現実であり、敢えて周囲の人から尊敬して欲しいとか祝って欲しいなどと思うことは何一つない。自分自身がこの齢まで生きて色々とそれ相応にやってきたことに、わずかな満足感を覚えてるだけでいいということだ。

 さて敬老の日だからというわけではないが、このところ「老害」という言葉が社会にかなり拡散しているのが気になっている。テレビではこの言葉を聞いた覚えは今のところないが、 YouTube の最初のページを開くと、サムネイルの画像と題名がずらりと並ぶ。その中には必ずと言っていいほど、老害という言葉がどこかに出てくる。ちなみにどのくらいあるのかと思って YouTube の検索で老害と打ってみると随分ずらりと出てきた。

 

 主に交通事故や交通マナーの点で、あるいは公共交通機関の座席の問題など、あるいは 迷惑行為などでその中心人物が年寄りである場合には、画面の中央に大きな文字で老害 ジジイ などと書かれている。あるいは対象が女性の場合には老害 ババア などという言葉も散見される。こういった言葉について少し調べたところ、いわゆる差別用語ではないということらしい。天下の 広辞苑や三省堂の国語辞典などには、この言葉の意味するところが出ており差別用語という扱いではないようだ。

 国語学的にはそうなのかもしれないが、私にははっきり言って、明確な罵りであり罵倒 そのもの。そして れっきとした「差別的な言い方」だと感じる。よく老人が切れやすいというが、これも老害だという。医学的には前頭葉の縮小によって、精神的に落ち着かせるホルモンが少なくなり怒りっぽくなるというものらしい。認知症になって頻繁に怒りまくっているって言うのは、そういったところから来ているようだ。

 そういった点ではもう少し言いようがあるのではないか。あるいは表現の仕方があるのではないかと思ってしまう。特にどうしても差別ではないのだというのならば、罵ったといった言い方をすればいいのではないか。わざわざ老害、つまり年老いた人は害悪なのだ、そんな存在なのだ、と一般的には意識されてしまう。そういった点からは極めて不愉快に感じる。もちろん自分自身がどこかの誰かに直接老害を言われたことはないが、ひょっとして知らないところで言われている可能性だってなきにしもあらずだ。

 対義語は「若害」ということで、これも YouTube で検索してみるとごくわずかだが、この言葉が扱われる映像が出てきた。しかしこの若害という言葉は大半の人は知らないだろう。使われる場面がほとんどないからだ。若者が交通死亡事故を起こして若害と言われるような映像を見たことがない。だいたいが DQN といった言い方で済ましている。別の意味での対義語は、老害に対して「老益」というようだ。つまりお年寄りの中でも心優しく落ち着いて、人当たりの良い人、あるいは社会的に無欲に貢献してきた人などは、公益性の高いお年寄りということで、このような表現をするらしい。同じく若い人の場合にも若害に対して 「若益」という言葉があるとのことだ。しかしこれらの言葉はほとんどの人が知らず、また使われることもない。何はともあれ圧倒的に目立つのが、老人が邪魔者で厄介な存在であることを表すという風な意味で使われる「老害」だ。

 

 確かに世の中には、非常に厄介なお年寄りというのは男性であれ 女性であれ いること自体は事実だ。長老的存在で自分を絶対化し、また自身の武勇伝を何度も何度も繰り返し聞かせ、 1人悦に入っている。そんな人物がいるのも事実だ。身近にも実際にいた。あるいはまた車の運転や交通事故などで言うと、何らかの原因で突然パニックを起こし信じがたい運転の結果、重大事故を起こすといったケースもよくあるのも事実だろう。そういった意味ではただ単に老害という 言い方よりも、当人の老化により認知機能や判断機能、その他が後退しているということを認識した上で、理解していくことが必要なのではないかと思う。一斉に老害だと攻撃したって無意味だ。やはりなぜそうなったのか、なぜそういう性格なのか。 そういったことを医学的な視点も含めて、説得しながら理解していただくということが大事なのではないかと思う。

 私自身はこのブログの表題に「 切れ切れ爺いさん・・・」 という題名をつけているが、もちろんこれは自分なりに、世間に対する理不尽さ、腹立たしいことの多さ、そういったものに対する憤りから、切れるということを意味する言葉としてつけたものだ。まあこの題名も考えてみれば良くないなと最近思っている。表題を変えれば今まで訪問していただいている方々にわからなくなってしまうので、そこら辺難しい判断だ。自分自身をもう少し見直して、落ち着いた余裕のある年寄りになっていければ、と改めて思った。

   (画像はYouTube検索結果より)
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《 「オレンジの悪魔」に魅了されてしまった 》     2023.9.13

2023-09-13 22:35:20 | 日記


 「オレンジの悪魔」といえば今やすっかり日本国中どころか、海外でも有名になってしまったが私自身はつい数ヶ月前に初めて知ったばかりだ。この「オレンジの悪魔」という意味深な名前は一体何なのか?

 数ヶ月前ずいぶん久しぶりにパソコンで YouTube のサイトを見てみた。どのような投稿映像を見るのかは検索できるようになっているが、何も検索せずただ単にスタート画面を開いてみた。小さい画像がずらりと並びその下にその題名が出ている。以前 YouTube を見ている時には、主に交通事故のドライブレコーダー映像を中心に見ていた。自分自身が高齢者になって運転する身であって、いろんな意味で役に立つ面があったからだ。今回もそういったものを久しぶりに見てみようかと思って YouTube のサイトを開いた。

 画面を下の方へスクロールすると、小さな画像にオレンジ色の人物が見えて、その下に「オレンジの悪魔・・・」と言った題名が目についた。これは一体何のことなのかと興味をそそられた。早速タップして映像を開いてみる。

 すると映像は、オレンジ色のユニフォームをまとった女子高生が様々な楽器を持って行進するものであり、いわゆる「 マーチングバンド」の 映像だった。これが「オレンジの悪魔」の正体なのかと思いながらしばらく見ていると、大半が女子の中に数名の男子も混じっている。私も中学校に勤めていた経験から少なくとも、中学校の吹奏部ではほとんど100%と言っていいくらい女子生徒ばかりだ。男子生徒でブラスバンド部というのはまさしく稀有な存在という状態だった。こちらは外の道路を行進している場面だったが、当校のマーチングバンドの行進は、ただ単に演奏しながら歩いて隊列を組んで進むだけではなく、様々なステップを踏んだり踊りの要素を取り入れたりして行進していく。こんなの初めてだった。



 マーチングバンドというのはその起源はよくは知らないが、おそらく海外においては 19世紀頃からの軍楽隊の隊列を組んだ演奏行進が発端ではないかと思う。今で言う儀杖隊だ。 軍隊から生まれたこのようなマーチングバンドというのは、主として古いものはヨーロッパ、そしてアメリカで盛んに行われてきている。こういったものはテレビで見て知っていた。これらはほとんどが男性軍人が隊列を組んで演奏し行進するものであり、ヨーロッパにおいては比較的高齢男性が同じように演奏して行進するようなものだった。

 こういったものから日本で誕生したものが例えば、自衛隊の、あるいは消防隊のマーチングバンドであったり、他の分野の職種の中でも生まれたものが、いろいろあるようだ。同時におそらく海外でもそうだろうが、日本でも高校生の間でただ単なる吹奏楽部という範囲を超えたマーチングバンドが編成され、今や全国大会まで行われている。このような高校生にマーチングバンドがあるというのも今回初めて知った。今までは大人の世界の話だとばかり思っていたのだ。それだけに今回の女子高生中心のマーチングバンドというのは初めて見るものだし極めて新鮮だった。

 そしてこの「オレンジの悪魔」と称されるマーチングバンドがなんと、京都橘高等学校の部活動だという。二度びっくりだ。無論橘高校の存在は学生の頃から知っている。同じ京都 だから。普段は特に話題になるような学校ではなかった。昔は「橘女子高等学校」という名前であり女子校だったのだ。今でも覚えているのは、何十年前になるか、ある日の京都新聞の記事に橘女子高校が新しい制服を制定したというのが紹介されていた。なぜかというと その新しい制服をデザインしたのが、当時世界的に有名なファッションデザイナーである ピエール・カルダン氏(多分)だったからである。記事の内容は覚えていないが、おそらく 高校としては生徒集めのためにいい話題を作り、同時にそのような世界的に有名なデザイナーの制服を着ることができるというのは一つのステータスとして、へ入学希望者の増加へつなげたかったのではないかと思われる。

 

  次に橘女子高校の話題を新聞で知ったのは、西暦2000年頃だったと思うが、男女共学になったという記事だった。当時は少子化が始まりつつあり各高校間で生徒をどれだけ集めるのかというのが大きな課題になりつつあり、女子高が男女共学になったり男子校がやはり男女共学になったり、という動きがかなり盛んになっていた。そしてほどなく京都市内中心部にあった校舎は全面移転し、伏見区の外環状線沿いに中学校とともに「京都橘高等学校」として新たなスタートを切った。

 それ以降は特に新聞記事になることはあまりなかったように思うが、伏見区の外環状線をよく走ったりしていたので今現在でもそうだが、山沿いの校舎の一番下に様々な実績の横断幕が、毎年掲げられている。女子バレーや陸上など全国レベルの部活があり、その中に吹奏楽部、全国大会金賞というのも掲げられている。そして今ではおそらく特進クラスか何かあるようで、大学合格実績も一部が掲げられていた。毎年のように東京大学に1名くらい、京都大学や大阪大学、神戸大学にも数名。全国の国公立大学に何十名も合格者を出し、早稲田や慶応、あるいは関西の有力大学には 100数十名以上の合格者を出すようになっている。その意味ではそこそこの進学校に成長していたのだ。
 私が中学校に勤め進路担当として京都市内の様々な高校を回っている時には、橘女子高校は特に進学校というものでもなかった。ごくごく平凡な女子校というイメージだ。それが今や全国の大学にも進出し、医学部にも 10名以上の合格者を出している。そしてさらに伏見区の隣の山科区に京都橘大学が オープンし、学部数をどんどん増やしその近くを通るといつもいつも新しい校舎が建設中という状態だ。こうして大学から中学校までを要する総合 学校法人に成長している。

 

 吹奏部は1960年頃に創設されたという。その時以来オレンジのユニフォームは今現在もそのまま受け継がれているとのことだ。ある年何かのきっかけかは知らないが、ただ単に演奏しながら列を組んで行進するというだけでなく、今現在のステップを踏んで踊りの要素を取り入れたスタイルにしたようだ。そして他の高等学校のマーチングバンドでは見られない そのスタイルに注目が集まり、また演奏能力も非常に高く、全国吹奏楽コンクールの常連校となり、金賞を何度も受賞している強豪校となった。

  つい最近知ったことだが、このオレンジの悪魔はテレビにもあちこちに登場しているらしい。全く知らなかった。そして 2012年にアメリカで行われる最大のマーチングバンドイベントである「 ローズパレード」に初めて出場し、アメリカ国民の前でその華麗な演奏を披露した。これが圧倒的な人気を呼び、当時撮影された映像がインターネットを通してあっという間に世界中に拡散された。日本にも逆輸入という形で紹介され京都橘高等学校のマーチングバンドはあっという間に有名になる。もちろん国内では、知っている人たちは多く、その実力も知られていた。

 こうして国内でもあちこちのイベントに呼ばれ、演奏を披露している。演奏の最後は必ずアメリカの曲である「シング・シング・シング」で閉めるという。それにしても部員のほとんどを占める女子校生たちのなんとたくましいことか。演奏行進中は必ず笑顔。フルートや クラリネットなど比較的軽い楽器もあれば、チューバなどの大きくて重い楽器もある。それを抱えながら演奏しながらステップを踏みながら行進するというのは並大抵のことではできない。ある意味体育系クラブの要素もかなり必要とされる。特にアメリカでのローズパレードは約10km にわたって 2時間半ほどで行進し通すという、男子でもきついだろう。なのに 女子高生たちは疲れた表情も見せずに楽しそうにいい演奏しながら、時には沿道の人たちにハイタッチをして行進するのだ。

 

 ユニフォームはオレンジということ以外に、スカート部が極めて短くこれで踊ったりターンしていると下着が見えてしまうということになるので、ちゃんと黒いスパッツを履いているので大丈夫。それにみんな非常に可愛い。まあこんな言い方は今の世の中では許されない かも知れないが、実際演奏しステップを踏んでる姿は頼もしさもあるし、可愛さも兼ね備えている。またドラムメジャーと呼ばれる指揮者やフラッグの持ち手も、演奏によっては旗を置いて一番前で踊っている。これまた素人らしい踊りで可愛いものだ。

  世界最高のマーチングバンドのフェスティバルであるローズパレードには、その後 2018年にも2回目の出場。そして 2025年に3回目となるエントリーをしたという。また国内の全国大会でも、2021年・2022年と連続で金賞を受賞している。

 今や外でのパレードがある時には大勢の人が集まり、有料の定期演奏会も即完売となるという。確かに海外遠征も含めて金銭的な負担も大きいだろう。昨年は台湾の国慶節に招待を受けてその演奏は、台湾中に衝撃を与えたということだ。その時の映像も YouTube で見たがもはや感動的ですらある。
 私は寝る前に1本、この「オレンジの悪魔」の映像を見て寝るという パターンになってしまった。皆さんにも一度見ることをおすすめするとは言っても、すでに多くの方が知っていてファンになってる人も大勢いるものとは思うが。またYouTube での再生数も ダントツで多い。映像によっては何百万回も再生されており、コメント欄には多くの外国語が並んでいる。

    (画像はTV番組、YouTubeより)

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《 「日本の魚を食べて中国に勝とう」って何これ!》    2023.9.7

2023-09-07 21:51:44 | 社会


 私は普段地方紙を読んでいるので全く知らなかったが、先日全国紙である読売新聞・産経新聞に表題のような新聞広告が出たという。その内容について一部かどうかは知らないが物議を醸しているようだ。この広告の代表者は右派のジャーナリストである櫻井よしこ氏。この広告によって多くの国会議員から賛同の言葉を得ているとを訴えているらしい。その広告の中身というのは、中国が核汚染水の日本の魚類を禁輸とし、根拠のない攻撃を仕掛けている。従って国民みんなで魚を一人1000円余食べれば、漁業関係者が助かる。これで中国に打ち勝とう。という内容が書かれている。これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏がツィッターで意見を展開していた。タイトルの語句とこれに対する 政治家、あるいはSNS 上での疑問の言葉を参考に少しだけ考えてみた。



  福島原子力発電所のいわゆる「 処理水」がタンクに保存されていたものがほぼ満杯となり、追い詰められた東京電力及び政府はこれをさらに稀釈して海に流すという方針を打ち立て、既に実施している。これに対してIAEA( 国際原子力機関)はその安全性について確認をしたということを根拠に、海に流すことにしたという流れになった。

 これに対して中国が極めて激しい反発を示し、様々な方法で日本非難を繰り返している。無論中国の前に日本国内においても、反対する声はかなりあったのも事実であり、他の方法が考えられるはずだということで、一部の政党は処理例まで示して国会において提案はしているが、それはそれで莫大な経費及び時間もかかり、自公の与党勢力においては全く相手にせずとの扱いとなった。国民の間での反対も比較的根強いものがあるのも事実だ。

 

 中国政府はつまり、中国共産党は国民に対して日本非難を様々な形で煽る方向で対処しており、このことが中国国内の諸問題に対する国民の不満のはけ口として利用している面もあると言われている。すなわち中国国内における高齢化、人口減少、経済不況、格差社会といったかつて日本が歩んできたものと同じような道を今歩みつつあり、習近平政権にとってかなり大きな問題となっている。また一帯一路政策についても事実上、一部を除いては機能しなくなっており諸外国に対する経済的な投資が莫大な額に登っており、そのことが国内経済に深刻な影響を与えているという状況にもある。そういった意味では国民の不満を他に振り向け、ガス抜きをする必要があるということになる。それが日本の処理水の放出が格好の材料として目の前に現れたわけだ。



 中国の国民の怒りのようなものは、 SNS を通して世界中に発信されており、その多くが 社会的経済的に厳しい状態に置かれている若者が多いのではないかと言われている。中には真実をほとんど知らない状態で調子に乗って発信している者も多いのではないかと考えられている。さらに日本における事実とは全く異なる画像や映像を加工したり、他国のものを流用したりして処理水を海に放出した結果、魚に異常が起こったり亀が死んだり日本人ですら 魚を食べなくなってきた、などと言ったフェイクも極めて多数発信されている。

 このことは嘘も100回言うと真実になる、と昔の誰かが言ったのだが、やはり何らかの対処をしていかないと日本としては世界的なレベルで見た時に、先進国を除く他の多くの国々では日本がとんでもないことをしていると受け取られざるを得ないと言える。こうして日本でも本来なら政府がもっとしっかりと世界中に訴え、なおかつ中国と話し合いを外交の場できちっと行い、抗議も含めてフェイクを野放しにしないように持って行くべき大きな問題と言うべきなのだ。(但しこれには自由権の問題があるが)



 そんな中どこの国でもこのような問題が起こった時によく行われるのが、政治家や有名人たちが「私たちもこうして食べている。全く問題ない。美味しい。」と言ったアピールだ。 総理大臣も一部の自治体の首長も行っているが、こうした中で櫻井よしこ氏の全国紙への広告が打ち出された。そしてその表題が「日本の魚を食べて中国に勝とう」だった。

 このタイトルを見た時に真っ先に感じたのは、昔日本が朝鮮や中国に侵略をかけて戦争状態に入り銃後の日本国民には「欲しがりません勝つまでは。」 みたいな様々なスローガン が掲げられ、国民の気持ちを鼓舞したという負の歴史のことだ。だいたいが「中国に勝とう」というのは推測するに、櫻井よしこ氏は中国のフェイクや難癖に対抗してこれを打ち破ろうという意味で言っているのではないかとは思うが、このような問題は勝ち負けで評価するようなものではないと思う。なぜこう簡単に勝つとか負けるとかいう発想になるのか。また「日本の魚を食べて」というのは結構なことではあるが、別段国や一部の知識人がこのように訴えるから我々一般国民はそうしなければならないというものでもない。別に日本の魚であれカナダの魚であれ好きなもの、いいもの、それは個々人が自らの判断で自由に選んで食べるべきものだ。

 今回の問題で一番の被害者は福島の漁業関係者ということになる。風評被害も含めて中国側は福島の魚に限らず、日本からの漁業資源の全面禁輸に踏み切った。中国は福島の漁業関係者にとっても最大の貿易相手国であり、これが禁輸措置ということになるのは、極めて打撃が大きい。だからこそこの漁業関係者をどのように納得のいく対策を出せるのかが、日本政府のするべきことであり、また対中国との外交力の発揮のしどころとなるはずだ。中国は今回の問題に限らず、どのようなことに対しても極めて強気で外国に応対している。そこにはいつかアメリカを追い抜いて、中国が世界の中心であり、警察であることを目指しているということは間違いがない。そういう中国に対して日本の外交力というのはどれほどのものがあるんだろうか。ニュースなど見ていても正直なところ、よくわからないのが実態だ。無論私自身も門外漢であり詳しいことなどさっぱりわからない。しかし結果はともかくとして、言うべきは言いすべきはする。これをさらに対中国だけでなく世界に向けて発信するということも極めて大事な課題であるはずだ。

 私も魚は好きだし食べたいとは思う。個人的な事情になるが、食材買い出しでスーパーに行って鮮魚コーナーに行くと、食べたいと思うものは色々目につくが、残念ながら価格が高すぎて手が出ないというのが実際のところだ。まあ金持ちの政治家や自治体の首長など、あるいは色々と稼いでおられる知識人たちはそんなに高いとは思わないかもしれないが、一般庶民にしてみれば低金利政策を通して物価高は上昇の一途をたどっているという事実があることも理解してもらいたいものだ。

  今回このようなまるで戦いを煽るような タイトルの広告を出したということ自体が、中国との対抗意識を国民に広げることになり、必要な話し合い理解し合うと言った基本的なルールを、単なる相互の対抗意識の高揚につなげてしまうだけとなってしまう。SNS 上での声も「 魚を食べて中国に勝てるのか」「 なんと稚拙な表現」などと言った批判的な声が上がっているという事実も含めて、右派による扇動的な動きには簡単に乗らないようにしておかないといけないと言える。

 ちなみに「 処理水」という表現が日本では求められており、先日ある閣僚が「汚染水」とうっかり言ってしまったことを謝罪したというニュースがあった。確かに中国は汚染水 どころか「 核汚染水」という表現で攻撃的な煽りをしているが、そういったものに乗っかる必要はない。処理水であれ汚染水であれどちらもそれは確かなことなのだ。やはりここは科学的に立証されている結果を具体的に示しながら、世界に訴えることが大事だろう。とにかく今回のことを通して、妙なスローガンを掲げるのは全くの場違いだと言える。


  (画像は「公益財団法人 国家基本問題研究所」、TVニュース等より)
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《 「百万本のバラ」・・・原曲に秘められた悲劇 》   2023.9.3

2023-09-04 00:21:54 | 日記


 先日たまたま YouTube を見ていると加藤登紀子さんが歌う「 100万本のバラ」の映像があり聴いてみた。この曲は私が職についておそらく10年くらいしてから、日本で歌われ始めた曲だと思っているが、当時は加藤登紀子さんはロシア民謡などをよく歌っていたので、 この曲も当時のソ連の歌ではないかと思っていた。非常に親しみやすいメロディーであり 歌詞も画家の悲恋を歌っており、少し悲しいような雰囲気を感じたものだ。

 当時は仕事が多忙を極めており、家でゆっくり音楽を聴いている暇などなかったと言っていい。その代わりカセットテープに多くの曲を録音してカーステレオで職場への往復に聴いていた。もちろんその中にこの曲も入れていた。しかし当時のカーステレオのカセットというのは壊れやすく、車の振動でテープが絡まったり、しょっちゅうカセットテープを引き出して、自分で切れたテープをセロテープでつなぎ合わせて修理していたのを思い出す。

  加藤登紀子さんの歌はこの曲にぴったりと合っており、歌詞の持つ悲しみを直接的に訴えてくるような感じだった。私自身はもともとが日本の曲の場合には、いわゆる 70年代フォーク。外国の歌の場合にはカンツォーネやロシア民謡などが好きでよく聴いていたものだ。そういった点では私のこの歌に対する思い入れは、結構あったものだと思う。後にカーステレオというものも、カセットテープの時代から CD の時代に移る。加藤登紀子さんの CD を購入して聴いていたこともあるが、これまた車の振動でよく曲の一部が飛んでしまったりしたものだった。そして大したことも考えずに、ただ いい曲だなという思いで聴いていたに過ぎなかった。

 多忙な日々を過ごしていた私も定年退職を迎え、少し余裕が出てきた。その頃にはすっかりこの曲のことを忘れて車のハードディスクに録音した曲を聴いていたが、そこにはこの曲は入っていなかった。曲の存在そのものもすっかり忘れてしまっていたのだ。


 そして先日、たまたま YouTube で見つけたこの曲を耳にした。改めてこの曲の良さが分かったような気がした。その時にこの曲はどういう経過で日本で歌われるようになったのか、ということを知りたくなった。それまでの知識としては、歌手の加藤登紀子さんが旧ソ連でヒットしていたものを日本に持ち帰り、ご本人が日本語に翻訳してレコーディングし 世に出たもの、という知識だけだった。そういうわけでずっと長い間ソ連で生まれたヒット曲と思っていたのだ。

 ところが YouTube のその曲のコメント欄に、1人の人物が「 ラトビアで・・・」 と言った短い感想を上げていた。ラトビアといえば 旧ソ連邦の1共和国だ。いわゆるバルト三国の一 国だ。一体この曲とラトビアという小さな国がどんな関係があるんだろうか。こうして興味を引かれて色々と調べてみた。

 すると思いがけない事実が色々と紹介されていた。まさかそんな曲だったとは、予想だにしなかったのだ。
 ラトビアはバルト海に面しており、昔から開運、貿易や交通の要所として極めて便利で重要な場所であっただけに、ヨーロッパ各国が帝国主義の時代に、スウェーデン やドイツ、大英帝国などに、そしてロシア帝国などにも何度も蹂躙され支配を受け、多大な犠牲を負ってきた国だ。20世紀に入りヨーロッパ諸国においては、その帝国主義はさらに強力になり大国同士の植民地争奪戦等の中から、第一次世界大戦が勃発。その後ワイマール条約が結ばれたものの、次にアジアにおいて日本が中国侵略、朝鮮半島侵略などを行い、日中戦争から太平洋戦争。そしてその少し前にはヨーロッパ全域においても第2次世界大戦が始まるという世界的な大混乱の戦争状態に突入した。そのような中で小国であった ラトビアは、1940年に一方的に旧ソ連に侵略され国全体をソ連邦の中に取り込まれてしまう。

 1945年、ヨーロッパにおいてはドイツが敗北し第二次世界大戦は終わる。数ヶ月後太平洋において日本が降伏し、こうして世界中の戦争が終了となった。しかしラトビアは戦争中のどさくさに紛れて一方的にソ連の領土とされ、ソ連邦を構成する一つの共和国にされてしまった。戦後になるとラトビアの人々の小さな抵抗運動が始まる。しかし大国ソ連に対しては抵抗どころではないような実力差があり、ラトピアの人々はロシア人の中に組み込まれた生活を続けて行かなければならない悲劇的な状態となる。

 そんな中、1980年頃ラトビアの一人の人物がある曲を作る。そしてその歌は国内で静かに歌われ、次第に狭い国土に広がっていく。これが「マーラが与えた人生。」 歌詞の内容は母と子供の関係を歌い、その両者を通して「幸せをあげ忘れた」というフレーズで区切られている。ここでは母の名前が「マーラ」となっているが、ラトビアの古い昔の話マーラというのは女神として登場している。ラトピア人であれば誰でもが知っている話なのだ。一見 この歌詞は神様がその娘を幸せ にすることができなかった、という内容で表向きはどういうことなのか分かりにくい。しかしラトビアの人々はこの曲の歌詞が何を訴えているのかを 誰もが知っていたのだ。
 神様は懸命に国民を幸せにしようと頑張るが、結局未だに幸せにすることができていない。つまりラトビアという国は、国民を大事にしながらも抵抗しながらも、未だに旧ソ連から脱することができず、支配されたままなのだということを意味している。(恐らく)



 転機が訪れるのは1991年。ベルリンの壁崩壊とともに旧ソ連邦は崩壊。こうしてロシアという大国は残ったが、連邦制であった周囲の国々は次々と独立を宣言し、小国ラトビアも ついに独立を宣言することができた。待ちに待った長い悲劇の歴史がようやく一段落したのだ。
 その間人々はこの曲を静かに歌いながら、やがてやってくる幸せというものを、つまり 独立をひたすら待っていたのだ。ここにはただ単に旧ソ連だけではなく、それ以前からヨーロッパの各帝国が入れ替わり立ち代わりラトビアに攻め込み、国家を奪い好きなように利用してきたという歴史的事実がある。そういった意味では今現在のドイツやイギリス、スウェーデンなどもラトビアにとってみれば 、ロシア帝国と共に憎むべき国だったのだ。

 このような侵略と支配を受けた歴史を持つ ラトビアという国が、長い間に渡って支配された結果、どれだけの犠牲者が出たのかは分からない。それでもじっと耐えながらいつかやってくる自由な独立国として生まれ変わることを信じてきた。このように考えるとこの曲が持つ意味合いはずいぶん 変わる。

 「100万本のバラ」は旧ソ連時代の反対制派の詩人がロシア語に翻訳し、女性歌手が歌って 大ヒットしたものだ。それを加藤登紀子さんが日本に持ち込んだということになる。従って当時は旧ソ連においても日本においても、この曲の本当の意味合いというのは知られていなかったようだ。
 しかし時が経ってこの原曲がラトビアのものであり、もともとの歌詞の意味合いが全く違うものであることが判明。日本に持ち込まれたのが1980年代初頭なので、未だにこのことを知っている人は少ないのではないかと思われる。

 私はラトビアで歌われていた原曲を是非聴きたいと思い、ネットで検索した。ラトビア語の原曲の題名はすぐに見つかった。無論読めるはずはないが、そのスペルを YouTube で打ち込むと いくつかの 映像が出てきた。この意味合いを知って「 マーラが与えた人生」を聴くと極めて切なくなる。「 100万本のバラ」は旧ソ連の物語でありながら、曲調はやや明るさを感じないこと もない。しかし原曲の方は悲しげな雰囲気の中に、自分たちの置かれた 支配された歴史を必ず取り戻すのだという、抵抗の思いというものが込められているように感じられた。


 ラトビアからかなり離れた場所になるが、今ロシアは特別軍事作戦という名前の侵略戦争をウクライナに仕掛けている。すでにウクライナ人の犠牲者は 7万人とも言われる。ロシアも約20万人の犠牲者が出ていると伝えられた。「民族自決」というのはどこの国 のどの民族の人たちにとっても、絶対的に譲ってはならない決定的な意味合いを持つものだと言える。それが力によって屈服させられるというのは何者にも代えがたいだろう。だからこそ 侵略され占領された土地では大なり小なり必ず抵抗運動が起こる。何人殺されようが犠牲になろうが、自分たちの国を取り戻すという、これはもはや人間のそして民族の本能とも言うべき行動と言えるだろう。そして不条理なことに対しては他の国で起こったことであっても、極めて不快感を持ち侵略者に対する激しい憤りを覚えるのは当然だ。そういった意味では改めてこの曲が持つ意味が大きくなるものだと言えると思う。

 しかしそれにしても、ラトピア という小さな人口 約200万人の小国が大国に支配され大勢の人が殺された歴史を見ると、とても心が痛むものだ。

 


『百万本のバラ』
歌:加藤登紀子

小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました
百万本のバラの花を
あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を
真っ赤なバラで うめつくして

ある朝彼女は 真っ赤なバラの海をみて
どこかのお金持ちが
ふざけたのだとおもった
小さな家とキャンバス
すべてを売ってバラの花
買った貧しい絵かきは
窓のしたで彼女を見てた
百万本のバラの花を
あなたは あなたは あなたは見てる
窓から窓から見える広場は
真っ赤な真っ赤な バラの海

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの想い出は 心にきえなかった
百万本のバラの花を
あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を
真っ赤なバラで うめつくして




*原曲
『マーラが与えた人生』

子供のころ泣かされると
母に寄り添ってなぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って…もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思い出して寂しさに駆られると
同じことを一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」


  (画像はyouTubeより)
コメント (1)
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