切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉撮り 9 一言寺 京都市伏見区・・・名所ではなくとも

2018-11-29 22:46:24 | 撮影

  

『一言寺
 高台にある一言寺は、四季折々の花に彩られた静かな寺である。
 この緑に覆れた寺は、高倉天皇の中宮・建礼門院徳子に仕え、「大原女」のモデルとも言われる阿波内侍(後白河天皇の側近である藤原信西の娘)によって創建された。
 本尊の千手観音は、「ただたのめ 仏にうそは なきものぞ 二言といわぬ 一言寺かな」という御詠歌で歌われるように、一心に祈れば、一言だけなら願い事が叶う、ということで、多くの信仰を集めている。
 現在の本堂は、江戸時代の再建で、「一言観音」と呼ばれる千手観音菩薩像や不動明王像等の他、元禄七年( 一六九四)に造られた阿波内侍像が安置されている。
 山門の近くにある大きなヤマモモの木は、樹齢四〇〇年以上と言われ、京都市の天然記念物に指定されている。幹の内部が大きく空洞になっているが、今でも樹勢は衰えることなく、毎年六月頃には多くの赤い実を付ける。
 京都市 (駒札より)

      

『一言寺
 真言宗醍醐派のお寺で金剛王院、通称一言寺と言います。一八七四年(明治七年)金剛王院の祖聖賢を開山とする醍醐三流の一つ金剛王院と合併しました。ご本尊の千手観音さんに一心に祈れば言下に願いがかなうことから、一言寺の名がおこったと伝えられています。
「ただたのめ、仏にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」の御詠歌の額が本堂の軒下にあります。
 寺伝によれば、 高倉天皇の中宮「建礼門院」に仕えた少納言藤原通憲(信西)の娘「阿波内侍」が出家して「真阿」(しんな)と名乗リ、清水寺の観音さんの霊告によって、一言寺を建立したと伝えます。
 仁平年中珍海はここに住み、密教の仏画を多く残し、阿波内侍座像は、元禄七年画像を基に造られたと記録に残されています。
 本堂は、一八一〇年(文化七年)の再建で、江戸時代を代表する建築の一つです。内陣の中にさらに土蔵造りの奥内陣がある珍しいものです。一言観音と呼ばれる秘仏千手観世音菩薩像は、この中に安置されています。
  (説明書きより)

         

 一言寺。このブログでも7月に紹介している。その時はたまたま護摩業の日で、大勢の人達が来ていた。老婦人に勧められて一緒に参加することにした。
 住職が前に座ってお経を唱え始めると、参加者も声を揃えてお経を唱える。自分もお経の冊子を借してもらって、声を出して読むものの、余りものスピードの速さについていけず、今いったいどこ唱えているのか全く分からなくなってしまった。しかも周りの様子を見ていると、大半の人がお経を見ていない。つまり皆さん既に暗記しているのだ。これが約30分続く。門外漢の自分はどうにも居心地がよくないが、一応経験の一つとしてこの護摩業に付き合うことにした。
  そして今回は紅葉撮りに訪れる。7月の時点で境内にもみじの木が多いのがわかっていたので、きっと素晴らしい紅葉が広がっているだろうと思っていた。到着してみると門前の石段の段階から、真っ赤な紅葉が広がっているのが見える。期待通りだった。残念なのはそれまでの青空が急激に雲が広がってしまって、写真写りに大きな影響を与えてしまったことだ。その場で設定を変えたりすればよかったのだが、とにかく撮ることに気持ちが行ってしまって、境内のあちこちを撮りまくる。

         

 平日だったので来ている人は少なかったものの、自分と同じような爺いさんがカメラぶら下げて紅葉を撮っていた。やはりこれだけの比較的狭い境内に、多数の紅葉が広がっているとその密集が、圧倒的な迫力を生み出す。一言寺の紅葉は特に名所扱いはされていないが、十分名所の一つとして数えてもいいのではないかと思える。京都には結構そのようなお寺がたくさんある。
 夏の終わり頃になると書店には一斉に、各出版社から京都の紅葉名所の見事なカラー写真が掲載された特集号が出版されて並べられている。そういったものを見ても大半が有名どころであって、それはそれで確かに見事な紅葉と言うべきなのだが、神社仏閣の規模は小さいとしても見事な紅葉を見せてくれるところは、実は思いのほかたくさんある。主だったところはここ数年でほぼ回ってしまったので、今現在は発掘するつもりで、名所としては取り上げられていないようなところを回っている。
 実は今日もそういうお寺を2か所回ってきた。今日のお寺も、名所として紹介されても十分すぎるほどの見事なものだった。このお寺については後日紹介する。
 連日2~3箇所ずつ回っているので、紅葉撮りが溜まってしまって、ブログにアップし終えるまでにはかなり日数がかかりそうだ。できるだけ年内に終えたいとは思うものの、他のテーマもあるし、晴れていれば撮影に出かけるので、ひょっとして年を越すかもしれない。

    

 それでも紅葉は自分一人で楽しむだけではなく、多くの人に見てもらう価値が十二分にある。今のところ京都中心だが、できれば隣の滋賀県にも名所がたくさんあり、大阪にもある。また京都の北部の方にも多くの名所があり、そちらの方にも行きたいところだが、なかなか時間が取れないという現実。まぁしばらくは紅葉撮り特集をアップするので、見ていただければ嬉しく思います。

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紅葉撮り 8 長建寺 京都市伏見区・・・小さいが有名なお寺

2018-11-28 22:26:34 | 撮影



『長建寺
 東光山と号し、真言宗醍醐派に属する。八臂弁財天(鎌倉時代後期作)を本尊とし、一般に「島の弁天さん」の名で知られている。元禄十二年(一六九九)、伏見奉行建部内匠頭攻宇が、中書島を開拓するに当たり、深草大亀谷即成就院の塔頭多聞院を当地に移し、弁財天を祀った
のが当寺の起こりで、寺名は建部氏の長寿を願って名付けられた。弁財天は、音楽をもって衆生を救う女神で、福徳・智恵・財宝をもたらす七福神の一つとして、多くの人々の信仰を集めている。毎年七月第四日曜日の夜に行われる「弁天祭」では、かつては、淀川に卸輿や篝船がくり出す舟渡御が盛大に行われていたが、淀川の河流が変わったことなどにより、昭和二十六年を最後に途絶えている。現在は、弁天察と二月の節分祭に、醍醐派修験道の最高の神髄として、柴燈大護摩修行が行われており、正月には、現世利益を授かるため多くの参拝者でにぎわう。
 また、古銭型のお守り「宝貝守り」は、江戸時代より今に伝えられている。
  京都市  (駒札より)

     

 伏見区の長建寺へ行く。
 既に何回か訪れているが、今年4月の桜の写真で紹介している。紅葉時期は始めてだ。 ちょうど伏見運河の前にあり、観光船の乗り場にもなっている。この日は曇りの天気だったが、観光客がその観光船でちょうど出発していくところだった。この運河沿いに赤い色の紅葉がずっと続いていて、運河とのコントラストが非常に見栄えがする。
 長建寺の入り口に当たる山門は珍しい形をしていて、かなり貴重なものだと言う。境内は決して広くはないものの、多くの草木に恵まれ、特に緑葉の時期には美しさを醸し出している。
 では紅葉はどうなのかと言うと、正直期待はずれ。もちろんあることはあるが、非常に少なく、それよりは銀杏の方が目立つ感じだ。まぁそこのところは門前のもみじ並木でカバーすることとして、この周囲全体として捉えておいたら良いのではないかと思う。

          

 かつてこの辺りは淀川に接しており、荷役の上げ下ろしを行う重要な河川港であった。今では川の流れが少し変わって、本流から外れてしまってはいるものの、川とつないだ運河を観光施設として生かしている。
 当地は坂本龍馬ゆかりの地でもあり、また伏見の水を使った酒蔵が多くあり、この周辺全体が観光の名所として、道路も含めて非常に綺麗に整備されている。坂本龍馬の影響なのか、若い女性が訪れているのをよくみる。
 ここ長建寺も古くから信仰の厚いお寺であり、現在でもかなり名前を知られたお寺で、祭事には大勢の人であふれると言う。近くに小さなコインパーキングがあるだけで、車ではちょっと不便だが、京阪電車の駅からも近く、歩いてこの一帯を回るのがいいのではないかと思う。

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紅葉撮り 7 今熊野観音寺 京都市東山区・・・見事な紅葉~~ぼけ封じ観音様も

2018-11-26 22:49:13 | 撮影



『今熊野観音寺
略縁起
 観音寺は八二五年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。後百河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野神音寺と称されました。
 西国三十三所第十五番霊場、厄除開運の寺として知られ、特に頭痛・病気封じ・智恵授けの霊験あらたかな本尊として広く信仰され、又ぼけ封じ観音一番霊場・洛陽観音霊場並びに京都七福神巡りの恵比寿神をお祀りする寺として全国から祈願の参拝者が絶えません。
当山は開創以来千二百年近くにわたって数々の歴史を秘め、新年厄除大祈願祭・京都七福神祭・彼岸会・盃蘭盆会・秋の四国霊場お杪踏法要などの伝統行事でにぎわいます。
 境内は四季、山の緑が美しく、春の梅・桜、秋の紅葉は訪れる人の心をとらえて見事です。
 (パンフレットより)

      

 前回紹介した泉涌寺に至る長い参道の途中に、この今熊野観音寺はある。
 昔から紅葉の名所として知られ、最盛期には駐車場から境内全域が真っ赤な紅葉に覆われる。境内全体の雰囲気も含めて、とても写真の撮りがいがあり、毎年欠かさず行っている。ひょっとして1年前にも紹介しているかもしれないが、検索してもわからなかった?
 縁起については上記の通りだが、平安時代の創建と言うから非常に長い歴史を有する。境内の中には当寺の「石像三重塔」が置かれており、その一方真新しい「ぼけ封じ観音」なども立っていて、何やら新旧織り交ぜた楽しい雰囲気だ。ベンチに座ってゆっくりと境内と、その背後にある山中の多宝塔を眺めるのもいいと思う。

          

 訪れた日は紅葉は見頃少し前で、概ね七分といったところ。それでも眺めるのも撮影するのにも十分な見事さと言える。泉涌寺と共にこちらにも大勢の人がやってきていた。拝観に来る皆さんというのは、ここに限らずどこでも比較的熱心で、きちっと賽銭を投げ、手を合わせている。自分などは撮影が主たる目的なので、そんなに丁寧に行うことはない。お寺の場合だと最低限、本堂をお参りをするくらいで、鎮守社などには見てるだけで何もしない。神社でも同じく、本殿には「写真を撮らせて頂きます」という気持ちを込めてお参りをするが、末社には何もせず撮影だけしている。訪れている方を見ると、多くの末社にひとつひとつお参りをしている人も結構多い。
 神社にしろお寺にしろ、手を合わせてお参りをするというのは昔からのお伝統が引き継がれているものだが、いわゆる心の中の問題、すなわち「信仰心」というのは、若い人もお年寄りも一体どのようなもんだろうか。

    

 自分自身は基本的には信仰心はほとんどゼロに等しく、お参りすると言ってもかなり義務的と言うか、形式的になっているのが事実だ。お釈迦さんや神様は日本の場合、割と寛容なところがあるようで、それでもいいのだろうと思える。厳格なプロテスタントやイスラム教原理主義みたいになると、それこそ状況によってはその信仰心の強さゆえに、狂気の沙汰に至ってしまうことが十分にある。
 日本では歴史的に、神仏習合という時期が長く続き、また神仏分離令が出た後も神社であれお寺であれ、比較的ゆったりした気持ちでお参りすることができるのがいいところだろう。
 さて、ここの今熊野観音寺では「ぼけ封じの観音様」がおられるということで、特に齢を取ってくると切実な問題になりうるので、結構皆さん手を合わせていた。65歳以上の1/5から1/7が認知症になると言われている時代なので、頭を使うことは積極的にやっているつもりだが、何ともこれは遺伝性のものも含めて、自分にとってみればちょっと気にしておかなければならない課題となる。何分にもを母親も叔母も重度の認知症を患った上に亡くなっているので、その様子を見てきた者としては不安がないとも言えない。こんな時にはついつい思わず、神頼み観音様頼みになってしまうものだ。
 でも考えたら、数年前から「癌封じのお守り」があるところでは必ず購入してきたものの、実際に自分は癌になってしまった。まあ効き目なんていうものはないというのが、科学的な時代の真実なんだろう。

    

 今熊野観音寺、紅葉の時期はぜひぜひ訪れるべきところだと思う。すぐ近くに東福寺もあるので、この辺りを歩きながら紅葉を楽しむことができる。

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紅葉撮り 6 泉涌寺 京都市東山区・・・今年は庭園にも入った。

2018-11-24 22:30:48 | 撮影



『総本山 御寺 泉涌寺
 東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。広く「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが順徳天皇の御代(承久元年,・1219)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師俊芿が時の宋の法式を取り入れて、この地に大伽藍を営む事を志し、寺地の一角より清泉が涌き出ていた祥瑞によって寺号を泉涌寺と改め、嘉禄2年(1226)には主要な伽藍が完成した。この泉は今も涌き続けている。
 月輪大師は若くして仏門に入り、大きな志をもって中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められた。帰国後は泉涌寺を創建して戒律の復興を計り、律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として大いに隆盛させた。
 時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山陵がここに営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。当寺が御寺と称せられる所以である。境内には仏殿・舎利殿をはじめ、天智天皇以降の歴代天皇の御尊牌を祀る霊明殿などの伽藍を配し、春の新緑、秋の紅葉に一段とその美しい姿を映えさせている。
 (パンフレットより)

      

 東山区の泉涌寺。もう何回も行っている。荘厳な建物が並び、一部は重要文化財でもある。広大な境内だが、周囲の木々はごくごく普通の緑で、一部だけ紅葉が見られる。
 昨年の秋も泉涌寺の紅葉をブログで紹介したが、その時には境内の様子と境内の外側に少しだけ見える紅葉を掲載した中途半端なものだった。今回は拝観料がいる庭園を見るべく書院へ入る。
 広い畳敷きの部屋から庭園が目の前に広がる。赤や黄色の見事な紅葉が枯山水庭園とともに、さほど広くないものの、何か随分迫ってくるような迫力がある。
 実はこの泉涌寺に何回も来ていながら、庭園があるのは知らなかった。まさかこれほどのものとは、正直びっくり。やはりこれを目当てに大勢の人々がカメラを構えていた。そういった意味では昨年の泉涌寺の紅葉と、今回の紅葉写真は別物と言ってもいいような内容だ。

           

 一年の中で自分自身が最も心躍るシーズンが、この紅葉の時期だ。もちろん他にも、梅のシーズン、桜のシーズン、椿のシーズン、紫陽花のシーズンなどなど、お寺や神社と輝かしい色を放つ木々や花々とのコントラストが、非常に見事なのでシーズンになると、毎日のように車であちこち回ることになる。中には毎年訪れるお寺もある。いいものは何回見てもいい。
 もう何年間も回っているが、有名どころは大半撮影し終えた。今年は重なっているお寺なんかもあるが、小さなお寺で綺麗なもみじのあるお寺の発掘も行っている。当然この場合には、事前にいろんな資料で調べてから行くことにしている。手当たり次第に行って何もないと言うのでは無駄だし、小さなお寺だが、ここには紅葉が見られるという確証のあるところを狙っていっている。
 今回の泉涌寺も、庭園という自分にとっては新発見の場所があったし、改めて見事な紅葉撮りができた、と気持ちが多いに高まった。
 泉涌寺の紹介については既に行なっているが、由緒だけを再掲載しておく。


  

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癌爺いさんの激しい怒り・・・安倍一強体制になってから、官公庁もやりたい放題。(本編)

2018-11-23 00:06:17 | 社会



《官公庁各自治体による障害者雇用水増し問題の発覚について。》

時期を逸した。いや決してそうでは無い。これは現在進行形の問題だ。

◆ 問題の発覚
一時この問題が発覚して各メディアは連日大きく取り上げた。テレビではかなり批判的に大きく取り上げ、新聞紙上では障害者雇用の実態が紹介されたりそした。これまでは障害者雇用については、民間企業のことが時々問題になる位だった。
つまり「障害者雇用促進法」に基づく「法定雇用率」に各企業が達しているかどうかが問題とされていた。基本は従業員数101人以上の企業が該当する。ところが法定雇用率に達している企業はごくわずかで、かなり多くの企業は達成できていなかった。達成している企業には障害者雇用調整金のような援助金が支給され、達成できていない企業には、不足分一人当たり毎月50,000円の、いわば納付金が、というか罰金のようなものが徴収されていた。年間にすると60万円だ。そして未達成の企業のうち90数%が従業員300人未満の企業である。
やはり体力のない企業にとってみれば、障害者を雇用すると言うのはかなり厳しい課題だと言うことになる。そんな中でも法定雇用率は少しずつ引き上げられ、企業にとってみれば、かなり必死に障害者を雇用する活動が重視されるようになった。そういった意味では社会的にも、障害者の社会進出と言う意味では良いことになると思える。


◆ 「障害者雇用促進法」とは ?
昭和35年、西暦で言うと1960年に制定された。なんと今から50年近くも前になる。東京オリンピックの一つ前、ローマオリンピックの年だ。
当初の理念や方針については、原文を読んだわけではないので詳しくはわからないが、概要を読んでみると、今にも通じるなかなか前向きの良い文章だと思う。
制定と同時に様々な障害を持った人々にも、自立を目指した就労の機会を用意し、日本全国の企業が努力をして積極的に雇用を進めていくと言うことが勧められた。当初は法定雇用率が1%台だった。これが後に少しずつ引き上げられ、今現在では民間企業は2.2%になっている。例えば1000人の従業員がいれば22名の障害者を雇用しなければならないということになる。
しかし昔は障害者に対する社会一般の理解と認識は非常に低く、障害の種類もほとんど知られていないような時代だった。当然のことながら、それぞれの障害の特性に応じた職種や指導法など、かなり違うと言うことが雇用側としてはほとんどわかっていなかったに等しい状態だ。その中で法律のほうは、内容の充実を目指すと言うことで、法定雇用率が上げられ現在に至っている。

特に安倍政権が言うところの「一億総活躍時代」のスローガンのもと、障害者もここに組み込まれると言うことになるんだろう。「一億総活躍時代」の問題点や是非については様々な意見があるので、ここでは控えておくが、少なくとも障害者雇用がより進められるということそのものはメリットと言う面になるだろう。
民間企業にとってみればさらに厳しい重荷となるかもしれない。ただそれが厳しいと意識すること自体が、障害者を排除する考え方につながりかねないと言う面もある。このような様々な課題を抱えながらも「障害者雇用促進法」は歩んできた。

◆ 民間企業だけではない !
公的機関、つまり国や官公庁、全国の各自治体もこの法律の対象なのだ。
上記のようにマスメディアで時々話題になるのは、民間企業の「障害者雇用率」が未達成の問題が多く国の勧告にも応じられないところは、企業名を公表までされると言う。
しかしこの「障害者雇用促進法」の摘要は民間の企業だけには留まらない。今まで各メディアが全く取り上げてこなかった政府や官公庁、そして日本全国の各自治体、あるいはその外郭団体にまで及ぶ。
これらに対しては雇用率はずっと達成されてきたとのことで何も問題にはなってこなかった。全国的に人権意識の高まりの中で、障害者が置かれている厳しい環境に対して自立を含め、あるいは支援を含めた形での就労のあり方が民間の間で模索されてきた。そんな様々な努力の中で、障害者の雇用が徐々にではあるが進んできたのは事実だ。

ところが今回、民間ではなく「公」機関がなんと驚くべきことに、障害者雇用率の操作をしていたということが明らかになった。メディアでは障害者の人数を「水増し」と言う表現で報道していたが、このような安直な表現では済まない問題をかかえている。これはもう完全に障害者だけでなく、国民全体を「騙し欺く」行為とも言える。
公的機関の雇用率は民間よりも少し高い2.5%に設定されている。そして官公庁の各機関はどこも達成できていると言う報告がずっとなされてきた。ところが今年になってその内実が暴かれ、ひどい実態が明らかになったと言うわけだ。本来ならば全省庁で約7000数百名の障害者が雇用されていなければならないのに、実際には約3400名と言う人数だった。つまりほぼ半分がごまかされていたことだ。
しかも信じがたいことに、水増しされた障害者と言うのは、亡くなった人や退職した人、あるいは障害に関係のないような病気を抱えている人などなど、身障者手帳を持たない人間を、勝手に障害者と判断して算入していた。こうして法定雇用率を達成していたと言うごまかしを、なんと40年にもわたって続けてきたと言う。
当然のことながら、東大卒を中心としたエリート集団の官公庁において、こういったことが問題にならなかったと言うのは、理由は極めて簡単。彼らには「全く関心のないこと」だからだ。

そして更に驚くべきことに、つい先日こうした官公庁のごまかし問題について、無罪方面と言う決定をしたと言う。つまりお咎めなし。
このニュースを見て「えーっ」と驚いたのは当然だ。なんでと言う疑問の思いさえ吹っ飛んでしまうような、官公庁の上から目線と、奢ったこの姿勢と言うのは、明らかに50年も前に国会で決めた法律を、自ら破っておきながら、つまり法律違反をしながら、何の罪にも問われないと言う、全くもって国民を馬鹿にした態度と言う他言いようがない。
これをきっかけに、さらに全国の公的機関に調査するように指示が降りたが、あちこちの都道府県や市町村から同じようなごまかしが次々に発覚してきた。そのやり方は官公庁等と似たり寄ったり。一定の調査結果が出たあとも、遅れてから、やっぱりありました、と報告が出てくる。京都でもそうだ。最初は京都府を始め全市町村でごまかしはなかった、と報告されていたが、その後からある市においてやはり出てきた。

まぁとりあえずはマスメディアによってこのことが全国に報道され、大きな問題となり注目された事は、ある意味良かったと言える。当然政府も官公庁も法律に基づいて対策をとらなければならない。早速その対策として、障害者用に官公庁の公務員採用試験が予定されている。もちろん「障害者手帳」交付者が対象となる。これで不足分の4000人を採用すると言うのだろうか。第一4000人も採用試験に集まるのか。そして4000人も合格できるものなのか。いろんな疑問がある。かなり拙速とも言える政府のこの取り組みについてはとにかく、数さえ合わせればいいと言う、表面的な体裁だけを取り繕う姿勢が明白としか言いようがない。このような一連の官公庁のやり方に当たり前の話だが、民間企業の怒りは頂点に足しているだろう。



◆ 障害者雇用のむつかしさ。
自分は長い教員生活の中で、中学校とともに障害児学校にも勤めたことがある。
そこでは高等部に所属しており、当然最大の課題は障害を持った生徒たちの「進路」だ。卒業していく彼らが彼女たちがどのような進路先に行くのか。世間の人々はほとんど知らないだろう。
もちろん「障害」と言っても様々な種類、あるいは程度の差があり、しかも一人一人が違った個性をいろんな側面で発揮する。したがって教育現場での指導においては、一人ひとりの細かな様々な分析が必要になる。そこから個々人の課題を明らかにして「個別の指導計画」を作成し、それに基づいて大きな教育課程に基づいて個々人に合った個々の教育課程を作っていく。つまり具体的な指導の内容を作っていくわけだ。この作業自体がそんなにたやすいものではない。普段から一人ひとりの行動や趣向や特性を見極めていかなければならない。正直なところ学校という現場では、ある程度の人数を少数の複数担任が見ると言う形になるので、様々な困難を伴う。丁寧な仕事、指導を目指そうと思うほどハードルは高くなっていくわけだ。
そんな彼ら彼女たちが卒業していく同じ高等部の中でも、障害の程度の軽い者、重い者の違いもある。その障害が身体障害、知的障害、精神的な障害、などなど多くの種類がある。
今現在では特に欧米を中心とした障害者研究の中で、かなり細かく分類され、それぞれの課題に応じた教育方策がどんどん生み出されている。そういった点では残念ながら日本は大きく遅れており、欧米からの研究結果を学ぶと言う形で後を追いかけている状態だ。

学校でこのような状況なのだから、民間に出ると更に大きな困難が予想される。障害の程度が重い卒業生は、民間企業への雇用は不可能と判断され、ほとんどが障害者施設へ通所するか入所するかということになる。しかもこの施設が足りなくて、通所すらできないと言う実態。ではどうなるのか。在宅しかない。

一方障害の程度が比較的軽い卒業生は民間企業への雇用の道が少しは開かれている。実際、会話や文字の読み書き等そこそこできる者は民間企業へ行っている。障害者の大半は非常に純粋な気持ちを持ち、真面目な人たちが多いので、仕事をする上でも真面目にこなせることができる。ただ理解に時間がかかったり、行動面での不安定さがあったりといった課題はあるが、民間企業の中に担当者を配置し、側面援助をしながら徐々に慣れさせていく中で、一定の力が発揮できるようになるケースが多いと思える。

近年注目されている自閉症の障害を持つ人は、特定分野で大変な能力を発揮するケースも多く、独自の働き方を活かして活躍できる場合がよく見られるし、あるいはその特別な能力を大いに伸ばして、芸術面や研究面で力を発揮するケースもある。言い出せばキリがないが、このように障害といってもひとくくりでは語れないほど非常に幅広い特性がある。
このような一人ひとり違った個性のある障害者を民間企業が、採用し育てていくと言うのは相当な努力が必要だし、ただ単に周囲を見て覚えろと言うわけにはいかない。企業側には相当な努力が要求されるわけだ。企業によってはずいぶん昔から障害者雇用に熱心なところもあって、そういった企業においては障害者をどのように育てていくのかと言うノウハウを持っているところがある。しかし多くの企業にとってみれば、そこが大きなネックとなって、障害者を職員としと育てていくのにはどうしても困難が伴うざるを得ない。
その背景には国民全体の中に、障害に対する不理解と言うものがある。企業にとってみれば、業績を上げて利潤を得ると言うのが大きな目的であるだけに、理解した上で育てていくと言うのも難しいのは当然だろう。これが中小企業になればいっそうのこと困難になる。
しかしこれは人権的な観点からも、国民が皆平等であると言う観点からも、絶対に進めていかなければならないことだ。


◆ この問題についてはまだまだ言うべき事は多いが、とりあえずはここまで。
問題はあまりにも多岐にわたる。障害者が置かれている困難な社会的な立場だからこそ、国民全体の理解と国による支援策が重要になる。そのことがわかっていて障害者雇用促進法と言う法律まで作ったのだ。
だからこそ今回の公的機関による雇用率達成の、ごまかし問題と言うのはあまりにも卑劣であくどいとしか言いようがない。それを何のお咎めもなしに、これから改善に努力するだけと言うことで終わらしていいのだろうか。これでも日本と言う国は本当に「民主主義」の国なんだろうか。
マスメディアのほうもこういう問題が発覚した時だけは大きく取り上げるが「その後」はほとんど報道がない。確かに毎日毎日その都度いろいろと出来事が起こって、あれもこれも取り上げる事はできないだろうが、時に応じて実態を報じたり、国の取り組みを報じたり、問題点があればそれを更に追求したり、と言う積極的な姿勢はぜひぜひ欲しいものだと思う。
再度言っておくが、この問題についてはあまりにも多岐に渡っており、言わなければならない事は膨大な範囲にわたる。こんな自分でもそれだけの情報は頭の中にある。ただただ長文でこのようなことを書いていても、きっと読んでいただける方にとってみれば少々しんどいことだろうが、非常に大事な問題なので、理解していただくようにお願いしたいところだ。

今回はこの辺までにしておくが、言葉は普通に表現しているものの、心の中は怒り心頭に達してブチ切れ寸前の状態だ。
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