切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 水俣病問題は未だ終わらず・・・国、自治体、会社の無責任さ 》  2023.10.1

2023-10-01 22:35:02 | 社会

 先日1つの裁判が判決を迎えた。「水俣病」による被害を受けた方々が、関西地方の128 名と集団で水俣病認定訴訟を行ったものだ。大阪地裁は女性裁判長が128名 全員の勝訴を認めた。日本の各地域に住む被害者の方々が、その地方においてやはり、集団で水俣病認定訴訟や損害賠償請求裁判を戦っている。今回の大阪地裁の判決はその意味では、極めて大きな成果だと言える。



 水俣病。この名前を知らない日本人はいないはずだ。小学校で勉強するのかどうかは分からないが、少なくとも中学生以上では教科書にも掲載されている。そういった意味では生徒たちから老人たちまで、この名前を知らないはずがない。もうすでに熊本県水俣市で発生したこの病は60年以上も昔のことになっている。当時は原因不明の風土病として扱われていたが、一部の熊本大学の医師たちが同市内にある「 チッソ株式会社 水俣工場」からの廃液に、有機水源が混入されて排出されていたことが原因ではないかと研究を続けていた。

 そして後にそれが 研究成果として明確になったのだ。水俣の沖合に排出された有機水銀の排水は、付近の魚が餌を摂る時に一緒に有機水銀の混ざった海水を体に取り込んでいる。 その結果漁業で捕獲された魚が水俣を中心に広く販売され、毎日のように食べていた市民たちの中から身体に異常な反応が出るようになった。当初は体の一部、あるいは体全身が無意識のうちにブルブルと震え痙攣状態になる。そして激しい痛みを伴う。そういうわけで病院に駆け込んでも原因が分からず、一番最初は奇病として扱われた。そして水俣を中心に周辺地域も含め、特にその辺りに患者の数が極めて大きく広がっていることが判明する。



 そして上記のように熊本大学医学部の研究を中心に、有機水銀の公害による被害であることが明らかとされた。当然のことながら水俣市及び熊本県、そしてさらに国に対しても徹底的な調査を患者たちから求められることになる。しかし会社は全く因果関係を認めようとせず、ついには患者から生まれた新生児が重度の障害を持った形で誕生するという事態にまで至る。そして最終的には 患者たちは水俣病として、熊本県や国に至急調査と患者への援助を求めて訴えることになった。このことが日本国中で大きく知られるようになった一員として、外国人のユージン・スミス氏が写真集を出版した意味は極めて大きい。取材にマスメディアも大きく取り扱うようになっていた。

 一向に埒が明かない国や県の動きに対して、患者たちは裁判に訴えることになる。当時 他の公害問題と合わせて、4大公害裁判とも呼ばれていた。裁判の過程では国側の資料に捏造が見つかり大問題となる。つまり国は被害者の患者たちを救おうとするのではなく、民間会社のチッソ株式会社をどう助けるか、守るかという視点しかなかったのだ。何という残忍な国であることか。裁判の結果は勝訴ということになる。

 ところが勝訴とは言ってもそこで大きな問題が発生した。各個々人の水俣病としての認定をどこまで認めるのかという問題だ。熊本県及び国は水俣周辺の特に障害の程度の重い者を認定した。ところが少しずつ 範囲を広げていくと、障害の程度の軽い患者も多数いることがわかった。一体国の認定基準というのは本当に正しいものなのかどうか、という疑問が湧く。当然のことだ。こうして認定されなかった患者たちが、更に認定を求めるための裁判を起こすようになる。年月が経つと水俣の地を離れ他府県に住む人たちも増えていく。こうして10年20年経つと、九州を離れ本州や関東方面も含めてかなり広範囲に患者たちは散って行った。

 これはもう国としては好都合としか言いようがない。これをいいことに認定はなかなか広がらなかった。こうして各地に散らばった人たちが、その付近で集団となり訴えを起こす。不当な敗訴もあり裁判は延々と続くことになった。こうしてもはや 70年近くが経った。先日ようやく大阪地裁で水俣病として新たに、128人が認定されることになったのだ。

 なぜこんなにも時間がかかるのか。早々にかなり幅広く水俣病患者として認定していれば、巨額な損害賠償をしなければならない。まずもって民間会社が持ちこたえられるかどうか。そして監督責任のある県や国も莫大な損害賠償請求に対して支払いをしなければならない。無論加えて政治行政の過失責任というのも認めることになる。従って国や会社、あるいは県も含めてなるべく水俣病認定は少なくとどめておきたい。

 いわゆる行政訴訟においては、ほとんどのケースで行政側が勝訴する。つまり国民が行政機関を訴えても勝てるケースは非常にまれというのが、この日本という国の司法の実態だ。ところがこの裁判を担当することになった女性裁判長は、自らの足で九州水俣及びその周辺を自らの目で見て意見を聞いて、この裁判に臨んだという。つまりただ単に写真や資料を見ただけではなく、現場に行ってその実態、今現在も重い障害に苦しんでいる多くの人々を見て、この水俣病公害問題というものを肌で捉えたのだ。こうしてこの勝訴はメディアでも比較的大きく取り上げられた。水俣病問題が話題になったのはある意味 久しぶりだった。

 そこで当然要求されるのが、果たしてこれだけで終わるのかという問題だ。以前から被害者たちは、自分も被害者ではないかと訴えた人に、全数調査を実施するよう求めてきている。しかし表面的には障害があるようには見えない人に対して、国は全く相手にしていない。だが彼ら彼女たちはもうすでにかなりな高齢だ。はっきり言って国と県は時間稼ぎをして、訴えている人がいずれ亡くなっていくのを待っているとしか思えない。何しろ国の調査は範囲を限定し区切り、しかもその中の明らかに障害が見られる者を認定するにとどめてきたという実態がある。従ってもうこれ以上患者の数を増やしたくないのだ。実態としては 水俣病 2世、そして3世と続いていく実態も見られる。



 彼ら彼女ら もれっきとした日本国民として、納税者として主権者として、日本という国で生活してきた。なのに自分の責任でないことで一生を潰された。そのことに対する責任は 会社・行政にあることは明らかなのに、国の非情さというのは目に余るものがある。直ちに 調査範囲の枠を外し、少しでも訴えてきている人を含めた全数調査を進め、程度の軽い人も全て患者として認めて、賠償責任を果たすべきだ。本当にこういった点では、日本というのはとてもではないが、先進国と言えるようなものではない。

   (画像はTVニュース、国際連合広報センターより)
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