切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

極楽寺 京都市山科区・・・忠臣蔵

2019-06-29 23:13:17 | 撮影


極楽寺



 山科区にある折上稲荷神社と極楽寺へ行ってきた。
 しかし神社の方は本殿が大規模改修中ということで、仮本殿が設けられていた。しかも2年前にこのブログで取り上げていた。当時はブログを始めて1ヶ月ぐらいだったので、なんとも拙い写真ばかりの文字がほとんどないような、頼りない内容だった。
 本殿を除けば青空であったし、いい写真も撮れたのでどうしようかと思ったが、ブログへの掲載はやめた。
      
 極楽寺。ちょうど伏見と山科を結ぶ高速道路のトンネルの出入り口のすぐ近く。
 そしてお寺の南側には「大石神社」が見えている。さらにその南には「岩屋寺」と続く。こう見てくると予想がつくかもしれないが、この極楽寺も赤穂藩の「大石内蔵助」との由縁がある。
 映画や舞台でも「忠臣蔵」としてあまりにも有名だ。赤穂藩に対する諸行への仇討ちとして吉良上野介邸に討ち入り、その首を取った。幕府の命により虎之助は切腹する。これら一連の流れの中で一時期、大石内蔵助は山科のこの地に隠棲していた。それが岩屋寺でありこの極楽寺であった。極楽寺には赤穂藩士の様々な遺物が保管されており、公開日には見ることができるらしい。普段は非公開となっている。
 主君の敵を討って、その責任を取って切腹すると言う、いかにも人情噺の典型的な話として、後に映画や舞台などに何度も取り上げられている、というのも日本らしいといえば日本らしい。こういう実話であろう物語の内容というのは、明治以降、大正昭和といわゆる、「任侠もの」になって引き継がれていく。戦後はもはや任侠ものなど通用せず、悪質な暴力団がのさばるような社会になってしまって、忠臣蔵の世界観とは全く別物となってしまった。
 大石神社には映画化された時の資料や写真などが展示されている。自由に見ることができるので、興味ある人は極楽寺から順番に三カ所歩いて回ってもいい。すぐに到着するほどお隣同士という近さだ。
 極楽寺の境内は決して広くはないが、全体的に草木が生い茂っており綺麗な花も咲いていた。そういった意味での見栄えはなかなか良かった。境内を奥に行くと山の斜面に広大な墓地が広がっており、まだまだ開発中という状態だった。

     
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G20大阪サミット「おもてなし」てなんや? あほらしぃ

2019-06-28 23:53:59 | 社会

● G20大阪サミットが始まった。

 Gと言うのは何なのか。一般の人はあまり知らないと思うが、簡単な英語。つまりグループの頭文字ジーだ。20とは何か。20の国のことだ。20の国とは何だ。経済的影響力の強い国々、あるいは今後経済的に伸びてくる新興国を自分らが勝手に選び出して、20カ国にしたグループと言う事だ。
 まぁ簡単に言えば「経済的に裕福な国」、「経済成長率が高く将来有望と思われている国」らしい。この連中のトップたちが集まって、何やら話し合いなのか、単なる顔合わせなのか、あるいは友達関係を深めるのか知らないが、とにかく20カ国のトップが一堂に集まって開く会議らしきものだ。

● 何がきっかけで、何をする会議なのか。
 きっかけはもうずいぶん前になるが、世界的に大きな影響を与えたリーマンショックと言うことらしい。放漫経営の末にアメリカの巨大銀行が破産すると言う、大きな経済的事件に、アメリカだけが損害を被るならまだしも、今や貿易で世界がつながっている状況の中で、世界の多くの国々が大きな経済的損失を出し、その尻拭いは各国の一般国民が背負わされることになった。
 こんなふざけた話があるのか。いずれにしろこのリーマンショックをきっかけに、世界の経済的主要国が集まって話し合おうと言うことになったようだ。どんなことを話すのか。やっぱり経済問題だ。当然付随して貿易問題。さらにくっついて各国の格差問題。そして何よりも重要なのは、資本主義経済の中で、独占的な地位を占めている大金融機関が破たんしないように、お互いに協力しあおうと言うことらしい。
 そんな話し合いで何かが決まるのか。本来こういった問題はもっと広い視点から、国際連合で話し合う議題になるはずのものだ。

● 国連を無視してなんで自分ら20カ国だけでやるのか。
 多分国連なんかでやると200カ国近い多くの国々で、意見がまとまらず、どの国も投票の際には一票の権利があると言うことに対して、主要先進国は大いなる不満を持っている。だから国連などを無視してもいいと言う姿勢だ。
 選ばれた20カ国はまさしく「選ばれた」のだ。当然ほとんどの国は経済的な強国であり、世界に与える影響も大きい。貿易面でも桁違いの取引を行い、世界中から「富」を懸命に収奪している。そのためには余計な発展途上国などを無視して、自分たちがいかに富を増やし、裕福になれるのか、ということを話し合う、お友達会議と言うことだ。


● 大阪のG20はどんなものなのか。
 真っ先に気になったのは、一般国民の生活を徹底的に規制して不自由さを強いて、店などは減収を余儀なくされることだ。国民犠牲のもとに行われるお友達会議だ。
 次に気になったのが、G20のためにいくらぐらいのお金がかかるのか。以前行われた伊勢志摩サミットでは総計800億かかったと言われている。
 今回いろいろ調べてみたが、結論から言うとわからなかった。ただ少なくとも国費として約450億円。大阪府はどれだけ出すのか。大阪府の一般会計予算の細々した項目がバラバラに載っているだけで、要するに大阪府全体としてまとめたら、どのくらいの出費になるのか、さっぱりわからないような状態になっていると言うことだ。
 一方でG20大阪への経済効果は約360億位だと言う数字が出ていた。ほんまかどうかわからんが、まぁ結構適当な数字なんだろう。しかしそれにしてもこんなお友達会議のために、我々の税金も投入されていると言うのは許されない。全く腹が立つ。

● G20大阪サミットのテーマとは。
 推進協議会のホームページがあるので見てみると、「大阪で世界の未来を作る」とあった。全く意味不明。何が言いたいのかわからない。
 大阪府民向けのアピールのスローガンとして、「大阪・関西の魅力を世界に発信」、「大阪・関西の知名度や都市格が向上」、「大阪・関西万博に向けたステップアップ」、全部抽象的な表現で意味がわからない。そもそもG20の存在意味からしても、的外れなずさんなスローガンだ。
 こんなものを日本国民全体どころか、大阪府民ですら知らないだろう。大阪府民からしたら20カ国の偉いさんがやってきて、何か話したり仲良しに、そして我々下層民衆には経験すらできない、素晴らしい「おもてなし」を受けることになっている。もちろんもちろん、これらの経費も全部日本全国民と大阪府民が納めた血税から支払われるわけだ。

●「おもてなし」ってどういうことや。
 今や毎日毎日うんざりするほどテレビCMでは、「東京2020」と言う言葉が溢れかえっている。たんまり金を出している企業にとっては、「われわれは東京2020のオフィシャルパートナー」などと宣伝に大いに力を入れて、好印象を与えようとしている。
 堕落しきったオリンピックと言うものに、相変わらず群がる輩がいっぱいいるわけだ。そういえばオリンピック委員会の委員長もやっと退任した。招致委員会の不祥事をフランス警察当局がいまだに捜査を続けている。まさに「東京2020ブラック・オリンピック」と言うのにふさわしい。
 この招致委員会がアピールしたときに使われた言葉が、「おもてなし」だった。誰が誰のために、何のために誰の金を使って、「おもてなし」をすると言うのか。もともと経済的に豊かな国々の、さらにトップの連中は金には困らず、死ぬまで裕福な生活を保障されているような連中だ。
 そんな奴らになぜあえて大金を使って「おもてなし」をする必要があるのか。どうしてもG20と言うものが必要と言うならば、集まってちゃんと会議だけやればいい。会議のことなんかよりも、日本観光旅行、おいしいもの食べられる旅行、てな感じなんだろう。

●マスメディアの報道姿勢は。
 新聞はまだしも、テレビのニュース情報番組見てると全く馬鹿馬鹿しくてアホらしくなってくる。
 各国のトップが来ることを喜んで、人種差別主義者のトランプ大統領が来てそれを見ようと、多くの群衆が殺到してる様子を放映しながら、アナウンサーやレポーターも興奮していると言うみっともなさ。全然関係のないファーストレディーと言われる連中が京都の東福寺を訪れた様子を、服装の事なんかも含めて楽しげにしゃべっているコメンテーター達。
 マスメディアは世界中から来ているが、少なくとも日本のマスメディアは批判的な捉え方は一切しない。何もかも肯定的に、うれしそうに報道している。これがマスメディアによる「おもてなし」なんだろう。
 日本のマスメディアも今や劣化はどんどん進み、奈落の底に沈む沈みこんで行っている真っ最中だ。この件についてはまた改めて書くことにする。もう彼らにはプライドと言うものがないんだろう。あんな無様な姿見てると、同じ国民としても嫌気がさす以外何もない。

● 世界中において本当に大事な事は。
 G20の連中もマスメディアもほったらかし。これらの連中は自分たちの経済や貿易における、あるいは貧困国からの移民問題の防御なんかを含めて、いかに自分たちが富を収奪できるかと言う観点で集まっている。逆に言えば、それ以外の発展途上国と言う名の貧困国と言うのは邪魔な存在なわけだ。
 しかしこのような世界の国々の極端な格差と言うのは、元はと言えば誰が作ったのか。まさしく今G20に集まっている国々だ。中世から近世にかけて、主にヨーロッパではアジアから富を貪り、アフリカ大陸からは奴隷を連れてきて、金やダイヤモンドを収奪し、近代においてはそこに、アメリカも加わり、石油利権を独占し巨大な富を築き上げる。鉱物資源や人的資源を収奪された貧困国にとってみれば、たまったもんではない。
 本来公平な経済取引がなされていれば、アフリカにも大きな富がもたらされ、先進国と言われるような国もいくつも登場しているはずだ。背景にはただ単に富の収奪だけではなく、人種差別問題や宗教問題なんかも絡んで、先進国は自分たちの思う通りにならないと、「戦争」と言う方法を使って強引に自分たちの利権を貪り、また守りそしていっそう増やしてきた。
 その結果今現在、各地で貧困国同士が争い殺し合いをし、さらに悲惨な状況に陥り、移民問題なんかが大きな課題になってきている始末だ。先進諸国は自分たちの責任を本当は知っているんだろうが、知らぬふりして自分たちの「豊かさ」を守るのが当然だ、と言わんばかり。
 こういった問題は国連で取り上げられているが、先進主要国は自分たちの不利になることには賛成は絶対にしない。だから肝心な事は何も決められない。だからG7とかG20なんて言うものが作られる。
 日本はアメリカの家来なので、国連でもアメリカのする通りのことを真似している。G20も先進国として偉そうな立場で、今回は主催国となっている。主催国では無い。主催都市となっている。

● 日本は「おもてなし」なんて言う言い方で、結局はへりくだっているだけだ。
 ここまで書いてきていい加減嫌になってきた。「先進国」と言う選民思想にまみれたこの言い方に腹が立つ。
 この文章ではあえて発展途上国のことを「貧困国」と表現したが、これは教育現場や社会の中では使ってはいけない表現だ。しかし発展途上国と言う言い方ではかなり曖昧で、ごまかされてしまう。一部のテレビでは最貧国と言う言い方を耳にしたことがある。そうしないと真の実態がなかなか伝わらない。
 世界に蔓延している経済的な格差や宗教的な争い、富と貧困の問題、そして地球規模の温暖化問題やプラスチックゴミ問題等、重要な課題がいっぱいあるのに、G20なんかでは、そんな事はどうでもいいんだろう。とっととお仲間会議は終えて帰ってもらいたい。

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若王寺・鞍岡神社 京都府相楽郡精華町・・・ともに長い歴史

2019-06-25 23:07:24 | 撮影

若王寺(にゃくおうじ)



 精華町の若王寺へ行く。
 近鉄の 狛田駅、あるいはJRの下狛駅の南数百メートルのところにある。府道沿いにあって、その府道はかつての奈良街道である。
 若王寺は府道から少し入ったところにあるが、比較的小さめなお寺。駒札も何もなく詳しいことはわからないが、様々な資料を調べてみると、創建については諸説あるが、古いものとしては奈良時代に行基が開いたという説がある。あるいはもっと後の時代の創建という説もあったりして、確定的なことはわからない。
 若王寺というのは、若一王子と言う「神仏習合の神」から来たように考えられる。(?)すでに奈良時代には神仏習合の事例が各地に見られ、お寺の鎮守としての神社が、境内やあるいは近くに設置されているケースも非常に多い。
  
 この地域は下狛と言われ、古くは平安時代の古文書に「下狛里」という地名が見られる。もともと「狛」というのは朝鮮半島の「高句麗」のことを表し、古墳時代以前より朝鮮半島から多くの渡来人がこの地にも入っている。そこから地名にも朝鮮半島にまつわるものが、山城の各地に見られる。狛もその一つだ。
 お寺そのものは非常にきれいに整備されており、本堂や鐘楼。かなり古そうな石造仏や室町時代作と言われる小さな五輪塔など、あちこちに配置されてお寺らしいお寺という感じだ。
 太子堂に置かれている「智証大師坐像」は国の重要文化財に指定されている。また本尊の阿弥陀如来像は平安後期の作で、町の指定文化財である。小さなお寺ながらも長い歴史と伝統をもっており、見どころも結構多い。
 すぐ隣に鞍岡神社があるので、そこも併せて訪れたいところだ。
       


鞍岡神社

 

 若王寺のすぐ西側にある。大きな石造鳥居を潜ってかなり長い石段を登っていく。足を痛めているご老人などにはかなりきついだろうと思われる。途中極めて簡単な説明立板があって、由緒についてはわずか2行だけ。
 その2行によると、「社伝によると寛弘5年(1008年)8月25日京都北野社から勧請したと伝えられている」とある。北野天満宮からということで、当初は「下狛村天神社」と呼ばれていたようだ。当然祭神は菅原道真ということになる。
 神社は江戸時代に火災によって失われた。後に焼失前の本殿と全く同じ形式で再建された。それを機に名称も鞍岡山天満宮と変えられたようだ。明治になって現在の鞍岡神社となった。
 参道に置かれている石灯籠などには天満宮の文字が見える。今現在でも名前にはないものの、天満宮の扱いなんだろうか。その辺りもうひとつよくわからない。
 境内は比較的広く、拝殿や本殿、そして多くの末社が真っ赤に塗られており、非常によく目立つ。末社の説明を全部していると長時間かかるので割愛する。
 全体的によく整備されており、地元の氏神様として大切にされているようだ。隣の若王寺との関係は、色々な資料を読んでもどこにも出てこず、全く関係ないような感じがした。
 なお本殿は近年、京都府の暫定登録文化財に指定された。

                   
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新熊野神社 京都市東山区・・・有数の名神社

2019-06-23 23:04:38 | 撮影



『新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
 熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(一一六〇)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山
県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、邪智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
 皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、 応仁の乱て荒廃し、現本殿(市指定有形文化材)は寬文十三年(一六七三)に聖護院の道寛視王により再建されたものである。
 境内の樟の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
 足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。
  京都市  (駒札より)

『新熊野神社
  本殿 大樟

 新能野神社は後白河上皇によって法住寺殿が造営されたとき、その鎮守社として、永暦元年(一一六〇)に新日吉社とともに歓請されたことに始まる。
 現在の本殿は、寛文十三年(一六七三)に造営きれたものである。規模は桁行三間、梁行一間、屋根入母屋造、妻入で、正面に向拝一間を付け、内部は正面通り一間の外陣とその奥二間の内陣に分かれている。
 この本殿は、構造形式、平面構成共に熊野本宮証試殿と同じで、全国的に見ても、また、京都においても他に類例が少なく、更に、熊野本宮証試殿より古いことからも、能野造の古制をよく伝える貴重な遺構であり、昭和五十九年六月一回、京都市指定有形文化財に指定された。
 また、境内の東南隅にあるクスノキは、市街地に植えられた樹木としては、傑出した大ききを誇っており、昭和五十八年六月一日、京都市指定天然記念物に指定された。
 京都市  (駒札より)

『後白河上皇お手植の「大樟」さん
 今から約830年前、当社草創の砌、後白河上皇は紀州国(和歌山県 )の熊野から土砂、材木などをこの地に運び、熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を創建された。その折、 熊野より移植、国家鎮護と万民福祉とをご誓願、お手植されたのが、現在の大樟である。又熊野の神々がご降臨になる「影向の大樟」といい、健康長寿、病魔退散特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから「お腹の神様」と信仰され、人々から「大樟大権現」と尊崇されている。
 朝タ排ガスの激しい場所にありながら、樹勢は益々旺盛で、日夜人々の営みを見守り続けている姿は、尊く畏き極みである。(京都市の天然記念物)
  (駒札より)

  
 新熊野神社。京都市内でも有数の名神社と言える。
 私が通院している京都第一日赤病院から、東大路通りを少し北へ行ったところにある。東大路通りに面して、巨大な樟(くすのき)がそびえているので、いやが応にもわかる。何度か行っているが、いつも人が絶えない。安産の神でもあり、若い女性も多い。
 巨大楠のすぐ横に細い路地があって、そこを入っていくと駐車場なのだが、それに気がつかない人が多く、神社の真ん前に違法駐車をしている車がいつもいつもかなり目立つ。ある時など団体さんのツアーバスが駐車していた。確かに駐車場には普通車がやっと入れるという幅しかないので、ある意味仕方ないのかもしれないが、近くの智積院の方に頼んで、駐車をお願いしたらいいのではないかと思う。そこから徒歩で5分くらいだ。
 新熊野神社は上の駒札に説明がある通り、紀州の国、今の和歌山から熊野信仰を惹いてきたもので、社殿を建築する時の材木なども、わざわざ熊野の方から運んできている。平安時代の終わり頃と言うから、約800数十年前の話だ。それ以来長い歴史を経て今に至るが、やはり応仁の乱で焼け落ちており、今の本殿等は以降に再建されたものとなる。
     
 この神社は何かユーモアがあふれて、見どころもあちこち多い。境内全体は市街地内にあるということで、やはり狭いといえば狭いのだが、宮司さんもいろんな工夫をして、参拝者がただ単に参拝して終わり、というのではなく、楽しめるような場を色々と用意されている。
 本殿を裏側に周回するようなコースに、「熊野古道」と名付けられた起伏のある短距離の道がある。コース上の要所要所に様々な人形や絵画が置かれていて説明書きもなされていた。熊野古道とはちょっと大げさかもしれないが、熊野信仰を代表する世界遺産の場でもあり、極めて小さい規模ながらも、この神社にお参りすることによって熊野古道に行ったのと同じようなご利益が得られるようにしているんだろうか。
 また八咫烏(やたがらす)も有名で、本殿の屋根の両端に三本足のカラスの瓦造像があった。八咫烏というのは古代神話における国造り神話の物語の中で、神武天皇が熊野から大和へ軍勢を送る時に、道に迷ったところを助けたカラスと言われている。「咫」とは大きいという意味があるそうで、古代においては大きいカラスに何らかの霊能力を人々は感じていたのかもしれないと言われている。
 ここの本殿は、駒札にもあるように貴重な建築物で、京都府の指定文化財にもなっている。そして新熊野神社を象徴するのが高さ30mを超える、京都市内でも有数の巨大クスノキだ。神社の創建時に後白河上皇自らがこの木を植えたと言う。800数十年かけて雄大な巨木となり、神社にとっても大きなシンボルだ。

 この神社は私が神社の中では最も好きなものの一つだ。
 本来、全国の神社はそのほとんどが「神社本庁」に所属している。世の中ではあまり知られていないが、神社本庁は政治的な圧力団体でもあり、ただ単に全国の神社を統括しているだけではない。安倍首相が以前から口にしている、「美しい日本」作りの一つとして、「美しい憲法をつくる会」という組織が全国的に活動している。
 地方議会で賛同の議決をしたり、神社の参拝者から寄付金と署名をとったりする活動を続けている。全く政治的活動以外の何ものでもない。
    
 しかし、全国の神社の中には、そのようなあり方に批判的な姿勢を示す神社も少なからずある。巨大神社などは神主さんの数も多く、神社全体として神社本庁の支配下にあるケースが多いが、比較的小さな神社では、神主さん個人の意向で運営されているところも数多い。新熊野神社はそうした少数派の神社である。
 神社本庁に所属せず、単立の神社として、参拝者に不快な思いをさせないように、日本を右傾化させるような取り組みには一切協力しないし、逆にかなり批判的である。このように少数派として頑張っているところに非常に共感が持てる。今後ともこの姿勢を貫き、京都の代表的な神社として、多くの参拝者を迎えてほしいと思う。今熊野神社にはこれ以外にも様々なエピソードがあり、観阿弥・世阿弥の能楽についても知られているし、調べれば調べるほど豊かな内容を持っている。ぜひ訪れてほしい。

     
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切れ切れ爺いさんの「食道がん」闘病記

2019-06-21 22:59:32 | 日記



 今週は京都第一日赤病院に行って、月曜日にCTスキャンを撮る。そして今日は胃カメラを飲み、その後診察。



 CTスキャンは何回かやっているが、痛くも痒くもなくただじっとしてるだけで、1台何億円もする機械が自動で全部やってくれる。
 そして今日はまず採血。これはいつものことだ。続いて内視鏡室へ移動。いわゆる胃カメラ。今までに数回経験しているが、何回やってもはっきり言って、苦しいものは苦しいとしか言いようがない。半分嫌々ながらとの思いで臨む。
 先にゼリー状の麻酔薬を口に含み、喉に達するようにする。胃カメラのチューブは口から入って喉を通過し、食道へ入っていくが、その直角に曲がるところが1番痛む。そのための麻酔と言うことだ。
 しかし食道を通って胃に達しても、強い違和感があり、マウスピースをしているために空気もどんどん胃の方へ入っていく。ゲップが出そうになるが、それが出ない。うずくような感覚が強くて、それを紛らわすために、カラーモニターを見ている。
 食道は思っていた以上に綺麗だった。そして手術した箇所を通過するときに、素人でもはっきりとわかる状態になっていた。胃の中に入ると、特に問題なし。全体的に非常にきれい。
 ようやくチューブが抜かれた。その途端に胃に入っていた空気がゲップとして次々に出て行く。後は診察を待つだけだ。



 巨大病院と言う宿命なのか、普段から患者数は非常に多いが、この日はいつもの日に増して患者数が多く、延々と診察を待つことになった。朝9時に到着したが、やっと診察を受けられたのが1時前。担当の先生のほうも大変だろう。テレビなどても大概お医者さん達は、昼食が摂れないらしい。
 診察室に呼ばれて結果を画像とともに聞かせてもらう。結論から言うと、非常に順調だと言う事。栄養状態も良く、今の状態を保っていけば良いと言われた。次回は8月の下旬だが、その段階で特に異常がなければ、一旦抗がん剤は打ち切りとなる。まぁ一安心といったところだ。しかし最終判断は3年半後だ。まだまだ通わなければならない。

 普段の生活はマシになったのかと言えば、確かに体力は大幅に落ちたものの、少しずつマシにはなっていると思う。
 生活の中で一番困っているのがやはり食事だ。朝食は少量でパターンが決まっていて、特に問題は無い。しかし昼食についてはほとんど毎日外食。といってもかつてのように牛丼店や食堂などに入るわけではなく、コンビニでパン2つとコーヒー。あるいはパンとおにぎりでコーヒー、というのがパターン化している。どうしてもファミレスなどに入ると、分量が多くて全部食べようと思うとかなりの時間がかかる。コンビニだと先に半分食べて、1時間から2時間後に残りを食べると言うことが可能なので、はるかに楽だ。いちどにたくさん食べると、どうしても食道から胃にかけて、食べ物が詰まって何かの拍子に吐き出そうな感覚になる。また胃のほうも重苦しい感覚が強まってしまう。
 つまり食事が全く楽しくもないなんともない。幸い味覚については副作用の影響もなく、味を楽しむと言う点では問題ないが、とにかく毎日同じようなものしかもう食べられない。晩御飯が量的には一番多いものの、これも毎晩毎晩ほとんど変わらない同じようなものばかり。たまに切り落としの安い牛肉を買ってきたり、インスタントカレーにしたり、たこ焼きを主食にしたり。そんなものが主食なのか、と言われそうな有様の実態だが、仕方ないと言えば仕方がない。

 今日改めて主治医に聞いてみたが、やはり胃のほうは一生このままの状態で、胃拡張のような形で大きくなる事はないと言う。このまま歳をとってよぼよぼになっても、コンビニに行ってパンとおにぎりを食べてるんだろうか。果たしていつものスーパーに車で買い物に行けるようになってるんだろうか。などと時々思ったりもする。
 いずれにしろ年齢的に見ても、残りはうまく生きてもせいぜい10年から20年。確実に老化は進行し、できることが少なくなっていくだろう。
 今の段階で「死」と言うものを考える事はあまりないが、時としてふと考えることもある。
 その時の望みは2つだけ。
 1つは、死の直前まで自分の力で歩けること。
 2つ目は、認知症になっていないこと。
 この2つだけで充分だと思っている。もう少し体力が回復してくれば、また簡単な筋トレとウォーキングを再開しようかと考えている。老人とはいえども、先輩方からしたらまだまだ老人の域には達していないと言われる。町内会のご近所さん達も老人だらけだが、私はその中でもはっきり言ってかなり若い方になる。

 先日向かい側に住宅が新築され、幼児がいる若夫婦が転居してきた。子供たちは非常に元気でその様子見てると、やはりいいなと思ったりもする。ご主人も遅くない時間に定時に帰宅されているようだ。

 私自身の送ってきた激務に激務を重ねた人生とはえらい違いだ。今から振り返ってもよくあんなブラックの現場で働いていたものだと思う。
 今頃になって文科省が教員の、特に中学校教員の異常な働きすぎに対して、対策をとるように全国に指示を出しているが、先日の新聞を見ても、ほとんど改善されていないと言う。当たり前の話だ。決定的に人員不足。生徒数が減っているとはいえども、とにかく教員の数が足らなさすぎる。こういう現場を文科大臣は見たこともないだろう。

 昔、元東大総長の人物が文部省の大臣になって現場を見たいと言うことで、ある都内の中学校を訪問したことがある。なんとその中学校は、学校全体が極めて落ち着き、暴力沙汰も何もない典型的な模範校。まぁ世の中に数多くの学校があれば、中にはそんなところもあったんだろう。わざわざ探して模範校を見せて、中学校がちゃんとしている、と大臣様は大いにご満足されたとの事だった。その時のニュースを苦々しい思いで見たことを、今でもはっきりと記憶している。お上の馬鹿どもはあくまでも馬鹿でしかないということがよくわかった出来事だった。

まだまだ話がそれたが、まぁ今日の段階で手術から1年8ヶ月経過。順調と言うことで安心すべきと思ったほうがいいだろう。
 中には再発したり転移したり、私などよりもはるかに厳しい状態に陥っている人々も多い。そんな中贅沢は言ってられない。今後は生活のいっそうの改善に向けて取り組んでいこうと思っている。

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