中国は、極秘の対日政治工作計画を立て、30年以上にわたって、工作活動をしている。そう思われる文書が、昭和40年代から伝えられている。『日本解放綱領』という。
この文書は、昭和47年に国民新聞社が発行した後、長く忘れられた文書のようになっていた。国民新聞社には在庫がなく、原本も所在不明ということで、私が同社に原本をお貸ししたことがある。平成11年から私がネットや雑誌に書いてきたことが、再び世の関心を呼び覚ましたようだ。
平成13年、『月刊日本』(9月号)が全文を掲載した。その後も、私は本や雑誌で引用されるのに出会わなかったが、ネット上では、徐々に知られてきた。このたび再び、『WILL』(ワック)3月号に、「中国の「対日政治工作」」という題名で、全文が掲載された。
中国の反日運動、対日工作に関心のある方に、ご一読をお勧めする。国民新聞社は、以下のサイトに全文を掲載している。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html
私は、この文書に中国語の原文があるのか知らない。また、偽書の可能性がないのかどうかを含めて、専門家に検討を呼びかけてきた。このたびの掲載にあたり、『WILL』の編集部は、次のように書いている。
「この文書は一部ではかねてより知られていた。驚くべき内容である。中国の対日工作計画がこと細かに、かつ具体的に書かれ、随所に思い当たる点も多い。ただし、出所が不明なため「怪文書」扱いされたこともある」
「「文書」そのものがこのままの形で存在したものか否かは不明のままだが、内容については信憑性があると判断し、上海領事自殺事件などで中国の諜報活動が問題になっている今、敢えて全文を公開する」
次に、私がこの文書について書いた一文を掲載する。私のサイトに掲載してあるのだが、見つけにくいという声があるので、読者の便宜のために本日の日記に掲載する。
――――――――――――――――――――――――――――――
■『日本解放綱領』の残影
昭和47年(1972)8月、中国共産党の秘密文書なるものが、出現しました。当時は、田中角栄内閣が成立し、マスコミが日中早期国交のキャンペーンを展開していました。三島由紀夫自決や70年安保収束の2年後のことです。
故・西内雅(ただし)教授(当時中央学院大学、のち皇学館大学)は、北東アジア各地を旅行中に、中共による『日本解放綱領』という文書を入手したと言います。そして、国民新聞社が日本語の翻訳版を出版しました。それが、『中共が工作員に指示した「日本解放」の秘密指令』という小冊子です。
◆忘れられた文書
発行当時を知る関係者の話では、本書は、論壇誌で取り上げられたり、日本共産党も言及するなど、反響を呼びました。しかし、その後、本書は、存在すら忘れられたかのようです。
本書の原書は実在するのか、また翻訳において創作的な点はないのかなど、私には詳細はわかりません。しかし、本書に推薦の辞を寄せた鍋山貞親氏(戦前の佐野・鍋山の「転向声明」で有名)は、西内教授は「はったり性の全然ない学究」であり、「持ち帰った文書も、すぐふりまわしはせず、まず3人の中共研究者に、それぞれ個別の検討を委嘱し、3人の判断がいずれも一致しているのを見て、ようやく公表することに踏みったというほど、用意周到である」と記しています。
◆日本共産化の基本戦略
本書が出現した昭和40年代、我が国は、左翼革命運動で騒然としていました。産経新聞を除くほとんどのマスコミは文化大革命を礼賛し、毛沢東に共鳴する一群が活発に活動していました。熱病にかかったような時代でした。未だ実態は明らかではありませんが、背後に中国共産党による何らかの工作・支援があったのではないでしょうか。
中共の「日本解放」の秘密指令なるものには、次のような内容が書かれています。まず本書は、「我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有する国力のすべてを我が党の支配下におき、我が党の世界解放戦に奉仕せしめる」と規定しています。
「日本解放」つまり日本の共産化は、3段階を経て達成するとしています。第1目標は日中国交の樹立、第2目標は「民主連合政府の形成」、第3目標は「日本人民民主共和国の樹立ーー天皇を戦犯の首魁として処刑」である。
本書は、田中内閣成立で第1目標は達成されつつあるとし、第2目標の民主連合政権樹立に必要とする心理作戦、マスコミ、政党、左右両団体への工作、さらに在日華僑対策を具体的に指示、在日中共大使館開設によってさらに筋金入りの革命工作員2千名を派遣、第3目標達成に全力をあげるとしています。
「民主連合政府」の形成は、それ自体が目的ではなく、次の「人民共和制=共産政府樹立」に転じていくための、単なる手段にすぎないことが、明記されています。あくまで最後は暴力方式をとって共産政権を樹立することが目標です。その際、連合政権樹立に協力した、当時の既成政党(自民党・社会党・民社党・公明党など)の一切を打倒し、排除することとしています。この過程で最も注目すべきは、天皇を「戦犯の首魁」と規定し、「処刑する」ことが、はっきりと明記されていることです。
◆対日工作員への指示内容
次に、本文の内容から、注目すべき点をまとめてみます。中共工作員の行動要領の第一には、「群集掌握の心理戦」が指示されています。すなわち、「全日本人に中国への好感、親近感をいだかせる」「目的は、我が党、我が国への警戒心を、無意識のうちに捨て去らせることにある」「これは、日本解放工作成功の絶好の温床となる」などとしています。もし日中友好には、このような工作のもとに推進された面もあるとすれば、ゆゆしきことでしょう。
第二に、「マスコミ工作」が指示されています。マスコミ工作については、「今日では、新聞、雑誌を含め、いわゆるマスコミは、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意志が世論を作り上げるのである」という認識が書かれています。当時の日本の保守政権を国交正常化への道に「追い込んだ」のは、「日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下においた我が党の鉄の意志と、たゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである」と記しています。そして、新聞・雑誌、テレビ・ラジオ、出版に関する工作の詳細な指示を出しています。
そのなかには、新聞・雑誌に「強調せしむべき論調の方向」の一つとして「人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調」という項目があります。
その説明として次のように書かれています。「ここに言う『人間の尊重』とは、個の尊重、全の否定を言う。『自由』とは、旧道徳からの解放、本能の解放を言う。『民主』とは、国家権力の排除を言う。『平和』とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。『独立』とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を言う」と。その後、わが国のマスコミ・左翼・日教組が強調してきた「人権、民主、平和」などが挙げられていることが、注目されましょう。
スイスの『民間防衛』では「心理的防衛」の重要性が強調されていますが、いかに重要なことか確認できましょう。
第三の政党工作においては、連合政府は手段であることが明記されています。「本工作組に与える『民主連合政府の樹立』という任務は、日本解放の第2期における工作目標に過ぎず、その実現は、第3期の『日本人民民主共和国』樹立のための手段に過ぎない」と。
目標実現のための工作として、本書は国会議員を掌握し、工作員の支配下におくように指示しています。「議員の弱点を利用する」として、「金銭、権力、名声等、ほっするものをあたえ、又は約束し、必要があれば、中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段もいとうてはならず、神聖なる任務の遂行として、やりぬかねばならない」と書かれています。
政党について、特に自民党に対しては、「自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる」ということを基本方針としています。そのための手段は、「派閥の対立を激化せしめる」こととし、非主流派に政治資金を与えたり、議員個人の掌握を活用することを指示しています。長期単独政権を維持していた自民党がその後分裂し、連立政権時代に移行したことと、符合していて考えさせられましょう。
注目すべきことに、中共の秘密指令は、日本共産党については、ほとんど触れていません。簡単に「日本共産党を含めた野党共闘を促進する」という一行のみです。「民主連合政府」そして続く「人民民主共和国」の政府において、日本共産党は、どのように位置付けられるのでしょうか。対立か提携か、いずれにせよ、中共の指令書と日共の綱領は、発想が似ていることは、見逃せません。
◆「第二の蒙古襲来」か
ここで本書を公表した西内教授の見解を紹介します。
「中共の国是は、世界共産革命の覇権を握ることである。そのための戦略戦術は、目的のためには手段を選ばぬ、千変万化なものである」。そして「1950年の朝鮮戦争の後の基本戦略は、直接侵略(武力戦)の意志と準備の下に、間接侵略(思想戦・外交戦・経済戦)によって相手国の秩序の破壊、人心の収攬を計り、そのまま共産圏に組み入れることを期し、若しも目的を達し得ないときは、タイミングを計らって直接侵略によって、とどめをさすことにある」
「『日本解放』は、第二の蒙古襲来の警鐘である。700年の昔には、兵甲艦船という物的物理的な目に見える脅威であった。然るに今日の攻撃は間接侵略、特に思想戦であって、しかもラジオ・テレビ・マスコミの発達した現代では、どこからでも攻撃できるし、また攻撃して来ているのである」
◆国際反日運動への残影
中国共産党は、その後、毛沢東の死、「四人組」の追放などを経て、昭和53年に小平が実権を握り、路線を大きく転換しました。市場原理と外国資本を導入した中国には、もはや武力侵攻や革命工作を行う可能性など、ほとんどないかに見えます。
しかし、一方では、中国はソ連の崩壊後、軍拡の道をひた走り、また同時に反日的な宣伝活動を活発化してきました。南京事件の捏造・喧伝、歴史教科書や靖国神社首相参拝への干渉、戦争の謝罪と賠償の要求など、日本への心理的・外交的な攻勢は強まってきました。さらに今日のアイリス・チャンらによる国際反日運動の背後にも、中国政府の関与が指摘されています。日中の真の友好にとって、誠に残念な傾向です。
こうした中国の対日政策をさかのぼると、『日本解放綱領』なるものが存在し、今日まで、影を落としているのかも知れません。今後の専門家による研究に期待したいと思います。
結びに、20世紀以降、日本は、共産主義の活動によって、大きく進路を狂わされてきています。まだ明らかになっていないことは多くあります。その真相を究明することなくして、日本の進路を軌道修正できないことを再認識したいものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
註
・西内雅氏について、『WILL』編集部が書いたプロフィール
明治36年生まれ。数学の天才と言われ、陸軍士官学校を出て内閣総力戦研究所所員。東條英機元首相らとも交遊があった。戦後は皇學館大学、京都産業大学、中央学院大学などで教鞭をとった。
中国、台湾問題などが専門で、「中国の正体」「日本の防衛」「八千万の運命」などの編著書もある。
昭和40年代半ばから、香港で日本語学校を運営、文化大革命で中国から逃げてきた中国人に日本語を教えつつ、情報を収集していた時に、この文書を入手したといわれる。
この文書は、昭和47年に国民新聞社が発行した後、長く忘れられた文書のようになっていた。国民新聞社には在庫がなく、原本も所在不明ということで、私が同社に原本をお貸ししたことがある。平成11年から私がネットや雑誌に書いてきたことが、再び世の関心を呼び覚ましたようだ。
平成13年、『月刊日本』(9月号)が全文を掲載した。その後も、私は本や雑誌で引用されるのに出会わなかったが、ネット上では、徐々に知られてきた。このたび再び、『WILL』(ワック)3月号に、「中国の「対日政治工作」」という題名で、全文が掲載された。
中国の反日運動、対日工作に関心のある方に、ご一読をお勧めする。国民新聞社は、以下のサイトに全文を掲載している。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html
私は、この文書に中国語の原文があるのか知らない。また、偽書の可能性がないのかどうかを含めて、専門家に検討を呼びかけてきた。このたびの掲載にあたり、『WILL』の編集部は、次のように書いている。
「この文書は一部ではかねてより知られていた。驚くべき内容である。中国の対日工作計画がこと細かに、かつ具体的に書かれ、随所に思い当たる点も多い。ただし、出所が不明なため「怪文書」扱いされたこともある」
「「文書」そのものがこのままの形で存在したものか否かは不明のままだが、内容については信憑性があると判断し、上海領事自殺事件などで中国の諜報活動が問題になっている今、敢えて全文を公開する」
次に、私がこの文書について書いた一文を掲載する。私のサイトに掲載してあるのだが、見つけにくいという声があるので、読者の便宜のために本日の日記に掲載する。
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■『日本解放綱領』の残影
昭和47年(1972)8月、中国共産党の秘密文書なるものが、出現しました。当時は、田中角栄内閣が成立し、マスコミが日中早期国交のキャンペーンを展開していました。三島由紀夫自決や70年安保収束の2年後のことです。
故・西内雅(ただし)教授(当時中央学院大学、のち皇学館大学)は、北東アジア各地を旅行中に、中共による『日本解放綱領』という文書を入手したと言います。そして、国民新聞社が日本語の翻訳版を出版しました。それが、『中共が工作員に指示した「日本解放」の秘密指令』という小冊子です。
◆忘れられた文書
発行当時を知る関係者の話では、本書は、論壇誌で取り上げられたり、日本共産党も言及するなど、反響を呼びました。しかし、その後、本書は、存在すら忘れられたかのようです。
本書の原書は実在するのか、また翻訳において創作的な点はないのかなど、私には詳細はわかりません。しかし、本書に推薦の辞を寄せた鍋山貞親氏(戦前の佐野・鍋山の「転向声明」で有名)は、西内教授は「はったり性の全然ない学究」であり、「持ち帰った文書も、すぐふりまわしはせず、まず3人の中共研究者に、それぞれ個別の検討を委嘱し、3人の判断がいずれも一致しているのを見て、ようやく公表することに踏みったというほど、用意周到である」と記しています。
◆日本共産化の基本戦略
本書が出現した昭和40年代、我が国は、左翼革命運動で騒然としていました。産経新聞を除くほとんどのマスコミは文化大革命を礼賛し、毛沢東に共鳴する一群が活発に活動していました。熱病にかかったような時代でした。未だ実態は明らかではありませんが、背後に中国共産党による何らかの工作・支援があったのではないでしょうか。
中共の「日本解放」の秘密指令なるものには、次のような内容が書かれています。まず本書は、「我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有する国力のすべてを我が党の支配下におき、我が党の世界解放戦に奉仕せしめる」と規定しています。
「日本解放」つまり日本の共産化は、3段階を経て達成するとしています。第1目標は日中国交の樹立、第2目標は「民主連合政府の形成」、第3目標は「日本人民民主共和国の樹立ーー天皇を戦犯の首魁として処刑」である。
本書は、田中内閣成立で第1目標は達成されつつあるとし、第2目標の民主連合政権樹立に必要とする心理作戦、マスコミ、政党、左右両団体への工作、さらに在日華僑対策を具体的に指示、在日中共大使館開設によってさらに筋金入りの革命工作員2千名を派遣、第3目標達成に全力をあげるとしています。
「民主連合政府」の形成は、それ自体が目的ではなく、次の「人民共和制=共産政府樹立」に転じていくための、単なる手段にすぎないことが、明記されています。あくまで最後は暴力方式をとって共産政権を樹立することが目標です。その際、連合政権樹立に協力した、当時の既成政党(自民党・社会党・民社党・公明党など)の一切を打倒し、排除することとしています。この過程で最も注目すべきは、天皇を「戦犯の首魁」と規定し、「処刑する」ことが、はっきりと明記されていることです。
◆対日工作員への指示内容
次に、本文の内容から、注目すべき点をまとめてみます。中共工作員の行動要領の第一には、「群集掌握の心理戦」が指示されています。すなわち、「全日本人に中国への好感、親近感をいだかせる」「目的は、我が党、我が国への警戒心を、無意識のうちに捨て去らせることにある」「これは、日本解放工作成功の絶好の温床となる」などとしています。もし日中友好には、このような工作のもとに推進された面もあるとすれば、ゆゆしきことでしょう。
第二に、「マスコミ工作」が指示されています。マスコミ工作については、「今日では、新聞、雑誌を含め、いわゆるマスコミは、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意志が世論を作り上げるのである」という認識が書かれています。当時の日本の保守政権を国交正常化への道に「追い込んだ」のは、「日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下においた我が党の鉄の意志と、たゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである」と記しています。そして、新聞・雑誌、テレビ・ラジオ、出版に関する工作の詳細な指示を出しています。
そのなかには、新聞・雑誌に「強調せしむべき論調の方向」の一つとして「人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調」という項目があります。
その説明として次のように書かれています。「ここに言う『人間の尊重』とは、個の尊重、全の否定を言う。『自由』とは、旧道徳からの解放、本能の解放を言う。『民主』とは、国家権力の排除を言う。『平和』とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。『独立』とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を言う」と。その後、わが国のマスコミ・左翼・日教組が強調してきた「人権、民主、平和」などが挙げられていることが、注目されましょう。
スイスの『民間防衛』では「心理的防衛」の重要性が強調されていますが、いかに重要なことか確認できましょう。
第三の政党工作においては、連合政府は手段であることが明記されています。「本工作組に与える『民主連合政府の樹立』という任務は、日本解放の第2期における工作目標に過ぎず、その実現は、第3期の『日本人民民主共和国』樹立のための手段に過ぎない」と。
目標実現のための工作として、本書は国会議員を掌握し、工作員の支配下におくように指示しています。「議員の弱点を利用する」として、「金銭、権力、名声等、ほっするものをあたえ、又は約束し、必要があれば、中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段もいとうてはならず、神聖なる任務の遂行として、やりぬかねばならない」と書かれています。
政党について、特に自民党に対しては、「自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる」ということを基本方針としています。そのための手段は、「派閥の対立を激化せしめる」こととし、非主流派に政治資金を与えたり、議員個人の掌握を活用することを指示しています。長期単独政権を維持していた自民党がその後分裂し、連立政権時代に移行したことと、符合していて考えさせられましょう。
注目すべきことに、中共の秘密指令は、日本共産党については、ほとんど触れていません。簡単に「日本共産党を含めた野党共闘を促進する」という一行のみです。「民主連合政府」そして続く「人民民主共和国」の政府において、日本共産党は、どのように位置付けられるのでしょうか。対立か提携か、いずれにせよ、中共の指令書と日共の綱領は、発想が似ていることは、見逃せません。
◆「第二の蒙古襲来」か
ここで本書を公表した西内教授の見解を紹介します。
「中共の国是は、世界共産革命の覇権を握ることである。そのための戦略戦術は、目的のためには手段を選ばぬ、千変万化なものである」。そして「1950年の朝鮮戦争の後の基本戦略は、直接侵略(武力戦)の意志と準備の下に、間接侵略(思想戦・外交戦・経済戦)によって相手国の秩序の破壊、人心の収攬を計り、そのまま共産圏に組み入れることを期し、若しも目的を達し得ないときは、タイミングを計らって直接侵略によって、とどめをさすことにある」
「『日本解放』は、第二の蒙古襲来の警鐘である。700年の昔には、兵甲艦船という物的物理的な目に見える脅威であった。然るに今日の攻撃は間接侵略、特に思想戦であって、しかもラジオ・テレビ・マスコミの発達した現代では、どこからでも攻撃できるし、また攻撃して来ているのである」
◆国際反日運動への残影
中国共産党は、その後、毛沢東の死、「四人組」の追放などを経て、昭和53年に小平が実権を握り、路線を大きく転換しました。市場原理と外国資本を導入した中国には、もはや武力侵攻や革命工作を行う可能性など、ほとんどないかに見えます。
しかし、一方では、中国はソ連の崩壊後、軍拡の道をひた走り、また同時に反日的な宣伝活動を活発化してきました。南京事件の捏造・喧伝、歴史教科書や靖国神社首相参拝への干渉、戦争の謝罪と賠償の要求など、日本への心理的・外交的な攻勢は強まってきました。さらに今日のアイリス・チャンらによる国際反日運動の背後にも、中国政府の関与が指摘されています。日中の真の友好にとって、誠に残念な傾向です。
こうした中国の対日政策をさかのぼると、『日本解放綱領』なるものが存在し、今日まで、影を落としているのかも知れません。今後の専門家による研究に期待したいと思います。
結びに、20世紀以降、日本は、共産主義の活動によって、大きく進路を狂わされてきています。まだ明らかになっていないことは多くあります。その真相を究明することなくして、日本の進路を軌道修正できないことを再認識したいものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
註
・西内雅氏について、『WILL』編集部が書いたプロフィール
明治36年生まれ。数学の天才と言われ、陸軍士官学校を出て内閣総力戦研究所所員。東條英機元首相らとも交遊があった。戦後は皇學館大学、京都産業大学、中央学院大学などで教鞭をとった。
中国、台湾問題などが専門で、「中国の正体」「日本の防衛」「八千万の運命」などの編著書もある。
昭和40年代半ばから、香港で日本語学校を運営、文化大革命で中国から逃げてきた中国人に日本語を教えつつ、情報を収集していた時に、この文書を入手したといわれる。
つまり、日本共産党は革命をあきらめていません。
「皇室典範改定により第一歩を踏み出すとしている」というのが私の見解です。
日本共産党は、女性天皇・女系継承容認の風潮が強まると、皇室制度への批判をやめ、愛子天皇の実現を支持しています。女性天皇の即位⇒その子どもによる女系継承への移行⇒そこで共産党は女系天皇を否定⇒皇室制度の廃絶を誘導⇒皇室なき日本を共産化というシナリオでしょう。
小泉首相も昨日でしたか、再度「皇室典範改正」女系天皇容認を強調していましたが、所詮は小泉首相も行動力はあっても、大局からものを見ることをせず、歴史観、哲学を持たない人なのかと失望しました。
このままでは日本は日本でなくなってしまうという、強い危機感を感じます。
今回の上海領事自殺事件は、「日本解放綱領」の以下の部分を、外交官に置き換えて読むとよいでしょう。
第3政党工作の3-2
3-2.議員を個別に掌握
下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。
ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。