ほそかわ・かずひこの BLOG

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麻生外相「天皇陛下が靖国参拝を」

2006-01-29 10:11:46 | 靖国問題
麻生外務大臣が、「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」と発言したと報じられた。

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【「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」…麻生外相】

 麻生外相は28日、名古屋市で開かれた公明党議員の会合で、靖国神社参拝について「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、天皇陛下の靖国神社参拝を実現することが望ましいとの考えを示した。

 そのうえで、「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」と語った。

 首相の参拝に関しては、「外国から言われて決めるのは絶対通ることではない」とし、「靖国問題が終わったら、日中間の問題がすべて解決するわけではない。隣の国なのだから、ある程度緊張感を持ってやっていく以外に方法はない」と述べた。

(読売新聞) - 1月28日23時48分更新
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 麻生外相の言っていることは正しい。天皇陛下の靖国参拝が中断されているのは、昭和50年、三木首相が私人としての参拝を強調し、首相の参拝が政治問題化してからのことである。いわゆる「A級戦犯」の合祀とは、直接関係ない。合祀は、昭和53年のことだからだ。
 麻生氏が言うように天皇陛下に靖国参拝を再開していただくには、政府が障害を取り除かねばならない。障害は、首相の参拝は、公人としてか、私人としてかという論議に発する。一連の小泉靖国参拝訴訟で、国側は、「参拝は内閣総理大臣の職務として行われたものではない」と「私的参拝」を主張している。これは、首相の参拝は公式参拝ではないと主張するのと同じである。
 麻生氏の発言は、現在の政府の主張を改めるべきことを示唆したと理解される。改めるとは、首相は、日本国の総理大臣の資格において、その職務として公的に参拝するという見解を打ち出すということである。それによって、天皇陛下の靖国参拝の復活が初めて実現に向かう。

 天皇・皇室と靖国神社との関係は深い。  

 靖国神社は、幕末から維新にかけての激動の時期に、国事のために殉難した人々の霊を慰めるために創建された。明治維新は大政奉還・王政復古によって、皇室を中心とした近代国家をつくる改革だった。皇室はわが国の政治的・文化的・精神的中心として、その存在を新たにした。それゆえ、皇室は明治維新とそれに続く近代国家建設の過程で、国に命を捧げた人々の慰霊をねんごろにしてきた。

 そもそも靖国神社は、明治2年(1869)、明治天皇によって、現在の東京都千代田区九段に創建された。初めは「東京招魂社」と呼ばれたが、明治12年(1879)に靖国神社と改称された。「靖国」という名称には、平和への願いが込められている。『春秋左氏伝』に、「吾は以て国を靖んずるなり」「以て国を靖んぜんと曰へり」とある。これが出典とされる。命名は、明治天皇によるとされる。

 天皇・皇后は度々、靖国神社に参拝されてきた。明治時代に11回、大正時代に5回、昭和時代には54回の行幸啓(ぎょうこうけい=天皇・皇后のお出かけ)がされた。

 戦前戦後を通じて、靖国神社の春秋の例大祭では、皇室の勅使(天皇の使者)が差し遣わされ、「奉幣」が行われてきた。皇室の幣帛(へいはく=神に供える物)を、伊勢神宮と靖国神社に奉(たてまつ)る伝統は、現在に至るまで変更されていない。

 敗戦後、昭和天皇は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社に参拝された。(ご親拝と呼ぶ) それ以来、30年間ご参拝が続けられていた。しかし、昭和50年(1975)秋の例大祭に昭和天皇が参拝されて以来、ご親拝は途絶えている。同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが影響していることは明らかである。

 今上天皇(きんじょう・てんのう=現在の天皇)は皇太子時代には5回、参拝された。しかし、天皇に即位されてからは、ご親拝は行われていない。つまり、平成になって一度も天皇は参拝されていない。

 死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇が参拝されると信じ、そこに栄誉を感じていた。それゆえ、昭和50年以降、天皇のご参拝がないという日本の現状は、その期待を裏切るものとなっている。
 これは天皇の責任ではなく、政治の責任である。

 明治天皇に以下の御製がある。

  よとともに 語りつたえよ 国のため
         命をすてし 人のいさをを

(大意=国のために生命を捧げた人たちの功績を、いつの世までも語り伝えていって欲しい)(明治37年)

 また、昭和天皇に以下の御製がある。

  忘れめや 戦(いくさ)の庭に たふれしは
          暮しささへし をのこなりしを

(大意=忘れることができようか。戦場で亡くなったのは、みな家庭のくらしを支えていた男たちだったことを)(昭和37年)

参考
・私の靖国論は、以下をご参照のこと
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08f.htm

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2 コメント

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Unknown (議論は尽きず)
2006-02-02 21:26:41
兵士がみな天皇万歳と言って亡くなったのだろうか?

もちろん言われた方もいるとは思うのだが・・・

私はもちろん慰霊には反対しない。

天皇をめぐる議論ではバランス感覚が大事だと思う。



re:Unknwon (ほそかわ)
2006-02-03 17:06:24
>兵士がみな天皇万歳と言って亡くなったのだろうか?

もちろん言われた方もいるとは思うのだが・・・

私はもちろん慰霊には反対しない。

天皇をめぐる議論ではバランス感覚が大事だと思う。<



 何事でもバランス感覚は大切だと思います。

 それとともに、英霊について語るときは、英霊の言葉に耳を傾け、その心を理解しようという姿勢が必要だと思います。

 私が英霊の遺書・遺文を読んで感じるのは、親を思い、家族を思う切実な思いであり、また同時に、国を思い、この国に生まれる将来の世代を思う真摯な重いです。そして、こうしたもろもろの思いが、「天皇陛下万歳」「靖国で会おう」「靖国に来てほしい」と言う言葉の中に凝縮されているように感じます。

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