11.老大家、迷妄を流布し晩節を汚す
田中氏の迷妄は、まことに深い。氏は次のように書いている。
「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」。これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」
氏はこの試案に「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」と言うのだが、私は反対である。氏の試案には重大な問題があるからである。「日本国憲法(第2条)にもとづく」という一節である。
田中氏は、日本国憲法をGHQによる占領憲法であり、「ヤルタ=ポツダム体制」の一環として論じていたはずである。その占領憲法を、皇室典範の案文に入れている。皇位の世襲は、日本国憲法が初めて定めたことではない。明治の皇室典範は、第一条に「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」と定めていた。世襲は、成文化した法令以前のものである。
田中氏は「男系の男子」という限定をはずしたいわけだが、それならば、「皇位は世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」とすればよいのである。そこに敢えて日本国憲法を持ってくるのは、まことに奇異である。まさか日本国憲法が「革命憲法」であり、大日本帝国憲法及び明治皇室典範と断絶したものだという、左翼学者の見解へと転換したわけでもあるまいが。
さて、田中氏は論文の最終節を「後醍醐天皇の御精神を仰ぐ」と題している。ここで田中氏は、後醍醐天皇の事績をあげ、南北朝対立の時代に触れる。そして、「北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。これに対して、後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」。」と述べて、「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」と結んでいる。
不可解な結尾である。建武の中興で名高い後醍醐天皇であるが、後醍醐天皇は、「朕の新儀」として、女系継承を始めようとしたのだろうか。
否、皇位継承については、男系継承を堅持されたのである。後醍醐天皇が行ったのは、古代の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇の時代)のような治世をめざす改革であって、皇位継承のあり方の変革ではない。守るべきものは、命をかけても守り、変えるべきものは断固として変えるという姿勢で、改革を試みたのである。田中氏は、後醍醐天皇の言葉を引いて、女系継承の容認に援用するやに見える。
これは想像だが、「帝は女系でもよいのです。天照大神は女神ですから」などと申し上げたら、後醍醐天皇は目をむいて、「それでは、足利に朝廷を簒奪されるではないか!」と叱責されるのではなかろうか。
本稿の最初に、田中氏は、今上天皇が女帝・女系容認という思い込みをしているのではないかと書いた。私は、後醍醐天皇を引く田中氏の論文の結尾に、再びこれを思う。
田中氏は、後醍醐天皇と今上天皇を重ね合わせ、今上天皇は皇室の存続のために、女系継承容認という大改革をされようとしていると推測し、今上天皇が「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」と言わんとされていると想像しているのではあるまいか。
もう一度言う。後醍醐天皇は、皇位については男系継承の伝統を堅持したのであって、女系継承の提起とは、何の関係もないのである。その何の関係もない後醍醐天皇の言葉を「心して拝聴するがよい」とは、今上天皇が決してお述べになるはずのないことを「ご意思」だと言って、風説を流している不敬の輩と、五十歩百歩であろう。
「晩節を汚す」という言葉があるが、自分の名を地に落とすのは、自業自得である。しかし、国を憂える多くの善良な日本人を惑わせるのは、よろしくない。
「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」などと発することの傲慢さに気付き、迷妄の説を取り下げてもらいたいものである。
※連載したものをまとめて、Webサイトに掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05c.htm
田中氏の迷妄は、まことに深い。氏は次のように書いている。
「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」。これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」
氏はこの試案に「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」と言うのだが、私は反対である。氏の試案には重大な問題があるからである。「日本国憲法(第2条)にもとづく」という一節である。
田中氏は、日本国憲法をGHQによる占領憲法であり、「ヤルタ=ポツダム体制」の一環として論じていたはずである。その占領憲法を、皇室典範の案文に入れている。皇位の世襲は、日本国憲法が初めて定めたことではない。明治の皇室典範は、第一条に「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」と定めていた。世襲は、成文化した法令以前のものである。
田中氏は「男系の男子」という限定をはずしたいわけだが、それならば、「皇位は世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」とすればよいのである。そこに敢えて日本国憲法を持ってくるのは、まことに奇異である。まさか日本国憲法が「革命憲法」であり、大日本帝国憲法及び明治皇室典範と断絶したものだという、左翼学者の見解へと転換したわけでもあるまいが。
さて、田中氏は論文の最終節を「後醍醐天皇の御精神を仰ぐ」と題している。ここで田中氏は、後醍醐天皇の事績をあげ、南北朝対立の時代に触れる。そして、「北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。これに対して、後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」。」と述べて、「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」と結んでいる。
不可解な結尾である。建武の中興で名高い後醍醐天皇であるが、後醍醐天皇は、「朕の新儀」として、女系継承を始めようとしたのだろうか。
否、皇位継承については、男系継承を堅持されたのである。後醍醐天皇が行ったのは、古代の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇の時代)のような治世をめざす改革であって、皇位継承のあり方の変革ではない。守るべきものは、命をかけても守り、変えるべきものは断固として変えるという姿勢で、改革を試みたのである。田中氏は、後醍醐天皇の言葉を引いて、女系継承の容認に援用するやに見える。
これは想像だが、「帝は女系でもよいのです。天照大神は女神ですから」などと申し上げたら、後醍醐天皇は目をむいて、「それでは、足利に朝廷を簒奪されるではないか!」と叱責されるのではなかろうか。
本稿の最初に、田中氏は、今上天皇が女帝・女系容認という思い込みをしているのではないかと書いた。私は、後醍醐天皇を引く田中氏の論文の結尾に、再びこれを思う。
田中氏は、後醍醐天皇と今上天皇を重ね合わせ、今上天皇は皇室の存続のために、女系継承容認という大改革をされようとしていると推測し、今上天皇が「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」と言わんとされていると想像しているのではあるまいか。
もう一度言う。後醍醐天皇は、皇位については男系継承の伝統を堅持したのであって、女系継承の提起とは、何の関係もないのである。その何の関係もない後醍醐天皇の言葉を「心して拝聴するがよい」とは、今上天皇が決してお述べになるはずのないことを「ご意思」だと言って、風説を流している不敬の輩と、五十歩百歩であろう。
「晩節を汚す」という言葉があるが、自分の名を地に落とすのは、自業自得である。しかし、国を憂える多くの善良な日本人を惑わせるのは、よろしくない。
「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」などと発することの傲慢さに気付き、迷妄の説を取り下げてもらいたいものである。
※連載したものをまとめて、Webサイトに掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05c.htm
余談ですが、小林よしのりが田中卓の提灯持ちになって、女性・女系天皇容認論を主張しています。田中だけでなく、これからは小林も批判する必要があると思います。
本文末にも書きましたが、拙稿を「女系継承容認論の迷妄――田中卓氏の『諫言』に反論する」と題して、マイサイトに掲示しています。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05c.htm
御説の通り、小林よしのり氏への批判も必要だと思います。彼の「天皇論」は、若者を中心に大きな感化を与える好著であるがゆえに、国民を誤導する危険性もあると思います。
それは川西正彦の公共政策研究と云うブログです。このブログでは膨大な資料を使って田中を批判していますから、貴殿の主張を強化する為にも役に立つと思います。
田中の他にも、所功や高森明勅や高橋紘への批判も掲載されています。是非一度訪問してみて下さい。
彼は女系天皇の誕生を已む無しと考え、中身が何であろうと皇室そのものが残れば良いと思っているのではないでしょうか。然し、是はとんでもない勘違いだと思います。
そもそも君主の存在を正当化する為には、歴史的な地盤、即ち、何年君主としての世襲を継続してきたかと云う要素が必要不可欠です。歴史的な地盤が脆い君主の地位は必然的に脆いものになると云うのは万国共通の哲学だと思います。仏蘭西で言えば、ボナパルト家の子孫が君主制復活論者にも殆ど相手にされていないのが良い例です。奥平康弘氏も此の哲学に恐らく気が付いているでしょう。
そして、小林氏を含めた女系天皇容認論者全員に言える事ですが、彼等は女系天皇の存在を正当化する為にはどうすれば良いかを少しも考えていないですね。貴方が批判した田中卓も然りでしょう。女系天皇誕生のリスクを負うのは我々の子孫の代の人々であるにも拘らず、此の作業に全く手を付けていないのは彼等の責任感の欠如を象徴する事実だと思います。天皇は元来双系だったとか、女系になっても姓が消えれば男系になると云う頓珍漢な主張で女系天皇を左翼から守れると思いますか。自分はそうは思えません。寧ろ、左翼の方が伝統と云う単語を逆に利用して皇室を攻撃してくるのは火を見るよりも明らかです。
だから、小林氏は男系天皇派を頑迷な形式主義者などと云う批判をする前に、自分の主張のいい加減さに気付くべきだと思います。
コメントが長くなって申し訳ありもせん。
悠仁様が誕生されたことにより、皇太子殿下・秋篠宮殿下に続く世代の男系男子がお一人いらっしゃることになりました。今後、皇太子殿下・同妃殿下に男子が誕生されなければ、悠仁様が皇位を継承することになるでしょう。それは30~40年後のことでしょうか。
現状のまま、推移すれば、この時点で、いわゆる天皇家以外の宮家は存続していない可能性が非常に高いです。悠仁様の世代以後も男系男子による皇位継承を安定的なものにするには、そのための方策を早期に決めて実行していく必要があります。私は皇位継承問題はこの方向で検討すべきと考えており、女系容認論には断固反対です。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20090906