く~にゃん雑記帳

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<帝塚山大学付属博物館> 企画展「漆の器―近世漆工芸の用と美」

2015年01月20日 | メモ

【実習生が展示作業から解説パネルの作成まで】

 磁器が英語で「チャイナ」なら、漆器は「ジャパン」。漆工芸品はまさに〝用の美〟を備えた日本の伝統工芸品の代表格といえる。その漆器類を集めた企画展「漆の器―近世漆工芸の用と美」が帝塚山大学付属博物館(奈良市)で開かれている。実習生による企画展示で、同大学が所蔵する漆工芸品のうち食の器を中心に約40点を、実習生が作成した解説パネルとともに展示している。2月3日まで。

 

 パネル「漆の歴史」によると、漆が使われ始めたのは縄文時代前期まで遡る。「飛鳥時代には仏教伝来と共に大陸から脱乾漆法が伝えられ、聖徳太子墓といわれる磯長陵(しながのみささぎ)では漆棺が作られた。また奈良時代には興福寺阿修羅像が作られた」。平安時代以降に登場した蒔絵は江戸時代に入ると一段と豪華を極める。(上の写真は㊧根来塗の蓋付椀、㊨秋草文皿)

 徳川3代将軍家光の長女、千代姫が尾張藩主徳川光友に興し入れする時に携えた婚礼調度類の中核は「初音蒔絵調度」と呼ばれた。お抱えの蒔絵師が丸3年を費やして完成させたといわれる。江戸時代には各藩も漆産業の奨励と保護に努めた。江戸中期以降になると、漆の膳や食器類が一般の町民の間にも次第に普及していった。(下の写真は上段㊧菖蒲漆絵椀、㊨水草漆器椀、下段㊧脚付盥=あしつきたらい、㊨「丸に吉」文方口銚子)

 

 

 同展では北陸の輪島塗や紀伊の根来塗、東北の秀衡塗、浄法寺塗など各地を代表する漆器類を展示中。根来塗は新義真言宗総本山・根来寺の僧侶たちが日常に使う器として作り始めたもの。使い込むうちに朱漆の下から所々黒漆が見えてくる。そこに趣があるとして江戸時代の茶人に好まれた。秀衡塗は平泉文化を華開かせた藤原秀衡に因む。大正時代に当時の盛岡市長が特産品として漆椀を売り出す際に秀衡の名前を冠したのが始まりという。漆工芸品は木の文化を象徴する日本の誇り。その魅力の一端に触れさせてもらった。

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