感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
総目次に替えて・・
●「小豆島霊場巡礼日記」 その1 その2
令和元年秋、1日15kの歩きで2日間、小豆島88霊場のほんの一部を巡りました。
2年ぶりに再開。さて・・ その3 その4 その5 その6 その7 結局、体調不良で19の札所は参れず結願とはなりませんでしたが、大観音の膝元より歩き始め、その近くまで戻ることができました。その簡単な記録です。また小豆島全体の巡礼地図も添付しました。お役だてくだされば幸いです。
●「四国遍路道の石道標」
四国遍路道の主要な石道標について纏めてみました。不十分なものですが興味をお持ちの方はお役立てください。(逐次修正してきましたが、一応現状で最終版とさせていただきます。令和5年1月)
枯雑草の本四国の遍路日記は平成28年秋以降から滞っています。体のアチコチのガタと加齢、長い距離は歩くことができなくなりました。
その後は、本四国霊場を巡る旅から離れて、車の力を借りたり、歩く距離を短縮したりして。時折の巡礼の旅を続けておりました。
令和2年初頭からは、新型コロナの流行により四国の地に渡ることさえできなくなりました。でも・・
年齢を重ねる時の流れは待ってはくれないけれど、四国の地を歩くことを諦めた訳ではありません。たまにはその夢を見ますから。
「枯雑草の巡礼日記」も読み返し、手を加えたりしております。日記の総目次に替えて記事の大分類を掲げておきます。(リンクを辿っていただければうれしいことです。)
●「吉野川の高地蔵を巡る」
平成31年4月、吉野川の下流域に多くおられる高地蔵を訪ねて巡りました。洪水のこと、阿波藍のこと・・思いを巡らせる充実した旅となりました。
●「長州大工の心と技」
平成29年秋には、車の力を借りて長州大工が愛媛県内で建てた社寺を訪ねることができました。
●「遍路道地図」
旧道、古道に少々拘った遍路道地図を作製しました。道筋、主要な古い標石など(原則:大正期以前の地蔵、道標、茂兵衛標石)を含め随時修正、改定に努めております。最新版をご確認ください。
なお、遍路日記四巡目以降の記事に共通して該当する遍路道地図のリンクを追加しています。
お役立てくだされば幸いです。
●「私の好きな遍路道」
私の好きな遍路道を各県10か所程度選んでみました。遍路道地図のリンクも張っています。お役立てくだされば幸いです。
●「遍路日記の目次」
平成27年5月以降(5巡目以降)の記事の目次
●平成27年春 その後 藤井寺柳水庵、そして樋山地(H27.5.9)
●平成27年夏 かも道、いわや道、平等寺道を歩く(H27.7.8)
●平成27年冬 弥谷寺から丸亀までの小さな遍路(H27.12.10)
●平成28年春 その1 大坂を越えて阿波へ
その2 観音道を上って大山寺へ
その3 阿波の昔の遍路道 (地図遊び)
その4 旧土佐街道の道、月夜から薬王寺まで
番外 阿讃国境の峠道 (続地図遊び)
●平成28年秋 その1 内子から大洲そして金山出石寺へ
その2 宇和町上松葉から宇和島へ
その3 篠山の麓から宇和島まで
四巡目(h23.10 h24.4 h24.10~11 h25.9~10 h25.11 h26.3~4 h26)目次はこちら
遍路を振り返る
三巡目(h21.9~10 h22.3 h22.4 h22.9~10 h23.3 h23.5 h23.10)目次はこちら
二巡目(h18.10 h19.4 h19.10 h20.3~4 h20.10 h21.3)目次はこちら
一巡目(h17.3~4 h17.9~10 h18.3 h18.5)目次はこちら
主要な参考文献・資料
●四国遍路日記(澄禅)承応2(1653)伊予史談会遍
●四国遍路道指南(真念)貞享4(1687)伊予史談会遍
●四国遍礼霊場記(寂本)元禄2(1689)伊予史談会遍
●四国遍礼功徳記(真念)元禄3 (1690)伊予史談会遍
●四国廃八十八ケ所名所図会 寛政12(1800)伊予史談会遍
●細田周英 「四国偏礼絵図」宝暦13(1763)
●「西條誌」日野暖太郎 天保13(1842)
●「南路志」武藤致和他 文化12(1815)
●「阿波國大絵図」元禄13、天保9
●「天保國絵図」(阿波國)(讃岐国)(伊予國)(土佐國)
●「阿波国図」「阿波国地図」「讃岐国絵図」いずれも写図
●「阿波国海陸度之帳」正保4(1647)
●「那賀・海部二郡全図」(写図)江戸末期
●「金毘羅参詣名所図会」弘化4(1847)
●「大成郡録 領堺辯録」宝永3(1706)
●「伊予の遍路道」(平成13年)愛媛県生涯学習センター
●「四国遍路のあゆみ」(平成12年)愛媛県生涯学習センター
●「日和佐町の峠道 橘禎男 阿波学会研究紀要43 1997年
●「四国遍路地図1、2、3、4」東海図版 平成19年
●「ヘンロ道を辿る」小松勝記 毎日新聞高知支局 平成19年
●「四国遍路の寺 上 下」五来重 角川ソフィア文庫 平成21年
●「空海の風景 上 下」司馬遼太郎 中公文庫 1994年
●「娘巡礼記」 高群逸枝 岩波文庫 2004年
●「巡礼と民族」武田明 岩崎美術社 1969年
●「忘れられた日本人」宮本常一 岩波文庫 1984年
●「山と人間」宮本常一(民族学研究32-4)1968年
●「山村の地域文化保存について」宮本常一 山村振興調査会 1976年
●「愛媛の記憶 愛媛県史 愛媛県生涯学習センター 1988年
●「石鎚山系の自然と人文」石福保 1960年
●「阿波の峠と民俗」橘禎男 2011年
●「長州大工が遺した社寺建築」犬伏武彦他 愛媛文化双書 2011年
●「駄家通信」喜代吉栄徳(web)
●「高地蔵探訪ガイドブック」徳島県(web)
●「四国の古道・里山を歩く」(web)
●「宇和島南部遍路MAP」四国へんろ道文化世界遺産化の会(pf)
●「四国へんろの歴史」武田和昭 美巧社 2016年
●「同行二人の遍路」A・ボーナー 佐藤久光他訳 2012年
●「四国遍路の世界」愛媛大学四国遍路巡礼センター2020
●「巡拝記にみる四国遍路」佐藤久光 朱鷺書房 2014
●「四国遍路」星野英紀 浅川泰宏 吉川弘文館 2011年
総目次に替えて・・(続き)
●「遍路日記の追記」について
遍路日記の記事に書き忘れたこと、四国遍路に関する諸文献、諸資料に書かれた興味ある事項(いわゆる蘊蓄)などを思い付くままに追記させていただきました。
主な追記事項を以下に示します。最近の記事は赤字で示しました。注目ください。
●吉野川の高地蔵を巡る(その4) 「 江戸期の吉野川について」(R1.9)
「西麻植の地蔵道標について」(R2.12)
●長州大工の心と技(その4)山吹御前神社 「 大洲街道について」を追記(R4.6 R5.1)
「本村以北の大洲道枝道」を追記(R5.12)
「石畳から上灘、下灘、中山そして内子へ」を追記(R4.6)
●平成28年秋 その1 「平地梶屋谷のキリスト像」を追記(R4.2)
●平成28年春 その1 「大坂越古道へのアプローチルート」を追記(R4.12)
付録1「1番札所から徳島への遍路道」を追記(R3.1 R4.1)
付録2 「淡路街道とその脇道」を追記(R5.11)
付録3「讃岐国の海岸、島嶼、港を訪ねて」を追記(R5.5)
「両墓制習俗について」を追記(R5.7)
●平成28年春 番外 「明和7年阿波国絵図について」を追記(R4.7)
●平成27年春 その後 付録「星の岩屋、仏陀石への道」を追記(h30.7)
●平成27年春 その4 「幕末期の高松から屋島への道」を追記(h30.12)
「江戸後期の屋島寺」「幕末期の志度寺」を追記(R2.12)
「讃岐の七観音について」を改記(R5.11)
「長尾寺の変遷について」を追記(R2.12)
「大窪寺の変遷について」を改追記(R4.7)
●平成27年春 その3 「大師誕生についての異説」を追記(h29.7)
「出釈迦寺の起源」を改追記(R5.7)
「善通寺伽藍の変遷について」を追記(R2.12)
付録「善通寺五重塔について」を追記(h30.11)
●平成27年春 その2 「江戸時代の68番・69番札所」を追記(R1.6)
「本山寺東門の茂兵衛標石について」を追記
「本山寺の修造と奥の院」を追記(R4.8)
●平成27年春 その1 平山の旧土佐街道分岐箇所」について追記
●平成26年秋 その5 付録「里前神寺の絵図について」を追記(h30.10)
●平成26年秋 その4ー1 「石鎚山霊場の変遷」を改記(令和5.12)
「七曲り坂」他改追記(R3.10)(R5.2)
●平成26年秋 その4-2
付録1「江戸時代の西五ヶ山奥地の自然と生活」を改追記(R2.4)
付録2「明治以降、石鎚山北麓の山村の状況」を改追記(R2.4)
付録3「宮本常一の山村文化振興への提言」についてを追記(R4.11)
●平成26年秋 その2 「仏海 木食庵について」を追記(R5.4)
●平成26年秋 その1 「へんど道」道標を追記(R6.1)
●平成26年春 その5 「キリシタン灯篭」「キリシタン碑」について追記
●平成26年春 その4 「過疎の果てに・・」を追記(R4.6)
「一遍聖図、霊場記にみる岩屋寺、せりわり」を追記(R2.12)
「岩屋寺の阿弥陀像、大師堂」について追記(h29.10)
「久万高原町の気になる道標、七里石」を追記(R5.12)
「道指南の三坂よりの風景」を追記(R5.2)
「浄瑠璃寺の縁起は不明」を追記(R5.10)
「八坂寺の変遷」を改追記(R5.12)
●平成26年春 その3 「水戸森峠道」について一部改(R5.3)
●平成26年春 その2 「へんろ笠の文字について」を改追記(R5.5)
●平成26年春 その1 「仏木寺の家畜堂について」を追記(R5.10)
「吉田への道、十本松峠道について」を追記(R5.6)
「伊予の生活の道古道(2)」を追記(h30.8)
「宇和島藩参勤交代の道」を追記(R4.6)
●平成25年秋 その10 「四国遍路の念仏信仰について」を追記(h29.7)
嘉永5年の道標について追記(h31.1)
付録「伊予の生活の道古道(1)」を追記(R3.6)
●平成25年秋 その8 「土佐人気質について」を)追記(h25.1)
●平成25年秋 その7 「寺山 延光寺の変遷」を追記(R5.7)(R6.3)
●平成25年秋 その6 「真念の没年について」を追記(h29.7)
「三原分岐の標石について」補足追記(R3.4)
●平成25年秋 その5 「馬路坂」について追記(R2.2)
「小筑紫について」を追記(R6.4)
●平成25年秋 その4 「海蔵院について」を追記(R6.4)
「江戸時代の捕鯨について」を追記(R2.11)
「白王山への地蔵道標」について追記(R2.7)
●平成25年秋 その3 「田浦の浜 昔 昔」を追記(R5.9)
●平成25年秋 その2 「久礼坂道について」を追記(R5.6)
「仁井田五社について」を追記(h30.12)
「江戸期の納札、納経について」を追記(h29.7)
「政吉の手指し道標について」を追記(R4.9)(R5.5)
「東川角の渡船案内の道標」について追記(R2.7)
「岩本寺の大師堂案内道標」について追記(R2.7)
「岩本寺への古道」についてを追記(R6.1)
●平成25年秋 その1 「虚空蔵求聞持法について」を追記(h29.8)
●平成24年秋 その5 「御畳瀬の旧道」について追記(h30.7)
「安政地震・津波の記念碑の刻文」を追記(R2.6)
●平成24年秋 その4 「土佐国分寺境内の元禄2年の標石について」追記(R2.6)
「田辺島の文政3年の道標」追記(R5.2)
「江戸期前中期の五台山について」を追記(R2.12)
「五台山から峰寺へ向う道」他を追記(R2.12)
「下田川堤の標石について」を追記(R5.2)
●平成24年秋 その2 「仏海について」を追記(R1.12)
「室戸の岩屋など」について一部改稿・追記(R2.12)
●平成24年秋 その1 「土佐安喜郡の関所について」を追記(R6.4)
●平成24年春 その5 「恩山寺付近の石仏、道標」「分かれ道地蔵について」追加
「あずり越の道と宝号塔」について追記(R3.5)
大日寺から藤井寺への道筋(澄禅道)について追記(R3.2)
「焼山寺奥之院」を追記(R5.9)
●平成24年春 その3 「虫送り」について追記(R4.2)
「八坂八浜から母川に至る道・地震碑」について追記(R4.11)
●平成24年春 その2 「川について・・渡しについて」追記(R5.4)
「鶴林寺前後の道標」について追記(R2.12)
「江戸前期の大龍寺について」を追記(R2.12)
「空海の修行地について」を追記(R5.12)
「龍の窟の位置」を追記(R3.12)
●平成24年春 その1 「立江寺から鶴林寺への古道について」を追記 (R3.1)
●平成23年晩秋 その2 「白峯寺の伽藍配置の変遷」について追記(h30.12)
「十三重石塔について」追記(R5.2)
●3巡目 第8回 その5(h23.10) 大窪寺先の丁石道について追記(R4.7)
●3巡目 第8回 その3(h23.10)弥谷寺の大師堂、獅子之岩屋について追記(R2.12)
天保15年中川法眼馬嶺弥谷寺図」について追記(R4.6)
多度津街道の石造物について追記(h31.1)
●3巡目 第8回 その2(h23.10) 「江戸時代の讃岐の主要道の状況」を追記(R4.12)
●3巡目 第8回 その1(h23.10) 「空海と満濃池について」を追記(R5.8)
●3巡目 第7回 その5(h23.5) 「小松尾山大興寺の変遷について」を追記(R5.8)
●3巡目 第7回 その4(h23.5) 「仙龍寺の繁盛その歴史」を追記、改稿(R4.12)
平山から雲辺寺への古道について」を追記(R4.10)
「境目峠南の道・・」を改追記(R5.9)
●3巡目 第6回 その2(h23.3) 江戸期の石手寺と衛門三郎伝説」を追記(R5.3)
「太山寺について」を追記(R5.9)
「江戸初期の伊予の札所寺社」を追記(R6.4)
●3巡目 第5回 その4(h22.10) 茶堂について追記(h31.2)
「菅生山大宝寺について」を追改記(R5.8)
●3巡目 第5回 その3(h22.10) 「卯之町中町通り」を追記(R5.10)
●3巡目 第5回 その1(h22.9) 「五社鎮座伝記」を追記(R6.4)
●3巡目 第4回 その5(h22.5) 「伊豆田峠の道標について」を追記(R3.3)
「伊豆田峠手前の道標について追記(R3.12)
●3巡目 第4回 その4(h22.5) 松尾の漁村について追記(h31.1)
「金剛福寺の推移と足摺の地名起源」について改稿(R5.8)
●3巡目 第4回 その3(h22.5) 月山神社の項一部改(R5.1)
●3巡目 第3回 その4(h22.3) 花山神社について改記(R6.3)一部追記(R6.4)
●3巡目 第3回 その3(h22.3) 「峰寺とその奥院について」を追記(R6.5)
「独鈷山青龍寺について」を追記(R5.9)
●3巡目 第3回 その2(h22.3) 「江戸初期の土佐の札所寺社」を追記(R6.3)
●3巡目 第3回 その1(h22.2) 「田野の政吉手指し標石について」追記(R2.6)
「磐座から神峰寺へ」を改記(R6.4)
●3巡目 第2回 その5(h21.10) 「池山大明神について」を追記(R6.4)
●3巡目 第2回 その4(h21.10) 「慶長地震の碑刻文」を追加(R2.6)
「飛石・はね石について」を追記(R3.1)
「室戸崎と空海」を追記(R6.2)
●3巡目 第2回 その3(h21.10) 「空海の思想とお大師信仰の関係について(R6.2)
「牟岐の山頭火の句碑」について追記(R2.2)
●3巡目 第2回 その2(h21.9) 藤井寺の本尊と寺の変遷について」を追記(R4.9)
●3巡目 第2回 その1(h21.9) 柳の水について(追記)(R5.9)
「焼山寺の変遷について」を追記(R5.8)
●3巡目 第1回 その4 (h21.4) 澄禅も歩いた・・佐那河内村の道について」追記(R4.11)
●3巡目 第1回 その3(h21.4) 「法華経塔」について追記(R3.1)
「八坂八浜」について追記(R1.8)
●2巡目 第6回 その2(h21.3) 「国分寺への道」について追記(h30.12)
「金毘羅宮の縁起」について追記(R2.5)
●2巡目 第6回 その1(h21.3) 「武田明イヤダニマイリ」について追記(h30.11)
●2巡目 第5回 その3(h20.10) 「慈尊院三角寺」について追記(R5.9)
●2巡目 第4回 その6(h20.4) 「十夜橋の由来について」を追記(R5.10)
●2巡目 第4回 その5(h20.3) 「金山出石寺について」を追記(R5.12)
●2巡目 第4回 その4(h20.3) 「高群逸枝、柏坂にて」を追記(R5.10)
●2巡目 第4回 その3(h20.3) 「篠山信仰について」を追記(R5.12)
●2巡目 第3回 その3(h19.10) 「大善寺について」を追記(R6.4)
●2巡目 第3回 その1(h19.10) 「四十寺について」を追記(R6.4)
●2巡目 第2回 その7(h20.4) 「行道修行について」を改記(R5.8)
「金剛頂寺、空海修行の道について」を追記(R5.9)
「南路志における金剛頂寺」を追記(R6.4)
●2巡目 第2回 その3(h19.4) 「志和岐 安政地震津波碑」を追記