小豆島霊場巡礼日記(その2)

                           

      
(2日目)


小豆島は牛の形をしていると言われます。その頭の部分は一見地続きのように見えますが、世界一狭い海峡とも言われる「土渕海峡」により分かれていて、前島と呼ばれるのです。
土庄のある前島からその川にような海峡を「ふれとぴあ橋」で渡り渕埼に入ります。
第57番浄源坊(本尊 地蔵菩薩(恵心僧都作と伝える)、納経 53番)への入り口の道には、小豆島では初めて大師像が彫られた石標を見ました。
浄源坊の堂前にはウバメカシ(この地方では一般にバベと呼ばれる)の古木があります。堂の左には四国八十八ヶ所霊場の本尊を刻んだ石板があります。

 土渕海峡

 大師像が彫られた石標                

 浄源坊のウバメカシ

 浄源坊

 四国八十八ヶ所霊場の本尊

迷うことの多い道を辿り、番外の弘法寺を経て第65番光明庵(本尊 阿弥陀如来、納経53番)、みまもり大師、石段を下り第53番本覚寺(本尊 不動明王)へ。
本覚寺は大きなお寺で、境内に一髪観音堂他諸堂、そして本堂です。本堂で経を唱えているとご住職が音木(馨子というのか)で和していただけます。

 弘法寺境内

 光明庵

 みまもり大師


本覚寺の石段

 本覚寺本堂


本覚寺山門

県道253号を北に向かいます。土渕海峡を岡山に向かうフェリーの白い影・・


フェリーが行く


峠より


伊喜末の街


伊喜末の海

坂を越えると伊喜末(いきすえ)の集落が見えてきます。
旧道との三叉路に赤い手指しの石標。第66番等空庵(本尊 阿弥陀如来(恵心僧都作と伝える)、納経 68番)。
ここから次の札所は500mほど。赤い手指し石を頼りに細い道を。
第68番松林寺(本尊 薬師如来)この寺は行基開創と伝える古刹で立派な本堂と整備された庭園を持ちます。
おまいりの後、声を挙げれど返ってきません。納経料を置いてご朱印を押させていただきます。
家々の間の細い道を辿り、第67番瑞雲堂(本尊 釈迦如来、納経 68番)。更に迷いに迷って第69番瑠璃堂(本尊 薬師如来(定朝作と伝える)、納経 70番)。
ここから標高100mほどの小さな峠を越えます。上り道、地元の婦人に出合います。「70番のお寺はこちらですか・・」
何やら気の毒そうに無言で会釈を戴きました。
峠の近くから小江の街と四海漁港が見渡せます。この時期、セイダカアワダチソウの黄色が目に沁みます。


等空庵への道

 等空庵

 伊喜末の街


松林寺への道

 松林寺

 松林寺

 松林寺


瑞雲堂への道


瑠璃堂への道

 瑠璃堂


小江の街と漁港


セイダカアワダチソウ

峠には地蔵堂。兜石遺跡の石標を見ますが、辺りにはそれらしきは見当たりません。
峠を少し下ったところに赤手指しの石標「第70番長勝寺 第68番松林寺」。その横に地蔵もあります。
長浜の集落に入り、この辺りでは珍しい立派な石灯篭を見ました。
第70番長勝寺(本尊 阿弥陀如来)。立派な鐘楼門のある寺です。現存の本堂は元禄15年、赤穂の大石内蔵助の邸宅を移築したものと聞きました。
この日は10kほどしか歩いていないでしょうか。でも、私の足は結構弱音を吐いています。境内の石に座って休んでおりました。
何処からか子猫の鳴き声がします。段ボールを抱えた男と話していたご住職が私のところに来られ「あの人が猫のもらい手を探してくれるそうだ・・」
「ところで次の堂まで送ろうかの・・」。その甘言に従ったかどうか・・それは秘密ごと。


峠の地蔵


長勝寺への道

 地蔵

 石灯篭


長勝寺

 長勝寺

次のお堂までは、だらだらとした上りの舗装道、3,2k。
第71番滝ノ宮堂(本尊 薬師如来(恵心僧都の作と伝わる)、納経 75番)
立派な鐘楼があります。銅鐘は明和4年(1767)の銘、町指定文化財、元々神宮寺の鐘であったということで、太平洋戦争中の供出を免れた・・などと説明書にあります。

 滝ノ宮堂鐘楼

「笠瀧不動明王道」と刻された手指し石標より奥の院笠ケ滝に向かうへんろ道に入ります。
観音堂を過ぎると荒れた土道。四国のへんろ道で見る徳島の団体のへんろ札を見たりします。四国の遍路道ではあまり見られないような荒れようですが、鉄の手摺りが頼りになります。
尾根に達すれば、石仏が点在する道。嘉永5年など幕末の年号を見ます。道から四国を遠望する小豆島の南の海が見えてきます。
やがて不動堂、コンクリートの建物をこんな場所によく作ったものだと驚かされます。


奥の院笠ケ滝への道


奥の院笠ケ滝への道


奥の院笠ケ滝への道


奥の院笠ケ滝への道

 石標

 石仏


尾根道



南の海が見える


肥土山、中山辺りを望む


不動堂

ここより少し下り気味に荒れた岩混じりの道となります。
道標は殆ど無く、目の悪い私にとって迷うことは必然とも・・ 瀧湖寺のご住職を始め皆様に多大の迷惑をおかけしました。大いに反省!
大師堂より奥の院笠ケ滝本堂(本尊 不動明王)へは、岩場を鎖を頼りに上らねばなりません。大師堂の近くまで車道は通じていますが、参道は石灯篭と石仏が並ぶ粗い石段の道。小豆島の霊場を代表する荘厳な参道の光景といわれますが、納得させられます。


笠ケ滝本堂への道


笠ケ滝本堂への道


石段の参道


石段の参道


石段の参道

第72番瀧湖寺(本尊 無量受如来)。立派な仁王門の先の長い参道。本堂は昭和49年のコンクリート製。
ご住職とともにおまいりさせていただく。ご住職の読経は独特の口調でついていけない・・ヨレヨレの年寄り遍路への労り、感謝の限り。


瀧湖寺

コスモス畑を見ながら小馬越へ。第73救世堂(本尊 聖観音菩薩、納経 72番)。


コスモス畑

 救世堂

小さな坂を上ると左手に小豆島大観音(佛歯寺)が見えてきます。

 小豆島大観音

馬越に入り、またかなり道に迷って、第75番大聖寺(本尊 不動明王)へ。美しく整備されたお寺です。


馬越の集落

 大聖寺

 大聖寺

私はここから島の北海岸に沿った馬越浜まで歩き、この度の小豆島霊場巡礼の旅を区切ることにしました。
牛の形をした島の頭と肩の一部を歩いただけ、全体の2割弱というところでしょうか。
印象を総括すれば、道に迷い続けたこと、一人のへんろにも会わない寂しい旅であったこと・・
でも、お世話になった地元の人々、お寺の方々への感謝の気持ちは大きなものでした。

さて、この続きの旅があるかどうか・・それは足と体によくよく相談してからのことになるでしょう。

                                      (令和元年10月)

 

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小豆島霊場巡礼日記(その1)

四国遍路の道を歩かなくなってもう3年が経ちました。長い距離を歩くことは、もう私の足が許してくれなさそうです。
そんな時、小豆島霊場の道を1日15k以内で歩いてみようかと思い立ちました。実際には半日15k以内で2日の行程となりました。
小豆島八十八ヶ所霊場巡礼の旅のほんの一部ですが、簡単な日記に記しておきましょう。

(1日目)


新岡山港を後に

新岡山港からフェリーで小豆島土庄(とのしょう)港に着いたのは11時40分。宿に寄り遍路装束に替え歩き始めます。
最初は、霊場総本院。小豆島霊場協会本部があります。そこで納経帳を購入。

 霊場総本院

総本院より国道436号を300mほど、右手に土庄天神神社の鳥居が見えてきます。鳥居の前を左折し石段を上ると地蔵と鐘楼があり、上り切った先に本堂と大師堂。
第64番 松風(まつかぜ)庵、(本尊 地蔵菩薩、納経58番札所)。鄙びた素晴らしい雰囲気の霊場、最初の霊場として相応しいと思わせます。高台から土庄の街と三重塔が見渡せます。



松風庵

 地蔵

 松風庵本堂

国道から街中の迷路のような狭い道に入り300mほど。立派な山門をくぐると、第58番西光寺(本尊 千手観音)。ここで8ヶ所分のご朱印を戴く。
本堂横の岩山に立派な三重塔が聳えます。これが58番奥の院 誓願の塔(本尊 弘法大師、納経 58番)と呼ばれます。


西光寺


誓願の塔


塔と大師像

西光寺の向かいに自由律詩人尾崎放哉の記念館があります。大正15年、放哉41歳で没した南郷庵(みなんごあん)、その場所です。
誓願の塔がある丘を南東に下れば海岸の道。弁天島から中余島、大余島まで、引き潮時に現れる砂嘴の道「エンジェルロード」がある所。立派なホテルがあり、若い男女の二人組の姿が目立ちます。何となく遍路姿はミスマッチに思える世界です。
海岸の広い道を只管西へ。左は鹿島海水浴場の浜です。今はひとりの人も見掛けない・・

 鹿島海水浴場


浜辺

鹿島の街の丘の上、第59番甘露庵(本尊 阿弥陀如来、納経58番)。
街を抜けると新しい石道標(手指しが赤く塗られた石標。小豆島の札所の道に共通にみられるもの)が庵を案内します。その先には手指しと「へんろみち」と彫られた比較的古そうな石標も見られます。
石段の上にお堂。鐘楼越しに鹿島の沖の海が見渡せます。庵はほんとにいい場所に座っておられるのです。

 甘露庵への道


甘露庵への道


甘露庵

 甘露庵

 鹿島の海

庵を出て坂を下ると広い車道。
暫くして左手に見える美しい木立に誘われ道を間違えます。そこはオリーブ農園。作業場の中で集会が行われていました。江洞窟への道を聞きます。


オリーブ農園を望む

足尾神社の手前を左折、柳の集落を抜けると赤手指しの石標。
第60番江洞窟(本尊 弁財天、納経58番)。入口に赤い鳥居があり神仏混淆の霊場を思わせます。海岸に弘法大師像、洞窟内に弁財天を祀るお堂。左手の寺務所の中に玉のような大石、大日如来を示す「阿」の梵字。朝日が差し込むと洞窟内に光の輪が浮かぶと言います。大師像の前に置かれたポットからお茶を戴き暫し休憩。洞窟のある断崖の上部や海岸にも丸い石の形状が見られます。岩の節理の形状なのか・・何とも不思議の多い霊場ではあります。


江洞窟への道


海辺の大師像


江洞窟上の断崖

 洞窟の中


柳の海岸

トンネルを抜け、旧道へ分岐した所に大坂城石垣石切場跡。(島内所々にあるようです。)
千軒の集落、集会場の隣に千軒薬師庵。

 千軒薬師庵

戸形崎の高みから四国の屋島と五剣山の影が見えます。
御崎の下の浜にコンクリートの建物があります。旧戸形小学校(2005年廃校、今は戸形公民館)です。映画「八日目の蝉」で撮られたあの美しい浜と夕陽はここでのもの・・その時間の浜を想います。


屋島と五剣山の影


旧戸形小学校

小瀬の第61番浄土庵(本尊 阿弥陀如来、納経 58番)。お堂は地域の集会所を兼ねている様子。人の気配を感じます。
次の札所までは4.4kの道程。浜にいくつかの墓と立派な地蔵があります。その道で足早に歩く夫婦にお会いしました。「こんにちは・・」
私を追い抜きまた戻ってきます。

 浄土庵


墓と地蔵

土庄港のすぐ南、大木戸の高台に第62番大乗殿(本尊 阿弥陀三尊、納経 58番)、第63番蓮華庵(本尊 千手観音、納経 58番)が並んでいます。
札所への道は分かり難いけれど、丘に上る道を辿ればいつの間にか札所に。一段高い場所に荒神社。札所の堂前には石鎚神社、薬師堂、大師堂が並びます。
退路は電柱に貼られた矢印へんろシールに従って、北に下る急な石段を辿ります。石段の途中には手指し石標。手指しは上方を指しており、昔はこの道が行路でもあったと思わせます。

 大乗院、蓮華庵


大木戸の街


下りの石段

 石標

    
                                                                   (令和元年 10月)


 

 

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