2015年11月27日(金) 7:00pm サントリー
シベリウス カレリア組曲 4′+6′+5′
シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調 16′9′7′
ヴァイオリン、エリナ・ヴァハラ
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から「サラバンド」 3′
Int
シベリウス 交響曲第1番ホ短調 10′、9′、5′+12′
オスモ・ヴァンスカ 指揮 読売日本交響楽団
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昨晩はオッコ・カムの指揮で自国のオケを指揮した1番、今日はヴァンスカが読響を指揮した1番。シベリウス生誕150年にふさわしい続き具合です。
ヴァンスカのシベリウスは自国で培われた、それこそ生まれた時からあるDNA的な要素は大いにあると思いますが、それにもまして、そのシベリウス像をオーケストラに深く注入、刻印するその彫りの深さ、そしてそれを実現させるためのオーケストラの練りあげ度の高さ、このような部分でのレベルの高い伝達棒で、シベリウスの極意というものをすべて理解したうえで、さらにオーケストラへの浸透させる力に優れていると言えるもの。換言するとインターナショナルな普遍性に優れている。このような演奏であればシベリウスへの理解も多くの人に伝播していくというものだろうと実感する演奏でした。
シベリウスの1番は既にソナタの形式感が後追いでついてきているようなもので、散文的な色彩が濃い。モザイクと言う話ですが、その原点で狂詩曲な様相を呈している。ヴァンスカはそれを押しとどめるようなことはしない。それは昨晩聴いたカムの解釈も同じです。気まぐれな交響曲とまでは言えないが形式は下敷きで利用するだけ、あとはシベリウスのしたいことをする、7番に至る本質がよく垣間見えるものです。
緩徐楽章は味わいの深いもので、コクのあるウィンドのハーモニー、完全にコントロールされたブラスの強奏、弦のひき締まった張りのある響き、シベリウスのツボをヴァンスカは非常にうまく表現していたと思います。3楽章のトリオの部分の演奏なども同じモードですね。
終楽章はロマンチックな色彩が濃いが、それを綿々と引き延ばしていくようなところはない。カムも同じ。ここらへん、ストンと切ったり終わったり、フィンランドの言語アクセントがどのようなものであるのか全く分かりませんけれど、共通項的な表現として感じる部分があります。
狂詩曲的な荒々しさと練りあげ度、解釈の浸透度、それらに応えるオーケストラ、いい演奏でした。
前半の協奏曲、これも好きな曲です。金髪でスレンダー美人、清楚な雰囲気ででもちょっと気が強そうなエリナ・ヴァハラさん、中音域低音域はかなり太くて大きく響く、高音域もおしなべて同じ。あの細い腕から強い芯のある音での演奏が繰り広げられます。シベリウスは十八番と思われます。緩急パッセージともに余裕の弾きで説得力ありました。あの金髪が乱れず強靭な音楽が奏でられるあたり、びっくり、うなるだけ、です。
また、ヴァンスカとこれまでも共演しているようで息の合った展開。ヴァンスカの舟を漕ぐような独特の指揮スタイルをきっちりわかっているようでオーケストラとのフレージングもきれいに合っています。このコンチェルトではオーケストラの全奏中でのソロがありますが、ヴァンスカはそのような個所はあえてオーケストラを押さえつけることはせず、ソロともども鳴らし切る。そのような解釈でした。音はかき消されるが音楽の一体感は凄いものだったと思います。まさに同時協奏です。こうゆうところにもシベリウスを聴く醍醐味があります。美しいプレイヤーのいいコンチェルトでした。
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ここのところのヴァンスカのことは少しは知っています。
何年か前にフィラ管がバンクラプト、それを新聞記事で追っかけしていた頃があり、その流れでミネソタ管のロックアウトの話し、その後の展開、ヴァンスカのとった決意表明、考え、等々、いろいろあったと思います。それらを、ニューヨーク・タイムズやミンポストの電子版で結構長い期間フォローして読んでいました。ツイッターにも逐次展開を紹介したりと。ですので、その人となりも少しはわかっているつもりです。
今日はいい演奏会でした、カレリアの3曲アタッカ演奏から1番のピチカートエンディングまで楽しませてもらいました。
おわり