河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2163- ラフマニノフPfcon2、シェップス、ポポフ1番、飯森宣親、東響、2016.8.4

2016-08-04 23:57:19 | コンサート

2016年8月4日(木) 7:00pm サントリー

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調 Op.18  13′12′12′
 ピアノ、オルガ・シェップス
(encore)
サティ ジムノペディ第1番  3′
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」から第3楽章 4′

Int

ポポーフ 交響曲第1番op.7 (日本初演)  21′15′8′

飯森宣親 指揮 東京交響楽団


最初はポポフと表記していたと思うが、いつの間にかポポーフとなっている。注目のポポ1。
今回の公演で取り上げられる話が出るまでは全く知らなかった作曲家でした。世間的にもエポックメイキングな出来事に違いない。

LA席から見た仰天編成!ホルン2列16本うちアシスタント2名各列に配置(たぶん)、トランペットは2列8本(ピッコロ・トランペット1含む)、トロンボーン2列6本、16型、あとは推して知るべし。
プログラム冊子によると、要求セクションは、ホルン8、トランペット4、トロンボーン3となっているが、現実はその倍。ここらあたりのことはよくわかりません。
音量や音圧が音楽表現の一つのエレメントとして主張しているようでもある。調性がありそうで無い。非常にやにっこくてわかりづらいもので、一回聴いて印象に残るような節は無し。このシンフォニーは1番ということだが、調性を故意に避けるような技巧には余裕があるように感じる。なぜそうしなければならないのかというあたりのことは理解できないが、6作まであるシンフォニーその他の作品を聴き込んでいけばわかることなのかもしれない。

怒髪天を衝くような強烈な音から始まる第1楽章は粗野というよりはむしろ獰猛な音の暴力一歩手前状態。かと思うとその真逆の弱音までもっていくところもある。音量の振幅の大きさは楽器群の種類と本数に比例する。こうゆう表現というのは聴きようによってはシンプルでもあって、それにときおりみせるウィンドアンサンブルのハーモニーにデリカシーは無いがこの材料も使う時だ、そんな感じのタイミング吹奏。既に形式感への関心は聴き手サイドとしては意識の外に飛びつつある。この楽章は20分を越える長いものだが、色々と出し尽くし。限界が垣間見える。
続く緩徐楽章はさっき忘れていた形式感の取り戻し的なところがあり、第1楽章との対比が興味深いがそれは楽章比較の全体印象であってこの楽章に屋台骨的な骨格は感じられない。第1楽章以上に感じられない、と、さっきの楽章はそこそこよかったと振り返る余裕がこちらとしても少し出てきた。冗長な楽章だが指揮者飯森の熱演棒は特筆に値する。第1楽章で既に汗にまみれつつ、楽章毎の3分冊のスコアを済むごとに補助指揮台にドサッと放り、次はこの楽章と、大熱演の棒がこの楽章をここまで飽きさせることもなく緊張感を持続させたその指揮はお見事の一言に尽きますね。それでも長すぎる割には薄い楽章でした。飯森がさらしたと言っても過言ではない。
終楽章は前2楽章に比して尻つぼみ感が否めない。それまでが大言壮語だったのか、はたまた、これが本来したかったことだったのか、全3楽章の締めとしては甚だバランスがよくない。手ぐすねを引いて構えていた方にとってはあっけにとられるような短さ。材料が出尽くしたのかもしれないし、そういう意味では全体の事をどれだけ緻密に推敲して作ったものか、今一つまだらな力量を感じさせるところでもある。最後はスクリャービンの4番のような響きを少しテイストさせながら音量振幅効果を前面に出してあっけにとられるうちにエンド。
全体の練り具合、構成感や全体バランスなどはいいとは思えない作品だが、オーケストラのための協奏曲ととらえればそれなりに納得できるところはあると言えよう。
オーケストラの技量はまさにオーケストラのための協奏曲にふさわしいもので、解像度の高い演奏で時折見せるしなやかさも美しい。異様な音楽がきっちり表現出来ている。作品紹介には欠かせないものですね。素晴らしい演奏でした。また、プログラム冊子の作品解説と作曲家の肖像、理解に欠かせないもので、これも良かった。良い企画でした。


前半のラフマニノフはすっかり飛んでしまった演奏会でしたけれども、シェップスさんのピアノはちょっと自意識過剰な空振り風味なところがあるのかどうか、鍵盤の押しはそれほど強くなくて真綿風に最初のタッチがモヤモヤしたところが目立つ。ふちぼかしのプレイ。彼女の力技が出たのはアンコールでしたね。

殊の外柔らかいラフマニノフは最近は耳にすることは無くて、冒頭のソロからクリアさよりもどこからともなく真綿のように響いてくるエコーのようなものが美しい。技術を魅せるピアノではなくて、最近忘れていたものを思い出させてくれた。
伴奏のオーケストラは凄い。ブラスは何度か短く出てくるが、そこでのノリ具合がものすごく、吹いていない間もリズムしっかりとれているのがよくわかる。真綿タッチのピアノと東響の鋭角的なブラスセクションの吹っ切れ具合が奇妙にマッチしていて気持ちがいい。
いい演奏会でした。
おわり


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