河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1739- 前奏曲、パガ狂、ロマノフスキー、カセルラ3番、ノセダ、N響2015.1.21

2015-01-22 00:50:14 | コンサート・オペラ

2015年1月21日(水)7:00pm サントリー

リスト 前奏曲  15′

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲  23′
  ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー
(encore)
ショパン 革命  3′

Int

カセルラ 交響曲第3番  10′ 11′ 7′ 12′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


早いもので今月ノセダ5回目。
サントリーのP席から見るノセダのリスト。この前奏曲は圧倒的だ。無く子も黙る鬼の形相、もの凄い棒だ。ザラザラと生々しくも切込みが深い。乾いた妖しいリストサウンドが圧倒的にホールに広がる。一拍半遅れのN響は吐息までぴったりと合っている。
何よりもすごいのは音のうねり、細かいフレーズ単位までグワッグワッと強弱が自然について、それが収束して全体が一つの個体の様に動く。絶演です。
このポジションから見るロボコップのようなノセダ棒、一回は観ておいてほしい、一生ものですね。
リストの前奏曲を全てCD化しているノセダですので十八番だとは思いましたが、圧倒的スケール感でこの曲がやたらと巨大化して見えてきた。後ろ姿が上背も含めフルトヴェングラーによく似ているノセダですが、そのフルヴェンのスーパー演奏の前奏曲に迫る、勝るとも劣らない、ウルトラハイテンション。音が生き生きとして、ギスギスと機能的にならず、響きを醸し出すまでの余裕の空白。ああ、なんて素晴らしい演奏。

後半のカセルラ、これもノセダが得意にしているもの。以前、別番号のシンフォニーを同じ組み合わせでやったのを聴いたことがあります。
個人的には好印象の曲です。誰かほかの作曲家の作風真似るといった話ではなく、時代様式とか交響曲としての形式、モードに忠実になればあのような各楽章におけるリズムや響きになるのだと思います。妙なこだわりとか局部の肥大化が無い、あえて言えばシンフォニーのツールや素材に力点を置いた作品のような気がします。聴くほうもあまりポイントを絞らず、時代のシンフォニーを聴く感じでいいと思いましたね。
ノセダ好物のカセルラ、小型スコア見まくりの棒でした。

ラフマニノフのロマノフスキー、
肩の力が抜けていて滑るように流れる。肩がバリバリのノセダとは見た目がだいぶ異なる。協奏曲の場合、音楽の方向性はどうかと言った部分はあまり燃えない話、ノセダは伴奏に集中。
例えば、佐渡さんの棒を見ていると協奏曲もご本人のメインディッシュも同じ具合の振りなのですが、こういった来日系の有名どころの人たちって、コンチェルトでの棒はかなり抑えているというか、ソリストがどうすれば弾きやすくなるのかといったあたりのことをソリストの立場になって考えて、アクションしている。その違いはあるかな。
だから、協奏の場合、指揮者とソリストの芸風の違いといった観点での話は第一義的なものではないと思う。息が合う合わないというのは出てくるとは思いますが、そうゆうことは承知でコンビネーションしているわけですし。

ロマノフスキーは肩に力が入らずリラックス、端正な雰囲気。ときおり、パソコンのエンターキーでも叩くような感じで右腕左腕をポーンポーンと大きく上にあげる仕草。快適に弾いていく、曲想毎の沈み込みやナイーヴな感じ、スタッカート。いろいろ自在な出し入れ。テンポは相応な動きに抑えていると思います。現代にマッチした、その渦中のモードを敏感に感じて演奏に自然にそのようなことが反映されていくのでしょう。
アンコールにも端的に表れていました。美しいものですね。

素晴らしい一夜でした。ありがとうございました。
おわり


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