2016年3月19日(土) 2:00-4:40pm 神奈川県民ホール
神奈川県民ホール プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ミヒャエル・ハンペ プロダクション
さまよえるオランダ人 138′
キャスト(in order of appearance)
1.ダーラント、斉木健詞(Bs)
2.エリック、樋口達哉(T)
2.舵手、高橋淳(T)
3.オランダ人、ロバート・ボーク(BsBr)
4.マリー、竹本節子(Ms)
4.ゼンタ、横山恵子(S)
合唱、二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
沼尻竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(duration)
序曲 11′
第1場+場面転換 41′
第2場+場面転換 59′
第3場 27′
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ひとたび嵐が静まり、見張りが一人残り、眠りこける。彼の分身が起きて、通常通りオペラが進行する。本物の方は最後まで舞台の真ん中で弱めの青いスポットライトを当てられながら寝返りをうったりして眠りこけている。舞台を動き回る登場人物たちに彼の存在は無い。そして大詰め、この悪夢ストーリーはすべて文字通り夢だったと、うなされていた見張りは目が覚め、まわりの人間たちに笑われながら、エンド。
どんでん返し系の演出、舞台中央で一人眠りこけている人物が2時間以上もそこにいれば、観る方としても途中から色々と思いを巡らす時間があって、途中でだいたいわかってくる。
最後まで連続演奏になりますが、冒頭の序曲では最近では珍しく、幕を一切開かず暗闇の中での演奏、そして一旦終わって拍手。このパターン、序曲をじっくり聴ける良さもありますが、なんだか遠い過去のスタイルを思い出させる。
ところが、幕が開くとそこに展開されるのは、プロジェクション・マッピングPMというより精巧なCG映像。立体感がかなりある。
聴衆サイドはダーラントの船に乗っていて舞台奥に向かって、大海の波打つ嵐の中を進んでいる。見張りが眠りこけてから、遠く舞台左中央やや左寄りあたりから幽霊船が近づいてきて、ダーラント船にドスンとぶつかる。幽霊船はマストなどが揺れなびく、精巧なCGで迫力があるし、なによりも、ストーリーを知る上でのそれぞれのシーンでの立ち位置が非常によくわかる。この演出映像は大喝采ものです。
第3場で突如現れるパイレーツ・オブ・カリビアン風味な演出はグロテスクですが、CGと違いリアリスティックで、プロダクションの幅を感じさせてくれなくもない。映像とリアルの妙。このような趣向はオペラならではのものと思います。
映像に関していうと、昨年2015.9.20観たパッパーノ、コヴェントガーデンのドンジョは精巧なPMでした。回り舞台方式で、壁にマッピングされた窓とか模様が、舞台が回っている時も壁に描かれてように固定されていて、つまりシンクロして動いていました。
映像としては突き詰めると同じく昨年2015.8.23の大野、都響のツィンマーマンのレクイエムなんかもそうでしょうし、ちょっと前ならもっと精緻なアルミンク、新日フィルによるペレメリ2010.5.21やトリイゾ2011.7.16など。
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ということで序曲のあと幕が開いて、場面が三つ。場面転換も映像切り替えですから楽と言えば楽。リアル舞台は中央の船の上を模したものが横たわるだけで動かす必要もない。
登場人物たちは自分の周りの動きのことにあまり気を回すこともないと思うので歌に集中できる。
合唱はクレジットを見ていると3団体の混成チーム。荒れ狂うオケに負けない強靭で合唱オペラの醍醐味を満喫。聴きごたえありました。
オランダ人のボークは巨人で幽霊のようなお化粧ともども存在感があり過ぎと思うぐらい。歌唱のときあまり口を動かさないように見え、体全体を動かすようなところもなくて、力を込めずともあれだけの力感が出るというのはやはり幽霊の仕業なのかと。極小動きを体現した演出だったのかしら。
ダーラントの斉木さんはオランダ人と体技ともに張り合えそうな感じ。役柄、だんだんと小物風になっていくあたり、むしろ現実的なものを感じさせ、オランダ人との対比で面白い。
ゼンタは一本勝負みたいなところがあり、はずせない、極みの弧を描く歌が必須。輪郭だけの歌のようでもあり作曲家も際どいもの作ったものですね。歌いだしの頭にアクセントがきくとさらによいように思いました。山の尾根というか稜線に立ち、どっちに転んでもアウト、そこでバランスするしか無いような歌唱、そういった雰囲気を味わいたいものです。
エリックの樋口さんはワーグナーのいたるところに現れる素晴らしいテノール、役どころ以上の存在感。今回の演出は役にちょっと紛らわしいところがあってくっきりと浮かび上がってこないもどかしさがあったけれども、歌い始めるとワーグナーです。
大詰め、ゼンタが船上奥に動き身投げ、救済とは、幽霊船の沈没だったのか。
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オーケストラは昨年のオテロのときとやや異なり、縦ずれ多発。特にブラス。
この指揮者も他の国内指揮者と同様、指揮棒持たず。以前は持って振っていましたけれど、まぁ、指揮棒持たなくなって何か良い効果が出ればあれこれ言うところではありませんが、なんの効果も感じられない。むしろ大オペラでザッツ問題とか出てしまうのは指揮棒を持たないせいと勘繰りたくもなる。それをカバーしてありあまる何かいいことでもあったのでしょうか、何も感じられない。と言ったところが率直な感想です。
最初の場面転換後の2場のウィンド・ハーモニーは美しくきまっておりました。
それから、このシリーズのプログラム冊子は内容掲載順番が欧米並みで、作品とキャスト等のクレジットの後、出演者プロフィールの前に作品の説明。当然と言えば当然ですが、国内冊子はオペラもオーケストラル演奏会も、逆で、とにかく出演者プロフィールがいきなりでてくる、メインテーマがこれなのは、大昔の巨匠来日の頃の名残かとも思いたくもなる。
今回の冊子では、スタッフ名ぞろぞろ、の前に、キャストの名前があります。これも当たり前の話だと思うのだが、最近はまずスタッフありきの団体が多いですね。
今回は関係ありませんが、練習風景とかの写真をデカデカ載せているプログラム冊子を有料配布している団体もあって、バックステージはいらない、サラリーマンも誰でもみんなバックステージを持っている、陳腐な英雄崇拝の後押しをしているだけではないかと、感じる人がいてもおかしくない。そのページめくらないからどうでもいい、そんなところでしょうか。
おわり