河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1383- パルジファル二日目、二期会、飯守泰次郎 読売日響、クラウス・グート・プロダクション2012.9.15

2012-09-15 20:45:39 | コンサート・オペラ

パルジファル初日の感想はここ


2012年9月15日(土)2:00-7:15pm
東京文化会館
クラウス・グート プロダクション

ワーグナー パルジファル

ティトゥレル 大塚 博章
アムフォルタス 大沼 徹
クリングゾル 友清 崇
グルネマンツ 山下 浩司
クンドリ 田崎 尚美
パルジファル 片寄 純也
以上in order of appearance

2人の聖杯守護の騎士 (略)
4人の小姓 (略)
6人の花の乙女たち(略)

二期会合唱団
飯守泰次郎 指揮 読売日本交響楽団


実測値
第1幕:1時間50分
第2幕:1時間12分
第3幕:1時間18分

自分の好みで言うと、声に関してはタイトルロールとクンドリはこちらの二日目のキャストの方が好み。特にパルジファルに関しては、自分の持っているイメージにより近い。艶のあるテノールでヘルデンのイメージ。クンドリはもっと冷徹になればさらに良いと感ずる。
この二日目、これらのキャストに加え、合唱ソリストたちの水準も高く、底上げをはかればはかるほどさらに全部上に押し上げられそうな可能性を感じました。
パルジファルの楽曲はとにかくシンコペーションの山だと思うのですが、男声合唱の角が甘くなるのが少し気になりました。シンコペがドロンとしてしまっていて、オーケストラほどの音楽の律動が感じられない。リズムを体で感じながらの歌であれば、より鋭角的でリズミックな表現ができていたと思います。


第3幕の前奏曲で大きくクリングゾルの動機が副主題的に出てくるのには驚きました。今までこのような聴き方をしたことがありません。隠れていたのかな。強調がすごいと思いました。思えばこの主題は第1幕から第3幕までかなりたくさん出てきますね。クリングゾルご本人は「通常」第2幕だけの番ですから、ワーグナーの執拗さに驚きます。物語の原因を作っている魔術師ですから当然といえるかもしれませんが。
演出に関してはこのクリングゾルの力点が大きく、物語全体を予め俯瞰できていないと、理解できないというか、伏線が長すぎて緊張の糸が切れてしまう危うさがある。
第1幕前奏曲中にクリングゾルがあらわれるが声はないし、この幕ではもうでない。
第3幕では、最終局面の回り舞台で、舞台1階、ティトゥレルが亡くなったと思われるベッドにさわり親ティトゥレルの死を悲しむシーンが少しだけあり、その斜め上2階ではアムフォルタスが苦しんでいる。クリングゾルを最後のシーンでアムフォルタスと並ばせるにはあまりに唐突で、ここのクリングゾルの動機のところで予め一度出しておくのは長丁場であるため、効果的ではある。が、クリングゾルが出てこない部分の伏線がそれでも、時間経過的にあまりに長すぎて、最後に長椅子に座るクリングゾルに近づくアムフォルタスの演出は作為にすぎると言われてもおかしくない。そもそもわかりづらい。5時間の緊張を強いるのがワーグナーのオペラなのだ、と言うことですね。
初日の公演ではこの兄弟、なんだか仲良くひそひそ話風に終わったのですが、2日目ではそんなこともなく、申し訳なさそうなクリングゾルに近づいたアムフォルタスがその肩に手をやり和解とする、そう見えました。マイナーチェンジなのか、この日は初日とキャストが異なりますのでそのせいなのかどうかわかりません。マイナーチェンジはどんなオペラでもそこかしこありますので。


ひねり演出はまだありました。クンドリが旅行バックのようなものをぶら下げて、兵隊の隊長のようになってしまったパルジファルを見上げて、オサラバ、してしまう。同じ幕で、自髪でパルジファルの足を拭いて、水儀式まで行ってもらった彼女は、それこそ髪の乾く間もなくオサラバしてしまうという構図。救世主ではなくなんだか権力志向の隊長さんになってしまったパルジファルに愛想をつかしたのかな。第3幕は第1次世界大戦が済んでヒットラーの時代に向かう設定ですから、映像あわせ、演出の意思は明確であると思います。演出者の思想吐露なのかどうかはわかりません。おもしろい演出ですが、この段になって、ある地域(戦争行為に関連のあるヨーロッパ、アメリカ、日本)に限定されたストーリー性を感じ、急にせまい展開に感じてしまいました。現実的であると言える。この現実さがワーグナーをコンパクトなものにしているように思えました。聴く方としては、これでかえってリラックスというか、身近な音楽として緊張感が解けていった、これは不思議な話かもしれないが、でも実際そうでした。
ティンパニ5連発に導入される聖金曜日の音楽の鳴りは、この読響、大変に素晴らしくここからの一連の流れは毎日オケピットに入ってほしいぐらいでした。この聖金曜日の音楽が生かされた演出であったとは思えません、残念ながら。


第1幕から読響の響きの美しさは非常に素晴らしいもので、それが最後まで持続したのは称賛の極みです。特に第3幕のお花畑あたりからのウィンドを中心としたサウンドは最良のもの。メロウでさえありました。この響きの中にずっと埋もれていたい、そんな感じですね。第2幕にドロドロ感を求めるのはもはや場違いであり、全ては美しく響く、憎しみ恨みさえ美しさのなかで表現できる、そんなところでしょうか。満足のいく響きでした。
飯守の棒だとみんな演奏しやすいのかしら、音色にウエイトを置き、強弱のバランスのニュアンスを最大限生かした演奏で、指揮しぐさにもそのような意図が結構見てとれました。比較的静かな指揮姿ですから、彼がちょっとコントロールのしぐさをするとオーケストラは敏感に反応する。初日よりも双方、余裕が出てきて表現が深くなりました。時間も長めです。
ということで2日目おわり


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