1980年代後半、マーラー演奏でブレークしあっという間に時代の寵児となったインバルが、初来日となるフランクフルト放送交響楽団とともにやってきた。それは1987年。
さぞかしマーラーづくしになるかと思いきや、12回のコンサートのうちマーラーは1番と5番だけ。肩すかしのようでもある。
そして、千秋楽のただ一回のプログラムがこれだった。
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1987年11月17日(火)19:00上野
ブルックナー/交響曲第5番
エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団
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透明無色。バランスがよく、へヴィーなブルックナーまみれの世界を一掃してくれたクリアな演奏であった。ホルンのトップはノイネッカー。
「まるで録音みたい。」とそのときは思ったものだ。
「録音」といっているのは、1970年代後半、NHK-FMから多量に放送されたヘッセン放送オリジナルのフランクフルト放送交響楽団のサウンドのこと。その「録音」のサウンドそのものだったのである。
当時多量に放送された内容については別の機会に書く。ヘッセン放送協会の録音が非常に良い音であったためかNHKで毎週流していた。
1962年にカンテルリ・コンクールで一位となったインバルは、1974年にディーン・ディクソンの後を襲い同オケに就任した。それは栄光というよりも前半は下積みの続きだったのかもしれない。伝統的に現代音楽に積極的なオケであるが、こんな日もあった。
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ゲルハルト作曲ペスト
語り手:カール・ハインツ・ベーム
エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団
北ドイツ放送合唱団
1975年10月25,26日
ヘッセン放送大ホール
(NHK-FM1976.7.5)
以下を参照してください。
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現代音楽推進オケとはいえ渋い。当時河童もどんな気持ちで耳を傾けたのか忘却のかなただ。
このようなことを繰り返し、世評は高まり特にマーラー演奏では秀でたものがあった。
彼は日本に単独で来たときも日フィルかどっかを振ってマーラーの一番を演奏した記憶がある。
しかし1987年日本公演では、マーラーが、やがて自分の時代が来る、といったように、インバルも自分の時代が来る、と言い残して去ったようだ。