太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

なんともはや

2019-08-12 08:32:49 | 日記

猛暑が1週間続き限界である。と思ったら今朝は8時で卓上温度計は29.2℃で随分過ごしやすい。昨日まではこの時間は30℃を超えていたがちょっとの差で違うものだ。この1週間は熱中症対策でこまめに水分補給をと言われ、取り過ぎたら下痢になってしまった。汗にならずに直接排出しているのだろう。今日は水分を控える。

海や山でレジャーによる事故が相次いでいる。可哀そうなのは小さな子供の事故である。思い起こすとこどもの頃から夏休みに二人身近な者が亡くなっている。二人とも溺れて亡くなった。一人は幼稚園の時、川で溺れ死んだ。一緒には居なかったがちょっと発達障害がある子だった。何故子供だけで遊びに行かせたのだろう。もう一人は小学4生の時、引率されて海水浴に行った時である。時々全員を浜に上げて点呼を取るようにしていたが一人が居ない。引率の先生と浜の監視員が両手を繋いで沖に向かって捜しに出る。見つかったが病院で亡くなった。心臓麻痺ということだった。まさかこんなところでという不慮の事故である。どう考えても親の不注意としか言いようがない事故もある。駐車場などでも小さな子供が飛び出して走り回る場面と同じで、一体親は何処を見ているのだろうと思う。

大人の事故は過信である。偉そうなことを言っているが自身も溺れそうになったことがある。海水浴で近くで遊んでいる子供のビーチボールが流された。多少は泳ぎに自信があったので取ってきてあげると言った。ところが寸前のところででこちらが泳いで立てた波でボールは逃げてしまう。アキレスと亀状態である。もう限界と思うところで諦めて引き返したが浜に着いた時は手足を動かせないくらい疲れてしまった。キャンプで渓流に行った時、所々に不快美しい水溜まりがある。岩から飛び込むとある深さから急激に冷たい水になる。下手すると心臓麻痺だ。楽しい行楽やレジャーで命を落とすことなどあってはならない。残されたものはそれが夏の思い出になってしまう。

お盆休みに入って恒例の空港でのインタビューは不愉快であるが、高速道路の渋滞がニュースは小気味良い。他人の不幸はなんとやらである。それでも若い頃は東名名神で何度か東京大阪を運転したことがある。中でも思い出にあるのは北陸自動車道が開通間もないころ京都福井を走ったことである。高速に乗るといきなり渋滞でちっとも動かない。中には車を降りて路肩を歩く人まで出て来る。相当先まで歩いたところで車がやっと追いつき再び車に乗る。何度かそのようなことを繰返し結局10時間くらい車に乗っていた。エアコンがついていなかった車ではまだ赤ん坊だった子供はゆでだこのようになった。若いころは何とかなるだろうという気力体力に満ちていたが今は気力がすっかり萎えてしまった。今ではエアコンもナビもTVも付いているがとても遠出をする体力、気力がない。東京大阪なら2泊3日くらいなら何とかなるかも知れない。暑いながらもTVで渋滞ニュースを見ながら、誰もが通る道だよと聞こえないの助言をする。

近場に車で出掛ける時も結構危ない場面に出くわす。普段車に乗らない人が大勢運転している。昔は配送の車が随分乱暴な運転をしていたが今は皆安全運転で流石プロという安心感がある。危ないのは露地から飛び出してくるバイクの郵便配達と直線道路でフラフラとセンターラインを超えては戻る居眠り運転のような車だ。物凄く車間を空けて走るが信号で追いつくと年寄マークが多い。家族は運転させちゃあ駄目だろうと思うが、生活のためか。せめてブレーキを踏んでから方向指示器を出すのだけはやめて欲しい。指示器が先でないと追突しそうになる。最近車で運転しているときは、慌てない焦らない、こちらは遊び、向こうは仕事どうぞお先にと独り言を言っている。車を運転していて湧く怒りの感情は決して長続きしない。場合によっては1分も続かない。翌日まで覚えている怒りは皆無に近い。ちょっと間をおくだけで平静に戻れる。暑さで何もする気が起こらない日々だがもうすぐ免許更新、ゴールドを失わないよう、遊びで事故ることなど無いよう、被害者にはなっても加害者には絶対ならないよう、暑さだけが夏の思い出でもマシだと思って過ごす。