十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

2009-05-20 23:10:32 | 柔道
 インフルエンザのお陰か、普段いない時間に仕事場にいた。玄関に人の気配を感じた。ドアを開けて入って来られた人がいた。どなたかなと思ったがなつかしい先輩の顔と一致するのは一瞬それはほんの一瞬だった。なつかしい.
中学時代どれほどの時間乱取をしたことか。一度は一本とるまでと互いに決め一時間以上も稽古をした。講堂にひいた畳の上だった。
 先輩から予期せぬ知らせを聞いた。同期のSの死だ。中学時代私が主将で彼が副主将。警察の道場にも一緒に行った。一般の稽古の後、二人だけ居残り稽古もよくした。体落、足技が得意で、大車は見事だった。芍薬をみると彼のもう一つの得意技のしゃく投げを思い出す。支え釣り込みだが、試合でよく決まっていた。一緒に近畿大会の団体戦にも出、準優勝もした。当時大阪、京都、神戸の三都市大会があり、各都市10名での試合があったが、彼と私は大阪代表になり、優勝もした。強化練習にも二人で行った。中学3年の時には大阪の個人戦の決勝戦で彼と戦った。たまたま私が勝ったが、実力は彼のほうが上だった。相撲も得意だった。公園、校庭とよく相撲をとった。やぐら投げ、内無双、外無双も彼から教わった。この前のことのようだ。喧嘩も強かった。中学で一番にらみをきかせていた。別に喧嘩をするわけではないが、彼にはだれも喧嘩をうらなっかったというのが正解かもしれない。 互いの両親が奄美大島出身というのもひきつけた。正月彼の家に行くと、奄美独特の口笛のリズムの踊りの輪。その楽しい雰囲気の場が今も蘇る。
 高校受験の後の春休み、京都までサイクリングをした。神崎川の近くでサイクリング用の自転車を借り、東寺、円山公園まで走った。
 高校を出て彼は警察に就職、互いに会う機会がほとんどなくなったが、今振り返ると私の中学時代無二の親友は彼だった。常に気になりながら会わなかった。彼が転勤が多かったからかもしれないが、非常に残念なことだ。十数年前一度会った時に、お嬢さんの写真を見せてくれた時の照れくさそうにしていた彼の表情を思い出す。それにしても彼に会ってなかったのは心残りだ。人生で一番輝いていた時そして苦しい時彼は私の横を走っていた。私のプラス面を引き出してくれたのではと思う。
 先輩が帰られた後も彼との思い出が次々と浮かんでやまなかった。

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