十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

今城塚古墳

2022-12-30 19:06:41 | 散歩

 十数年前はお墓詣りによく通ったが、最近は通らなくなった道を娘の運転で7歳と1歳の孫二人とドライブ。目的地は高槻の今城塚古墳。私が知っている今城塚古墳は崩れんばかりで荒れていた。しかし今ではすっかり整備されきれいになっていた。孫と手を合わせてから墳丘に入ってみた。孫が足元がおぼつかない私を見て、手を差し伸べてくれる。優しい心が芽生えているのが新鮮でうれしい。

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今年 別れと出発

2022-12-18 10:39:29 | 出来事

 2022年は2月のロシアのウクライナ侵攻、7月の安倍晋三銃撃事件、連続的に起こった親戚との別れ、友人との別れ、そして個人的には頑強と思っていた肉体のほころびと精神的に余裕を許されないことが次々と現れた年でした。ロシアの侵攻の悲劇は10か月過ぎてもまだ終息しない。その間、人の命は奪われ続けている。権力者の夢のために。安倍晋三も夢を見ていた。その夢が旧統一教会と同じ夢であったということを我々は知らなかった。山上容疑者がそのパンドラの箱を開けた。しかしその中身を我々は十分に知らされず、闇の部分が多い。そして岸田政権になってもまだ安倍の亡霊が力を持っている。政権交代が一番望ましいが、せめて国民に正しい情報を知らせる健全なジャーナリズムの存在がこの国にあってほしい。

 10月に一番上の姉との別れがあった。姉は私が気づいた時にはもう嫁いでいた。義兄は中国では機関銃部隊に所属。帰国後もながく戦争体験のPTSDに悩まされていた。寝たきりの義兄のお父さんとの同居で長屋も落語に出てくるような家で隣の家との間に大きな穴があり、布で仕切っていた。水道も共同であった。そんな生活でも姉は常に前向きで楽天的に生きていた。大腿骨骨折の手術も2回したが、リハビリにも積極的に取り組んでいた。記憶力も90を過ぎても衰えなかったし、気配りもすごかった。尊敬する姉であった。施設に5か月ほど入ったがコロナ禍で十分見舞いにも行けず、その間姉は急速に衰え、姉から最後に聞いた言葉は「こんなところに入ったらしまいや」という、姉らしくない言葉であった。96歳。彼女はきっと今は天国にいると確信している。

 毎週末、孫が来てくれる。彼の人生は始まったばかり。本当にキラッキラ(孫のことば)している。もう5,6年動いていなかった鉄道模型を修理した。明かりも音も鉄道も動き出した。彼は来るたびに模型の前で、体中で反応してくれる。ありがたい。

    

 

 

 

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