十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

残念

2006-12-18 12:20:51 | 散歩
 久しぶりにゆっくりした日曜日。この前から気になっていた芥川のイチョウを見にバイクで出発。雲行きが怪しかったが、順調に西国街道を走った。黄葉のイチョウを見れるのは今日しかないと胸を躍らせていた。芥川橋に着くと、残念葉っぱは下のほうに少し残し落ちていたではないか。気を取り直して木の側に行くと、黄色い絨毯を敷いたように、堤防の斜面と道路が一面黄色。これもまた美しい。

ブログ

2006-12-13 10:27:45 | 世の中
 忙しいと心の余裕が無くなります。ここ数週間、ここ十数年この時期になると会報作りに時間がとられ、ブログも更新することが出来ません。やはり忙しいのはよくありません。以前いじめについて、ブログに子供達が余裕がなくなったのは、大人たちから時間を奪われ忙しくなったせいではと書きましたが、今の先生方も書類作り、会議と昔の先生と比べ、時間が無くなっている。先生も心の余裕が無くなっている。この上更に追い討ちをかけるような提言が無責任に出されているが、本当にこの国をどうしようとするのか。ただただかき混ぜカオスの世界に引き入れようとしているとしか見えない。教育のひずみを先生に押し付けるニュースが飛び交うごとに、教育の現場は先生と生徒の間の信頼という絆が崩れていく。教育問題は真に心を取り扱う微妙な問題である。企業の論理を持ち込んで一挙に解決するような性質の問題ではない。
 それにしてもあの郵政民営化を問うといったあの選挙は何だったのだろう。あの選挙結果がもたらした悪はとてつもなく大きい。稀代のペテン師が仕掛けた罠に国民は見事にひっかかったのだ。詐欺にひっかっかったのだ。次々に国民に負担を強いる法が成立し、また強行されようとしている。障害者自立支援法、介護保険法改正、会社法の改正等またこれからも教育基本法改正、共謀罪、国民投票法等。国民は彼らに武器を与えてしまった。
しかし気が付いていない。

大塩平八郎

2006-12-04 11:38:26 | 散歩
 高校時代の友人と南森町で会う約束だった。まだ時間があったので、ぶらぶらしていると大塩平八郎の墓の案内板を発見。300メートル先の表示にしたがって、行くと小さなお寺、成正寺。門をくぐるとすぐに右手に大塩平八郎・格之助親子の墓、左手は大塩の乱に殉じた人々の碑。共に真新しい花が供えられている。江戸時代は罪人であった大塩の墓は許されず、明治になって初めて大塩の墓が門人達の手によってこの地に建てられたという。明治を迎える30年前に起こったこの乱は徳川幕府にとっては、脅威でしかなかったであろう。大飢饉の中、役人の腐敗、富豪の奢りを糾弾、300名の同志と共に徒手空拳世直しに立ち上がった大塩は負けるべくして負けたが、その狼煙は遂に30年後の江戸幕府崩壊につながっていった。
 市中5分の1がこの乱の結果、焼失したが、大塩を非難するものはいなかったいう。
江戸時代この通りは寺町でもう少し東に行くと寺町を挟んで奉行、与力、同心の屋敷があった。