十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

佐伯祐三展

2023-06-19 10:09:52 | 備忘録

中の島美術館に佐伯祐三展に妻と行った。自宅からは阪急、地下鉄と乗り継いだが、大阪地下鉄はエスカレーター、エレベーター共に少なく、足が少し弱くなった者としてはつらい。肥後橋で降りる。仕事の講習でこのあたりの詳しいという妻の後に従っていった。美術館に入るとすぐにヤノベケンジの作品が迫力をもって迎えてくれた。2005年に作られた「ジャイアント・トラやん」操縦室に子供の顔がみえる。子供の命令にのみ従う「子供の守護神」とのこと。私の町に同じ作家の「サンチャイルド」があるが、トラやんの弟分。なぜかほっこりする。サンチャイルドは復興を願って東北に目を向ける。美術館の北側の庭には同じ作者の作品「SHIP'SCAT」があるがこれは旅の守り神。いづれもヤノベケンジの心のメッセージが優しい。地方選挙で悲しいことにサンチャイルドの撤去を公約にして立候補した輩がいたが、落選してよかった。                                           佐伯祐三展は5階。まず驚かされたのはわずか数年で描かれた作品の量と質の高さ。絵の具の重なりがすべてのものに命の存在感を見せる。命を懸けた作品群だ。一枚一枚が優しくて格別上品だ。ゴッホ展を見に来た時と同じように作者の心にふれる気がした。作品の一つに「ノートルダム」があった。この作品は高校時代美術教室の西側の壁面に飾られていた。勿論手の届く高さにはなかったが、美術の時間にはいつも見ていた。高校時代、音楽コース、書道コース、美術コースに分かれていた。私は美術コースを選択したが、このコースを選ぶ人は少なかった。少なくとも私の親しい人にはいなかった。美術の時間は2時間。初めに出欠をとり、その後はどこで何を描いても作ってもいいという授業で本当に自由でした。私は公園でもっぱら風景画ばっかり描いていた。時間の終わりには作品を先生に見せなければならなかったので、速くかくことを覚えたと思う。残念なことにその時の作品は一枚も残っていない。先生は岡島先生。一年の時の担任。手塚治虫も教えて、東京に行くと手塚治虫の家で泊まるとおっしゃっていた。1年のとき遠足代が出すことが出来ず、美術準備室におられた先生を訪れ、無料の手続きをしてもらった。いろいろなことが思い出された展覧会でした。

 

 

 

 

 

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