十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

ロシア反体制派知識人の手記  朝日新聞より

2022-03-15 15:21:44 | 備忘録

 ロシアに住み、プーチン大統領が始めたウクライナへの侵攻に反対する、ある知識人の女性から寄せられた手記の全文は下記の通り。

 20022年3月9日(水)

 私たちは衝撃を受けています。あぜんとしている。がくぜんとしている。

 私たちとは、ウラジミール・プーチンを一度も支持したことのない市民層のことです。私たちは常日頃、この男はいずれ国と世界を破局へと導くと述べてきましたが、それが現実となったのです。

 全世界が、プーチンは戦争準備をしていると主張してきました。ロシアや世界の数十、数百のアナリストたちがこの状況を予告していました(あのときすでに、あからさまな戦時用語が使われ、軍がウクライナ国境へ近づいていたのですが)。それでも世界中の誰も、私たちもですが、破局がこれほどひどいものになるとは思いもよりませんでした。いまにいちばん恐ろしいことが起こると、誰もが知っていたにもかかわらず、それが本当に起こると信じることができなかったのです。

 国外にいる息子が電話してきて、私に言うのです。おかあさんは侵略者の国、占領者の国で暮らしているのだね。そうね、ほんとうだね。こう認めることは恐ろしいが、それも白日の下にさらされた。

 (戦争が勃発した2月24日以降)はじめのうち、私たちはなにも手につきませんでした、今もなにもできません。そのうち目が覚めたら、悪夢は消える気がしていたけれど。でも消えなかった。戦争が始まってもう13日です。まさか、これから113日、213日、313日と続きはしないだろうか。まさか。なぜ?なんのために?1人の気の狂った老独裁者がプライドを満足させるためにおこしたムラ気のせいで。

 どんな攻撃も罪悪です。でもウクライナの人たちは、実際私たちの親戚で兄弟なのです。何世代にもわたって同じ国で一緒に生きてきた。プーチンが言っていることとはぜんぜんちがう。とてもたくさんの親戚や友人たちがウクライナにいるのです。

 ヒトラーがキエフを爆撃したことを私の父は覚えています。ところが、今度はプーチンです。ウクライナとの戦争で用いられる物言いを聞くだけで、胸をナイフを刺されたような気がする。テレビで言うでしょう、キエフが包囲された、ハリコフが空爆、ヘルソンは陥落……こんなのは第二次大戦中の物言いです。まるで小学校の歴史の教科書の中に転げ落ちてしまったようだけれど、ただ私たちは今、解放者の側でなく、占領者の側にいる。

 親戚や、周りの人たちのことを話しましょう。

 ウクライナには、ロシア人な誰にでも友人や親戚がいます。連絡を取り合い、お互いに電話かけあったりしています。力の及ぶ限り、彼らのサポートをしています。これは私たちの戦争ではない、私たちは彼らウクライナの味方だ、ロシアの味方ではないと証明しようとしているけれど。

 (開戦前に)クリミアからロシアでなく、キエフに向かった人もいます。大学で勉強するためです。はじめは空爆避難所から電話してくるのを待っていたけれど、後で(ウクライナの)領土防衛隊に入隊したと伝えてきました。彼のことがとても心配です。私たちの親戚なのですから。

 ある同僚は泣いています。お姉さんがマリウポリに住んでいる。お姉さんともう5日も連絡がとれない。ここのところマリウポリはすさまじい爆撃にさらされているのでしょう。ひょっとしたらもう避難して、ポーランドいるかもよ、などと希望を持つよう言うけれど・・・・・・。いいえ、姉は避難できない、病気の夫と子どもがいるのだもの、高層マンションの5階に住んでいて、外に出ることすらできないのだもの、と同僚は言う、お姉さんが見つかるよう、祈るばかりです。

 別の同僚は卒倒しかけています。子供がロシア軍務についている。3ヶ月前に動員されました。初めは良かった。軍のトラック運転手になって、部隊もモスクワ近郊にあったから…。その同僚は子供がいずれウクライナへ派遣されるのを恐れているけれど、どうすることもできない。なぐされようもない。私自身、それが怖い。

 とてもたくさんの私の友人たちが、この犯罪的な戦争から子どもをかくまおうとしています。徴兵の年齢にたっした男の子たちの多く、がアルメニアやグルジア(ジョージア)へ逃れました。でなければイスラエルへ。これらの国はビザなしで行けるのです。なかにはヨーロッパかイスラエルに縁者のいる人いる。でも、おおかたの人たちにはいない。単純に戦争から逃れたのです。女のこたちも、将来を考えてロシア国外へ送り出した人が多い。

大人たちも逃れました。私の友人で物書きの女性がいますが、ロシアに夫を残して去りました。夫は病気のお母さんを残して行けなかったのです。私の武器は言葉だ、考えていることを言うことができないのなら、ここから去らなければならない、とその人は言っている。

 多くの人たちがこうやって国外へさりました、言論の自由のためにです。

 それと同時に、たいへん多くの人たちが戦争を支持し、ウラジミール・プーチンを支持しています。むろん彼らも怪物じみたプロパガンダの犠牲者なのですが、だからといって犯罪の責任を免れるわけではない、責任逃れはまったくできない。

 もしプーチンが先制攻撃しなければ、NATO(北大西洋条約機構)とウクライナのほうからロシアへ攻めてきただろうと、などとばかげたことを言っている。それから、対ロシア用にウクライナがアメリカと生物兵器を開発した、それをやめさせる必要があった、などとというたわごとを、どの人も繰り返している。中央の放送局でこう言われていて、それを人々はおうむ返しにしているのです。

 ある知り合いの家では、母親が戦争反対リベラル派です。父親はプーチン支持です。際限なく口論し、いまは離婚したがっている。彼らは80代の老人です。

 職場でも2人の若者が殴り合いになるところでした。一人(ウクライナ人)が、モスクワにNATO軍がいたら良かったのに、などと口にしたのです。すると、もう一人(ロシア人、とても信心深い正教徒)が、お前を即座に撃ち殺しやりたい、などと怒鳴ったのです……。

 また別の同僚は、とても善良な正教徒だけれど、(ウクライナ東部)のドンバスの子どもたちや住人をとてもかわいそうに思うわりには、ウクライナの子どもたちやロシアの兵隊のことは、どうやらどうでもいいみたい。

 別の同僚はウクライナの人たちの嘆きや爆撃された建物、泥道に横たわるロシア人兵士の死体が写った報道を見て、これはフェイクだ、実際とは違うのだ、と言う。

 プーチンに従わず、反プーチンのデモに何年も参加してきた私たち自身、とても悪い立場に置かれています。私たちはプーチンにも、西側にも、自分自身の良心にも、いちどきにたたかれ続けているのです。

 戦争への態度を表明することすらむずかしい。戦争を戦争と言うことすらできない。私たちのプロパンダ用語では、今起こっていることは戦争ではなく、特殊作戦だという・・・・・。

 戦争反対の署名のために仕事を辞めさせられる。デモに出れば、こん棒で殴られた上に監獄へ入れられる。フェイスブックにあからさまなポストをすれば、これも監獄へ入れられるおそれがある。

 知らない人たちと今起こっていることについて意見を口にすることすら危うい、密告される恐れがある。どこかの国家機関へ出向けば、敵の後方に潜り込む気がする。前線で何が起こっているのか正しい情報を得るのはもっと難しい。リベラル系のマスメディアは、ほとんどぜんぶ遮断されてしまった。

 私たち皆の考えでは、プーチンはウクライナばかりでなく、ロシアをも殺したのです。精神的にも、経済の上でも。

 世界的なブランド、主要なものもそうでないのも、ぜんぶ撤退していく、でもいまやロシア人はヨーロッパ人のように生活することに慣れてしまった。

 今日、ロシアからマクドナルドが撤退すると告知されました。マクドナルドには普段むしろ軽蔑的に接してきましたが、これはロシアにとって象徴的な撤退です。ロシアにマクドナルドがやってきたことから、新しいポスト共産主義が始まりました。最初にマクドナルドが現れたとき、行列が何㌔もできたものです。それまで一度もこういったものを見たことのなかったロシア人は、ビッグマックや袋に入ったフライドポテトを、まるで高級フランス料理のように見なしたものでした。マクドナルドの撤退は象徴的なできごとです。これはかつての民主的なロシア、ゴルバチョフとエリツィンの築いたロシアの終わりを意味するのです。

 (翻訳 太田丈太郎・熊本学園大学教授、手記は敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

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