十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

佳日

2008-01-29 13:17:24 | 出来事
 娘の彼氏が我が家に挨拶に来てくれました。いつかこの日が来ると覚悟していましたが、ついにやってきました。親から子が飛び立つのは当たり前のことですが、うれしさと寂しさの入り混じった複雑なものです。不束な娘ですがよろしくと言うつもりでしたが、不束なという言葉に抵抗があり、結婚に向かって二人でなかよく進んで行って欲しいといった内容になりました。別々の環境に育った人間同士細かい行き違いはこれから多々あると思いますが、微調整しながら、前向きに、互いに相手のことを気遣いながら歩んでほしい。
 本当に不束なのは親の私ですが、娘と妻のいない間に春の花を玄関にと思い、駅前の花屋さんまでバイクを走らせました。スイトピーとチューリップと水仙の花が今日のよき日のために春をよんでくれました。

影武者

2008-01-28 10:39:18 | 世の中
 大相撲初場所は久しぶりに相撲の醍醐味を見た。力相撲で、栃錦・若乃花、大鵬柏戸の相撲を彷彿させるものがあった。視聴率も高かったであろう。表彰式になって、ついにいやなものを見せしまった。JA宮崎経済連の県知事賞のために出てきたのが東国原県知事。従来は経済連の会長、副会長が登場するのが、急遽知事に変更になった。大阪府知事選挙期間中の1月20日に記者会見が行われた知事新党「せんたく」その中心になっていたのが東国原。「タレント議員」の成功者として持ち上げる報道機関。選挙最終日に橋本の応援演説に東国原。そして大相撲を見てから投票に行く府民に向かって最後の念押しをした東国原。東国原を橋本の影武者にして、大きな陰謀を企てられ、情報操作が為されたと強い疑念を持っている。

串カツ

2008-01-23 10:03:48 | ジジバカ
 娘の家で串カツを揚げた。家内が孫を連れて京都に母の世話で行っている間、串カツの準備。冷蔵庫の中を探索。牛肉、豚肉、イカ、サツマイモ、かぼちゃ、レンコン。好きなシュウマイは無いがあきらめる。串カツは見た目より材料は少なくて済む。串に一本一本刺していくが、一つ発見。レンコンはねじりながら刺すとうまくいく。
串カツには思い出がある。小学生の時兄が連れて行ってくれた新世界。むんむんとした労働者の中で、サラリーマンになりたての兄の背広姿が違和感があったが、私には誇らしかった。今も店内の雰囲気がよみがえる。十三にも2軒。一つは十三駅の東にあった。高校時代の友とよく通った。いつ行っても満員だったが、ラードで揚げた串カツはカリッとしてうまかった。店の名前は串重だったか、正確には思い出せないが、老夫婦の店で、ご主人が病気になって店はなくなった。もう一軒はバイパスの側の赤のれん。串カツの好きな母と家内と私の三人でよく行った。この店ももうない。
 準備万端、待っていると電話。一緒に連れて行ったクーちゃんが車で眠ってしまったので、そのまま娘の家に連れて行くとのこと。急遽アルミホイルに串カツを包む。パン粉と卵も万が一と用意。下におりると助手席で孫は熟睡中。途中目を覚ますが私が車にいる事が理解できないようで面白い。
 家に着くと、孫の志門が大歓迎してくれる。手を高くあげて、抱っこをねだる。抱っこするとすぐに私の顔の黒子をいじる。不思議なんだろう。
 小麦粉と卵と山いもと生クリームで衣を作り、パン粉をつけただ揚げるだけ。簡単な作業で、みんなが美味しそうに食べてくれるのがうれしい。志門がえらそうにソースを何度もつけて食べているのが楽しい。志門には大阪ではソースの二度づけが駄目なのをまだ教えていないのに気がついた。

神戸

2008-01-17 08:46:27 | 思い出
 先日知り合いの日本画家の絵を見に神戸へ行った。いつものことで、思い込みはおそろしい。葉書のジュンク堂のカタカナが頭にインプットされ、看板の淳久堂の漢字が目に入らなかった。通りすぎてから、やっと気づく始末。画廊は二階にありこれはすぐに見つかった。小品を二点出展されていた。亡くされた愛犬への思いがこもった一点と、それに蘭の絵一点。いつも品のいい精神性がこめられた絵だ。
その後東急ハンズへ。以前来たときに、半端物の皮が安く売っていたので、機会があればと思っていた。ある保障は無かった。が今も地下二階にあった。本のカバーに使うので、十分の大きさだ。本のカバー作りは少し勉強したい。
 阪神淡路大震災から13年。茨木の私の家でも、テレビが落ち、仏壇が倒れ、ロフトの本棚は完全に壊れた。余震が来るたびに家族4人一つになっていたのを思い出す。震災直後中学二年の長女と6年生の次女を連れて、三宮を訪れた。少し気がひけたが、娘たちにしっかりと地震の恐ろしさを体感してほしかった。いつも家族で行っていた街なのに、娘たちには初めて来た場所に見えたようだった。「お父さん、ここ初めて来たよ」と言った娘の言葉が今も残っている。
 行きつけの喫茶店で知り合いになった歯医者さんがいる。私と同年輩だが、洒脱な人柄で魅力的な人物だ。後に知ったことだが神戸で開業していた時に、震災で奥様を亡くされたと聞いた。
 神戸の街を歩くと、取り戻した華やかさに、ついつい当時のことが忘れがちになるが、語り継いでいかなければならないと思う。
 
 
 

うれしい便り

2008-01-10 09:43:31 | 思い出
正月が明け、年賀状が今も一枚、2枚と配られてくる。昨日は懐かしい生徒の名前があった。彼と最後に会ったのは何年前だろうか。帰りの電車の中だった。気がついたのは私の降車駅に着く寸前だった。結婚して、水無瀬に住んでいるということだけ聞いて、別れた。彼の両親は彼が高校卒業と同時に離婚した。一人っ子の彼は両親の間でそれまでも心痛めることの多々あったことことだろう。楽しい新しい家庭を築いてほしいと願ったことを覚えている。
 彼の住所は東京になっていた。公認会計士になり、大手の監査法人に勤務しているとの報告だった。うれしいことに私との出会いが彼の原点だと書いてくれていたいた。お世辞でもうれしいひとことだった。ありがたい。

正月

2008-01-02 18:48:50 | 思い出
 元旦の朝は早い。お雑煮作りは男の仕事と母の刷り込みが今も効いている。しかし父が雑煮を作った記憶は無い。今年も起床は5時過ぎ。里芋、大根、人参、ミズナ、鶏肉の下拵え。白味噌の関西風。
 窓から外を見ると東の生駒連峰の山稜が夜明けの色。これが茜色かとデジカメのシャッターを押す。額田王の「あかねさす・・」を確かめるために、古本で買った「万葉集1」(岩波書店)を見ると、前の持ち主が色見本の紙片。正月早々名も知らない方からプレゼントを戴いた。感謝。