十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

浪花千栄子 浪花ざくら1

2020-12-07 09:00:42 | 散歩

朝ドラ「おちょやん」がはじまった。浪花千栄子がモデルと聞いて最初に思い出したのは、「浪花桜」のこと。この言葉が載っていたのは、昭和45年に出版された佐野藤右衛門の「桜花抄」。「大堰川の左岸、つまり渡月橋の北詰をさくら餅の琴きき茶屋に沿うて、上手にのぼれば、このあたりは古くから三軒屋と称するところ、その手前の右手にしるべ石が立ち、奥に小督(こごう)の塚がある。元禄四年、俳聖松尾芭蕉は嵯峨の落柿舎に滞留し、落柿舎の去来の案内で臨川寺に詣で、小督の塚をたずねたことが『嵯峨日記』にしるされ「墓は三軒屋の隣り、藪の中にあり。しるしに桜を植ゑたり」とある。これによると、その当時から塚のほとりにサクラがあったことがわかる。これが名高い小督桜であったと思われる。・・・いっぽう、小督の塚はひどく荒れてしまったので、テレビや映画でおなじみの浪花千栄子さんが手入れをさせ、面目一新したが、私もそれに共鳴して石燈籠を贈り、さらにくだんの小督桜を局茶屋の南に移植した。・・・浪花さんは小督塚の裏手、芒の馬場町に住んで、やがて二十年にもなるだろうか。彼女が経営する竹生(ちくぶ)の庭に、一本のヤマザクラの大樹がある。天龍寺の現管長、関牧翁師は、このあたりのでの名桜と礼賛している。まさにそのとおりで、おそらく嵐山付近一帯の民家にあるサクラのうち、最大のヤマザクラといっていいし、樹齢も百七~八十年から二百年にもなろう。幹まわりは四メートルもあり、木の高さ十五メートルに達する大ヤマザクラで、私はこれに浪花桜と命名した。」(p114~115) この桜が今も残っているのか気になってしかたがなかった。本の写真を手掛かりになんとかこの桜が今もあるのか確かめたかった。Googleのストリートビューで確認してみると、似たような光景がみえた。2019年6月の撮影なので現在もあるのか不安があった。日曜日午前中孫の勉強を見た後、カメラを持って嵐山に向かった。嵐山はコロナ禍の中も大変な人出であった。着物姿の若者が多い。紅葉は盛りを過ぎたのかもうひとつ。しかし流れる空気は穏やかでいい。昔 局茶屋にあった同じ場所にアラビカ京都嵐山があり、行列がすごい。しかし興味がない。小督塚を過ぎると福田博物館があり、ホテルMUNI KYOTOの前に瀟洒な京屋敷があり、そこにサクラの古木があった。枝は刈りこまれていたが、植栽の隙間から見える桜の幹も古木らしい姿をみせている。浪花桜に違いない。来春向かいのホテルの枝垂れ桜と浪花桜の競演が見られる。楽しみである。

       

 

 

 

 

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