朝早く目が覚めたので、大門寺の紅葉を見に行こうと決心。妻が地域の清掃で行かれないので、バイクで行くことにした。バイクでの遠出は二年ぶり。走っているうちに前によく利用した道を採用。安威川の土手を走り、履正社のグランドの前を通り、山手台を過ぎ、ゴルフ場の中の細い道を走り、途中の空き地にバイクを止めた。ここからは大門寺までは坂道。右足も左足もに二年前よりすっかりガタがきているので自分でもおっかなびっくり。カメラとスケッチブックを持って歩くが意外に楽しい。大門寺は現在リニューアルと言っていいほどの大工事中。一番の目当ては境内の一本の紅葉。私がこれまで来た時にはいつもその盛りを見逃していた。確かに紅葉の絨毯は見れたのだが。でもこの日はやっと華やかな姿が見れた。脚の痛みもなんのその。ありがたやもみぢ浄土の大門寺。寺の石碑の俳句そのものだった。
大門寺の山桜が気になって幹周を測りに行った。以前は大門寺には子彼岸桜と山桜の日本が境内にあったが、子彼岸桜は切られてもうない。山櫻のみになったが、樹高も高く、堂々とした姿が気になっていた。リトルカブでコトコト走り大門寺の駐車場に着いた。車は一台のみ。新しい藤棚の藤が満開。年数がたてば寺の景観を豊かにしてくれるでしょう。シャクヤクは蕾が大きくなっている。最近段差が私の脚にはきつくなっている。一歩一歩気を付けながら、瓦でできた階段をあがり、山桜の元へ。サクランボの実が多くついている。まだ小さい。これから大きくなることでしょう。幹周を測ると約300cm。環境省の巨木の定義は「地上130㎝の位置で幹周が300㎝以上」と定義されているが、この桜巨木といっていいのかもしれません。
バイクで大門寺に行く予定がバイクの後輪がパンク。バイク屋さんまでオッチラオッチラ押していく羽目に。聞いてみると、後輪タイヤを変えないといけないとのこと。とりあえず空気だけ入れてもらって家に帰ることに。今日の予定は大門寺のモミジの写真とスケッチと決めていたので、自転車に乗り換えて行くことにした。天気も良かったので後先も考えず出発。途中市役所前のグランドでIBARAKI VINTAGE CAR SHOWの催し。映画で見たような昔懐かしい車が大集合。それぞれ個性があって面白い。値段はわからないが顔が見える車といっていいか。所有者に愛されている車といっていいか。以外に時間をとった。会場を後にしていよいよ出発。24インチの自転車は遅い。汗は出てくるし、太ももは張ってくるし、途中からの坂道で降参。押していくことに。朝のBSの火野正平に感服。茨木亀岡線は上りが続く。大門寺トンネルに続く橋の途中で自転車を置き徒歩で大門寺に向かった。さすがに足が重いがようやく大門寺に到着。写真を撮り始めると疲れを忘れている自分に気が付いた。去年の台風でモミジの枝も大分折れ、また境内の大改修のため、様子が例年と違うがやはり美しい。帰りは人生下り坂最高。
日本国憲法は昭和21年11月3日に公布、昭和22年に5月3日に施行された。その年の12月4日に東大戦没学生の手記「はるかなる山河に」が出版された。時の東大総長の南原 繁は慰霊祭における告文で『 然し、諸君に告げたいことは、我らの行く手に民族の新たな燭光、大いなる黎明は既に開け初めつつあることである。今や我が国は有史以来の偉大なる政治的社会的精神的変革を遂げつつある。我らはそれを通して平和と道義の真正日本の建設と新日本文化の創造をなさなければならない。これこそは就中我々学徒が精魂を傾けて成し遂げねばならぬ偉業であり、心血を注いでの我らの新たな戦ー『理性』を薔薇の花として、それと厳しき『現実』との融和を図る平和の戦である。』と戦争で命を落とした学生に呼びかけている。日本に悲劇をもたらした大戦を軍閥、超国家主義者等少数者の無知と無謀と野望によって企てられた只戦争一途と、そして没落の断崖目がけて、国を挙げての突入であったと言う。今現行憲法を改正しようとする勢力は信頼できる人間たちであろうか。野望のためには国民をだますことをなんとも思っていない国民に対して敬意を持たない低劣な輩の思いにのってはいけないと思う。5月3日妻と大門寺に行った。連休中のせいか参拝は私たち夫婦と写真を撮る女性のかたであった。寺は改造中で少々落ち着かないが、芍薬が美しかった。