北側のベランダにおいてあったヤブラン。南側のベランダに移すと元気になってきた。このヤブラン60年以上前に我が家にきた。当時祖母は父の弟の叔父の家で生活していた。父が勤めていた日本可鍛を解雇され、我が家の経済事情が吹田の叔父の家へ行かせたのだろう。その家は豪農の離れで道路に面していた。玄関を入って上がると2畳の空間があり、壁に船の模型が目についた。叔父が船員であったころの船であったのだろうか。右は茶の間左に居間があり、そこからは手入れの行き届いた庭が見え、池には金魚や鯉が泳いでいた。この部屋では同い年の従弟と花札をしたり将棋倒しをしたり、よく遊んだ。従弟は前の道路で交通事故に遭い、片足が悪く、片方の目も不自由だったが、素直な性格で気がよくあって、子供のときの遊び相手となると彼との交流が真っ先に出てくる。近くに泉殿宮があり、祭りにはよく一緒に行った。ここの湧き水がアサヒビールがこの地にできた所以の神社だ。祭りは夜店も多く、その賑わいは今も情景が浮かび上がってくる。カラスがしゃべるのを聞いたのもここの祭りだ。従弟ももうなくなって20年になる。茶の間を降りた土間の戸の外にでると、大家の庭の地続きの庭があった。ここにヤブランが植わっていた。祖母が株分けをして私の家へ持ってきてくれた。大事にしたい。