十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

浪花千栄子の竹生庵はどこにあったか

2023-03-19 14:09:59 | 備忘録

 佐野藤右衛門の「桜守二代記)の第六章 京都の桜の10節 嵐山付近の桜の項に「浪花千栄子さんは小督塚の裏手,芒の馬場町に住んでもう二十年になられるでしょうか。彼女が経営する竹生の庭にひともとの山桜の大樹があります。天竜寺の現管長関牧翁師はこのあたりで名桜であるとほめたたえています。まさにそのとおりで、おそらく嵐山付近一帯ににある桜のうちでも最大の山桜といっていいし、樹齢も百七、八十年から二百年にもなるでしょう。幹まわりは四メートルもあり、木の高さ十五メートルに達する大山桜で、私はこの桜に”浪花桜”と命名しました。」とある。NHK連続テレビ小説『おちょやん』が放映されてからこの「浪花桜」を見るために嵐山に足を運んだ。小督塚の周辺を歩き、これぞと思う山桜を探し、写真を撮り、スケッチをしたが確信を持てなかった。同志社女子大学の吉海直人先生は(嵯峨野の「小督塚」)で「浪花千栄子が亡くなった後、竹生も廃業となり、現在ではその所在地もわからなくなってしまいました。)と書かれている。一方 (NHK朝ドラ「おちょやん」のモデルとなっている浪花千栄子さん。晩年は養女と共に料理旅館「竹生」を営んでいたが、福田美術館はその跡地となります。)という記述がある。私はその記述には違和感があった。もしそうなら浪花桜があるはずだが、そのような桜はない。そんな私の疑問に答えてくれたのが、1989年に発行された京都吉田地図株式会社の精密住宅地図であった。

地図には料理旅館浪花千栄子庵とある。隣家に竹本とあるが千栄子の自伝「水のように」の中で、深夜初めて嵐山の新居に着いた際のことを書かれている。「・・あの畑は、石がきが組まれ、しゃれた門ができ、門内の右手には、夜目にもハッキリ黒いりんかくで平屋建ての家が出来上がっているではありませんか。私たちの帰った気配を察してくださっとみえて、そこへお隣の竹本さんとおっしゃる家のご主人が、雨の中をわざわざ手燭にろうそくを立てて持って来てくださいました。」この中で述べられている竹本という家の名が確かにある。また旅館の向かいに千栄子が作った観光バス用の駐車場もある。1973年には浪花千栄子は66歳で亡くなっている。共同経営者であった養女の南口輝美さんもその後は苦労なさったことだろう。2001年発行された京都まるごとイラストマップには料理旅館浪花千栄子庵の名はなく,その地にえびす屋の名がある。えびす屋は観光人力車を全国に展開している会社だが、1992年3月に嵐山で創業とあるので、竹生庵をえびす屋が買いとったのであろう。なお1992年4月に撮られた浪花桜(竹生の桜と書かれている)の写真が紫紅社の「京の桜」に載っているが、昨年一昨年訪れたえびす屋がある場所には一本の山桜もない。移植されていればうれしいが、古木故難しいことであろう。

    

 

 

 

 

 

 

 

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サンシュユ

2023-03-15 08:19:02 | 見山

久しぶりに見山へ。途中の風景が変わっていてびっくり。ダムに水が溜まってきているし、新しい信号ができているし、新鮮。見山には天ぷらの材料探し。柿の新芽はゲットできなかったが、ヨモギはいいのを採ることができた。家のベランダにはヤブカンゾウの新芽はある。娘家族と天ぷらで春を楽しもうとの目論見。見山の里ではサンシュウユを購入。花の黄色が鮮やか。この花を見ると一気に時代がもどる。昭和の空気に包まれる。唄っている元気な母の声。歌われているサンシュユは山椒というが私の頭の映像は地味な山椒の花でなく、華のあるサンシュユだ。

 

 

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