十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

誕生日

2019-06-24 12:00:34 | 備忘録

この年になって、誕生日がうれしいかと言われれば、そんなにというのが本音だ。でもこの年齢までよく平々凡々平穏無事に生きてこられたのは家族の存在のおかげだと強く思っている。また危うい少年時代の私を救ってくれたのは、柔道であるとも思っている。鋳物工場で工員として働いていただが、その収入の半分は飲み代に消えていたが、私が5年の時その父が失業。そして喉頭がんで他界。母もそのあとすぐ腸閉塞で入院、手術。生活保護を受けようと母と民生委員に相談にいくも、父と母が戸籍上別姓なのでと断られた。その民生委員をしていたのが、父と柔道着を買いに行ったスポーツ店の女主人であったので、妙にその店も主人の顔も覚えている。小学生の私はアルバイトをしようと、電信柱の広告を頼りに塚本の朝日新聞の販売所に行ったが見事に断られた。広告には若干名とあったので、千名近く募集と私は勘違いしていたのだ。どうも早とちりは私の幼いころからの癖かもしれない。新聞の藤村の詩の見出しを見て、阪神のホームラン打者の藤村冨美男は詩も書くんだと感心していた。ガスは止められても、練炭、豆炭、コークスで何とかしのげた当時祖母とリヤカーを引き、コークス拾いに陸橋を渡り、何度も通った。今思うと埋め立てにコークスのがれきが使われいたのかもしれない。でも水道は困った。水道が止められ何回も水道局に母と一緒に行ったことを覚えている。そんな中柔道と出会った。十三橋警察署は中学生以上しか稽古出来なかったが、無理やり入れてもらった。中学生、高校生、大学生、社会人、警察官広い道場もせまく感じるほど熱気に溢れていた。私は古武士のような福留吉久先生の体落と大内刈に目を奪われた。村上信夫先生には交番の奥で袖釣込みを教えていただいた。小学6年の時浜野正平先生が道場に講演に来られた。「柔よく剛を制す」の話であったが、私はここでも早とちりで「十よく五を制す」と理解し、「十努力する人が五努力する人より強い」と勝手に理解していた。柔道着を着ると平等の世界が広がっていた。家の事情なんて関係なかった。中学までは合宿もなかったし、特別に費用のかかることもなくただただ柔道はありがたかった。小学4年の孫が柔道をならっている。彼が柔道からいろいろなものを得ることを願っている。彼がすばらしい誕生祝をくれた。紙で作った柔道着。うれしかった。

 

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アジサイ

2019-06-10 09:33:24 | 散歩

久しぶりに高速を使って宇治へ。三室戸寺の駐車場はほぼ満杯。アジサイの満開にはまだ時間があるようですが、訪れる人の多さにびっくり。外国の方も多い。ガクアジサイの種類も多いようだ。境内の木立の姿が美しい。

        

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