毎年4月。高校時代の柔道部の師範小川敬一先生のお墓にお参りしている。桜と山中鹿之助の墓があることでも有名な日蓮宗の寺。先生は京都にあった武道専門学校22期で卒業後教官として残り、生徒に慕われる先生となった。武道専門学校と文部省との対立で磯貝一先生の教授辞任にあわせて辞められ、その後大阪の高校の教師となったが、敗戦。戦後学校での武道教育禁止に伴い高校も辞められ、大阪府警の柔道の師範になられた。私どもが先生の指導を受けたのは府警の師範の時代だった。生徒それぞれの能力に応じて的確な指導をされた。先生の一言で自分の柔道が変わるのを感じたものです。岡野好太郎十段の「学生柔道の伝統」で若いとき指導者として地方に赴任する際、永岡秀一先生より自分の得意技で指導することを厳に戒められたとある。小川先生も同じであった。先生はまた自分のことはまったく語ることはなかった。私たちが先生の戦績を知ったのは、木村政彦の本からであった。先生は日本選手権の決勝戦を木村と戦った方であった。
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